第10話

 ファシルはぶつぶつと小さく口にするとレイリアから聞いた船までの最短の導線とそこに配置されているであろう衛兵の位置を頭に叩き込んだ。

「よし」

ファシルはそう短く言うとレイリアに向き直って「準備はいいか?」と聴いた。すると、レイリアは要領を得ないままに「ええ」と応えたが、その直後にお姫様の様に抱きかかえられると同音ではあるものの別の意味を持った声を漏らした。

「えっ……え?」

咄嗟の出来事に瞬きするレイリア。すると、状況に追いついた頭が次第に恥ずかしさを込み上げさせると、理解したものの意味が分からないとレイリアの顔を赤く染めていった。

「ちょっと!」

恥ずかしさのあまり身を潜めている事すら忘れたレイリアの声が大きくなると次の「下ろして」という言葉が続くはずであったが、それが口を出る事はなかった。

ファシルはレイリアの視線も言葉も遮るように

≪クルエーレ≫

≪アーヴィス≫

と言うとさらに言葉を伝えた。すると、観念してしがみついたレイリア。

ファシルはそれを確認すると建物裏の景色を置き去りにするように駆け出した。

「しっかりつかまってろよ」


 駆ける風には、抱える者の心配そうな顔も多数の障害も構う事などないようでその横顔には高揚感に満ちた笑顔が在るだけであった。

建物裏を出てすぐの衛兵二人は突風が吹いた事しか気づいていない様子をその行動から覗かせた。それらは裏通りに目をやると不思議そうに首をかしげるにとどまった。

風には周りの全てが止まって見えた。そして、それらの鈍さに目をやる事もない。

風には気ままに吹くその先が自身の手の内にあると何も感じることなくその流れに身を任せた。

すれ違う衛兵のそれらは、本来なら目につくその者らを呼び止めたであろう瞬間も視界に入る事のない風を少しばかり嫌悪するに止まってしまう。

すべての機会が風の思うがままであり、たまたま振り向いた衛兵の視界に映る者はそこで働く者か或いは仲間の衛兵のみ。

風のお戯れにその速さを平凡なそれに合せたが、それであってもその姿を目で捉える者はいなかった。ましてや、風のその尋常ではない速度に追いつけるはずもなく、衛兵らを縫って吹き抜ける風は瞬くよりも短い間で目的の船に辿り着くとそこに消えた。


 ファシル達は出港間近の船に乗り込む事に成功すると積み荷が運ばれる甲板に姿を現した。

甲板では荷物を積む作業にかられる者達が迫る時間に急かされて忙しない。

ファシルはそこに落ちつくと抱きかかえていたレイリアをそっと下ろした。そしてファシルは高揚感に乗せた表情のまま、自身の策の出来を伺う様にレイリアを見やった。しかし、それどころではないレイリアは眩暈がするようでその場にしゃがんだまま立てずにいた。

「間に合いましたか」

船について間もない二人の下に一人の男が近付いてきた。

積み荷を運ぶ男達の合間を縫って現れたその男はかっぷくが良く身なりも他と違い高価な服を召していた。

「ひやひやしましたよ」

そう言って男が軽口をたたくとファシルは馴れ馴れしいその男に視線を鋭くしたが、それをかっぷくのいい男に気付かせないようにレイリアは口を開いて意識を向けさせた。

「なんとかね」

眉間を揉みながらそう言って立つレイリア。その姿は、未だ体調が優れないように見える。そんなレイリアを気にすることなく話を続けると、男は確実な言質を取るように念を押して言葉を綴った。それはあくまでも淡白な物言いであった。

「まぁ、いいです。それよりも船旅の間よろしくお願いしますよ」

「ええ、分かってる」

そうレイリアが返すと商人は満足したのか積み荷を運ぶ男達の合間を縫って船内に戻っていった。

ファシルは船内に戻っていくその男の背を睨み続けていると、何故かは分からなかったがそれ程に自身の気分を害された気になっていた。すると、先程までの高揚感をすっかりと無くしたファシルにレイリアが声を掛けた。

「彼が」

この船の持ち主で知り合いの商人だと教えてくれたレイリア。その男の紹介はファシルの害された気分をほぐすように優しい口調であり、それを聞いたファシルは自然と少し険が取れた気がした。

