Ⅱ 妙薬の秘密
「──えらい賑わいぶりですな……」
長蛇の列が取り囲む、古い白壁の一軒家を眺めながら、呆気に取られた様子でアゥグストがそう呟く。
馬を置き、徒歩で宿屋を出てからしばらくの後、ハーソン達三人は、教えてもらったアスキュール医師の診療所を訪れていた。
街の中心部に近いとはいえ大通りには面しておらず、けして裕福とはいえない者達が多くて住む、雑多な感じのする下町的な界隈である。
だが、そんなうらぶれた場所の、古びたボロ屋であるにも関わらず、貧しき下層民から身なりの良い金持ち連中まで、さまざまな患者達がここへは集まって来ている。
また、病人と思しき元気のない者もいれば、包帯を巻いた怪我人もいる……患者の種類もまさにさまざまだ。
「ああ、すまぬ。アスキュール先生に用があるのだが、お会いできるかの?」
診察を待つ患者達の列を尻目に、ちょうど表に出てきた弟子と思しき白ローブの青年にアゥグストは声をかける。
「順番です。先生にご用がある方は列に並んでお待ちください」
「ああいや、別に診察してもらいに来たのではない。我らはエルドラニア国王直属の白金の羊角騎士団だ。先生には士官の話をしに来た」
だが、要件を訊かれることもなく青年にそう言われてしまい、改めて自分達の身分を告げるアゥグストだったが。
「どちら様であろうと関係ありません。先生との面会希望ならちゃんと並んでください。それがここの規則です。じゃ、僕は忙しいんでこれで」
やはり取り付く島もなく、問答無用にそう言い放つと、さっさと忙しそうに行ってしまう。
「ハァ……これは気長に待つしかありませんな……」
「権威・権力にも一切媚びぬとはむしろ気に入った……我らも並んで待とう」
その態度に眉をハの字にしてアゥグストが嘆く傍ら、ハーソンは口元に笑みを浮かべると、そう言って列の最後尾に大人しく並んだ。
「しかし、これほど繁盛しているのであれば、蓄えも相当なものだろう。もっと良い土地に診療所を構えても良いものを……」
並んでじっと待つ間、どこまでも続く長蛇の列を眺めながら、ボヤくようにしてアゥグストが呟く。
「そりゃあ、いくら患者がいっぱい来てもぜんぜん儲かってねえからでさあ。金持ちからはしっかり診察代をとりやすが、貧乏人からは薬の原材料費ぐれえしかもらわねえんですよ、アスキュール先生は」
すると、前に並んでいた職人層と思しき患者の一人が、耳聡くもそれを拾ってアゥグストの疑問に答えてくれる。
「ほう……どうやら医は仁術なりという哲学をお持ちのようだな。ますます気に入った」
その運営の様を聞くと、ハーソンは碧の眼を細めながら、まだ見ぬ名医に期待を大きく膨らませた。
「──ふぅ……やっとだわい。けっきょく最後になってしまったの」
それから二時間ばかり並ばされた後、ようやく番が回ってきたと思いきや、患者が先だと別室で待たされ、アスキュールに会えたのは診療が終わった後のことだった。
窓から覗く空と雲はすでに夕日に赤く染まっている。
「待たせたの。わしがアスキュール・ド・ペレスじゃ。かの
燭台の明かりが灯された夕暮れ時の薄暗い部屋で、ハーソン達の前に現れたのはかくしゃくとした一人の老人だった。
顎と口に立派な白髭を蓄え、薄汚れた白いローブを纏うと、長い白髪の頭には白いベレ(※ベレー帽)をかぶっている。
聞いたところ人徳ある医師のようなので、好々爺みたいな人物像を想像していたのであるが、その顔は妙に
「私は羊角騎士団・団長のハーソン・デ・テッサリオ、こっちは副団長のアゥグストと魔術担当官のメデイアです。ま、これは本題ではなく純粋な興味からなのだが……まずは単刀直入にお訊きしたい。貴殿が死者を蘇らせたというの
そんな威圧感さえ感じさせる老医師に対し、出会い頭から早々に、一番確かめたかったそのことをハーソンは尋ねる。
「フン。わしが死者を蘇らせたかだと? ……ワハハハハ…神でもあるまいに、そんなことできるわけがない。そんなのただのウワサじゃよ、ウワサ。ガハハハハ…!」
すると老医師は突然、おかしそうに高笑いを響かせ、思いの外にきっぱりとその話を否定する。
