フェスライエ・ライブラリー
セーラは思いがけず、白鳥隊の勤務を早引けしてきたので暇そうである。
「ねえ、どっかに遊びに連れてってよ」
「うーん。俺としては、この間のオークションで落札した『フェスライエ・ライブラリーの断片』の出品者の所に行こうと思ってたんだけど」
「あ、いいわよ。面白そうだから一緒に行こうよ」
簡単に話がまとまって、オークションの開催者からもらったメモの住所へ。
中心街からちょっと離れた、小綺麗なアパートの一室である。
「いきなり申し訳ありません。私、『フェスライエ・ライブラリーの断片』を落札した者ですが」
「ああ、いらっしゃい……」と、無精髭を生やした男性が玄関へ出てきた。セーラが視界に入って一瞬動作が停止している。
「テッサード辺境伯家のデレクと申します。こちら、婚約者のセーラ」
「えっと、例の写本の件ですね。私、ボゴル・タスマンと申します。少々散らかっておりますが、とりあえず中へどうぞ」
書斎として使っていたような小さな部屋へ案内される。壁面に天井までの書棚があり、多くの本や書類で埋め尽くされているといった状態である。
「この部屋は昨年亡くなった私の父が使っていた書斎です」
話によると、父親はデームスール王国の貴族の三男。爵位は持たず、王宮にある文書室に勤務していたものの、派閥争いに嫌気が差して聖王国に出てきたらしい。
タスマン氏自身は木材加工の会社のオーナーで、古文書には興味がないらしい。父親が亡くなって、遺された山のような古文書をどうしようかと途方に暮れて、とりあえずオークションに出したとのこと。
「売れれば儲けものと思って出品しましたので、今回、テッサード様に思いもかけない値段で落札頂いて驚いている次第です」
「問題の写本はどういう経緯で入手されたのでしょう?」
「はい、スールシティで暮らしている頃から古文書を収集していたようです。趣味の範囲を出ないと思うのですが、王宮の文書室におりましたので、それなりの鑑識眼はあると思います。中には本物と言いますか、歴史的な価値があるものも含まれている可能性は高いと想像しているのですが……」
「ということは、どこで入手したのかは……」
「もう分かりませんし、それぞれの価値も不明です」
「捨てたり、売り払われた分もあるのですか?」
「いえ、父がなくなってからこの部屋はずっとこのままでした」
「ふむ。セーラ、どう思う?」
「デームスール王国から持ってきた古文書があれば、その中に知られていないものが含まれている可能性はあるわね」
「しかし、この本棚の、どれが何かも分からないなあ……」
するとタスマン氏が言う。
「先日出品しましたのが、まさにデームスール王国から持ってきたものの一部でして、それは主にこちらにあります」
そういって旅行用のトランクに入れられた文書を示す。
「ちょっと見せて下さい」
「どうぞ」
一部の冊子を取って内容を確認する。
「あれ?」
『公共工事: 一般に、国や地方自治体などが、道路や河川改修などの社会資本の整備を目的として行う建設工事のことをいう』
『インフラ: 福祉の向上と経済の発展のために備えるべき公共施設。または、企業や各種団体がその活動のために備えるべき基盤となる設備』
こんな調子で、延々と用語の説明が羅列されている。
「なんだこりゃ?」
セーラに見せる。
「へえ。面白いわね、これ」
「そう? どこが?」
「あたしたちが漠然ととらえている事柄とか概念にそれぞれ名前と説明が付いてる」
そうか。インフラ、社会福祉、談合、などは、この世界にはぼんやりした概念はあるが、名前が明確にされていないものが多い。それが一覧のようになっている。
で、なんなんだ、これ。
別の冊子を手に取る。
『王宮における儀礼用衣装のデザイン例』
これはまさに廃帝の描いたスケッチ……の模写である。
『都市および農村部における経済活動』
これは何だろう。例えば聖都やラカナ市の様子を描写しているような記述が延々と何ページもあって、同様に農村部の記述も延々とある。
さらに、その記述の所々に下線が引かれているのは何だろう?
