嫌がらせ・パート2
いい気分で朝食を済ませると、行政官の仕事を頼んでいるシェーナがやって来た。
「デレク様。不在の間の、課題の進捗について報告したいのですが」
何か、目に見えない青筋が立ってるような気がする。
「ごめん。任せっきりにしていたよね」
シナーク側上流からダガーヴェイルへ至る道の整備については、特に境を接するアンドーヴァー男爵領を通過する街道の整備も必要になるので、とりあえずテッサード家が改修費用を負担して、その後の領内の改修はおまかせするということで交渉成立とのこと。
「まあ、ダガーヴェイルなんて今は単なる辺境だからな。仕方がない」
「街道の整備自体は、ダガーヴェイルに十分な労働力がないので、必要な人足を外部から集める必要があります。これに難儀しています」
「農閑期で出稼ぎに来る人もいるんじゃないの?」
「それが、運河の工事の方へずいぶん取られてしまうので」
ううむ。頭の痛いことである。
しかし、これが俺に任された本来の仕事なわけで、ちゃんとやらねばならんよなあ。
「あと、ブドウの栽培が可能かどうかですが、バックス男爵の所から来られた方々は現在は聖都に滞在されていて、王都の農業研究者の方と時々勉強会をされています」
「ほう。いいね」
「一度、実際に現地へ行って土壌の調査をしたり、現地の方に気候について聞き取り調査をしたりもされています。検討結果を元に、来年の春から拠点を整備して本格的に試験栽培に取り掛かりたいとのことです」
「ああ、有り難いな。資金は出すから、よろしくお願いするよ」
「了解です」
昼前から早速セーラがやって来る。今日は膝丈のスカートにロングブーツ。
「デレク、来たわよ」
「やあ、今日も可愛いよ」
「うふふ」
などとじゃれつつ邸内へ。
「あー、セーラいらっしゃい」とハイテンションなリズ。
「昨日はごめんね」
「あたしはペールトゥームにいることになってるから、しょうがないよ」
「セーラ、いらっしゃい」とケイと、メロディも出てきた。
「婚約おめでとう」
「ありがとう。今日はみんなで買い物にでも出かけない?」とセーラが提案。
「何を買いに?」
「そろそろ冬が来るから、新しいコートを揃えましょうよ」
「いいねいいね」と乗り気なリズ。
「メロディには、気に入ったコートがあれば結婚祝いに進呈するわ」
「え、そんな……」
「いえいえ。メロディがあたしの服を洗濯してくれたから、デレクと知り合いになれたとも言えるわけだし」
「そんな。大げさです」
「いや、間違ってはいないよ」とケイ。
新しく買った6人乗りの馬車で、聖都の中心街に出かける。
何やら俺たちの方を注視する人たちもいる。
セーラがいささか投げやりな感じで言う。
「『レキエル通信』とかいうゴシップ中心の情報誌があるんだけど、そこにあたしとデレクの関係をあること無いこと書いた記事が掲載されたことがあってね」
「へえ。どんなことが書かれているんだろう?」
「田舎貴族のくせに国境の開発で資金を得て、聖都へ出てきて大きな顔をしてるとか」
「まったく間違っているわけではないが、悪意を感じるね」
「あたしとデレクの馴れ初めって話も書かれてたけど、噴飯ものの嘘八百でさあ」
「え、どんな?」とケイが食いつく。
「ラヴレースの宝物室に賊が押し入った事件があったじゃない。あの時にいち早く邸宅に駆けつけて下心丸出しで色々サポートを申し出たのがテッサード家だ、とか」
「そんな事実はないよな。時系列的にもメチャクチャだし」
「だけど、それを信じてデレクに悪い印象を持つ人もいるわけよ」
「そりゃあ困ったね」
情報網が発達した社会ならすぐにでも否定できる程度のデマだが、この社会ではそうもいかない。よっぽど酷い場合は内務省なり検察なりに動いてもらうこともあるようだが、それは本当に稀なケースで、下手をすると弾圧だとか言われて逆効果になる。
現状では、虚偽の内容であっても貴族の側が言われっぱなしになることは少なくないらしい。
ちょっと嫌な話を聞いたが、その後はメロディも交えて皆でショッピングを楽しんだり、昼食を食べたり。
泉邸へ戻ってみると、いいにおいが漂っている。
「えっと、どこかで嗅いだ香りだが?」
