第9話

 瓦礫だらけの場所に一人佇むとファシルは光を見送った。

それは淡く光っては素直に真っすぐと空へと昇っていき、鼓膜の許容出来る範疇を超えて続いた今までの出来事が嘘であったように静けさを取り戻させた。

ファシルはいつしかため息を漏らす。すると、それと同じくしてその場の静けさに気を留めて、再び作り出された夜に身を投じた。


 ファシルは、一段落した事に気持ちを切り替えると踵を返してその場を後にしようとした。しかし、順番を待っていたようにそれはファシルに襲い掛かる。全身のありとあらゆる皮膚に重さを感じ取るファシル。自身の体が地面に吸い寄せられるようなそれは、皮膚が伸び切ってやがては引きちぎれてしまうのではないかと思える程にゆっくりと確実にその身にのしかかった。

ファシルは瓦礫の中、一人うずくまるようにしゃがむ。その感覚は突然に起きた事ではあったものの、それは前兆として羽付きを倒した直後から微かに違和感として自身の中に芽生えていた。違和感の始まりこそ気のせいに思えたそれも、遂には耐えられなくなるとひざを折るに至っては今に辿り着いた。

自然と漏れるうめきはファシルの口を伝って這い出ると徐々にその存在感を増していく。すると、ファシルは耐えがたい苦痛に苛まれてその身を横にしてその声を噛み殺そうとしたが、抗えず大きくするばかりであった。

戻りつつあった静寂に水を差したファシルのそれ。

ファシルはもがきながらも耐え続けた。


 耐える事ばかりに集中しているファシルは自らの身に起きている事が分からないでいた。

辺りを残り香のように漂う魔力がその身へと集中しては吸い寄せられていく。

風に押されて流れて行く雲のように、一気にファシルの体へと流れ込んでいくそれは堪えるために噛んだ歯を圧迫すると食いしばる力をどんどんと強めた。だが、その最中に出来た一瞬だけの間にファシルは困惑しながらも力んだ力を緩めた。

自身でも拍子が抜けたその感覚は不思議なもので、ピタリと止まったような何もなかったようなスッと置かれた無がそこに在った。

突然の苦痛の突然の終わり。

ファシルはそれに戸惑いを隠せないでいたが、それはすなわち辺りの魔力をファシルの体が完全に吸い上げた合図であった。

焦りの終焉に安堵を迎えるファシル。しかし、それも長くは続かず次の嵐に苛まれた。


 疾くと早鐘を打つ心音。

それはあまりに唐突な無に対する大きな反動で、ファシルの体にもたらされるとその身を大きくのけぞらせる程に跳ねさせた。

体の中心から大きく脈動させて音を響き渡らせる心音。それは、月夜の下に不自然にも不気味にも心音をかき鳴らすとファシルの体を動かし続けたが留まる事を忘れてか、さらにそれを速めた。そして、その早鐘はそれ自体を大きくしていく。

もしも、その場にファシル以外の誰かがいたとすれば、異様なまでの心音に耳を澄まさずとも聞き取る事が出来たであろう。

それ程に大きくかき鳴らされる心音は、その身に宿るの魔力が強化された事を表しており、それに対する体の慣らしであった。

かき鳴らされる心音は、膨れ上がった魔力の慣らしをすぐに終わらせるため体の隅々まで血を巡らせようと忙しなく動くと騒々しく在り続けた。

ファシルは意図せず、自身の暴走寸前の体を制御しようとしていた。


 体の慣らしが起こってしばらくした体が落ちつき始めた頃、ファシルは膝をついてしゃがんだ姿勢で体のそれが完全に終わるのを待っていた。しかし、それを邪魔する外的要因は事欠かない様で、騒動の調査に来た勝手の知らない者達はファシルを見つけると近付いてきた。

瓦礫の山の小さな石ころがその坂を下る。それは、小気味よく勢いづくとファシルの足元に辿り着いて止まった。ファシルは死線と苦痛の踏破の末に未だ鋭い感覚のままに視線をその方向に向けた。すると、尖った神経のファシルにはこれ程鬱陶しい事はなく、そこに立つ者達は不躾な質問をもって愚直に職務を全うするがその声は大きい。

