第1話

 気が付くと俺は抱きかかえられていた。

自分の今の状況は目に見える情報から直に理解した。俺は転生したのだ。まず視界に入った二人を見てとても懐かしくなった。今は赤ん坊だろう。喋ることなど出来はしないのにどうしても話しておきたい、その衝動にかられた。俺は焦って声にならない声を上げた。いわゆる、喃語だ。淡く、もしかしたらと、そう思って声を出したのだ。それが自分の耳を通して聞こえてきた時、絶対に無理だという現実が嫌でも実感できる。声を出す前から分かっていた事であったが、どうしても伝えたい事があったのだ。

あの時、

この後は、

あれをして、

これはしないで、

声にならない声が耳を伝う度、伝えたい事があふれてくる。伝えられない悔しさとあふれる記憶とで感情が混ざりあってとうとう爆発した。俺は泣き出してしまった。いろんな思いよ伝われと力の限り泣いた。それらは伝わりはしなかった。唯々泣いた。


「あらあら、おなかすいたのねぇ。今パパが用意してるからねぇ」

そういって俺をあやしてくれた。俺の泣きっぷりはうまく伝わらかった。爆発した感情の中にはその声に嬉しく思うところもあった。ごつく渋い顔の如何にも武人ですよ、細かいことは苦手ですよ、と言わんばかりの大男が手際よく赤ん坊用の食事を用意している。

(そういや料理得意なんだよな)

俺は少し冷静になりつつそういった事を思い出していた。そうしてこの、ありがたく、はかなく、ここにしかない幸せを噛み締めた。




 月日が流れた。しっかりと言葉を話せるようになっていた。この頃には前の記憶は微塵も残っていなかった。

その者はこの村、ゼノムでは有名な夫婦の子供として育っていた。夫は、筋骨隆々で狩猟を生業とする大男で、妻は可憐な一面も持ちつつとても妖艶な美人であった。そんな一見不釣り合いな二人は美女と野獣だとゼノムで有名であった。


 そんな二人の子の名前はファシルと言った。


 ファシルが6歳になる頃の事、ガイアスと庭で剣術の稽古をしていた時のことであった。ファシルは珍しく泣いてしまったのだ。

稽古といってもファシルはまだまだ子供なのでチャンバラに近いものであった。

ファシルの剣はいつもならあっさりといなされてしまうのだが、この時はいつもと違い、剣筋がよく、キレていた。一本とはいかいながらも、技ありとなるであろうそんな場面の事であった。ファシルの剣に対してガイアスは咄嗟にチャンバラの域を優に超えたカウンターを入れてしまったのだ。


ある一定の領域を超えた者は剣によるやり取りを反射神経で応酬し合う。こと戦場においては一瞬のためらいが命取りであるからだ。いちいち、こう来たらこう返すなどと頭で考えてはいられない。それでは間に合わないのだ。


この時のファシルの剣はそれだけキレが良かった。そのためガイアスは加減出来なかった。

「すまんっ、大丈夫か?!」

ガイアスはファシルに近づき安否を確認した。

木剣ではあったが、ファシルの生きてきた短い人生では初めて味わう痛さであった。ファシルは一瞬理解が追いつかずキョトンとしていたが感覚が追いつき大声で泣き出した。

庭での騒動に何事かとセリーネも駆け寄ってきた。セリーネは、ファシルが泣きじゃくっている様子を見てガイアスに事情を聞きすぐさま痛む箇所に手を当ててこう唱えた。

「フィルグ」

中級の回復魔法だ。これによってケガ自体の問題はなくなったのだが、ファシルはしばらく泣き止まなかった。



 ファシルは気が付くとセリーネに膝枕されていた。泣き疲れて眠ってしまっていたらしい。

「痛みはもう大丈夫?」

膝枕しつつセリーネが顔を覗き伺った。

ファシルは少し恥ずかしそうに

「大丈夫」

と答えた。

セリーネはそんなファシルを見て嬉しそうに微笑んでいた。ファシルはセリーネの嬉しそうな理由を訊いた。ファシルは、眠っている間に恥ずかしい寝言でも言っていたのかと思ったのだ。しかしファシルの考えていた事とは違う理由であった。セリーネはファシルが生まれてすぐのことを話してくれた。