「ケイさんのもらってきたレシピでクッキーを焼いてみましたよ」とケイト。ケイトには泉邸のキッチン担当として働いてもらっているが、子供たちの面倒見も良く、こうやってお菓子なども作ってくれる。
「あ。これはデルペニアに行った時のクッキーか」
「うわ。まさにそのものだよ。すごいな、ケイトさん」とケイも感心している。
早速お茶を入れてもらって、クッキーを食べながらゾンビを倒した時の話をしたり。
「ゾンビって本当にいるんだ」とセーラも驚いている。
「デルペニアのあの地方だけみたいだけどね」
夕方になって、みんなで一緒にディナー。セーラも子供たちも一緒である。
皆、楽しそうで、平和でなごやかな休日を満喫することができた。
問題は次の日に発生した。
昼近く、王宮にいるトレヴァーから使者がやって来た。
至急お伝えしたいことがあるので、午後、ロックリッジ邸に来ていただきたい、とのこと。はて? 難民の関係かな?
急いで馬車に乗り、ロックリッジ邸へ。
「いらっしゃい、どうぞこちらへ」とマリリンが案内してくれる。
応接室に入ると、トレヴァーだけではなく、セーラもいる。白鳥隊の制服のまま。
「あれ?」
「わざわざ呼び出してすまない」
トレヴァーの話によると、こういうことである。
一昨日、セーラの誕生日のパーティーで婚約を発表したわけだが、それが面白くない人物がいる。誰かはあえて言わないが、まあ、大体1名いる。
その人物が指図したのか、
「枢機調査室って何ですか?」
「貴族の爵位の正当性をチェックしたりする部署だが、まあ有名無実な役職だね」
「それが何と?」
「他国の名誉騎士の称号を持つ人物と国内の貴族の婚約はこれまでに例がなく、両国の国王の許可が必要である。規定に反した今回の婚約は無効、婚姻も認められない、と」
「……そんな規定、ありましたっけ?」
「伯爵、公爵クラスの貴族は他国の貴族と婚姻する場合に許可が必要だ。で、厳密に言うと婚約についても許可が必要だが、ここ何十年も、婚約について許可をとったという例はない。しかも今回は『名誉騎士』であって、他国の爵位すら持っていない。つまり、無理やりのこじつけに過ぎない」
「そうですよね」
つまり、優馬の記憶でも名誉市民みたいなのがあるが、あれは別にそこの市民になるわけではない。その例えで言うなら、お前は日本人だけどパリの名誉市民だから日本で投票したらダメ、と言っているようなものだ。
「問題はだね、その役職の決定を覆す法的な仕組みが存在しないことなのだ。有名無実な部署だから、逆に法的な整備が行き届いていない」
「はあ?」
「つまり、国王の決済という、一種、超法規的な方法でないと、決定を覆せない。これはちょっとハードルが高いが、一番確実な方法だね」
「ラカナ大公陛下に許可を求めるという方法は?」
「デレクはラカナ公国の臣民ではないから、そもそも正式な許可の出しようがないと思う。非公式に一筆書いてもらったとしても法的な効力はないね」
つまり忖度か何か知らないけれど、嫌がらせで「婚約は無効」の宣言を出したら、法律的なエアポケットに入ってしまって取り消すのが難しいと。
「何なのかしらね。嫌になっちゃうわね」とセーラ。
「無視して結婚までしたらどうなりますかね?」
「事を最大限に荒立てようと考えれば、国王に楯突く反逆者だ。まあそこまで行かないにしても、貴族同士の結婚なのに王宮からは非公認という、あまりうれしくない状況になるね」
「ううむ」
「これはもう、事実婚ってやつよ、デレク」とセーラ。
「あらあら」とマリリンが笑っている。
「フランク卿が事実婚を認めて下さるとは到底思えないけど」と冷静なトレヴァー。
「ではどうしたら?」
「こちらに落ち度があるわけではないので、私やフランク卿から国王にお願いして取り消してもらう、ということになるだろうね。逆にね、デレクが出ていくのは得策ではないと思う」
「そうですか?」
「王宮の内部で、自分たちで間違いに気づいて対応を改めた、というのが、事の収め方としては最も望ましい。当事者であっても、王宮の外部の者が出てくるのは避けたい」
「なるほど」
トレヴァーはいつも冷静かつ的確に物事を見ているなあ。
「……と、さっき姉さんに言われた」
「そうそう」とニッコリするマリリン。あれ?
