第7話 陰に微睡む

 糞平がその場に崩れ落ちるようにして倒れると、次第に溢れ出てきたものの中へ糞平は沈み込んでいく。

 その様はまるで自分の影を抱き、その顔は苦痛に歪むでもなく、まどろんでいるように見える。


 西松は言葉にならない悲鳴を上げ、その場に崩れるように座り込む。


「西野さん!立ちなさい!」


 ペヤングの怒号が飛ぶ。

 しかし西松は聞く耳を持たず泣き叫ぶ。


「あいつを立たせて」


 とペヤングが周囲の男たちへ指示を出すと、二人の男が西松の元へと駆け寄る。

 

 気がつくと、俺の視界の先、人集りの後方にある、地上五階はあると思われる建物が音も無く横へ傾いていた。

 目の錯覚か?

 目を凝らして見ているのだが、錯覚ではない。建物が音も無く傾き続けている。


「おい。なんだあれ?」


 俺の隣から溜息のような吐息が聞こえた。二号か。

 横を見ると、二号は口元に笑みをたたえていた。


「おい、二号。城本」


 と俺からの呼び掛けに二号は無言だ。

 一方、西松は男二人がかりで無理矢理に立たされるのだが、すぐに座りこんでしまう。

 さらにその一方、視界の先にある建物は完全に横倒しになっていた。

 音も無く、衝撃も無く、土埃なども巻き上げるわけでも無く、しかもかなりの速さだ。


「二号。あれは何なんだ!」


「もういい!そのままでいい!」


 ペヤングの怒号が響き渡る。痺れを切らしたペヤングが男二人へ戻るように促した。


「嫌だ!死にたくない!」


 西松は不意に立ち上がり、この場から走り去ろうとした。


「逃がさないで!」


 ペヤングの怒号の直後、男たち、処刑人たちの持つ自動小銃が西松に向かって一斉に斉射された。

 その直後、西松は滑り込むかのように倒れ、やがて溢れ出てきた自分のものの中に沈んだ。


「西松…」


 俺は言葉を失った。



「おい一号、おい風間」


 二号の呼び掛けに俺は現実に引き戻された。

 横倒しになった建物は気がつくと、音も無く天地逆、逆さまになっていた。

 逆さまになったと思ったら、今度はそれが下に向かって落ちていく。

 あれは何なんだ。どういうことなのか、と思うのだが、次はいよいよ…


「俺の番か」


 と思わず呟いていた。


「気が変わった。風間さんは最後ね」


 俺の呟きを聞いていたのか、ペヤングが答えた。


「あなたは仲間たちの最後を見届けてからよ」


 とペヤングは言いながら口元を歪め笑みを浮かべる。


「このクソ女がっ!俺たちをもて遊んでいるのか!このド外道め!」


 と、俺はペヤングに向かって唾を吐きつけてやったのだが、虚しいことにとても唾が届く距離ではなく、しかも吐いた唾は俺の腹肉の上に落ちた。

 その様子を見たペヤングが哄笑すると、周りの男たちも笑い始めた。


「畜生っ」


 糞平と西松の顔が脳裏に浮かぶ。

 俺たちのしてきたことは全て無駄だった…


「おい一号、風間」


 二号だ。そうだ、二号は何度も横から俺を呼び掛けていた。


「なんだよ」


 と返事をしつつ、横を見ると二号は全く平常心といった表情を浮かべていた。

 こいつ、何故ここまで余裕があるのか。

 糞平も西松も処刑されたというのに、自分がこれから処刑されることを実感していないのか。


「探すんだ」


 と二号は言った。


「え?何をだ?」


「さっきお前か言っていた抜け落ちた記憶とやらだ。それを探すんだ」


「何を今さら」


「探せるさ」


「馬鹿を言うな。そんなことよりもあれは何なんだ?」


 と俺たちの目前、ペヤングらの後方に広がる光景へ向かって目配せをする。

 逆さまになった建物は音も無く地面へと落ち、それが地面へと飲み込まれている!

 それどころか、この辺り周囲一帯の建物が逆さまになり、同様に地面へ飲み込まれている。

 しかもその建物が飲み込まれている様を波とするならば、その波は俺たちに近付いてきている!


「あぁ、わかっている」


 二号が微笑む。


「また、いつかどこかで」


 二号はそう言った直後、数発の銃声が聞こえ、その場に崩れ落ちた。



「次はいよいよ、風間さんの番ね」


 とペヤングは言うのだが、全てを飲み込む波は凄まじい速さでペヤングの後ろにいた人集りを飲み込んでいた。

 ペヤングらに銃殺されるが先か、ペヤングらが波に飲み込まれるが先か。

 ペヤングらが波に飲み込まれるのが先だとしても、あの圧倒的な波からは逃れられないだらう。

 万事休す、だ。


 ペヤングの取り巻きらが波に飲み込まれ始めた。


「え?何ぃ⁉︎」


 ペヤングは取り巻きが飲み込まれ始めてから、やっと異変に気づいた。


「いいから、撃って!撃ちなさい!」


 ペヤングは発砲を促した直後、まるで竜巻の中へ飲み込まれる様にして奴も波に飲み込まれていった。


 数発の銃声が鳴り響く。

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