第2話 何も知らない兄上様
いっそこの家を出るか?
確かにこのままここに住めば、金持ちの生活は堪能出来るだろう。しかし、帝国に居座る事がトリガーとなって原作通りに進んでしまう、なんて事も無いとは言い切れない。
アニメを見る限り、王室の人間もろくなもんじゃなさそうだしな。
その武力で何百年も他国に攻め入られた事が無いせいで、どいつも自分が死ぬ訳が無いと思っていた。
バスディスにクーデターを起こされてからは、全員が一話で退場したのがコントのようでもあったな。
あんな連中がトップにいるような国だしな。多少不便でも旅に出た方が、長い目で見たらマシに思える。
アグラディス家の今後とか知ったことじゃない。バスディスは当主が使用人に産ませた子供だし、跡取りでもなんでもない。母親である使用人はバスディスを産んだと同時に死亡したらしいし。
当主は最後、バスディスに四肢を切断された後に火を着けられて死んだ。それもバスディス本人は笑いながら殺していたあたり、恨みでも買っていた可能性がある。
……今バスディスの記憶を読み取ったら、当主に八つ当たりで虐待を受けてるな。アニメじゃ描写されてなかったが、これが狂った原因かもしれん。
まあそれはともかく、何の思い入れもないこの国とこの屋敷、捨てさせて貰うとしよう。
コンコン。
扉を叩く音が聞こえる。誰かがやってきたか。
今ここで怪しまれるわけにはいかない、出来る限りアニメで猫をかぶっていた時の口調で対応しないと。
俺は咳を小さくすると、気合を入れて成り切りを始める。
「どうぞ」
入って来たのはメイド。アニメで見たことが無いあたり、出番すら無かった大勢いる使用人の一人だろう。
「何か用かい?」
キザな声色で話しかける事に自分自身ダメージを受けるが、ここは我慢だ。
「バスディス様、アディ様がお呼びです。至急、アディ様の執務室に伺いますようにお願い致します」
頭を下げるメイド。
アディとはバスディスの腹違いの兄で、次期当主だ。
隙が無さ過ぎる弟に劣等感を抱いている描写が目立っていたが、結局見返す事も出来ずに流れ作業のようにバスディスに処理されて退場した、とてもじゃないが影の濃いとは言えない人物だ。
主人公達の前に現れる事も無く、悪党にもならない内に消えた敵勢力の人間。何が得意で、そもそも戦闘要員なのかどうかすら分からないような、正直どうでもいい男。
とはいえだ、ここで無視をする理由も無い。素直に応じる方がいいだろう。
「ああ、わかったよ。直ぐに向かうと、兄上に伝えてくれないかい?」
「了解致しました。それでは失礼します」
淡々と職務を全うするが如く部屋を出て行くメイド。見た目は可愛いが、如何にもなモブキャラって感じだ。
原作で、明確に死亡した屋敷の人間はバスディスの家族だけだ。もしかしたら使用人も何人か手に掛けていたのかもしれないが、少なくともそういう描写は無かった。
それに今の中身は俺だ。彼女が死ぬ事はまず無いだろう。
俺は、鏡を見て身形を整えてから部屋を出る事にした。
「お呼びでしょうか兄上?」
「ああ……」
俺自身には当然、目の前の男に対して兄だと思える実感は無い。
専用の執務室で出迎えたのが、このアディ。
イケメンだが、目元に隈が出来ているように見える神経質そうな男だ。
その存在感の薄さ故に、放送終了後はファンの口から彼について語られる事はほぼ無い。だからと言って哀しさを覚える程の出番も貰えなかった、色々と不運な奴。
一応とは言えラスボスの実の兄だぜ? もっとこう、色々と出番があってもよかったんじゃないかと。
そんなことを思ってるなんて口に出すわけにはいかない。ここは怪しまれないように慎重に会話をしなければ。
「それでご用件とは? 何か私に不手際でもございましたでしょうか」
「用件というほど別に大したことではない。それに貴様の優秀さも今更語ることもない、秀でた実力を持つ貴様など些細な失敗すら犯さないであろうからな」
なんだよ嫌味かよ。平然とした顔して言いながらも、その口からコンプレックスの牙がむき出しになっている。
そういうことばっかりやってるから最終的に殺されるんだぜ? お兄様よぉ。まあ別に俺はそんなことはしないが。
ここは涼しい顔をしてスルーだ。
「お褒めに預かりありがとうございます。しかしながら私などまだまだ、やはり弟というものは兄上あってこその立場ですので」
「ふん、そうであろうな」
面白くなさそうな顔をするが、大の男の劣等感なんかに向き合ってられるかよ。とっとと本題に入ってくれっての。
「まあ無駄話もここら辺でいいだろう。要件というのは、先ほど父上が王宮に呼ばれて出立なされた。数日ほど家を開けるとのことだ。その間、この家のことは次期当主たる私が取り仕切る事となった」
確かに用件っていうほどのもんじゃねえな。親父がお呼ばれされたってだけか。
その辺の使用人にでも伝えるように言っときゃいい事だが、仮にも当主自らの用事ともなればって事か?
その辺の堅苦しい事情なんかわからないが、要件がそれだけだったらとっとと部屋に戻らせてもらおう。こっちには家出の準備ってものがある。
「なるほど、王宮からの頼まれ事とは流石は父上であらせられますね。そして、その偉大な御方の代わりを勤めることになろうとは、弟としても全く鼻の高い話でございます」
いかんな、少し嫌味だったかな?
「そうか……。しかし、その父程私は甘くはないつもりだ。貴様とて、必要以上に自由に振る舞えるとは思わないことだな。たとえ少しでも我らが家名に泥を塗るような事があれば、相応以上の罰が待つと思え」
「無論。では私はこれにて、失礼とさせていただきます」
部屋を出て行く俺。
まさか褒め言葉として受け取ったのか? 声色もどこか調子着いているようにも感じた。
なるほどこういう単純なところがあるから簡単に出し抜かれるわけだ。だが、安心してほしい。俺は別に家の事に興味も無いし、あんたの野望も好きにしたらいい。
ただこれから家出をする以上、家名に泥を塗るなというのは無理な話だがな。
ま、これが最初で最後の弟のわがままだと思ってくれよ兄貴。
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