「なるほど」

ファシルはレイリアに言われて商人の態度や服装に納得がいったようで先程までの緊張感はすっかりと息をひそめていた。

「それで」

この後はどうするのかと訊くファシルであったが、レイリアが「その事なんだけど」と口を開いた矢先にそこで途絶えた。

「やっぱり」

後で話すと言って船内に向かって行くレイリア。

その様子は船に辿り着いた時から相も変わらず気分が優れない様に見えると少しの休憩をとるものと思われた。

「わかった」

とだけ返事したファシルはそれを不思議そうに見送ると一人甲板に残った。

ファシルは甲板の端に積まれた荷の上に腰かけて、そこから港の方を見て物思いに耽った。

船から見える、眼下の作業する者らの忙しない動きを見つつもファシルは商人の口から聞こえた言葉を頭の中で反芻していた。

「船旅の間よろしくお願いしますよ」

この言葉に特段意味は無いと思われたが、ファシルは自身の中にかすかな引っ掛かりとなって残ったこの言葉に不思議と違和感を感じていた。

しばらくの間微動だにせず腰かけたまま寡黙を維持するファシル。すると、ファシルは頭を横に振った。

それは寒さに体が震えるように突然で、ファシルはそれによって考える事をやめると気持ちを切り替えて初めての船に思いを馳せた。

そうこうしていると準備が整った船はしばらくの時をもって出港した。


 港を出た船の上でファシルは子供のようにはしゃいでいた。船と言えば、小舟といった程度のものしか乗った事のないファシルにとって初めての体験で、この商船ははしゃぐ気持ちを受け取れるほどファシルにとっては大きくその心を弾ませた。

落ち着きなく行ったり来たりするファシルの姿。

その姿がこまごまとしたもののように映す商船。

この商船は船首と船尾が大きく突き出していて、帆柱が三つありそれぞれに大きな帆が張ってあった。

風を受けて動く商船を見て回るファシルはしばらくの間落ちつく暇がないと思えた。

はしゃぐ子供にそれが見られないように、怖いと行った気持ちを一切覗かせないファシルは何度も行き来すると、流石に落ち着いたのか元いた甲板の積み荷の所に戻ってきた。そして荷の上に腰かけると再び船からの景色に没頭するファシル。

すると、不意にかかった声にファシルは顔を向けた。

「楽しそうね」

幼い子供にかけるそれのように声をかけたレイリア。

レイリアは体調が良くなったのか、いつしか甲板に出てきていた。そして子供のようにはしゃぐファシルの姿を見ていたらしい。

ファシルは少し気恥ずかしさを覚えつつも、元気になったレイリアを見てほっとすると親を見つけた子供のように荷からすぐ降りて駆け寄った。そして近付くなり「よかった」と発したファシル。

ファシルはレイリアの手引くと甲板を行き来する間に見つけたb所まで行った。

船から見える景色を勧めるファシル。

「きれいだね」

レイリアは船からの景色を見るなりそう言うと風になびく自身の髪に手を触れた。

景色を楽しんで欲しくて、レイリアの感想を待っていたファシルであったが思いがけないその横顔にドキッとすると言葉を失った。そして景色の感想に反応しないファシルに対してレイリアから顔を向けられると「ねぇ、そう思うでしょ」と言わんばかりの表情がファシルへと投げかけられた。

「そ、そうだね」

少し顔を赤らめつつも恥ずかしさを悟られないように、ファシルも湖の景色に目をやる。

不自然にも噛んだ言葉から緊張が見て取れたが、それが照れである事はレイリアに伝わらなかったのかもしれない。

「そういや」

景色に目を向けながらもファシルは不自然に話題を変えた。それは以前より気になっていた事で深く考えて発せられた言葉ではなかった。

「レイリアも」

王国にようがあるのかと訊くファシル。

それは今まで行動を共にした二人が、この先の行く末も重なるかもしれない事へふと思った小さな疑問であった。すると、あっさりと返ってきたレイリアの言葉。

「ええ」

そうであるという肯定のその返事は、ファシルが何も考えずに発したそれとは反して、その後に続く言葉はなく詳しく聞けそうにないようであった。

しばらく景色に目を向ける二人。

その二人の間に僅かな沈黙が漂うと、この話題からはその先の発展が望めない様であった。

特段に気になる事でもなかったファシルは「まぁいいか」といった感覚で流すと、再び話題を変えた。

「さっき」

と言葉を発して会話を紡ぎ始めるファシル。それは商人の男が言っていた「船旅の間よろしくお願いしますよ」についてで、会話の取っ掛かりと同時に心の引っ掛かりをレイリアに疑問としてぶつけたのであった。すると、レイリアは先程よりは明るくその事について話し始めた。