 ファシルはよく泣く赤ん坊であった。セリーネは、よく泣くことが赤ん坊の大事な事だと理解していた。夜泣きなどで苦労するだろうと覚悟をしていたのだが、それでも大変だったらしい。お腹がすいているわけでも、お漏らしをしてしまったわけでもなく大泣きすることがあったのだ。その頃は毎日大変であったが、それがとても嬉しかったそうだ。そんな大変な毎日もある時を境に急に減ったという事だった。それには理由があったわけではなかったが、セリーネは少しの寂しさを覚えたそうだ。今日のファシルの泣く姿はその時の事を思い出させた。わが子の泣く姿を久しぶりに見れてセリーネは嬉しくなったのだ。


 ファシルは自分から訊いておいて恥ずかしくなった。恥ずかしく思う中ファシルは不思議な気持ちでもあった。その時のことは覚えていないはずなのに、何か大事なことを忘れてしまっているようなそんな気がしていた。



 さらに月日は流れ、一人で猟を任されるほどファシルは大きくなっていた。

この日は、日課になっていた鍛錬をしに森へ入った。森でいつも鍛錬に使う少し開けた場所があり、そこを目指していた。


 目的の場所に到着して準備をしていると、視界の端に何か光るものを見た。雑草の中で光るそれは草をかき分けると見つかった。拾い上げて見てみると指輪だった。それもかなり高価な見た目をしている。


 アームは黒色をしていて、外周をぐるっと小さな宝石が埋め込まれている。

サイドストーンが左右で違う色をしていて、メインストーンは大きく一際目を引く。

なんでこんなものが落ちているんだと思ったファシルは持ち主の手がかりを探ろうとアームの内側を覗くと文字が刻印してあった。その文字はこの世界の文字ではなかったが、なぜかしっかりと読むことができた。

内容を頭が理解する瞬間、頭に激痛が走った。すると走馬灯のように沢山の映像が頭を駆け巡る。ほんの一瞬の出来事だった。

「なんだ今の……」

何かファシルの知らない或いは忘れてしまっている記憶のようであった。ファシルはなんだったのかと不思議に思っていると、森全体に響き渡るほどの金切り声が聞こえた。

その金切り声はどんどん大きくなり近づいてくるのがわかる。ファシルは耳を両手で塞いだ。

金切り声の主は凄まじい衝撃とともに目の前に落ちてきた。

落ちてきた衝撃の風圧の凄まじさに耐え、伏せていた目を開くと木々はなぎ倒され辺り一面、土肌が露出して荒れ果てていた。しかしファシルはそんなことには気を止めず衝撃の主に注目していた。


 衝撃の主は、真っ白な羽に包まれていた。それはまるで純白の球体であった。

純白の球体は羽を広げる。すると大きな目玉が現れた。その目玉はギョロギョロと周囲を探るように動いた。ギョロギョロ動いていた目玉は次の瞬間、獲物を見つけたように真っすぐこちらを捉えて止まった。

すると目玉は、覆っていた真っ白な六つの大きな羽の一つを羽ばたかせて凄まじい突風を発生させた。その突風はファシルの横を通り過ぎた。

ファシルは急な突風によろけてこけそうになる。

その時ファシルは左手を付こうとしたがこけてしまった。

ファシルの左腕はなかった。

「え?……うわああああぁぁぁっ」

突然のことに理解が追いつかず感情だけが先行した。その感情は渦巻きパニックになった。

パニックをよそに突風が続く。次の突風は彼を捉え、襲った。

ファシルの体は浮き、大きく後方へと吹き飛び木々に叩きつけられる。

ファシルから音と視界の半分が失われた。聞こえなくなったはずの音が頭に声として響いた。

それはとても恐怖するところにありながら酷く憎しみが沸くものであった。


(あなたを殺します。何度生まれ変わろうとも)


ファシルは感情をぶつけるべく、かろうじて動く首を前に向けた。

すると、大きな羽がより一層、強く羽ばたくところが見えた。

その直後、ドンっと鈍い振動とともに世界がぐるぐる回転した。自分の欠損した体が見えた。

急激に変わる出来事に理解が追い付かず、意識が遠のいていき暗転した。


 この時ファシルの体の遥か後ろで何かが光った。ファシル吹き飛ばされた左手が握っていた指輪だった。その次の瞬間、世界全体を黒が覆った。世界の時間が止まった。怪異もその黒からは逃れられず、気付くこともなく動きを止めた。




俺は死んだのか?