「何をやっている?!」

それは街の衛兵で、起きた騒動に駆り出されたようであった。

街外れの騒動に駆け付けた衛兵達は必要最低限で尚且つと緊急事態にも対応できる身なりで出で立つと勝手にも緊張を持ち込んでは手で持った得物の音を軋ませた。それもそのはず、この場には複数人の倒れた人の残骸それに伴って跳ねた血。そして一人の生き残り。

片方に争う意図も意味もない中であっても、他方には制圧の義務が生じている。

すると少しの沈黙がよぎったが、しかしながら落ちつきつつある体を安静にさせたいファシルには殊更にうるさいその声が癇に障ると、静かにしていたいその時であるが故に返答は敬遠された。しかし、それは間違いであると言えた。

衛兵達からすれば、一目見ただけでファシルの仕業と考えて然る状況は心理的には少しもおかしくない事で、それは当然のように次の言葉を噴出させた。

「そこを動くな!」

ファシルからすれば毛頭にないその事も、衛兵達からすれば黙り込んで映る不審者が何をしでかすか分からない現状になってはそうしても仕方なく騒ぎは大きくなるばかりであった。


 ファシルを包囲するように散開した衛兵達が瓦礫の山を縫ってゆっくりと近づいてくる。

ざっざっとした足音が各方面から聞こえると、ファシルはその視線を下げて目を瞑るとその身に集中した。あと少しで終わるであろう体の慣らし。ファシルのその判断は間違っていなかったが、しかしながら周りの騒音たちがそれを待つわけもなくその時間は差し迫った。


 強めた警戒心のままに迫り、その足を進める衛兵達。

視線を下へ前へと忙しない衛兵達はそれ程に緊張をもって事に当たると、未だにしゃがんだままの不審者にゆっくりと近付いて行く。

衛兵達はそれぞれが不審者を目の前に置くと自身の所持する剣の柄を握る手に力を込めた。

鞘から抜ける剣の刃の擦れる音がさらなる緊張をもたらす。

ゆっくりと不審者──ファシルを包囲するように迫る衛兵達がそれぞれに剣を向ける。それらは、月の光を鈍く反射させると瓦礫に邪魔され不揃いに並びながらも一方向を向いて出揃った。

間合いには不審者の姿。それには抵抗の予感が見えた──その時であった。

≪フィリオース≫

包囲したその中心で起きた叫び。

緊張と共に積み重なった静寂が衛兵達を大きく驚かす。すると、その声には驚いたもののすぐに剣を振りかぶって迫った衛兵達ではあったが、声に伴って広げられた黒い翼の風圧に耐えられず後方へとのけぞった。

その直後に大きく跳躍する不審者。

姿勢を崩した衛兵達は多種多様な反応を見せると飛び上がったそれを見つめる事しか出来なかった。そして衛兵達は崩した姿勢のまま不審者の舞う夜空を見上げた。

そこには淡い輝きの月を遮る黒い陰りが在って、それが上空で向きを変える所が確認できた。すると、それは大きな翼を羽ばたかせて勢いよく飛び去っていく。

衛兵達は黒い陰りの起こした凄まじい風圧によって我に返ると、すでにその姿を消した陰りのない空を見上げて言い放った。

「お、追え!」

誰とも分からない声が聞こえると立ち上がり忙しなくそれの後を追う衛兵達。

消えた黒い陰りにつられて衛兵達もまたその場を後にした。


 上空にて、制御の効かない自身の体にファシルは手こずっていた。

慣らしが終わる前に飛び立ったファシルはままならない体に苦戦すると、その飛翔を中断してしまう事もまた必至であった。すると、姿勢を崩したファシルは街から遠ざかってやがて墜落に至ったが幸いにも命に別状はなかった。しかし、いずれにしても追手から逃避の最中にあるファシルは地についた体を引き摺ったが、度重なる魔力の消費と緊張が暴走を手助けすると僅かな距離を移動するに終わって力尽きるように意識を飛ばしてしまった。


