第34話 神の裁きがあらんことを

「見てわかんねぇか?獲った獲物を捌いているんだよ」


 森本は作業の手を休めず、当然かのように答えた。

 不意に姿を見せた学生風の数は5〜6人。

 その中で真ん中にいる男には見覚えがある。


「何でそんなことを!」


 真ん中の男が顔を茹蛸のようにさせ森本へ迫る。


「早めにやらねぇと肉が不味くなっちまうんだよ」


「そういうことじゃなく!」


「食堂の奴らか?悪いな、ちょっと汚しちまうけど、ここ借りるぞ」


 ちょっと汚すどころのレベルではない。夥しい量の血だ。

 森本はそんなことを気にせず、肉を捌いている。


「銃声を聞いて駆けつけたら、こんなことに!あなたは何故このような事をするのですかっ!」


 真ん中の男が進み出て、森本に触れるか触れないかの距離にまで近付いた時、森本は一閃、白光を男の顔面へ走らせた。

 斬った!と思いきや、その刃は男の頬のギリギリの位置で止まっていた。


「危ねえからこれ以上近付くなよ。

 次はお前のその綺麗な顔面を捌くことになるぞ」


 森本は表情一つ変えずに言い放った。

 その男は腰を抜かし、その場に尻餅を付く。


「何故、こんな事をするのか教えてやるよ。

 家へ持って帰って喰うからに決まってるだろ」


「そんな残酷なことを…」


「どこが残酷なんだよ。俺たちがずっとしてきたことだろ。

 もしかして、人の目につく場で捌くことが問題か?

