結婚するなら
夕食の用意ができたらしい。
ダイニングに行くと、セーラがリズの部屋着に着替えていた。
「さっきの服は今夜中に洗濯しますので、明日にはちゃんと着られますよ」とメロディ。
「すごいですね、メロディさん」
もちろん、洗濯乾燥機を使うのである。
しかし、リズの好みで買った服なので、お胸の辺りが実に強調されていて困る。いや、困らないが、まあ、すごい。それに、身体の線がよりいっそうはっきりして、特に腰からのラインが美しい。いや、もっとはっきり言うならば、あれだ。
「うわー、セーラさん、エロいね」とケイがぶっちゃける。お前は俺か。
「でも、これはリズさんの服ですから……」
「うん、リズもエロいから、セーラさんもエロいのは当然だよ。いいねえ」
ケイは何を言っているのか。おっさんなのか。
リズもあからさまに一言。
「うわ、デレクを取られそうだ。しまったなあ。貸すんじゃなかったかなあ」
「いや、君たちね、セーラさんに失礼じゃないかな」
セーラはちょっと顔を赤くしている。
「えっと、変でしたか」
「いや、2人はセーラさんは何をお召しになってもお美しいですね、と言いたいのですよ」
「うんうん」とうなずくリズ。
「まあ、そう言うことにしておこう」とケイ。
夕食だが、急なことだったのでいつもの献立に少し毛が生えたくらい。だが、人数が増えてもクオリティを落とさないのは、さすがメロディである。
「すいません、我々がいつも食べているようなもので」
「いえいえ、急にお願いしたのはこちらなんですから。それにメロディさんのお料理はとても美味しいですよ」
「あ、このキュウリはあたしが切ったんだよ」とリズ。小学生か。
「我々は、聖都には遊びに行く程度なんですが、あそこで実際に暮らしているとどんな感じですか?」
「そうですね、どの国でもそうなんじゃないかと思いますが、貴族同士の権力争いというか、見栄の張り合いみたいなことが多くて時々嫌になりますね」
「そんなもんですか」
「でも、やはり他の街より盛んなのは文化活動ですね」
「なるほど。音楽や美術とか、演劇もですか」
「ええ、出版物もいろいろ出ていますしね」
出版物と聞いて食いつくケイ。
「あたし、小説を読むのが好きなんです。この間もシェリリン・エクスマスの著者サイン入りの本を買ってしまいました」
「あらあら。そうですか。天才ですよね、彼女は」
「そうですよね」
ケイは満足げである。自分のお気に入りを人に褒めてもらうのは嬉しいものだ。
俺からも質問。
「印刷工房は聖都のあたりに集中していますが、内容のチェックのようなことはあるのですか?」
「これまではほとんどなかったのですが、最近は国王陛下や王族への批判めいたものが没収されたり、著者が処罰される例があります」
「それは内務省が?」
「あら、よくご存知ですね。彼ら、露骨なポルノは取り締まらないくせに、王妃殿下への悪口は鳥肌が立つとか言って弾圧しますのよ」
「立つのが鳥肌だとダメなのか」とうっかり。
「あら、デレクさん、今の発言はどうでしょうか?」とセーラ。
「おっと、何のことでしょうか」
「ふふふ」
危ない、危ない。っていうか、セーラも突っ込んでくるなあ。
メロディも会話に参加する。
「ではファッションは? 衣服の生産やデザインはどこが中心なんですか?」
「原料となる綿などはゾルトブール王国かジュサ大陸諸国が主な産地です」
「ジュサ大陸?」とリズ。
「西南大陸のことだよ」とケイが教えてくれる。
ジュサはゾルトブールよりも西、亜熱帯地域にある大陸の名前だ。
セーラが続ける。
「衣服などのデザインは、やはり聖王国が世界のトップレベルと言われていますね」
「フェスライエ・ライブラリーってあるんですか?」と思わず聞いてみる。
フェスライエ・ライブラリーとは、ファッションの自由を守ったという、廃帝ナインダガーの伝説にある古代文明の記録だ。
「フェスライエ。興味深い名前を持ってきましたね、デレクさん」
「ご存知ですか、さすがですね」
「これこそがフェスライエ・ライブラリー、というものは確認されていませんが、現在存在していない素材を使った服のデザイン画が見つかることがあると聞いています」
「たとえば?」
「そうですね、ファスナーと呼ばれる線状の留め具とか、透明な肩紐の素材であるとか」
「ああ、なるほど。確かに存在しませんね」
「ん? ちょっと待ってください。今、さりげなく流しましたけど、ファスナーをご存知なのですか?」
あ、久々にやっちまったな。
「ふふ、デレクったらあ」と嬉しそうなリズ。
「どこかの本で読んだんだったかなあ」
「デレクさんは魔法だけじゃなくて、叩くといろいろ怪しいですわね」
「いや、叩かないでくださいよ。セーラさんこそ、なんでフェスライエ・ライブラリーなんか知ってるんですか」
「なんか、かどうかは別として、この世界の何か根源につながるヒントがあるような気がしていますのよ」
「根源とは?」
「私、昔の歴史について調べるのが好きで、実は本も1冊書いてるんですけど」
「え、それはすごいですね」
「いえ、ちょっとマニアックな本なので」
「どんな内容なんですか?」
「数百年単位でさかのぼった昔の歴史はいろいろおかしいので、そのあたりを考察した本です。私一人ではなくて従姉妹のマリリンにも手伝ってもらいましたけど」
「おかしい、ですか」
「今年は勇者の魔王討伐から300年とされていますが、それ以前の歴史は時系列や登場人物がめちゃくちゃです」
「そうなんですか?」
「たとえば聖王国の歴代の王の家系図はすべて残っていて、これまでに50代続いて、3000年の歴史があるとされています」
「聞いたことありますね」