「以前はそうじゃなかったんだけど」

と前置くレイリアに対して、ファシルは選択した話題に問題が無そうであると踏むと心の中で安堵してその言葉の続きを催促して話に耳を傾けた。


 ファシル達が現在通っている湖は以前まで商船が沢山行き交っていた。

それは付近の荷運び事情に起因した。

リーケスから運ばれる荷物の殆どは湖を通って運ばれる。理由としては自ずとそうなっていた。

リーケスを出て陸路で運ぶ場合、二つの方法があった。一つは最短であるが険しい道。もう一つは遠回りながらも平坦で荷運びのしやすい道。その二つから選ぶとなると後者を選ぶのが一般的であったが、その道を通る荷を狙う賊が頻出するようになるとそれを警戒せねばならなくなり元より遠回りで時間を要する上に警護の用意とあっては、費用が馬鹿にならなくなってしまったため二つの方法の利点よりも欠点が大きく膨れ上がっては、どちらを選ぶも難しくなった商人たちは頭を悩ませていた。しかし、リーケスの街が港の機能をある程度整備されると商人たちはこぞってそこに自前の船を置くようになった。

湖をとおればその上で襲いに来る賊の方が対処がしやすい。

そうやって湖経由の道が開拓されてからは商人たちに長らく重宝されていた。

しかしここ数ヶ月の出来事で、湖を渡っていた商船が行方知れずになるといった事が起きた。

湖の上で対処がしやすいとはいったものの、賊に襲われて失踪する事もあり得ないわけではなかった。しかし、この失踪はこれだけでは終わらない。

行方をくらました商船が日程よりも遅れてではあるものの、目的の場所に辿り着くという事であった。

その遅れて辿り着いた商船は決まってもぬけの殻になっており、争った形跡もなく積み荷が奪われた様子もなかった。もしも賊ないし怪物に襲われていたならば何かしらの形跡が残るはずのそれに商人たちは恐れを成すと、湖経由の道を諦めて陸路か或いはそもそもリーケス経由の商売を諦めるといった始末であった。

そのため現在はリーケスからの商船がめっきりと数を減らすと、その湖の怪現象に拍車をかけさせていた。

今回ファシル達が乗る商船は、王国まで早急に運ばなければ荷物がありそれを運ぶにあたって安全と速さを優先してリーケスから湖経由で運ばれていた。しかしそのための船上護衛を募っていたのだが、なかなか手を挙げる者がおらず困り果てていたところにレイリアが手を上げたのであった。そのためファシル達は商船に乗せてもらう代わりに商船を護衛しなければならなかった。


 ファシルは重い空気を変えられた事で安堵してレイリアの話に集中していたが、別の意味で重たい事に直面すると仕方のない展開に諦めの色を忍ばせて率直な疑問をレイリアにぶつけた。それは商人たちを悩ませる怪現象についてであった。

「どうやって」

対処するんだと訊くファシル。

ファシルは商船に乗せてもらう事と引き換えのその護衛を別段気にはしていなかったが、レイリアの話を聞いてその怪現象への対応に考えが思いつかないでいた。すると、レイリアがあっさりとその事について返事すると湖の言い伝えになぞらえてある事を教えてくれた。

「その事なんだけど、心当たりがあるの」


 この世界において遥か昔の出来事。

それは世界の全てを巻き込んだ大きな戦争があった。

生きとし生けるものは己が全てをかけて、その種が勝ち残り世界を統べる事を目指した。

公には語られない上下関係として暗黙の中に存在する階級も、全てを取っ払い互いに削り合う。上に立つ者がそのままに居座ろうとも、下にひれ伏す者がそこを奪い立とうとも、何もかもを決定づけるそれは自らを犠牲にすると先の子孫へと託すため、所かまわず戦いが続いた。

そんな大戦の最中に人として立ち続けた勇敢な者がいた。

その者は仲間と共に戦い抜くと長らく続く大戦を生きながらえていた。しかし、そんな勇敢な者には言い伝えが今に至るまで残されていた。

それは大戦末期の事で、数多数いた種は残すところわずかとなっており大きく分けるなら二つだけが残るばかりであった。そんな時分にその者は思いがけず大きな傷を背負う事となると最前線から撤退を余儀なくされた。

