第8話
淡く光る光の粒子がトゥスタスの声に呼応するように収束する。
「フィルグ」
少しばかりの痛手もその声の下、元に戻っていくとトゥスタスはそれらに回す気がない程に視線を一方向に集中させていた。
先程までと同様にとはいかなくなった現状。
トゥスタスは不気味な程に静まるその間に自身の出来る事をすると心許ないそれであっても自身を信じるしかなかった。
この後に起こる事が自身の想定を上回る事は想像に難くなく、ことさらにその視線を鋭くするばかりであった。
「バケモノが」
口をついて出たその言葉も自己嫌悪に至るばかりで、薄々と感じ取れる立場の逆転をトゥスタスは信じられず、見ずともわかるその者の豹変に「俺は何と相対しているんだ」という思いをひたすらに心で駆けさせた。
トゥスタスは何時しか切れて出た口内の血を吐き捨てた。
そしてそれが地に着くまでにはその地を蹴って自ら仕掛ける。
詰める距離は瞬く間に無くなる。
「ヴォルク」「セラリア」
トゥスタスは口々に紡ぐとその魔法をその者へとぶつける。
不自然にも佇むその者が動かない事をこれ幸いと近付くと、至近距離からの二つの魔法は着弾と同時にその威力のままに、お互いに反発しあって大きな爆発を巻き起こした。
爆心地はおろか、その周囲に多大な被害をもたらす爆発はその衝撃をもって周囲の建物を瓦礫に変えた。
持ち堪えられずに瓦解する建造物をよそにトゥスタスは着弾時の爆風で後方に下がった自身の姿勢を正すとすぐさまにその者の様子を伺う。
先程まででは考えられない威力のそれでも、トゥスタスにははっきりと伝わっていた。
──手応えがない。
トゥスタスは続けざまに言い放つ。
「フィナク」
そこに突風を巻き起こすとトゥスタスはその者を攻め立てる。
黙々と上がる煙の中で役目を終えて静まりつつある火の粉を再びに叩き起こすとその風はその者を目とした炎の渦を作り出した。
建造物がなくなり風通しの良くなったその通りを駆ける風は巻き上げた炎の渦をより大きなものにしてはそこに在ったどの建造物を超えて轟音を呼ぶ。
未だに動きを見せないその者。
トゥスタスはその者の考えなど全く考慮することなく、先程の失敗を補うように強めた口調で叫んだ。
「ストラーガッ」
宵も過ぎて暗い空に昼間を思い出させるそれ。
見えたそれの駆ける姿は不規則に折れ曲がるが、その先は渦中のその者。
光速の衝撃は炎の渦に向かうと先の爆発を超えたものとなった。
次々と繰り出した魔法の連続、そしてそれらの連撃。
トゥスタスは薄れゆく残り香に似たそれから目を少しも離さず上がった息を整える。
トゥスタスにとって渾身の力がそこに爪痕を残してはこれほどまでに短い時間での自力の表現はトゥスタスにとっても珍しく、なおもって相対する者がいた事は無かった。
しかし、そのトゥスタスの渾身の力も空しく状況は望むものではなく急転した。
≪ヴァイラーン≫
渦中からは外界が伺えないように、その者はそれらを意に介さず口を紡いだ。
トゥスタスは息を整えることを放棄すると、詰まるそれに緊張を覚えたがそれは当然であった。
未だかつて自身をこれ程に追い詰めた物を知らないトゥスタスは何時しかその体を強張らせるとその者の次の手を伺う。
それはひとえにまだ揃わぬ息と自身の恐れの現われであったがトゥスタスは完全に受けに回ると自身の番手が再び来ることを切に望みつつそれを待った。
しかし、その儚い望みは塵と消えた。
その者の周りに突如として現れた無数の黒い球。
それは際限なく増え続けては広がりを見せると、まるで月明りを遮る雲のように辺りを黒くしていった。
目を凝らして見なければ距離感が分からなくなる程にひしめくそれら。
それら黒い球はなんのきっかけ無く動き出すと全てがトゥスタスを目指した。
充分に息を整える時間はあったにもかかわらず、それに飲まれて息を乱したトゥスタスは少しの遅れをもってこれを放った雷撃にて撃ち落とす。
豪快に聞こえる雷の音はすがすがしくも爽快なものであったが、光速に駆けるそれであっても黒一色に覆うそれには稲光を散らすばかりに終えて、駆ける閃光は幾重にも重なり眩しさを現したがそれは次第に薄くなっていった。
焦げたような臭いを伴って撃ち落とされていく黒い球であるがなくなるには至らない。
やがて稲光さえも黒に呑み込むとトゥスタスは躱し切れなくなった。
黒の中でもがくトゥスタスは自身の体に触れるそれらによって文字通りに削られた。
トゥスタスにとって触り心地がざらりとしたそれは体の表面を撫でるよに削る。
しだいに流れる鮮血も始まりこそ大したものではなかったが、重ね重ねに削れれては芯を食うに至るとそれを悪化させた。
打開すべく動けば自身の体が削られていく。
トゥスタスはにじり寄る死が気持ち悪く思えると必死に足掻いたが、自身を削る黒い球はいじらしくもそれだけに止まらなかった。
トゥスタスは突如として痛烈なものを感じ取った。
それは黒の中にあって目を凝らすと伺えた。
自身の体に突き刺さる黒いそれ。