 白んだ空に続いた騒ぎもその者の預かり知らぬところでその終わりを迎えようとしていた。

朝方まで続いた捜索に衛兵達の声も次第に枯れ始めて、そこには疲弊した様子が伺えた。


 ファシルは寝返りを打つとそのままに目が覚めて、ぼんやりとしながらも目を開いた。掠れた目に映った最初の光景は、空とは違ってどこかの天井。

ファシルはゆっくりとしつつも「どこだここ」と思ったが、そんな些細な疑問も覚醒によって吹き飛ぶと自身の上体を飛ぶように起き上がらせた。そして先程の呑気な疑問は跡形もなく消えると気絶する直前と同じ考えに至った。

──逃げないと。

他にも確認しなければならない事はいくらでもある中、ファシルの頭の中を駆け抜けた優先事項はそのままにファシルを駆り立てるとその身の状態にかかわらず、ベッドから脚を放り出させた。

ベッドから投げ出された脚は床を踏みしめる。すると、ファシルは体を立たせて歩き出そうとしたが、すっかりと抜け落ちていた自身の状態を無理矢理に確認させられた。

一言に激痛が全身を駆け抜ける。

清々しい朝は颯爽として居なくなると、鈍痛が居座ってファシルの体を床に近付けた。

自然と両手を床について支えるファシル。

怪我もさることながら、自身の想定を超えた筋肉疲労が相当な痛みを伴う。そして極めつけは魔力の消費過多。

いくつも重なった消耗が同時に出くわしたその朝に、ファシルが歩く事は無理難題な事になっていた。


 ファシルは手で手繰ると、ベッドに腰かける形に戻った。

気付いてしまえば色々な事がはっきりとわかる。

ファシルは腰かけたまま両掌を開いては閉じるを繰り返した。すると、思っているよりも深刻な結果が見て取れた。

ファシルの目に映る手の動きと、動かしているという手の感覚に明らかな乖離がそこに在る。

痺れた感覚に近いそれは、握る手の力を強めても開くそれを強めてもどこか反応が鈍い。それはともすれば、見えているだけで自分の手ではないのではないか、そんな風に思える程に感覚が乏しい。しかし、神経伝達に支障が無い事を痛みとしてはっきりと確認できる。

ファシルは、何度も繰り返すが一向に改善しないその麻痺した体の感覚に不思議さを抱えると、覚醒したはずの自分が実は違うのではないかという疑問に支配されて混乱する。すると、不意に部屋の扉の持ち手が動き出す。

当たり前に開いていく扉。

ファシルは咄嗟にいろんな事が頭をよぎり覚悟したが、いう事の効かない体に引っ張られると焦りを滲ませた。しかし、その扉から入ってきた者の姿が確認できるとファシルは安堵の息を漏らした。それは見知った顔でレイリアであった。


 廊下を急ぐ宿屋の主人は、ある部屋に向かっていた。忙しなくも物音は最小にして移動する主人のその動き。早朝にも拘らずしっかりとした足取りのそれは事の重大さを物語るとそればかりに急がされていた。しかし、その事を知る由もないその部屋の者らは声こそ小さいものの、こちらも同様に忙しないやり取りが続いていた。


 ファシルは見知らぬ部屋で一人、いう事の効かない体に苦戦を強いられていたがその矢先に入ってきた者がレイリアであった事に安堵すると、覚醒した頭に思いついた質問をいくつも投げかけた。それは、どのようにして今に至ったのかという事が主題でそれに付随する事が副題とされた。

レイリアは、ファシルが気絶した後どうなったかを説明してくれた。しかし、その話を悠長にはしていられない事態になる事は──扉の開閉音を最小限に舞い込んだ主人の声にかき消された。

