第43話 変わらぬ事実、それは中古

「まだだ、まだ終わらんよ」


「若本さん、もういいんだ!もう物真似なんてするな!」


「戦いを止めてくれるなよ!

 それと私は若本では無い、榎本だ!」


 それはわかっている。わかっているのだが、何故かたまに若本と間違えてしまうのだ。


「榎本。止めてもらわなくていいのか?お前には勝目は無い。

 お前はもう負けている」


 ジェフは容赦なく拳を榎本の顔面へ振り下ろす。その度に血飛沫が飛ぶ。

 その様は凄惨、その一言だ。

 しかし、榎本はジェフに拳を振り下ろされながらも笑い始めた。


「何がおかしい?」


 ジェフは拳を振り下ろしながらも問いかけるが、榎本は笑い続ける。


「何がおかしい⁉︎何故笑うんだ!」


 榎本の笑い声はより大きくなる。


「何故だ!何故笑う⁉︎」


 ジェフは振り下ろす拳を遂に止めた。


「何がおかしいんだ⁉︎」


「教えてやろう、ジェフ」


 榎本は自分の血に塗れた顔で言い放つ。


「ジェフ、君がいくら今の安子の心を捉えて離さなくても、全てにおいて私に勝っていても、君は私には一生敵わないのだよ」


「何故だ?」


「安子の女の操、生娘であった頃の操を頂戴したのはこの私なのだ。

 この事実は一生変わらぬ。

 君はどう足掻いても安子にとっては私の次の男であって、

 言葉は悪いが、


 君は私のお古を抱いているのだよ」


 森本の大爆笑が響き渡る。


「こりゃあ、傑作だ!お古ときたか!」


 と森本は笑いながら言った。


「安子、どういうことなんだ!」


 ジェフは榎本から離れ、ペヤングの元へ駆け寄り、その大柄な両肩を両手で掴む。


「安子、どういうことなんだ!教えてくれ!」


「ごめんなさい、ジェフ」


 ジェフに肩を揺らされながら、ペヤングは俯き加減に大粒の涙を溢した。


「榎本のお古でもいいじゃねえかよ。つまらねえこと気にすんなって」


 その森本の一言にジェフは俺たちの方へ振り返る。


「お古とは何なんだ⁉︎教えてくれ!」


 ジェフは蒼ざめていた。


「はっきりと言って欲しいのか?榎本が散々やり倒した中古の女ってことだろうが」


「中古とは何なんだ⁉︎」


「お前はイケている見た目の割には、つまらないことを気にするんだな。女に処女性を求めているんか?」


「処女とは何なんだ⁉︎」


 と言い放ったジェフの瞳に何か尋常ならざるものを見た。それは空虚な何か。

 こいつ、何かおかしい。

 それは森本も気付いたようだ。


「お前、大丈夫か?」


「俺にはわからない!」


 森本からの問い掛けに、返事をしたジェフの顔色からは完全に血の気が失せていた。


「わからない、わからない、わからない、わからない」


 そう連呼するジェフの青い瞳から光が消え、全身から力が抜けたかの様にベッドの上へうつ伏せに倒れた。


「どうしたの⁉︎ジェフ!」


 ペヤングはそんなジェフの頭を自分の膝の上へ乗せる。


「ジェフ⁉︎ジェフ⁉︎」


「わからない、わからない、わからない」


 ジェフはうわ言のように“わからない”を連呼する。


「デカい図体のわりにノミの心臓かよ。だらしねぇなぁ」


 森本がそんなジェフを見て嘲笑うと、何か硬い物に亀裂が入るような音がした。


「何だぁ?」


 その亀裂音には森本も気付いていた。


「見て、あれ」


 パリスの呟きだ。

 パリスへ視線を送るとと、半笑いのパリスはジェフを指差していた。


 ジェフはその髪から爪先まで徐々に生気が消えていく。


「これはまさか!」


 そうだ、俺はこの光景に心当たりがある。


「ジェフ⁉︎どうしたのジェ〜〜フッ!」


 その異変に気付いたペヤングは、ジェフの肩を揺する。


「安子…」


 ジェフはその名を呼ぶと、急激に色を失っていく。

 やがて全身透明となり、まるで水晶で出来た人の彫刻になった刹那、全身が砕けるようにして弾け、飛び散った。

 その細かな無数の水晶の結晶は、煌めきながらも次第に跡形なく消えていく。


「ジェフ!ジェフ〜〜ッ!」


 ペヤングは絶叫する。

 飛び散った水晶の欠片を集めようとするも、欠片は次から次へと消えていく。


「ジェフ!ジェフ!」


 ペヤングはそれでも諦めていない。


「安子、止めるんだ。もうジェフはいない」


「ジェフはいるの!ジェフはいるの!」


 ペヤングは榎本の制止を振り払い、ペヤングにしか見えていないであろう、ベッドの上に散らばっているジェフの欠片を集めている。


「止めろと言っているんだ!」


 そう一喝した榎本はペヤングの頬へ平手打ちをした。

 ペヤングは現実を受け入れたのか、その手を止めた。


「ジェフ〜ッ、ジェフ〜ッ、私の男が〜〜っ、私の理想の男が〜〜っ」


 ペヤングは号泣し始めた。



「もういいだろう」


 榎本は俺たちの方へ振り返るとそう言った。


「彼女はもう……、ご覧の通りだ」


 榎本が顎をしゃくったその先にはペヤングがいた。

 ペヤングは虚ろな瞳で宙を見て、俺には見えない誰かと会話している。

 その表情は満面の笑み、しかし瞳は虚ろ。一目見て尋常じゃない状態だとわかる。


「まだやるか?」


 そう告げた榎本の視線の先には森本がいた。

 森本は自動小銃をペヤングへ向けている。


「やめだ、やめだ」


 森本は納得がいかない様子だが、その表情はどこか生気を失っていた。

 森本は自動小銃のグリップから手を離し、榎本に背を向けた。

 俺もペヤングをどうしようという気は失せていた。

 とどめを刺したところで、楽にしてやるも同然だからな。

 ペヤングの行いを許す気は無いが、奴もこの世界に翻弄されていたのだ、と今は思える。



「君たちは窓から脱出するのがいいだろう」


 榎本はそう言った。俺の諦念を榎本は感じとったのだろう。


「そうだな。榎本さん、あんたはどうするんだ?」


「私はここに残るよ。君たちがここから離れた頃合いを見て警報を押そう」


 榎本は某大尉気取りの口調ではなく、素の榎本へと戻っていた。

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