「人間が子供を作る平均的な年齢が、30歳を越えることはなさそうでしょう? せいぜい20歳代です。ですが、3000年で50人の王とすると、1代あたり60年平均になります」
「あれ?」
「しかも、家系図を丹念に調べると、王や子供たちの名前が結構いい加減で、思いつきでつけたに違いない名前がずらずら出てくるんです。読むと笑えますよ」
「覚えている名前はありますか?」とケイ。
「ええ、たとえばですね、ジョン王にジョナというお妃がいますが、その妹の名がジョナナ、さらにその子供がジョンスー、ジョントム、ジョンタ、ジョンジョン、みたいな」
一同爆笑。
「ジョンジョンって」
「さらに、そのジョンジョンはですね、自分の大伯母と結婚して子供を25人作ったりしています」
「それ、どこかで書き間違えたんじゃないですか」
「絶対そうだと思いますが、でも、1箇所で間違いを認めると、全体の正当性が揺らぎます。しかもこの種の変な記述はここだけじゃないんですよ」
これは徹夜のやっつけ仕事か、バイト学生数名に任せた結果に違いない。
セーラが話を元に戻す。
「あ、フェスライエ・ライブラリーの話でしたね。廃帝の伝説はよくわからないことで有名ですが、関連するテキストにさり気なく出てくるさまざまな価値観や概念がとても興味深いですわね」
「価値観?」
「例えば人権という概念がありました」
「何ですか、それは」とケイが聞く。
「人間が誰でも生まれながらにして持っている権利で、国家は法制度や統治機構でもってそれを保障しなければならないのだそうです」
「へえ」
「同じような概念で、原罪というものあります」
「ほう」
「人間は生まれながらにして、神に対して贖わなければならない罪を背負っているのだそうです」
「ちょっとよく分からないですね」とメロディ。
「デレクさんはこの概念はご存知ですか?」
「ええ。知っています。セーラさんの中では、人権も原罪も同じような部類ですか」
「誰から与えられたのかも分からない権利や罪が、初めからあるものとして議論が進んで行くあたりにかなり抵抗を感じますね」
「多分セーラさんが違和感を感じるのは、権利や罪というものは人間の社会が決めるもののはずなのに、それらがあるんだから、人間の社会はこうあるべきだ、と逆になっているからではないですか?」
「ああ、そうですね、おっしゃる通りです。今、すごく納得しました」
「しかし、社会が人間の権利を決めると考えると、まずい点があります」
「なんでしょうか」
「その社会で権力を持っている側に、人間はこうあるべきだと、いいように決められてしまう危険があります。だから、現実の社会から離れて『理想的な人権』という理念を作って、それが守られるように社会を変革しようと考えるのは、ある意味、理にかなっています」
「なるほど」
「ただし、これも理想論です。『理想的な人権』が何か誰も知らないのです」
「デレク、つまんないよ、その話」とリズ。
「私はとても面白いです」とセーラ。
「リズは数学とかロジカルな話は強いけど、社会の仕組みとかは全然ダメだな」
その後は、密輸組織に誘拐されそうになった話とか、海水浴に行った話などもして、セーラは東邸の全員とかなり打ち解けることができたようだ。
セーラは犯罪者の捕縛といった、普段と違うことを体験してかなり疲れたらしい。
「申し訳有りませんが、先に休ませて頂きます」
「はい、普段お休みのベッドとは違うと思いますが……」
「とんでもありません。突然泊めて欲しいなどと申しまして申し訳有りませんでした」
一足早く、セーラがベッドルームに去っていく。
リズが魔道具の件で提案があるらしい。
「ねえねえ、さっき、ヤバい魔道具が盗まれたって言ってなかった?」
夕食前に、魔道具が盗まれた話をちらっとリズにはしておいたのだ。
「踏み込む前に、魔法システムから無効化しておいたらいいんじゃないの?」
「うーん。それ、ポイズン・ジェイルっていう、毒ガスが出る魔道具らしいんだけど、知ってる?」
「聞いたことないなあ」
「指輪みたいな魔道具は、道具の魔石自体に魔法のパッケージが格納されているプライベートな魔法のことが多いだろう?」
「ああ、パブリックな魔法じゃないとシステム側から書き換えられないね」
パブリックな魔法は魔法システムの管理下にプログラムの本体があるので書き換えることができるが、魔石に書き込まれていれば手出しができない。
「俺も『ポイズン・ジェイル』という魔法プログラムがないか探してみたけど、どうも見つからないんだ。魔法プログラム自体はどこかにあるとしても別の名前で、多分、プライベートな魔法だと思う」
「そっか、今のところは打つ手がない、か」
ケイがぼやく。
「会話の訳の分からなさでは、さっきの人権の話と変わらないなあ」
「デレク様は本当に色々なことをご存知ですね」とメロディに感心される。
急に思いついたように、リズが嬉しそうな顔でこんなことを言う。
「ねえねえ、セーラさんだけどさ。綺麗だし、頭もいいし」
「そうだね」
「デレクが結婚するならあんな人がいいよ」
「え?」
何を言い出すのか。
「えっと、おれは結婚とかはまだあまり考えてないんだけどさ……」
ケイにとっても意外だったらしい。
「リズはデレクが好きって言ってたよね? 結婚する気はないの?」
「大好きだけど、デレクはちゃんと誰かと結婚しないと」
「ちゃんと、ですか?」とメロディも腑に落ちない様子。
これはあれかなあ。天使には子供ができないとか、そういうあたりを気にしているのかなあ。俺的にはリズを大切にしたいんだけど。
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