庭園の少女

 夢を見た。


 俺は王宮のような立派な石造りの建物に囲まれた庭園の中にいる。


 広々とした庭園は一面を緑で覆われており、その中ほどに周りを大理石で囲ったプールほどの大きさの長方形の池、そして池の周囲にはいくつもの花壇が幾何学的に見事なバランスを伴って整然と配置されている。庭園は低い壁で囲まれているが、そこまでは百メートルはありそうに感じる。


 空が抜けるように青い。所々、薄い雲がゆっくり流れて行くのが見える。風が少し吹くたびに花壇に咲き乱れる色とりどりの花が一斉にそよぎ、池の中央の大きな噴水もキラキラと輝く光の粒をあたりに散らしている。


 池のほとりには少しばかりの立木があり、その木陰に寄り添うように、これまた大理石で作られた瀟洒なガゼボ(あずまや)が建てられている。


 俺はそのガゼボにしつらえられたテーブルを前にぼんやりと座って、緩やかな曲線を描いて花壇の間を縫うように続く細い遊歩道を見ている。風が吹き抜けるたびに甘い花の香りがほのかに感じられる。


 小さな蝶が飛んできて、テーブルの端に止まった。色鮮やかな羽の模様は目のようでもあり、見つめていると魅せられてしまいそうになる。


 蝶が飛び去るのと同時に、目の前にいつの間にか金髪でグレイの瞳をした少女が座っているのに気づく。

 少女は白い一枚布を身体に巻き付け、腰に濃紺のベルトをしている。髪は結い上げてこれまた濃紺のリボンで結んでおり、髪には赤い花が一輪飾られている。年齢は12〜13歳だろうか、まだ幼い、儚い感じのする美少女である。


「お主」


 少女が俺に向かって言う。


「胸元ばかりチラチラ見るのは悪い癖であろうよ」


 いきなり痛恨の一撃。

(だって、一枚布なので、失礼ながら色々と気になるのは自然ですよね?)


 言い返そうとするのだが、声は出ない。少女は意外にもニヤリと笑いながら言う。

「ふむ。男の子は、まあ誰しもそんな感じかの。仕方ないのう」


 それにしても、外見に似合わず、口調が。

「ユウマとやら。今、ロリババアというけしからん単語を思い出したであろう」


 ぐは。


「まあ良いわ。当たらずとも遠からず、かの」


 意外と鷹揚な感じの人で助かった。

 ……というか、俺の夢に勝手に出てきたのはそっちではないかなあ。俺の夢でどこを見ても、何を考えてもいいじゃないか。


 あれ、いつの間にかテーブルにティーセットが並んでいる。少女は自分の分と、俺の分と、紅茶を注いでくれる。


「ふむ、まあ飲んだらどうかの」


 折角なので、ありがたく頂く。

 何これ、すごく上品な清々しい香りとさらりとしてそれで奥深い味わい。テッサード家でも祝い事や公式なパーティーで極上の紅茶を出すことがあるが、その1段、2段上を行くと断言できる。


「こうやって若いものと茶を飲む機会はなかなかないのでのう」


(ええ? あなたの方が若いように見えますが)


 少女は少し身を乗り出して俺との距離を詰めて囁くように言う。


「しかもお主、結構良い男ではないか」


(え、そりゃどうも。恐縮っす)

 何も言い返せないので間が持たない。紅茶を一口。


「ふむ。実は折角の機会なのでお主に頼んでおこうと思ってのう。……リズ、な」


(え、リズをご存知ですか)


 少女はイスに座り直して言葉を続ける。


「どうか、リズを大切にしてやってほしい」


(はい)


「これはザ・システムのしたことではあるけれども、リズはお主のことを愛する存在として設定されておる。この世界でのお主はリズの存在意義のすべてなのよの」


(……はい)


「ザ・システムのしたこと、あるいはこれからすることで、お主の気分を害することがあると思うのよの」


(はあ)

 ……ザ・システムの関係の人?


