答えのない問い

 リズが、つないだ手を離してくれないので手のひらが妙に汗ばむ。

 長い髪が風になびくと腕に、こう、さわーって触って、何かなあ、ちょっとくすぐったくていい感じですよ。


 商店街の、まずは衣料品店へ。

「俺は店の外で待ってるからな」

「えー、つまんないよぉ」

「ほんっとすいません。マジで勘弁して」


 衣料品店の前で所在なげにたたずむ俺。

 メイド服以外の服なんかも必要かなあ。しかし優先すべきなのは日用品かな?


 ……何だかずいぶん時間がかかってるなあ。

 ブラとか買うなら、本当は試着とかした方がいいんだろうけど、サラシだからなあ。


「デレク、デレク」店の中から呼ぶ声がする。


「お金払って」


 あ、そりゃそうだよね。お金持ってないもんね。やれやれ。


「変な下着とか買ってるんじゃないだろうな」

「……大丈夫だよ」


 妙な間があった気がするが、あえてスルーしておこう。


「会計の前に、普段着を買っておこう。メイド服は間に合わせだから」

「何を買えばいいか分からないよ」


 俺だって分からないよ。


「そうだな、周りの人が来ているようなもので、可愛いなと思うものとか」

「周りに可愛い人がいないよ」

「ちょ、おま」


 慌てて声をひそめる。

「そういうことを大きな声で言っちゃいけません」

「なるほど。勉強になった」


 リズの場合、特にシャレにならない。


「じゃあ、あのマネキンの来ているのを揃えるのでどうかな」


 店内はそれほど明るくないが、店の窓に近いあたりに、それなりに店のおすすめと思われるコーディネートが展示してある。春向けのブラウスとロングスカートの組み合わせとか、ルーズな感じのトレーナーっぽい長袖とか。


「あ」

 優馬の高校生の頃の記憶が蘇る。


「何?」

「ブラウス着るなら、ブラは白かベージュじゃないとダメだからな」

「えー」

 思った通りだ。赤とか黒とかを選んでる。


「ブラウスだとブラの色が透けておかしいから」

「なるほど、勉強になった」


 俺なんかから勉強するのはどうかとも思うが。

「今日は白いのにしとけ」


 そんなこんなで、本当にとりあえず、着るものを確保。


 はあ。最大の難所を越えたかな。

「さて、次は……」

「あのね、あのね、お茶を飲みに行きたいな。それで甘いケーキを食べたいんだ」

「え。ほかにも買う物が……」

「後でいいよ」


 どうやらこれは、この人工生命さんの「お外でやりたいこと」の希望をかなえてあげるミッションらしい。

 とりあえずお茶を飲みながら色々聞いてみようか。


 表通りを少し歩くと、テラス席なども備えた、少し洒落た感じの喫茶店がある。

 こういう所に入ったことはないし、リズが何を食べたがっているかも分からないが、女性客も多いようだし、ここでいいだろう。守備隊の詰所からはちょっと遠いので、顔見知りは来ないだろうというのもポイントだ。


 ただ、喫茶店にお客としてメイド服で入るのは、何か違和感があるな。


 喫茶店の名前は「リンカーン」らしい。へえ……。店の中は、やはり窓が小さいので薄暗い感じだが、中庭に面した明るい席に通された。今日は天気もいいし、爽やかな感じでとてもいい。


 座ってメニューを見るがリズは何がどんなケーキか分からないようだ。一般常識は一応あるようだが、生まれたばかりらしいから、最近流行りのスイーツの情報までは知らないだろう。


 しかし俺は知っている。

 こういう時の定番は「今日のおすすめ」である。それとオシャレさんは紅茶だな。


 オーダーしてから、さて、いよいよあの部屋とか魔法とかの話について質問したい。

「さて。話の続きをしたいんだが」

「子供はできないけどアレはできる話?」

「……いや、そういうのにも興味がないわけじゃないが、そうじゃなくてさ……」

「デレクは正直な良い子だねえ」


 くっそー。話の主導権をいつも握られてしまうのはなぜなんだぜ?


