見上げる青い空

 俺の実家、テッサード家は辺境伯で、それなりの名家だ。

 ここ数百年、近隣国家間の紛争は起きていないため、辺境伯といっても軍隊は持っていない。ただし、私兵と呼んでもいい程度の備えはしている。その「戦力」は、普段はテッサード邸宅の警備、国境守備隊、警ら隊として存在している。

 国境警備隊と警ら隊は、建前上は国の組織だが、実質的に資金を出したり構成員を訓練したりするのはその領地を収めている貴族だ。


 前置きが長くなったが、ケイ、ローザ姉妹はテッサード辺境伯領の「軍部」を代々担っている家柄であるコンプトン家の娘さんなのだ。

 コンプトン家は、守備隊や警ら隊に影響力を持っているだけではなく、町の一般の人向けに体術の道場も開いている。

 俺も小さい時からこの道場に通って鍛えられたものだ。だから、ケイとは幼馴染みたいなもので、ケイが人並外れて強いのは身に染みて、物理的にも痛いほど知っている。ローザさんも強いに違いない。


 でもまあ、今後もリズがこうやって外に出るとしたら服は何着か必要だ。リズにだけ聞こえるようにこっそりと伝えておく。


「必要な下着の種類とか、基本的なコーディネートとかも聞いておいたらいいぞ」

「勝負下着?」

「あのなあ、普通のやつだよ」

 また変なボキャブラリを知ってやがる。


 目的のブティックに到着。

 こちらの世界にもガラスは存在しているが、大きな1枚ものの丈夫なガラスはまだ高価だ。この店はショーウィンドウというほどではないが、ガラス窓から店の中のディスプレイが見える。都会風のオシャレな店なのだ。


 店に入ると、なんだか俺、いきなり新婚さんみたいに扱われてるんだけど。

 まんざらでもないというか悪ノリするリズ。

 何か不機嫌そうなケイ。

 はしゃいでいるローザさん。


 居心地が悪いことこの上ないんだけど、どうしたらいいんだろう。


 そういえば、優馬の知識の中世ヨーロッパあたりと比べると、こちらの世界はあまり抑圧された感じがない。女性服も比較的自由で洗練されていると思う。

 優馬の世界の文化は宗教上の制約が大きかったのかな。

 ただ、大量生産で早く安く作るということは実現されていないので、複雑な刺繍や手間のかかるフリルのついた衣装などは相当に高価だ。


 思い出したが、古代のどこかの国で、革新的なファッションを広めた王がいたとかいう伝説があったなあ。異民族の迫害から芸術とファッションと、そして女性の権利を取り戻したと言われている。

 ただ、実在したかどうかはかなり怪しい。優馬の記憶でも、ゲームのストーリーにそんな国の話は出てこない。


 庶民に手が届くレベルだと、あっさりしたシルエットでしかも女性らしさを表すデザインとか、いくつかの色味を組み合わせて目新しい印象を出すとか、そういうあたりが重視されるようだ。

 俺にはよく分からないが、リズは目を輝かせて話を聞いている。楽しそうで何より。


「ねえ、見て見て。これどう?」


 試着室のカーテンをバッと開けてリズが言う。ネイビーブルーの襟がついたワンピースに銀髪が映えて凄くいい。


「いいなあ、それ」

「真っ赤なドレスもあるんだけど」

「赤はどうかなあ」

などと話していると、ローザさんが声をかける。


「デレク、デレク。ケイのも見てあげてよ」


 振り返ると、普段の守備隊の時とは全く違う、パステルっぽい色合いの上下に身を包んだケイ。あれ? ケイってこんなに女の子っぽかったかな? さりげなくボディラインの美しさが引き出されていて、とてもいい感じ。

 ちょっと見とれてしまう。


「いいですねえ。おしとやかな初夏のお嬢さんといった感じ」

「そうでしょう? ケイも捨てたもんじゃないわよねえ」

「姉さん、ちょっと恥ずかしい」

「何言ってんの、もっと攻めないとダメよ、あんたは」


「デレク、これは?」


 今度はリズが短めのスカート、胸元を強調した服で攻めてきた。うわ、刺激に慣れていない17歳はクラクラしてしまいますよ。


「う、ちょっと露出が多くないかな?」

「えー、普通だよお」

「そうよ、このくらいがいいのよ」とローザさん。


 そんなこんなで、そりゃもうたくさんの着替えに付き合わされて、だんだん何がいいのか悪いのか分からなくなってくる俺です。


 もちろんローザ姉さんも着替えますよ。ケイが筋肉質でスレンダーなのに対して、ローザさんは性格と同じく遠慮のないタイプのプロポーションなので、正直目のやり場に困る場面もあったような記憶が。


 それから下着を選ぶというので、さすがに店からちょっと出る俺。


 青空を見上げながらふと思う。

 ああ、なんだこれ。


 数日前までだったら、非番の日は一日、一人で楽しく魔法の文献を読んでいたよなあ。しかし、リズとのやりとりで、魔法についての色々な常識がどんどん崩れて行くのを感じる。以前なら楽しく読めた文献も、今後は批判的にしか読めないんじゃないかな。



 リズは夏向けに白と薄いブルーの上下服を選んだ。試着室でその服に着替えてしまって上機嫌である。

 そのほかにも普段使いの服なども含めていくつも購入することにしたので、結構な大金を支払わされる羽目になった。やれやれ、国境守備隊の給金は高くない、というかかなり安いんですけど。でもあまり実家に頼るのもなあ。