「しかし、それはリズのせいではない……。リズと世界を結びつける唯一の存在が、他ならぬお主なのでの。どうか、大切にしてほしいのよの」


(そうなんですか。会ったばかりで、なんかすぐエロい話をして茶化しますけど)


「天使は皆、孤独な存在での。寂しいのよのう……」


(そうなんですか。リズは可愛いですから、できるだけ大切にします)


「……ただ、天使は子を為せぬ。人間の世界で居場所を見つけることができずに、悲しい結末となることもあるのが悔しいのよのう」


 庭園の方を見やって少し遠い目で、独り言のように呟く。俺は少女の横顔を見ながら何も言えずに紅茶を飲む。


 庭園の花壇の上を、2匹の白い蝶が互いを追いかけるように飛んでいる。


「人間にも、天使にも魂がある。魂は唯一のものなれど、それひとつだけでは意味のないもの。魂は、魂とのつながりでしか意味を持てぬもの」


 少し間をおいて、少女も紅茶を一口、二口と飲む。


「デレク、お主はまだ若い。お主の考えること、進む道については何も言わぬよ。こちらから助けることもないのであるけれど、どうかくれぐれも」


(……はい)


 庭園を風が渡って行く。


「そろそろ茶も飲み切ってしもうたのう。さて、わしは、いや、この姿は一時的に拝借しているだけであるから、もし夢から醒めて、いつかどこかでこの姿を見かけても、それはわしではないよ。それは覚えておいてほしいかのう」


(そうなんですか。あの、ところで魔法システムの管理って?)


「さて、最後に肝心の用件を済ませておかねばの」


(用件って?)


 少女は悪戯っぽく、とびきりの笑顔でこんなことを言うのだ。


「良いか、初期パスワードは『はいてないわけがない』であるのよの」



 目が覚めた。


 なんだ、この夢は。また明晰夢だったな。蝶の羽の模様の細部まで、ティーカップの縁の青い模様までよく覚えている。

 一枚ものの布を巻いただけの服。でも、はいてないわけがない、のか。そうか、こちらが気にするであろうことを、わざわざ教えてくれたんですね、ありがとう。


 ……でも絶対イジワルだよね、くっそー。


 初期パスワードって?

 ……昨日の2段階認証か! ああもう、なんだかなあ。



 あれ、誰かが同じベッドの背後から抱きついてきたんだけど?