「しかし、街の者達はすっかりそう信じ切っておりますぞ? そこもとの薬でもう何人もの死者が蘇ったのだと」
「それはまったくの誤解じゃよ。おそらくは瀕死の重症者がわしの気付け薬で意識を取り戻したのを見て、医術の知識のない者がきっと勘違いしたんじゃろう。あるいは一時的な仮死状態とする薬を用いて手術を施すこともあるゆえ、その患者の回復する姿が影響しているのかもしれぬの」
あまりにはっきりと否定してくれるので、面食らったアゥグストが重ねて問い質すと、老医師はその原因も推測して教えてくれる。
「仮死状態に? その薬というのは魔導書の力を用いた魔法薬なのですか?」
「いや、違う違う。ただの蛇の毒から作り出した薬じゃ。医者として自然魔術(※科学)は師匠から学んだが、悪魔召喚の魔術などとんと知らんからの……もっとも、魔女と呼ばれる者達に教えを乞うたことはあるが、それは彼女らの持つ抱負な薬草に関する知識についてじゃ。その知識も参考にして、その蛇毒を用いる薬を思いついた」
次にメデイアが自身の職掌から気になることを訊いてみるが、それにも老医師は包み隠すことなく教えてくれる。
「なるほど。それでそのようなよく効く薬を……」
老医師の説明を聞いたメデイアは、あたかも蘇生と見紛うほどのその薬について妙に納得するところがある……彼女ももとは魔女であり、魔女の持つ独自の薬学の奥深さは充分に理解しているのだ。
「というわけで、たとえ国王や皇帝陛下の頼みとあっても死人を蘇らせることなどわしにはできんぞ? それとも、死者の蘇生を騙る異端とでも思って、わしをわざわざ取り調べに来たのかの?」
ハーソン達からの質問にすべて答え終わった老医師は、今度は自分の方から勘繰った問いかけを三人の騎士にぶつける……国王直属である護教騎士団の訪問に、そうした理由を推測したのである。
ちなみにエルドラニア国王カルロマグノは現在、神聖イスカンドリア皇帝も兼ねているため、〝皇帝陛下〟というのは国王と同じ彼らの主君を示している。
「ああ、いえ、それこそ誤解というもの。先程も申した通り、蘇生について尋ねたのはついでというか、単に知的興味があっただけのこと。それに今の羊角騎士団はそれほど異端討伐に熱心ではありません……じつは、我らが軍船の船医を貴殿にお任せいたしたく、その説得に我らは参りました」
だが、邪推する老医師に対し、それもまた勘違いであることをハーソンは指摘すると、ようやくに今日来た本題をアスキュールに伝えた。
「わしに船医を? なぜ、羊角騎士団が船医を……まったく話が見えてこないのだが……」
「いや、我らにも少々複雑な理由があるのです──」
すると怪訝な顔をして、むしろ首を傾げてしまう老医師に、ハーソンは苦笑いを浮かべてすべてを説明した。
「──なるほどの。かの名高き護教のための騎士団さまが、今はそのようなことになっておったか……いや、時代は変わりましたな。わしのような田舎者はとんと知りませんでしたわい」
「いえ、まだ改革を始めたばかりですからね。エルドラニアでも知っている者は、無能なために除隊させた貴族の子息と、それを恨んで嫌味を言ってくるその親族ぐらいのものでしょう」
国王の命により、羊角騎士団が海賊討伐の精鋭部隊に再編されつつあることを聞くと、最初は驚くもだいたいのところは老医師は理解する。
「だかのう、わしのような者と修道騎士団ではもとより水が合わぬぞ? その団長殿に言うのもなんじゃが、正直、頭の硬い教会の連中をわしは好かんからの。いくら海賊討伐に仕事が変わったとはいえ、その教会を護るために組織された騎士団ではのう……」
「なあに、それも心配ご無用。団長の私からしてほら、このように古代異教の魔法剣を
「だ、団長…!」
それでも良い顔はせぬ老医師アスキュールに、腰の愛刀を見せつけながらハーソンが団員の実情をさらに説明し、加えて、その火炙りにすらなりかねない出自をさらっと曝露してくれる彼にメデイアが慌てた時のこと。
「
不意にドン! ドン! と入口の扉がけたたましく叩かれ、そんな大声が外から聞こえてきた。
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