 だけどよ、食肉センターの屠殺場で、誰かが同じ事をしているから肉が喰えるんだぞ?」


「だから!その食肉が問題なのです!」


 男は急に立ち上がり叫ぶと、連れの連中らも「食肉はやめろ!」などと声を上げ始めた。


「問題?どこが問題なんだよ?俺は自然からの恵みに感謝して、喰える部位は全て喰ってるぞ」


「彼らにも感情があるんだ!そんな彼らを食べることは法はもちろんのこと、倫理にも反する!」


 と集団の真ん中にいた男は叫んだ。

 そうだ、この男は校内でいつもキズナ ユキトと一緒にいる男だ。名前は知らぬ。


「あいつは何者だ?」


「あいつは茶坊主って呼ばれてる奴だよ」


 俺の呟きにパリスが答えた。


「茶坊主?それは名前か?」


「それはあだ名だ。

 茶屋道という名の一年生。去年入学してすぐにキズナ ユキトに取り入り、今ではキズナの取り巻きの筆頭格にまで登り詰めたことから、茶坊主と呼ばれている」


 榎本が解説を付け加えた。


「なるほどな…」


 キズナが提唱したという、生類憐みの令を本気にしているようだな。

 まだあどけなさの残る、坊や然とした容姿と理想に燃える真っ直ぐな瞳。いけすかねえな。


「あなたたちはこの暴挙を見て何も感じないのですかっ⁉︎」


 茶坊主の怒りの矛先は俺たちへ向けられた。


「正直な話、捌いている光景を見たくはないのだがな」


 俺はここで茶坊主へ向かって、流し目加減の視線を送り、


「それでも俺は……、肉を喰う」


 俺の肉を喰う発言で奴らは騒然とした。信じられないとでも言いたそうな反応だ。


「何なんだよ、お前ら。

 こいつらは餌場を失ったから、人の生活圏に入ってきてゴミ漁ったり、ここらの農家の農作物を食い荒らしているんだろ。言わば害獣だろうが。

 そもそも、害獣を狩って何が問題だ?」


 森本の言い放った“害獣”と言う言葉で、茶坊主らの怒りに火が付いたようだ。奴らは一斉に俺たちを罵り始めた。


「害獣だなんて暴言、許されません!撤回して下さい!」


 茶坊主は森本に迫る。


「害獣は害獣だろうがよ」


 しかし森本は冷静だ。手慣れた仕草でナイフを操り、イノシシを捌いている。


「彼らも私たち人類も地球に生きる、同じ生物なのです!その生物に向かって害獣呼ばわりは断じて許されないことだ!」


「だからよう、農作物を食い荒らされている農家はどうなるんだよ」


「私たちは同じ地球に生きる生物、彼らとも手を取り合って生きていくべきなのです!共生するべきなのです!」


「共生ねぇ。最近は何故か農家の連中までも作物食い荒らされて、“彼らと共生”だなんてニコニコしながら寝言言ってるが、お前らは正気なのかよ」


「私たちこそ真っ当な人間です」


「手を取り合って共生だと?なんなら熊とも手を取り合うか?寝言は大概にしろよ。

 ここらは熊がまだ出ないからマシだけどよ、熊だったら、これじゃ、通用しねぇぞ」


 と森本は拳銃を手に取り、銃口を天へ向けた。


「そんな物、必要有りません!彼らとも誠意をもって話し合えは相互理解出来ます」


 茶坊主の言う、話し合えば相互理解という言葉に笑ってしまった。


「くっだらねぇな。お前ら一回、熊に手を差し出してこいよ。生きたまま熊に喰われてこいよ」


 森本の言葉にも笑ってしまった。

 すると、不意に俺の視界が遮られる。


「え?」


 何事かと見上げると、俺の目の前に壁が立ちはだかっていた。

 巨大な人のようだ。何者かと確認する為、見上げるのだが縦にも横にもデカい奴のようであった。こいつはまるで人間山脈だ。

 首が痛くなるほど見上げると、その人間山脈は俺を見下ろしていた。

 白髪混じりの所謂ゴマシオ頭と銀縁眼鏡の男、知らぬ顔だ。

 ゴマシオ銀縁が何か喋ったのだが、よく聞き取れず、


「何だ?何か言ったか?」


「笑うなと言ったんだ」


 ゴマシオ銀縁は声を張った。

 と思われるのだが、身体の大きさに対して声は小さめだ。


「なんだ、お前は」


 と言いつつ、立ち上がる。

 ゴマシオ銀縁はやはりデカかった。身長は“仮面”よりもデカく、2メートルはあると思われ、横幅もかなりある。俺を身長2メートル超級に拡大したぐらいの体型だ。こいつは元力士か?


「お前もあの茶坊主と同じ、キズナ ユキトの取り巻きか?」


「取り巻きではない。“同志”だ」


 俺の問いかけにゴマシオ銀縁が答えた。


「同志と来たか。お前も肉食わないのか?」


「そうだ」


 ゴマシオ銀縁は誇らしげに答えた。

 こいつと間近で話すには、見上げなくちゃならないから首が痛くなってくる。

 にしても、こいつは肉を食わないとはな。にわかには信じ難い。


「本当か?俺と同じその体型、肉抜きで作れるのか?キズナ推奨の食い物だけで維持出来るのかよ?」


「私は同志キズナと出会い目覚めたんだ」


 俺はゴマシオ銀縁のその言葉で反射的に鼻で笑う。


「何がおかしい!」


 ゴマシオ銀縁が憮然とした表情を浮かべる。


「健康志向に目覚めたのか?やめておけ」


「何故だ⁉︎」


「ある偉人がこう言っていた。

 ダイエットはやめておけ。


 余計に太るから、と」


 そこで俺の身体が不意に浮き上がった。


「なんだとーーっ!」


 俺の頭上から、生暖かい空気と少しばかりの悪臭混じりのほとばしりが降り掛かる。

 ゴマシオ銀縁の怒号であった。


 ゴマシオ銀縁は俺のシャツの襟首を掴んでいた。身体が浮いたのはそのせいだったのだが、爪先は地に付いている。

 こいつは思いの外、力は無いようだ。


「その力士体型は伊達のようだな。

 俺を吊り上げられもしないのか」


「お前ー!ぬおーっ」


 ゴマシオ銀縁は俺のシャツの襟首から手を離し、気合いと共にその巨大な両手で俺の胸元を突いた。


 その突き押しで一瞬、息が詰り、俺は尻を地面へ叩きつけられた。

 その刹那、尻から太ももにかけて何か嫌な感触がした。


 血だ。森本が血抜きして流れ出た、イノシシの血溜まりの中へ尻から落ちていたのだ。


「そこまでだ」


 森本の声だ。


「これ以上、俺のダチに手を出すなら黙っちゃいねえぞ」


 森本はいつの間にか、自動小銃を構え茶坊主らを威嚇していた。

 茶坊主は肩で息をするゴマシオ銀縁を自分の後ろへ下がらせる。


「神の裁きがあらんことを」


 茶坊主のその一言に森本は鼻で笑った。


「下らねえ」


「流血の罪をもつ者たちは、神の裁きを免れることは出来ない」


 一言、そう呟いた茶坊主の瞳は憎悪の炎が燃えたぎっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る