「デレクぅ、おはよう」


 リズじゃん。背後から首筋に息を吹きかけないように。

 あ、そしてさらに脚を絡めてきてギュッてしないでよ。マズいんだ。


「おま、何やってんの。朝っぱらから。男の子の部屋に勝手に忍び込んじゃダメ」


 朝の男の子には、女の子には見られたくない秘密があるのさ。

 後ろをチラッと確認したら、また全裸。


「なんでハダカだよ」

「あ、それはね、外出用の服と下着は買ったけど、パジャマは買い忘れたからだよ」

 なるほど、と納得しかけたけど、違うよな。


「じゃあ、何で下着すらつけていないのかな?」

「下着つけてたら同じベッドでもいいってこと?」

「ああもう。そんな話じゃないから」


 事情があって動けない俺。

 背後にくっついて豊かなお胸を密着させてくるリズ。永遠に起き上がれないじゃん。


 あ、そうだ。

「料理上手なリズにお願いがあるんだけど」

「え、なになに」

「昨日、俺がやったみたいに、お湯を沸かしてコーヒー淹れてくれないかな」

「あ、いいよ」

「できる?」

「できるできる。任せて」


 リズの頭の中はコーヒーに切り替わったようだ。一安心。

 裸のまま、転移魔法のドアを出して魔法管理室へ去っていった。


 あ、でも、すっげえ暖かくて柔らかくて、リアル天国だった……。

 新婚さんみたいで、ちょっと気恥ずかしいけど、なんか幸せ。



 ゆっくりと起き出して、窓を開けると外はもう眩い光に満ちている。いい天気だ。

 非番とはいうものの、国境守備隊の詰所に召集の合図の旗が出ていれば出て行かなければならない。召集がないことを示す白い旗が出ていることを確認して安心。


 今は5月。すっかり暖かくなって木々の緑も鮮やかになってきた。日中はまた少し暑くなりそうだな。


 謎研修所の食堂に行くと、リズはちゃんと服を着て、コーヒーを淹れていた。


「リズ、ベッドに忍び込んじゃダメ」

「えー」

「そんなことする人とは、一緒に暮らしてあげません」

「……はーい」

「その代わり、隣のベッドルームはリズが使ってもいいよ」

「本当?」


 本来、2階のベッドルームは夫婦の寝室と子供たちの寝室、1階のベッドルームは使用人のベッドルームという意味だと思うのだが、建物の改修と家具、寝具類の新調を頼んで、出来上がってみたら、全部の部屋に同じように1つずつベッドが置いてある。

 確かにベッドルームを1つだけ改修するのはおかしいからな。


 出来上がったコーヒーを、ちょっと恐る恐る口にしてみた。

「あ、美味いじゃん」

「ふふーん。そうでしょう、そうでしょう」

 得意そうなリズ。

 コーヒーを淹れたのは初めてのはずなんだが。


「豆の分量とか、お湯の入れ方とか、よく分かったなあ」

「一回見たら忘れないよ」

 何それ、すごい。


 コーヒーと、朝食用に買っておいたパンを食べる。

「ここで食事するのが便利すぎて、1階のキッチンを使う理由がないなあ」

「そうだね、水道とガス台と電子レンジがあるからね」

 でも、ローザさんが時々来るとか言ってたし、全然使ってないと不自然かなあ。



 簡単な朝食も済んで、いよいよ例のコンピュータシステムにログインだ。


 リズが立って見ているけど、ちょっと大変じゃないかな。

「イスが1つしかないから、もうひとつ出せないかな」

「そうだね。ちょっと待って」

 例によって壁際で何かをチョイチョイと操作したら、パソコン用のイスがもうひとつ出現した。いつ見てもすごいな。


 リズは俺の左側にイスを持ってきて座った。

 キーボードに触れるとスタンバイモードから復帰してログイン画面が出る。


「ユーザIDは admin9、そして初期パスワードは……あれだな」

「あれ、何でパスワード分かるの?」


 そこで、リズに今朝みた2段階認証の明晰夢について話をする。やばそうな成分はカットしてね。


「ずいぶんとリズのことを心配していたんだけど、誰かな?」

「さあ……。でも、明晰夢で何かを教えてくれる女の子なら知ってるよ。きっとその女の子は『夜見の巫女』だね」

「ヨミノミコ?」


 初耳である。


「聖王国の王宮にいて、王国や教会の大切なことを教えてくれるらしいよ」

「教会のシスターとは違うのかな?」

「役割は良く知らないけど、必要な人に将来に関わる重要なことを夢の中で教えてくれるらしいんだ。で、夜に夢で見るから『夜見の巫女』というわけ」

「へえー」

「夢のお告げで『八賢人』を選ぶ役割があるって聞いた」

「八賢人? 何それ」

「なんか、この世の行方を定める役割がある、らしいよ」

「王宮の顧問的な人たち?」

「いやいや、王宮とか聖王国どころじゃなくて、この世界全体の行く末、らしいよ」

「えーっと、どうやってそんな影響力を及ぼすことができるんだろう?」

「しらなーい」

「……そうだね」


 謎だ。

 だいたい、あのロリバ××、もとい、美少女は「この姿は一時的に拝借している」と言ってたし、随分長いこと生きているような内容を喋っていた。本人が正体を明かしてくれない以上、詮索しても仕方がない。


「パスワードは**********、と」


 ちゃんとログインできたよ。すごいな、ザ・システムの2段階認証は。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る