第10話 謎の人物との出会い
飯屋から宿に戻ってきて、ベッドに……という訳にもいかない。
疲れた心と体を癒やす手段は何もふんわりベッドだけじゃないからだ。
「この宿露天風呂付きなんだって、行こうよ行こうよ」
急かすレレインに腕を引っ張られ、たどり着いたのは脱衣所前。
そう、溜まった心身の垢を落とす。それこそが旅の疲れを癒やす最高の手段だ。
単に寝るだけだったら野宿でもいい、だが風呂となると最悪我慢しなければならないのだ。
次いつ入れるか分からない以上、ここは堪能して置かねばなるまい。
「他の客に迷惑掛けるんじゃないぞ? じゃあな」
「え~、お風呂ではしゃぐ歳じゃないもん私! バスディスさんこそお風呂で寝ちゃわないでね?」
「するかよそんな事」
レレインと別れ、俺は一人男湯の暖簾を潜った。
以外にも着替えてる人間はいない。ピークを過ぎたのかな?
しかしそれなら都合がいい、サングラスを外しても問題無い訳だからな。
「ふぃ~」
湯船に浸かりながら思わず声が出る。やはり温泉は最高だ。
旅路で溜まった疲れがみるみる抜けていくのが分かる。この為に生きていると言っても過言では無いな。
近くに山のある町には温泉宿がある可能性が高い。どこかで聞いた知識だが、これまたどこで活きるかわからんもんだ。
(しかし……)
改めて考えてみると、奇妙な一日だったなと思う。
(まさか俺が勇者と行動を共にする日が来るとはな……)
原作開始の二年前、どうあがいても出会うはずのない宿敵同士の俺達が出会い、そして旅をする。
昨日までの自分に言っても信じられない話だろう。とはいえ、昨日は昨日で人生最大のとんでもサプライズを経験してしまった訳なんだれども。
「あ〜気持ちいい……」
でもいいか、今はそんな事。
今はこの風呂に俺一人、やっと訪れたゆったりとした時間。
この心地よさに少しだけ身を委ねたって、誰にも文句なんて言わせないぞ。
う〜ん……………――。
「お兄さん、お兄さん……」
………………うん?
「う、うぅぅ……。あ?」
「目が覚めたかいお兄さん? 気持ちいいのはわかるけど、湯船でぐっすりは関心しないな」
どうやら眠っていたらしい。こりゃレレインに知れたら笑われるな。
俺を起こしてくれたその人物に感謝をしなければ。
「すまん。どうも疲れが、な。ありがとうよ……ん?」
覚醒して来た頭でその人物を見る、恐らく背中まであるであろう浅緑の髪を風呂に入る為に結んでいて、それでいて非常に美麗な顔立ちをしていた。……あれ?
「もしかして俺風呂間違えたかのか? あんたが女に見えて」
「ふふ。いや、間違えてないよ。見ての通りとはいかない男さ、オレは」
「お、おう……そうかい」
そういう見た目だったか。この広い世の中だ、やたら美人の男に偶々起こされただけって事だな。
信じられない出来事は経験済みなもんで、一旦認識したら素直にそういうものと受け入れられた。
「どうやらお兄さん一人しか居ないみたいだね? ここって意外と穴場の宿だったり?」
「それは知らんが、多分、単純に風呂のピークが過ぎただけだろ。この宿は早めに入るの客が多いんじゃないの?」
風呂に入る直前に確認した時間は夜の八時過ぎぐらいだった。遅すぎるという事は無いが、あまり利用客の居ない時間だったんだろう。
「なるほど。確かにその可能性は……あるかもね」
納得したように頷く男。……というか、さっきから妙に距離が近いなこの人。他にだれも居ないのに、わざわざ俺の右隣に座るし。
「気のせいか。あんた、近くない?」
「ん? ああすまないね、お兄さんが気持ちよさそうに寝ていものだから。つい、ね」
「そ、そう……」
人の寝顔を覗き見るなんて趣味が悪いと思うぞ俺は。
(しかし……)
ここの温泉を利用しているあたり、旅行者か旅人か。少なくともこいつはこの町では人間じゃないだろうな。
原作の知識を頭の中で整理していっても、この男の事が全くヒットしない。
見た目も性格も個性的だが、いわゆる画面に映らないモブの一人って訳か。
納得できない面もあるが、あの世界観にはこういう人間も居たって事なんだろう。
原作のネームドキャラじゃないなら変に気を遣う必要も無いんじゃないか? フラグ管理だとやっぱり面倒臭いんだよな。
「お兄さん、一人で旅でもしてるのかい?」
「別にそういうわけじゃないけど。そちらさんは? 連れが居るんじゃないの?」
「いや、オレは気ままな一人旅さ。流れるまま、若さに身を任せて……ってところかな」
若さにねぇ。確かにこの美麗な男、歳で言えばバスディスと同年代位か。
化け物の蔓延るこの世界だ。歳食って動きが硬くなると、確かに旅も出来んわな。
しかしその中で一人旅ってなると、この男、実はそれなりに腕が立つんだろうな。
湯舟に使ってるから筋肉があるかは分からんが、パッと見じゃ戦士っていうよりは魔導士タイプか?
「ん? どうしたんだいお兄さん? そう視線を投げられたら、流石にちょっと照れるかな」
気づかれた。あんまり人のことを見るのは失礼な話だ、ここは素直に謝ろう。
「ああ、悪いな。一人旅じゃ苦労も多いだろうと思ってな」
「かもね。でも、当然苦労ばかりじゃないさ。例えば……」
その男はクスリと左手の人差し指を口元に当てて笑うと、その無骨さを感じない細長い指を俺の胸に……え?
「こうやって、素敵な出会いがあるかもしれないからね」
「……ぁ」
いつのまにか俺の耳元に口を近づけ、囁く。男らしい低さをあまり感じさせない声で、ねっとりと甘ったるく。
俺の胸に男の指が触れる。その指は胸からゆっくりと腹へ……。
(ひいぃぃぃ!!? こ、こいつまさかそういう?!!)
冗ッ談じゃない!!!
「いけねえ! こ、こんなに長い事風呂に入ってたら連れに怒られるぜ! あばよ!!!」
危険領域からの撤退を即座に決意した俺は、男湯を飛び出した。
ロクに体と髪を拭かずに脱衣所で服を大急ぎで着た後、俺は逃げるように部屋へと走った。
途中、今も風呂につかるあの男。俺の胸に触れていた指を口元に当てながら微笑む男の姿を一瞬想像してしまったが、それはきっと気のせいだろう。
お願いだ! そうであってくれえ!!
「ふふ、躱されちゃった。でも……」
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