「むむ?」
「どうしたの、デレク」
「この文章のあちこちに下線が引いてあるだろ?」
「そうだね」
「それが、さっきの用語集で説明されているような気がする」
「あ、ホントだ」
「こういう形式の……、あ。ハイパーテキストじゃん」
つまり、Webにある文書である。HTMLのような形式で記述されており、重要な語句はクリックしたり、マウスカーソルを重ねたりすると説明が表示できる。
元々はそのようなハイパーテキストであったものを、紙の上にせっせと書き写したものだと考えると、実に辻褄があう。
「タスマン殿。このトランクに入っている文書ですが、どうやらページ数で千ページ以上はありそうです。この前落札した文献の1ページあたりの価格の千倍で買い上げたいのだが、いかがでしょうか」
「ええ! 千倍ですか! もちろんです。私などが持っていても何の意味もありませんが、お役に立てるのであれば」
「あと、こちらの書棚の書類については精査しなければなりませんが、とりあえず一括して買い上げたいのですが」
「はい、それなりの値段で問題ありません」
あちらとしても厄介払いができたような雰囲気。代金を支払って、トランクはそのまま持ち帰ることにした。書棚の中身は後日、木箱にでも入れて泉邸に送ってもらうことに。
「実に貴重な資料が入手できました。有難うございます」
「こちらこそ、捨てようかどうしようかと悩んでいた紙の山に、それほどの価値があるとは。驚きました」
帰りの馬車でセーラに聞かれる。
「結局、これって何?」
「まず1つは、オクタンドルのゲームの中の衣装とかをデザインした人物がいるんだが、その人物が書いたデザイン画の模写。もう1つは、オクタンドルの内容を説明した文書と、その文書の色々な用語の説明だね」
「なんでそんなものがあるのかしら?」
「それは謎だけど、優馬の世界のさまざまな概念の説明に間違いないので、文書自体は本物だ。つまりこれこそがフェスライエ・ライブラリーの写本といって差し支えないと思う」
「あたしが読んだフェスライエ・ライブラリーの関連文書と称するものにも、知らない概念の説明が色々書かれていたから、出どころは一緒なのかしらね」
「前に言っていた、人権とかの概念のことだね」
「そうそう」
「デーム海諸国あたりに写本が出回っている可能性があるなあ」
「やっぱり、ケシャール地方とライエル地方に古代都市フェスライエの伝説があるからかしらね?」
「そうかもしれない。でも、古代都市フェスライエなんて本当に存在したとは思えないんだがなあ」
セーラをラヴレース邸に送り届けて、ついでにまたディナーを呼ばれる。
次の日。
ディムゲイトから聖都に女性たちを受け入れる件について、ゾーイに進捗を聞いてみる。
「建物と船着き場などの周辺施設の買収は完了。あとは、とりあえず生活できるように、家具や寝具の調達、炊事場の整備といったところを進めている段階ですね」
「ありがとう。建物に名前はないの? 名前がある方が呼びやすいと思うんだけど」
「以前の所有者がゾルトブール系の商社で、ウマルヤード繊維って言うんですが」
「あー。そういう名前は避けて別の名前にしたいね」
聖都に来た女性たちは嫌なことを忘れたいだろう。
「じゃあ、クロチルド荘とかでいいですか?」
クロチルドは以前、ゾーイが使っていた偽名である。
「まあいいか。女性たちが独り立ちするまでの利用だし。で、そろそろディムゲイトからこちらへ向かってもらってもいいよね?」
「はい。宿屋という訳では無いので、ある程度住人の自助努力をお願いしたいですが」
「うん、それでいいよ」
「それであのー」
「まだ何か?」
「小さいのでいいので、船があるととっても便利だと思うんですよ。シナーク川から建物の裏まで水路が来ていますし」
「ほう。でも船なんて誰が扱えるんだ?」
「それは雇うんですけど」