 ブティックの隣に、狙い澄ましたように流行りの化粧品とか美容グッズを売る店もあるという、ね。はいはい、分かっていましたよ。


「リズ、色々教えてもらっておけよ。必要なものは遠慮しないで買っていいから」

「うんうん。ありがとう」

 で、また青空を見上げながら物思いタイムの俺。


 そして、やはりこれだけで終わるわけもなく、アフタヌーンティー的なものに付き合わされることになる。


 女子のお茶会に付き合わされるなんて、アウェイ感がすごい。居場所がない。一方、リズはそりゃあもう、甘いものを前にして目の色が変わっている。

 ケイはというと、最初に俺が褒めたコーディネートを購入してそのまま着替えている。


「デレクが支払いまでして、なんかリズさんの保護者みたい」

 ケイが鋭い指摘。


「……もちろん後でプリムスフェリーから援助してもらうつもりだけど」

「えー、誕生日プレゼントじゃないのー?」

 リズ、なんでそんなスペシャルなボキャブラリーを選んで出して来るかな。


「え、リズさん、今日が誕生日なの?」とケイ。

「生まれたのは昨日だったんだけど、昨日はデレクがお屋敷の……」


 危ないことを言い出しそうなので慌てて遮る。

「そうそう、俺より1つ下だから、ケイと同い年かなあ」

「へえ。リズさんはどこの出身?」

 やばい質問が次々と。

「はいはい、出身というか別の空間……」

「ちょっと遠い所みたいでさあ。俺は行ったことないけど、昔、ラカナ公国が建国された時に開拓された土地らしいよ」

 口から出まかせである。変な汗かきまくり。


「普段は何してるの」とローザさん。

「特にまだ何もして……」

「後継の問題で色々とややこしいことになっているので、少し調べ物とか……」

 さっき他ならぬローザさんに聞いた話だけどな。


「調べ物だったらラカナ公国ですれば? なんでこっちに?」

 ケイの攻撃が止まるところを知らない。普段はぼーっとしてるくせに、今日はどうしたっていうんだ。


 ローザさんがニヤリと笑う。

「ふふーん、やっぱりそういうこと、なのかなあ」

 いや、そういうことって何。絶対誤解してるから。そうじゃないからあ。


「いや、あの、リズは魔法の知識も豊富で、色々教えてもらったり、プリムスフェリーから本を持ってきてもらったり、そんなこともあって、俺が頼んで」

「へー」

「ふーん」

「そうだったのか」

 リズ、自分で納得するなよ。


「ケイ、あんたも頑張らないと」

「姉さん、何言ってるのよ」


 話題はやっと変わって、実家の跡継ぎの話。これもそんなに触れたくはないなあ。

「デレクくんのお兄さん、結婚するらしいじゃん」とローザさん。

「情報が早いなあ」


 俺の兄、アランは俺よりも7つ年上。

 アランの母親のモニカはアランが小さいうちに亡くなってしまい、後妻として嫁いできたのが俺の母親のティーナだ。アランは自身の母親であるモニカの記憶はあまりなく、俺にとってもアランにとっても、母親といえばティーナの方だ。


 だが、残念ながらティーナも6年前に流行り病で亡くなってしまった。もう、表情もあまり思い出せないのが悲しい。銀色の髪と青い瞳が美しい母だった。


 兄弟はアランと俺の二人しかいないから、後継はアランの方になる。アランはそのあたりの自覚がちゃんとあって、辺境伯の後継に相応しい教養や知識を身につけてきていると思う。偉いよな。


「兄さんから連絡はないの」

「近々、親父殿から知らせがあるだろう、って言われてる。式にはさすがに出ないといけないだろうしね」

「お相手は?」

「相手のことは良く知らないけど、最近、国境検問所をグランスティール家の関係者が頻繁に通るよね。多分そこじゃないかな?」

「あそこは伯爵家で、お嬢さんが二人いるからそのどっちかだろうな。デレクくんは知らないの?」

 伯爵家だったということすら、今認識しました。


「むしろローザさんはなぜそんなに詳しいんですか」

 するとケイが説明してくれる。

「姉さん、最近よくラカナ公国とかゾルトブール王国に行ってるからよ」

「あ、例のRC商会ですか」

「まあね。なかなかうまく行かないけどねえ」


 ローザさん、紅茶を飲み干して言う。

「デレク、許嫁がいなかったっけ」

 本人が忘れているのに、なぜ周りの人の方が覚えているのか。


「いや、もう長いこと何の音沙汰もないので、立ち消えになったんじゃないですか?」

「そうかなあ。貴族同士の約束は立ち消えとかにはしてはいけないはずだよ」

「そうですか? 口約束みたいだし。そもそも俺、相手が誰かも覚えてませんよ」

「ふーん」

 ケイが珍しく口をはさむ。

「兄さんのところに男の子でも生まれたら、テッサード家はしばらく安泰だね」

「そうだねえ、俺も本格的に用無しってことかなあ」


「でも、デレクは人にはできないことができる人です」


 リズが唐突に何か言い出す。


「は? 何言って……」

「将来、絶対大物になります」

「……あはははは。これはいいや」

 ローザさん、大爆笑。


「いやあ、そうねえ、デレクくんは変わってるから、何かやらかしそうではあるねえ。いやあ、期待してるよ。あはははは」

「姉さん、笑いすぎ」


 その後もしばらく他愛のない話をして、ケイ、ローザ姉妹とは別れた。

 いやあ、ボロが出なくて良かった。

 ……出てないよね?


 というか、なんで俺がそんなに気を使わなければならないのか。


「えへへ。デレク、ありがとうね」

「うん。このくらいのこと、いつでも任せておけよ」


 ちょろいな、俺。

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