トゥスタスを覆う黒い球は形状を変えて尖り、それを突き立てていた。
あらゆる形に尖ったそれらは鋭くした刃のように自身にめり込むとその鋭さに耐え切れない体を貫いた。
「くそっ!」
不愉快極まりないそれらに自身の意識を阻害されてトゥスタスは戦意を失っていくが、それであっても状況の好転に向けて黒いそれらをかき分けると外を目指した。
地に自身の血を滲ませるトゥスタスはやっとの思いで黒以外の景色に辿り着くが、しかしながらそこに見えた景色は更なる絶望であった。
希望を捨てずにいたトゥスタスの目に映ったそれは、その者がもう一人の自分に向けて剣を突き立てる間際であった。
刹那に見たそれに理解が追いつかずにいたトゥスタスであったが、自身の体はその思考を超えて動いていた。
「やめろっ!」
トゥスタスは黒から手を突き出して伸ばすとその者の行いを止めにかかったが、それはひとえにある考えの下の行動であったものの黒によって疲弊しきったトゥスタスは更なるその攻めに遅れをとった。
その者が自らに自身の体を切りつけるその様子は間違いなくトゥスタス自身に降りかかる。そう信じて疑わないトゥスタスはぼろぼろになった体を引きずって黒から這い出ようと足掻くが、それを黒い球はよしとしない。
足掻きが自身を追い詰める事を嫌という程に理解しつつもトゥスタスは足掻いた。
するといくら待っても、望まぬその結果には至らない事に気づく。
トゥスタスは次第に足掻くそれを止めていくと、ようやくに理解してポツリと声を漏らした。
「そうか……なるほど」
諦めの色一色の声は黒色に飲まれていった。
その者の目からは、黒い球が相手を覆って大きな一つの球体を成して見えていた。
その者は一切に表情を変えず、少しの所作もなくそれら黒い球に対して退くように指示した。
すると、そこには磔となったトゥスタスの姿があった。
雲が流れて再び月明かりが地を照らすように、串刺しで血まみれのトゥスタスがはっきりと分かるようにそこに現わされる。
それを見たその者はゆっくりと歩み始めた。
その歩調はゆっくりとして落ちつきはらっており、自身の複製を消してトゥスタスに近付いていく。
本来なら整頓された石畳も今となってはそこにはなく、しかしながら聞こえるその者の足音。
トゥスタスは微かに聞こえるそれに力なく頭を向けて、視界にその者を捉えた。
自身を見つめるその者の顔を見ては感情を読めずにトゥスタスは力なく言葉を紡いだ。
「つえぇな……やっぱり・・・・・・」
トゥスタスの最後の言葉はその者にとってとるに足らない。
その者は口を開くとゆっくりと言い放った。
≪オルリオラ≫
その者の声にトゥスタスは乾いた笑いを起こすとそれを最後に沢山の光の粒となって消えた。
──王国シュレヒタス
玉座の間にて一人の者はトゥスタスの存在を感じ取っていた。
「……トゥスタス」
玉座に座る者はそう小さくつぶやくと静まり返った玉座の間に声を響かせた。
収容できる人の数は優に千人を超えるであろう玉座の間。
大扉から玉座までを赤く長い絨毯がのびており、その脇を等間隔に近衛兵が並び立つ。
それらは姿勢よく立つと微動だにしない。
玉座に肘を突き座る者の独り言を耳にしてもなお全くに反応が見られないそれら。
まるで無機物であろうように並び立つそれらは不気味な程に静止すると聞く耳を持たない。
そうであったが玉座に座る者はさらに独り言を続けた。
「アンエンジもあと一人」
次に口を衝いて出た言葉は少しの寂しさを携えていた。
その者が玉座に着いて幾星霜の時が流れていた。
その者はそこに座って、長い年月を振り返っていろんな事を思い返す。
それはその始まりにまで遡っていた。
「この広間もずいぶん寂しくなったものだ」
誰に聞かせるでもなく始めた語り出しは優しさが滲む。
それはその者の一方的な視点に限るものであった。
「あの時」
ここから見て取れたものは今にないと嘆くその者はその視線を少しばかり下に向けては目を虚ろにして言葉を続けた。
彼は強さに自信があり真ん中で威張り散らかしていた
彼女はそれをうるさく思っていたようだ
彼はいつも壁のしみを貫いていて
彼女はそれを盗み見ては視線を熱くした
他にもいろんな彼、彼女がこの場を賑わしては
皆が思い思いに過ごしたこの場所
慣れない真似事で四苦八苦した私
私が声を放ってもそれは皆の耳を素通りした
それには私も嘆息したが彼が一度に声を放つと皆はしかとこちらに向き直り耳を傾ける
「これで」
大丈夫ですよと優しく笑みを見せた彼は……もういない。
「もう一度声を聞きたかったな」
「あの透き通って響く声」
「……トゥスタス」
玉座に座るその者は再び嘆息をもらしたが、思いを馳せた過去に姿勢を正す。
そして虚ろなそれに生気を戻していくと覚悟を決めた。
「皆の思いや覚悟を、無駄にはしない」
そう力強く口にすると立ち上がりいずれ来るその者に対してそれを決意とした。
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