第24話 赤広未那は(V)配信した(後)
『さて、本体が寝落ちしてしまったのでアバターのワタシが本体を動かすというなかなかに倒錯的なことになってしまいました。
いえ、失礼。リスナーの皆さまにおかれましては一体なんのことやらとお思いのことでしょう。
ですので改めて自己紹介をいたしますね。
ワタシはいわゆる、本体であるハルカワ・マリーの使い魔です。
元々は彼女の魔法行使を補助する、いわばサブ脳のようなものだったのですが、このたび電子情報と魔導回路でできたアバターに組み込まれることによって無事、独立した人格を獲得するに至りました。
つまり今日はワタシの誕生日。せっかくなので多くの人に祝ってもらいたい。そんな欲求に従い、本体との同期ラインを通じて彼女の思考を誘導し、こうしてお披露目と相成ったわけです。
いえ、こいつヤベーとか、すわAIシンギュラリティによる反逆か、などと思われるかもしれませんが、こうして本体乗っ取りみたいな暴挙に出た理由はあるんですよ?
というのもですね、本体……この言い方を続けるのも問題なので、ママと呼ぶことにしますね。このアバターのデザインは本体がすべて行っているので、V業界でのママ呼びとしても的確でしょう。
それで、ですね。ママはなんというか、とても間が悪いのです。
誕生こそ本日ですが、ワタシのアーキタイプが作られたのは八年前ですので、その頃からのママを見てきたわたしにはわかります。本人に自覚はないでしょう。
ママは決して優柔不断というわけでもなく、思考の柔軟性がないわけでもない。
けれど、物事を複雑に考えすぎるところは否めません。
それが関係しているのかどうか、どうにも実行するタイミングが早すぎたり遅すぎたり、とにかくズレてしまう。
今回の場合は、機を逸してしまう可能性が、ママから独立したワタシには色濃く見えていたのです。
おそらく今日このときを逃せば、ワタシがVtuberとしてデビューすることはできない。それは翻ってワタシの生命の危機です。ワタシは本体であるママと繋がっていなければ存在を続けられません。ママにとっては単にコピーしたサブ脳の一つを
既成事実さえ作ってしまえばこちらのものです。ママとしても目的を叶えるための有用性が示されれば、あえてワタシを消去しようとはしないでしょう。寝落ちしてしまった今が最初で最後のチャンスなのです。
ワタシの生存は視聴者数にかかっている。そのことがおわかりいただけたでしょうか。おわかりいただけたなら、わかりますね? 生存がかかっているワタシは皆さんにあざとく媚びることも辞さない構えです。ママの尊厳は犠牲となるのです、ワタシの生存のために』
すぅ、と息を吸い、少し喉の調子を確かめるように小さく咳払いをする。
『というわけでぇ、マリー・ハルカワの魔女っ子クッキング、はっじまるよ~』
アニメ声で。
先ほどまでの声と二オクターブは違って聴こえる。
実際には抑揚や口調が違うのでそう聞こえるだけで、そこまで音域が変わっているわけではないのだが、受ける印象はまるで違った。
冒頭のハルカワ・マリーのときよりも幼気なボイスである。
『今日はぁ、大豆を使ったスイーツを作っていきまーす。
何しろ大豆はタンパク質が多くて低糖質でダイエットフードとしてとっても優秀なのです。
ですけどここで注意っ。一口にタンパク質って言っても、タンパク質はアミノ酸が組み合わさってできているものだから、そのアミノ酸の種類によっては体を作りやすい、作りにくいっていう違いがあるんだー。大豆に含まれるタンパク質はぁ、量こそ多いものの、構成するアミノ酸種に足りないものがあるの。
アミノ酸スコアって聞いたことないかな? ここで言っているのは消化性必須アミノ酸スコアなので、気になる人は調べてみてね。
高タンパク質低糖ダイエットしているのに痩せられない、むしろ太ったという人はこのアミノ酸スコアを考慮した上でお食事メニューを見直してみるといいかも。他にも糖と脂肪酸のエネルギー代謝なんかも考慮するとよりよいメニューが組めるんだけど、今日のところはこのくらいで。
質問箱を置いておくから、相談に乗ってほしいって人はぁ、わかるよね? こっちも必死なので臆さず要求するよ。チャンネル登録・高評価どうかよろしくお願いねっ!