「分かりました。ではそちらの対応はお願いしてもよろしいでしょうか」
「うん。王宮内部の些細な間違い、で済ませられるようにするよ」
「有難うございます」
そこまで話がついたところで、トレヴァーは慌ただしく出かけていった。
メイドがお茶を入れて持ってきてくれる。
すると、部屋の入り口からタニアが覗いている。
「もうお話は済んだかしら?」
「いいわよ。こちらへ来て一緒にお茶にしましょう」とマリリン。
「デレク、昨日の美味しいクッキーを今度持ってきてよ」とセーラ。
「そうだな。またケイトに頼んで焼いてもらおう」
「あら、どんなクッキーなの?」とタニア。
「うん、デルペニアに行った時に……」
「え?」
「あ」
しまったな。厄介な話の後で気が緩んでいたなあ。
「うふふふ。デレクは怪しいなあ」とマリリンがそれはもう嬉しそう。
話をそらしたい。
「そういえば、学院への入学申請をマリリンさんが出したと聞きましたけど?」
「うふ。いいわよね? タニアと他のいとこの護衛も兼ねて」
「あー。確かにいろいろお世話になっていますので……」
「そんなに毎日出かける必要もないし、学院に籍があれば、王宮の書庫にも出入りできるわよ」
「え、そんな特権が?」
「デレク、騙されたらダメよ。確かに出入りできるけど、王宮に許可をもらった貴族なら学院に関係なく誰でも出入りできるわ」とセーラ。
「マリリンさんはしばらく聖都におられるのですか?」
「そうね、ここ数日はずっとこちらに」
ふと思い出した。
「ゾルトブールに行った時、ラカナ側とゾルトブール側の国境守備隊同士が川の対岸との通信に光式通信というのを使っていまして」
「まあ、何かしら」
例の、ハグランド氏が開発したモールス信号的な通信方式である。簡単に内容を説明する。
「少し高い櫓と、強い光があればかなり遠くまで通信できるのではないでしょうか」
「なるほど。ロックリッジの所領には島がいくつかありますから、その間の通信に使えるかもしれません」
「具体的に利用が可能かどうかは現地で試さないと分かりませんが、あとでゾルトブールでもらった資料をお渡ししましょう」
「そうね。国境守備隊で使えると便利ね。いちいち人が船で行くよりずっと早く情報がやりとりできそうだわ」
するとタニアがこんなことを言う。
「情報といえば、こちらの屋敷にマリリン姉様あての手紙が時々来るんだけど、姉様は手紙が来るたびにウキウキされてますよね。あれはなあに?」
「え。そ、そんなことは」
あ。あれだ。
ちょっと仕返し。
「手紙のやりとりは順調ですか?」
「え、デレク、何を……。あ!」
マリリン、気づいたようだ。
「やられたわねえ。デレクだったのかー。そうか。いや、有難うと言っておくわね」
「え? 何のことなの、デレク」とセーラには分からないようだ。
「ふふふ。ダズベリーの飲み会でリズが話をしてたはずだよ」
「えー? 何だっけ。酔っ払っちゃったから覚えてないわね……」
「あら。セーラはダズベリーでも酔っ払ったの? ダメねえ」
「うわ。墓穴」
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