第6話 若槻莉愛は盗聴した

――悔しい。悲しい。


――偉そうに。ブラコンのくせに。腹黒はそっちのくせに。


――寂しい。怖い。ひどい。つらい。やっぱり悔しい。

 

――楽しかったのに。


 莉愛は修行場を出て、彼女たちから見えなくなったところですぐにうずくまってしまった。

 ちょっと耐えられなかった。

 泣いているところを見られたくなかったから出てきたけれど、本当ならその場でうずくまって泣きじゃくってしまいたかった。


 そうしなかったのはこれまでの経験があったからだ。

 泣いたら嫌悪される。疎外される。

 莉愛はそう学習している。

 甘えているとかカマトトぶっているとか、そうしたニュアンスの言葉を投げつけられるからだ。


 ただの条件付けだ。

 莉愛にはそうされる理由がわからない。

 理由がわからないから何度でも繰り返す。

 理由がわからないのに、行動だけは最適化されていくから勘違いされる。

 勘違いされるから指摘されることも矯正されることもない。


 わかってなんかいないのに。

 わかっていてそうしているみたいに思われる。

 

 悪循環だ。


 莉愛は友達が欲しいだけだった。

 動画配信なんて大して興味もない。


 ただ、大勢の人に自分を見てもらうことには、確かにちょっと興味があった。

 かわいいって言ってもらえるのかな、とか。

 それともいつもみたいに、思い出したくもない言葉を言われたりするのだろうか、とか。

 怖いけど、その結果を知りたい。


 莉愛は自分がかわいいと思っている。

 男子に好かれたいなんて思わないけど(別に女子が好きというわけでもないけど)、かわいい自分をかわいくしたいという願望はある。

 お人形遊びを自分にやるみたいな感覚だ。

 かわいいお人形にかわいい衣装を着せたり、かわいい髪型にしたり、かわいいアクセサリーを付けたり。

 そしてうまくできたら『誰か』に見てもらうのだ。

 すごいね、きれいだね、かわいいねって一緒に笑ってもらいたい。


 それが腹黒なんて言われるような願望なのだろうか。


 莉愛にはわからない。


 ポケットの中でスマホが震える。

 どうやら着信だった。


 億劫に思いながらも、期待しながら着信の相手を見る。


 期待通り、そこに表示されていたのは『スズちゃん』だった。

 いつも変な言葉遣いばっかりしているけれど、楽しい気持ちにさせてくれる、莉愛を嫌悪しない『友達』。

 

 どうしてそんな言葉遣いをするのって、たまたま涼香が素になったときに聞いたら「癖になってんだ、ネタに走るの」とやっぱり変な言葉遣いで言っていた。


 今考えると答えになっていないけど、莉愛は「なにそれー」と笑った覚えがある。


 今考えると、その癖も未那に合わせたか何か、未那のためにそうなったのだろうなと、根拠なく思う。


 悔しくて悲しくなる。

 