ファシルはそう思った。千切れた左手の感覚があったから。



何も見えない……



視力を失って見えていないのか、他を認識出来ないほどの黒色なのかといった曖昧な空間にいた。手で辺りを探ろうと振り回すが何にも触れる事ができない。歩いてみても前進している感触がなかった。そうこうしていると、どこからともなく声が聞こえてきた。ファシルは声のする方に向いた。見えはしないがハッキリと認識できた。誰かと誰かが会話しているようであった。しかし、その会話はかみ合っていなかった。


「このすべを欲するか?」


「なんでいつもこうなんだ……」


「このすべは言わば呪い」


「僕はなんでうまくできないっ……」


「ひとたび身に宿せば二度と逃れられない」


「どうしてなんだ……」


「それでも欲するか?」


「僕ばっかり……」


「ならば、願え」


「そんなに邪魔するなら、この世界を」



「拒絶しろ」

「拒絶する」


二人の言葉が交わり重なると、フッと消えて認識できなくなった。二人のやり取りを見ていたファシルは言葉を漏らした。


「俺だ……」


ファシルは間違いなく少し思い出した。

呟いた後、意を決したように彼は叫んだ。


≪アンムローガ≫

≪ベールイ≫


限度を超えた風船のように空間そのものが破裂し、視界が戻った。

それと同時にファシルの体は全快した。ファシルの左目は赤く変色していた。ファシルの両眼は真っすぐ怪異を捉えて睨みつける。


≪ガイラーズ≫

≪ミュラース≫


黒い気配がファシルを包み、ファシルの周りを守るように何かが旋回しだした。


≪セス≫

≪ゲーノ≫


ファシルの右手に剣が現れると、ファシルは消えた。その瞬間、怪異の大きな羽が切り飛ばされた。怪異は金切り声を発した。怪異の目が忙しなく動きファシルを探すが捉えられない。

次にファシルが姿を現した時、怪異の羽がもう一つ落ちた。

森に金切り声が響きわたる。

それらは繰り返され、ファシルが怪異の真正面に現れた時、怪異の羽は全て千切られていた。


怪異は反撃と衝撃波をはなった。しかしファシルは避けなかった。

ファシルに当たる瞬間衝撃波はかき消された。

怪異は焦り、再度攻撃しようとしたとき


≪ワンド≫


怪異の躰を黒い鎖が貫いた。

何処からともなく伸びた鎖は足掻いても外すことができず、身動きが取れない。

怪異はその鎖から逃れるため足掻いていると


≪エルシーク≫

≪クルエーレ≫

≪アージオ≫


ファシルは漆黒の槍を構え、物凄い勢いで間合いを詰める。

矛先は怪異の中心を捉えている。

「トドメだっ‼」

瞬く間に距離は縮まり矛先が触れる瞬間、怪異が咆哮した。

怪異の咆哮は波動となり目に見える形になって、大きな壁となった。

壁と矛先は火花を散らしながら拮抗していた。しかし槍はその壁にはじかれてしまいファシルは大きく後退した。


 怪異は体勢を立て直す。

怪異の六つの羽は全快し大きく羽ばたいた。

すると黒い鎖はそれに耐えられず砕け散ってしまう。

ファシルは再び攻撃するため立ち上がろうとしたが、ガクッと膝をついてしまう。

既に限界を超えていたのだ。

怪異は再度羽ばたくと、上空へと舞い上がりその場から飛び去っていった。

「待ちやがれっ……!」

飛び去っていく怪異の背中にぶつけた言葉も空しく、ファシルは気絶した。

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