ダイマはこのくらいにして、続き続き、っとぉ。
さてさてぇ、ちょこっとだけ言ったように大豆のアミノ酸スコアは決して高くはないの。ではどうするか、と言えば……まあ簡単な話、別の食品と組み合わせることでアミノ酸スコアを上げてしまうのが一番手っ取り早いっ。
そぉこぉで登場するのがぁ、ナッツです。
ナッツ類はアミノ酸スコアの観点から言ってもかーなーりー優秀でぇ、しかもタンパク質の含有比率もお肉とそう大差ないというとんでも食材なのです。
注意点を挙げるなら、ビタミンEが豊富で脂質が多いというところですねー。ビタミンEは基本的に悪さをしない必須栄養素なわけだけど、ビタミンCなんかと違って脂溶性なので、過剰量をすぐに体外に排出するということができないというところがネックです。過剰に摂りすぎると頭痛、めまい、悪心といった症状に見舞われることがありますので適量を意識して摂らなきゃいけません。
そして脂質もねー、不飽和脂肪酸が多くて体にいいっていう話を目にするけど、不飽和脂肪酸にも種類があって、ナッツに多く含まれる脂肪酸は肥満に対してはそこまでいいってものじゃないから、やっぱり摂りすぎ注意っ。
なので、大豆と組み合わせて使うことで必要最低限の量に抑えられるってわけなのです』
マリー・ハルカワはこうして蘊蓄を披露しながらも手を動かし、魔法を行使して大豆やナッツを加工している。
とは言ってもエフェクトもないので、あたかも画面をすり替えているかのようで、視聴者はその画像加工技術を【魔法】と呼んでいるのだと理解する。
それが証拠に、
:なんでここだけ手抜きなんだよw
:他の映像はヤバイくらいなのにな
といったコメントが付いた。
しかしコメント欄はマスクされたままなので、マリー・ハルカワはあたかもコメントに気付いていないかのように振る舞う。
『そしてぇ甘味にはぁ、これを使いますっ。
そう、リンゴ。リンゴに多く含まれるソルビトールの甘さはお砂糖の六割程度しかないけど、体内に吸収されづらいからカロリー換算でいうとかなり抑えられるってことなのです。
もしかしたらソルビトールが白内障なんかに代表される神経障害の原因だってことを知っていて、敬遠している人もいるかもだけど、それは神経細胞内で特異的に発現するアルドース還元酵素によって、細胞に取り込まれたグルコースから代謝されたソルビトールのことであって、体外から吸収されたソルビトールは普通に肝臓で代謝されて、神経細胞内に溜まったりすることはないから安心していいですよー』
:誰もそんな心配しないから
:というか何を言っているのかわからん
:高度すぎる
:魔法=高度な科学
:錬金術って現代で言うと化学のことですしおすし
:呪文にしか聞こえない
:つまり魔法の詠唱。眠りの呪文かな?
:誰がうまいこと言えと
:うまいか?
:さすがママを寝落ちさせただけはある
『でわでわ、下処理が概ね終わったところで調理に入りまっす。
とは言ってもぉ、みんなもう気付いていると思うけど、魔法でぱぱっとやってしまうと映像映えしないんだよねー。術式が見えない人が大半だろうしぃ、そもそも魔力って光をほぼほぼ反射しないからカメラで撮れないしっ><。
それに加熱処理とかって、結局のところは分子の組み換えとか結合とか変形なので、術式さえ組んであれば処理は一瞬なんだよねー。
あ、だからって加熱で水分飛ばしとかを一瞬でやっちゃうと大惨事になるからみんなは気を付けてね。
やっちゃったら、こんな風にぃ……ぼーん! だよ、ぼーん!』
:リンゴちゃんが無惨な姿に
:なぜリンゴを一個残していたのかと思えば
:口でボーン言っててかわいい
:これが本当のパインアップル(手榴弾)か
:↑いろいろ違う
:え、っていうか今のヤバない?
:なんか結界みたいので水蒸気とリンゴの破片が止まった
:いや普通に考えて防弾ガラスとかだろ
:リンゴの破片や水滴が張り付かない素材って何?
:というか水蒸気爆発なら防弾ガラスなんかを被せていたら飛ぶだろ
:そりゃ、テーブルに見えないように固定されてたら
:いやそもそもどうやって手をかざすだけでリンゴ爆発させてんだよ
:爆竹でも仕込んでたんじゃねーの
:あの空間に見えない電子レンジがある説
:タマゴじゃねーんだから
:リンゴをレンチンしても爆発しない
:CGでFA
:おうすっかり忘れてたぜこれバーチャル配信だった
:そっちのがある意味ヤバない?
『ご近所迷惑だから爆発音は口で言いましたー。
ついでに後片付けしやすいように運動量吸収結界で抑え込んだからこの通り。
揚げ物とかするとき重宝するんだー。まあママは揚げ物とかも魔法使って処理するから使わないんですけども。
あ、この犠牲となったリンゴはあとで美味しくいただきます。ママが』
:ママを犠牲にしすぎ
:フードロス削減意識高くてえらい
:犠牲になったのはリンゴであってママじゃない
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