「リズはさっき自意識が芽生えたにしては、会話がすごくスムーズだし、切り返しなんかは見習いたいくらい鮮やかなんだけど、なんで?」

「そうねえ、自意識が芽生えたばかりという点ではで間違いないんだけど、さっきも言ったけど普通に知識と、それと一般化された体験みたいなものは持ってるのよね」

「ふむ」

「その体験も、本当に自分で体験したという感覚は薄いかな。それと、固有名詞に相当するような特定の情報はほとんど何もないかなあ」


 なんだ、ちゃんと話が通じるじゃないか。

 ピンクな話しかしないわけじゃなくて、実は知的レベルはすごく高いな。


「じゃあ、たとえば裸で外へ出ると恥ずかしいというのはわかる?」

「裸が恥ずかしいのは知ってるけど、何か着ていれば良くない?」

「裸同然というか、服の下の状態が分かるのも恥ずかしいよ」

「え、さっき、あたしは恥ずかしかったのかな? どこが?」

「え、どこって、その、服がブカブカだから、胸のその……」


「もしかして乳首かあ」

「……そういうことをはっきり言っちゃうのも恥ずかしいですよ」

「わかった、わかった。これから乳首はデレクだけに見せてあげるよ」

「あのー、そういう話でもないんだけど」

「デレクは可愛いなあ」

 生まれたての人工生命さんに可愛いとか言われちゃう俺。


「で、胸の話は置いといて、だ。知識はあり、会話をする能力もあるけど、生活体験がないということかな?」

「そうねえ、相手の言うことに真剣に相槌を打つ方法とか、茶化す方法とか、話を逸らす方法とか、そういうのは知ってるというか、わかるのね」

「なんだそれ」

 俺、茶化されてるの決定。


 ケーキと紅茶が運ばれてきた。リズはフォークなんかの使い方は知っているようだ。だが、「甘いケーキ」がどんな味わいなのかということは知らないらしい。

 そうか、映画やドラマで見て知っているレベルに近いのかもしれない。


「うま。さっきのタルトと同じくらいうまいんですけど」

「これはレーズン、つまり干しブドウとナッツを使ったフルーツケーキだよ。白くて甘いのがクリームね」


「苦い。これ何、いい匂いだけど苦いよ」

「紅茶だよ。さっきのコーヒーにも砂糖とミルクを入れておいたけど、コーヒーも紅茶も何も入れないと苦いよ。苦手ならミルク入れろ。さらに砂糖を入れてもいいぞ」

 ミルクをトプトプ入れて飲んでいる。ご満悦らしい。


 笑顔が甘いな。


 庭から入る明るい光が、新品のメイド服を着たリズの表情を生き生きと見せてくれる。

 このあと、普段着を買いに行こうかと思ったが、しばらくこのまま、ぼーっとリズを見ているのもいいかなあ。


 可愛いメイド服を着て、スイーツを堪能したリズは終始上機嫌のようである。

 女の子がそばでニコニコしていると、それだけで何か幸せな気分になるのは何故なんだろうか。もしかして俺、騙されやすい、チョロい奴なのかもしれない。……まあいいや、俺も少しいい気分に浸っておくことにしよう。


 人工生命と言うから、なんとなく先入観で人工知能的なものを考えていたが、その捉え方は違う気がする。

 そうではなくて、生殖機能がない「ほとんど人間」の素体に知識や記憶を即席でコピーして作ったと考えると、目の前のリズの言動が理解できる。……脳みそピンクなのは「天使ガチャ」の個性かな。

 そしてザ・システムとやらは針の穴を通すようなコントロールで俺の異性の好みを突いてきているように思われる。すいません。全面降伏です。


 さて、魔法システムだ。さっきから話すがすぐに脇道に逸れて、重要なことがちっとも聞けていない気がする。紅茶を飲みながら話の続きである。


「魔法システム管理室って何をする所なの?」

「はいはい。この世界には後付けで魔法をインストールしました」

「それはさっき聞いたな。インストールしたのは誰かな?」

「さあ?」


 もうめげそうだが続けよう。

「管理室って?」

「魔法を起動させるには、術者からのリクエストを受理して、サーバに送信して、解析して、魔法システムに登録されているプログラムを実行する必要があるのね」

「え?」


 急に何を言い出すんだ。


「魔法を定義しているプログラムは、システムにすでに存在しているライブラリを呼び出したり、各種モジュールにシステムコールをかけて機能を使ったりして、この世界で魔法を実現しているんだよ」


「なんだって? コンピュータシステムみたいじゃないか」

「だから言ったじゃないですか。ユウマが作ったシステムが元になってますよ、って」

「いや、俺は、というか優馬はプログラムを書いたり、エフェクトを組み合わせて派手な演出が出るようにはしていたけれど、魔法システムなんて作った覚えはないし」

「あの」

「は」

「あたしがインストールしたんじゃないので、詳しいことはわからないのね」

「あ、ごめん」


「天使は、システムのエージェントというよりはメッセンジャーなので、情報を伝えるだけなんですよ。ごめんなさいね。あとはコンパニオンとして話し相手になるのが仕事というか、使命なんです」

「急に情報システム系の話が出てきたから驚いたよ」

「というわけでね、その魔法に関するシステムがちゃんと動作しているか監視したり、不具合があったら修正したりする機能を備えているのが、あの管理室なんですよ」

「はあ」

「そこでデレクくんに与えられた使命はというと」

「というと?」

「あの部屋を好きに使っていいそうです」

「え」

「うん」

「それだけ?」

「あたしが聞いているのはそれだけ」


 はあ?


「ちょっと待ってよ。普通はシステムにバグがあるから修正して欲しいとか、魔法のバランスがおかしいから調整してくれとか、販促イベント用に新しい機能を追加してくれとか、クライアントが追加要求をゴリ押ししてきたとか、そんな話じゃないの?」


「デレクが何を言っているか分からないけど、デレクは仕事がないと生きていけないタイプの人ですか」


 つまり社畜体質ってこと?

 うーん、優馬はそんな空気の中で仕事をしてきたからそういう感覚はあるかもしれない。俺、デレクもなあ。守備隊ではまだ下っ端だから、やれと言われたことをせっせとやるので精一杯だ。急に何の目的もなく、好きにしていいと言われると困るかもしれない。


「痛いところを突くね」

「そんなつもりはないですよ」

「しかし、好きに使っていいって、何だろうな。何か目的があるのやら、ないのやら。そもそもの話、この世界に魔法をインストールしたこと自体の意味がわからん」


「あの」

 リズが急に真剣な表情だ。

「何?」

「あたし、プリンが食べてみたいです」


 ああ、はいはい、いいですよ。


 えっと、まだ何か色々引っかかるポイントがあったはずなんだが、プリンで消し飛んでしまったような。


「ああ。そうだ、一番最初にフルネームで名乗ってたけど何って言ってた?」

「名前はリズ・エンキドゥです」


 おいおい待てよ。エンキドゥって知ってるぞ。確か優馬の世界で、世界最古と言われる物語に出てくる名前だ。


「ザ・システムが付けてくれた名前がなんでエンキドゥなんだ?」

「理由は知らないけど、天使のファミリーネームはエンキドゥですよ」


 謎は深まるばかりである。

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