 選ばれなかった、と莉愛は思った。

 莉愛よりも未那を取った。そう思った。

 言葉にするととても恥ずかしい考えだと思う。

 だけどそう感じてしまったことをなかったことにはできなくて、なんでいまさら電話なんかって気になってしまう。


 だからスワイプして通話にした。


 何を言うのか無言で聞いてやろうと思った。


『――ぉり繕うの、うまくなったと思うけど」

『そうだね。取り繕う以前に何も感じなくなっただけじゃないかって、ウチは疑っているけど』


 そうしたら、聞こえてきたのは最初は未那の声で、そして涼香は莉愛に話しかけていない様子だった。

 スピーカー通話にしているのだと、さすがに見当が付いた。

 その涼香の意図に思いを巡らせる前に、


『相変わらず嫌いだよ。反吐が出る』

『ならよかった』


 息をのむ。

 喉がひきつけを起こしかけた。

 過呼吸になりそう。


 あまりのことに行動が完全に止まる。

 思考も止まる。その意味を考えたくないから。

 ただ耳だけが音を拾ってしまう。


 幸か不幸か、その間は特に会話はなくて、プラコップに水を灌ぐような音が聞こえてくるだけだった。


 意味が浸透してくる。

 文脈を捉えて別の意味の可能性を考えられるような余裕はない。

 元々莉愛には二人の会話のテンポは速すぎる。

 未那が莉愛を嫌っていて、そのことを涼香が『よかった』と言っていたのだとしか捉えられない。しかもわざわざそれを通話にして聞かせてきたのだと。


 ショックのあまり涙さえ出てこない。

 心臓が痛い。そんな錯覚に胸を押さえる。


 それでも聞いてしまう。聞かないという選択肢は思い浮かびもしない。


 文脈がわからないせいで、彼女たちの話の主語がわからない。

 ただ、『一般女子にどうやって戦う覚悟を』というくだりで、多分自分のことを言っているのだとようやく察しが付く。


 ああ、やっぱりさっきのは聞き間違いか何かだったのかも、と少しだけ安心した。

 それは少なくとも、莉愛のことをおもんばかったような言い方だったから。

 そう思いたいだけ、かもしれないから、少しだけ。


『友達が友達を化け物呼ばわりするの、聞きたくないし、言わせたくない』


 再び、ドキリとした。

 それはきっと、莉愛が言ってしまっただろう言葉だったから。


 最初はわからなかった。

 けど、魔法を使う未那のことを、莉愛は怖いと思った。


 別に大したことを未那がしたわけじゃない。

 大したことをしていたのだけど、それは莉愛に認識されなかった。


 そう、無意識に認識を拒むようなことを、未那は平然と行っていた。

 

 それが怖かった。

 何をしたかよりも、それをして平然としていることが。

 感情が乱れているように見えてもすぐに平然とするところも。


 彼女の感情が何一つ読めないことが。

 読めていないことに気付いたせいで。


 未那の精神性が、莉愛にはまったく理解できない。

 理解できないものは怖い。


 自分を加害するかもしれない理解できない人の形をした生き物を、人は化け物と呼ぶ。呼んでしまう。


 でも、どうして。

 どうして涼香はそれがわかったのか。

 まだ莉愛は言ってもいなかったのに。自覚だって今にはっきりしたくらいで。

 未那に至ってはそれを言わせようとしていたかのような。


――やっぱり怖い。けど。


 話の内容は理解できない。でも未那が自分を何かに誘導しようとしていたということはなんとなくわかる。

 そうしていて二人はケラケラと笑っている。

 ちょっと前ならば羨ましく思って妬んだかもしれない。

 でもそんな感情はもう湧いてこなかった。


 聞かなければいけない。

 理解しなければならない。

 そうしなければ、備えられない。


 漠然と、そう思った。

 この二人は平然と莉愛を巻き込んでくる。

 そんな直感。


 涼香はきっと善意で、未那は何かわからない思惑で。

 未那はともかく、涼香は


 そう。そういえば最初から言われていた。

 これはただの配信動画作成のための集まりではない。

 魔物討伐配信だと、初めに言われていた。


 莉愛にとって魔物とは、すごく危険で世界を壊そうとする何かで、そうでなくても破壊行為をして人間の社会活動の妨げになるから倒す必要があるけどそんなものは大人の仕事で、そんな仕事を子供あたしたちに押し付けられても正直困る、という程度の認識だ。

 ついでに言うならそれって男の仕事じゃない? とか思っている。

 未那の兄が最強だというのなら討伐して回るのは至極当然のことだと、考えるまでもなく認識していた。

 

 未那が部活を立ち上げるための理念を語るときに怒っていた『当事者の他人事感』丸出しだ。


 それでどうして未那に嫌われていないと思っていたのか。

 好かれてはいなくても嫌われているわけではないと勝手に思っていた。

 をしたことがなかったから、未那から向けられる感情がそれだなんて思わなかった。


 なんだか急に現実感が襲ってきた。


 本気にしていなかったのだと気付いた。

 本気だったのだと、未那の魔法能力を知って薄々気付いてきていた。

 本気だったのなら、本当に『若い世代を魔物討伐に駆り出さないとマズい』ということなのだと気付かなければならなかった。


『育てるだけ育てて放り出すつもりなのかと思ってた』


 それは多分、ダメだ。放り出されたらきっと困る。

 どっちがマシなのか、という話だ、これは。

 いずれにせよ自分たちが戦う未来があるならば。


 ここで最強の魔法使いの妹に鍛えてもらってその監督の元に活動を続けるのと(友達と一緒に楽しくやる本命オマケ付き)、

 どうしようもなくなってから仕方なく顔も知らない誰かの言われるままに戦場に駆り出されるのと、

 どちらがマシなのかなんて、考えるまでもない。


『長く息を保てるようにするつもりだったよ』

 

 その言葉に安堵と同時に焦燥を抱くのは、もう結論が出ているからだ。


――確かにあたしは腹黒かも。


 完全に打算から、放り出さないでほしいと願った。


――でもやっぱりみーなーのほうが腹黒だよ。


『嫌いの行きつくところの一つは無関心』

『リアのことは正直、無関心に近いかな』


 こうやって焦らせておいて、


『「リアに聞かせるためでしょ?』」


 莉愛が聞いていることに最初から気付いていたんだから。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る