ちょっと待てよ。普段はそのクロチルド荘の裏に停泊しておけばいいし、ダガーヴェイルに向かう時も馬よりは楽じゃないかな? 確か、川をさかのぼったリーグラムの宿場あたりまでは船で行けそうだ。
「確かにそれはいい案かもしれないな。どのくらいのコストで実現できそうか、検討してみてくれる?」
「了解です」
午後はディムゲイトに行って、そろそろ撤収の準備だ。
ディムゲイトでは、以前の相談の通り、現地に残ってサポートを継続してくれるスタッフが決まっていた。
「これでめでたくお役御免かな?」
「案外長くかかりましたが、みんなの役に立てて良かったです」とキザシュ。
「でもちゃんと給金も出すから受け取ってね」
イスナは結構楽しく過ごしていたようだ。
「ディプトンでブラブラしてるより、よっぽどお金になりましたし、何より毎日が充実していた感じです。あ、あたし、少しは料理も作れるようになったんですよ」
するとアミーが言う。
「あたしたち、料理も味付けもすっかりゾルトブール風になってるよね?」
「そうね、ディプトンでゾルトブール料理の店でも開業しようかしら?」
ゾルトブールの料理は美味いし、それもまたいいかもな。
あとは、女性たちをいくつかのグループに分けて、何回かに分けて出立させるわけだが、船でアーテンガムに向かうので、天気が悪かったりしたら予定通りには進まない。
「アーテンガムは海上が封鎖されているんじゃないの?」
キザシュが説明してくれる。
「いえ、通れないのは兵隊を乗せたような軍艦とかだけです。検問も簡単なのがあるだけだと聞いています」
「女性だけだと心配だけど……」
「大丈夫です。ダンスター男爵が相談に乗って下さって、冒険者と軍人の方が護衛について下さることになっています」
「そっか。ダンスター男爵にはあとからお礼をしておかないとな」
「奥様を助けてもらったのだから、このくらいは当然、とおっしゃってましたよ」
「でもまあ、もらうものはもらわないとな」
「はい、実費と労働分の賃金は計算してあります」
「よしよし」
ということで、キザシュ、イスナは順次聖都に帰ることにした。
長い間お疲れ様。
アミーだけは今日すぐ泉邸に帰る。
それは夕方にメロディのお別れの食事会を開催するからである。
テーブルに並ぶ料理は、メロディに教えてもらった料理をメイドたちが作ったものである。短い期間だったが十分合格点だ。
「短い期間だったけれど、屋敷の仕事がうまく回るようになったのはメロディのおかげだと思ってる。それから、ダズベリー風のおいしい料理をメイドたちに教えてくれて有難う。ダズベリーではクリスさんとお幸せにね」
メロディが立ち上がって短い挨拶をする。
「みなさんのおかげで聖都で楽しく仕事ができました。私はダズベリーで頑張りますので、これからもテッサード家のことをよろしくお願いします。それからデレク様。セーラさんのことを大切にしてくださいね」
皆からの温かい拍手。
一同を代表してエメルからメロディにプレゼント。メイドと子供たちが小遣いを出し合って買ったハンカチのセットだそうである。
皆に祝福されて旅立つことができて、メロディは幸せそうだ。
食事会のあと、メロディがすっと寄ってきて俺にイヤーカフを渡す。
「デレク様とご一緒できて、本当に夢のような時間を過ごすことができました。これからはデレク様の力を借りずに頑張るつもりです」
「そっか……」
受け取ったイヤーカフを見つめてちょっと言葉に詰まる俺。
俺の目を真っ直ぐ見つめてメロディが言う。
「デレク様。これからはお屋敷のみんなのことをよろしくお願いします」
「そうだな。メロディに心配かけないように頑張るよ」
「責任重大ですよ! デレク様」
「……うん」
「やだなあ、泣かないでくださいよ」
メロディ、本当に有難う。
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