「てことで、そこから……」

「二人とも、お逃げください!」

部屋に入って来るなり告げられた主人の言葉。それを聞いたレイリアは自身の予想よりも早い展開に少しの悪態をつくと、ファシルにすぐさま支度するよう急かした。

言われに急くファシル。

ファシルは、二人の様子から察してそのままに急いで準備しようとしたが、すっかりと抜け落ちていた自身の事を思い出させられると再びそれに直面した。

先程よりも覚醒して幾分か時間が経っているためにはっきりと伝わってくるずきずきとした体の痛み。

ベッドから立ち上がろうとしたファシルの一挙手一投足の一つを起点にしてそれは一気に駆け抜けると全身に響いた。

感じ取った痛みに対して腹筋に力が入ったファシルは「うっ」と一言漏らすと急いた事で構えていなかった分、痛みはより強く感じられた。

自然とうずくまるその体。すると、ファシルは視界の端から伸びてきた手に気付いた。

「フィルグ」

ファシルの体にかざされた手の持ち主はレイリアでそれは回復魔法であった。

以前にも見た中級の回復魔法はファシルの体に向けられた。

淡く光り部屋を満たすそれはファシルの体を促すと完治とはいかないまでも体を動かせる程度に回復させた。そして、ファシルはレイリアの言葉に短く返すとお礼もそこそこに主人の案内で裏口から宿屋を後にした。

「いける?」

「ああ、ありがと」


 宿を出てしばらくした二人は人通りの少ない道を縫って移動すると船着場近くの建物の裏に来ていた。

そこまでの道中に端的に説明された、知り合いの商人の船に乗せてもらう、という事を聞いたファシルはレイリアに付き従って今に至った。そして、一人隠れて待つファシル。

「ここで待ってて」

ファシルは、そう言ってどこかに消えたレイリアを建物の陰から大通りを見つつ待っていた。

朝から忙しなく行き交う人の姿。

大通りは衛兵が多く見られ、それらは二人を探している者と船着場の作業を監視している者といて他の作業員なども含めるとファシルの目には雑多に映った。

「大変そう」

まるで他人事のように呟いたファシル。すると、身体的な疲れはないもののその光景に参ったファシルはため息を漏らした。

物思いにふけるファシル。

目が覚めてから起きた出来事のその多さに気付いて漏らしたため息は、息をつく暇がなかった事を証明して見せるとファシルの視野をぼんやりとさせた。

人通りの殆どない建物裏は、そのほとんどに影を落とさせたがそこに差し込む陽の光は明るく突き射されていた。

自ずと積もる埃のそれは、如何に普段から人通りが少ないかを現すと陽の光を浴びては舞う姿をはっきりと映し出していた。

影を出れば疾く流れる時間も影の中では止まてしまいそうな程にゆっくりと流れている。

その二つに違いは無く、本来は等しいはずのそれにファシルは奇妙な感覚を味わった。すると、地面に立っている自身の脚がその感覚を見失う。

不意に訪れた浮遊感は奇妙を通り越して少し気持ち悪くすら思える。

浮いた体がゆっくりと丸くなっていくのを感じたファシルであったが、これまた不意の言葉をもって我に返った。

「大丈夫?」

ファシルは、自身の中に疑問を浮かべたが瞬時にそれは弾けて、ファシルは「平気」と返すと立ち眩みを意識しながらもそれを些細な事として、戻ってきたレイリアに先の様子を伺った。


 ファシルは体をほぐすように動かしていた。

レイリアは目的の船までの道筋を確認し終えて戻ってくるとその様子をファシルに説明した。

現在の二人がいる場所から船までは然したる距離ではなかった。しかし、二人を追って配置された衛兵に加えて元より作業の監視に当たる衛兵によってその数が多い。

港町であるがゆえに船という手段は当然に勘づかれており、それを見越して配置された衛兵が邪魔をする。

衛兵は導線上に少なくとも二十人といったところで、それは最短で通過した場合であり迂回すればさらに追加されると予想された。

ファシルは「なるほど」と口にしたが内心では至って冷静に「そうだろうな」と思っていた。

唸りながらも考え込むレイリア。

刻一刻と迫る船の出港時間。

すると、 一刻の猶予もない最中に体をほぐし終えたファシルがレイリアに向かって「ちょっといいか」と声を掛けるとレイリアはファシルに一瞥をくべた。すると、ファシルは思いついたばかりのように振る舞って、端から考えていたことを実行した。

「いい考えがある、俺に任せてくれ」

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