それまでにも傷付く事はあれども幾度としてそれを乗り越えて戦い続けたその者。

そんな勇敢な者が背負った大きな傷は、如何な治癒術も機能しない邪悪な呪いがかったものであった。只のそれではない背負った傷はありとあらゆる術を講じられたが遂には治らないと見られるなり勇敢な者に撤退を強いると、その者は戦場に戦い続ける意思を残してその場を去った。そしてその者は速い復帰のために神にすがると祈りを捧げた。

祈り続けるその者は、自らの身を案じるよりも戦いに身を投じる事への思いばかりが先行された。するとその思いがその者を導き、いつしか険しい森にその者を立たせていた。

険しさを極める森に濃い霧が漂う。

その者はただひたすらに歩くと険しい森を突き進んだ。そしてその者は森を抜けて湖のほとりに出た。

その者は湖のほとりにある、小舟に身を寄せると先の見えない湖に漕ぎ出した。

船を出した矢先、瞬く間に見えなくなる元居たほとり。それは、次第に濃くなると前後不覚になる程に霧に覆われたが、その者はそれに構うことなく舟を漕ぎ続けた。

辺りが霧に呑まれて景色を一辺倒にしてしばらくの事。湖の上でその者は不可解な音を聞いた。それは怪物の咆哮であり、人の悲鳴でありとけたたましい音が鳴り続く。

その者は試されるようにそれらを聞くと女性の歌声を聞いた。

次々と変わる音はその者の耳に暇を与えない。

やがてその者は小さな島に辿り着く。そして、その島に降り立ったその者は自身の体から呪いが消えていくのを感じ取るとその身の傷が癒えていく様を見た。

元よりそうでは無かったように癒えたその者の体。

その者は自身の願いが聞き入れらた思うと、その事を神に感謝した。

体が癒え健常へと至ったその者は、目的が達せられたにもかかわらず島に居付くとそのままに島の奥へと歩み出した。

導かれるままに突き進むその者。

その姿はその者の意を無視しているとすら思えたが、留まる事のない歩みはさらにさらにと進められた。すると、その者は小さな教会に辿り着いた。

教会に辿り着いたその者は歩みを止めずその入口に立っては中へと入っていった。

そして、その歩みは祭壇の前まで続くとその者を跪かせた。そしてその者は神に改めて感謝の意を告げるとその時は永遠に思える程に長く長く続いた。

そうして、自身の願いを聞き入れられたその者は遂には帰らず、大戦は終結した。

その者は戦線に復帰しなかったとも、戦いに復帰して戦いに終えたとも、諸説ある中の一つとしてそこに終わったものとされていたが、しかしながらその真相を知る者はいるはずもなく、知る由もなかった。


 一通りに話したレイリアは息をつくとそこで話を終えてファシルを見た。そして、終えたばかりの言い伝えに補足すると自身の考えを述べた。

「私は──を信じている」

そう言い切ったレイリアはこの事が関係していると考えるとファシルに話したのであったが、ファシルは話半分に聞いてはあまり興味がない様で一言に返事するとそこに短くまとめた。

「ふーん」

その島の怪物か何かの仕業という事かと納得するファシル。すると、ファシルは何か思いついたのか「丁度いいな」と口にした。そして続けざまに言葉を紡ぐ。

≪ドッラ≫

ファシルは黒い球を自身の出せる限界まで挑むと、しばらくの間そこに召喚し続けた。

黒い球がいくつも出でるとファシルのそれはパタリと止まってそこから増えなくなった。そして、ファシルは急激な魔力消費によって立ち眩みを起こすとそこにしゃがみ込んだ。

ファシルの傍で百ほどの黒い球が浮いている。

ファシルは自身の力が暴走しないように慎重に使うとその数が限界であった。すると船の周りを囲う様に黒い球が辺りに散っていく。

「全部勝手にやってくれるか」

ファシルはしゃがんだままにそう言うと、何かあったら起こしてくれと短く言ってその場に寝転んだ。

商船が出港してからというもの、一人ではしゃぎ続けていたファシルは先の魔力消費と重なって疲労困憊に及ぶと回復するために眠り始めた。

すぐに聞こえてきたファシルの寝息。

レイリアの話に対して興味が無いように返事したファシルのそれは、はしゃぎ疲れに起因していた。

子供のような体たらくのファシル。

レイリアはファシル見て思うと、レイリアの目には優しさが添えられておりファシルの姿は愛らしく映っていた。

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