光る石

きゅうた

ひかるいし

 「垂島灯台ナイトツアーのオプションもつけることができますが、如何なさいますか?」

大浴場、朝食会場、フロントの番号…流れるように入ってくる情報を半分上の空で聞き流し、

ようやく部屋で一息つけるとカウンターから目を外し荷物台から鞄を持ち上げた時だった。

「は…?なんすかそれ」

正直灯台なんて興味ないし聞くのも面倒だと思ったが、フロント係の妙に力のこもった声音に誘われて、つい聞き返してしまった。

「当ホテル宿泊者様限定の無料ツアーになっておりまして、橋を渡った先の垂島灯台までガイド付きバスでご案内いたします。

夜間点灯の光を間近でご覧いただける他、対岸の夜景、さらには満点の星空がお楽しみいただけるということで、大変ご好評いただいております。所要時間も30分ほどですので気軽にご参加いただけますし、おすすめですよ」

 本日何度も口にしたであろう淀みない説明を心底こちらに寄り添った善人顔で浴びせられて、つい断る理由を探し、何も出ず、申し込んでしまった。理由を探す必要なんかないのに。まぁいい。どうせ夜なんて部屋に篭って無為な時間を過ごすだけだ。折角安くはない金を払って宿泊するのだから、飯と風呂以外に名物があるなら見ておいて損はないだろう。


 晩飯は、さすが口コミ評価4.75の宿。味もボリュームも接客も申し分なかった。申し分ない。そう、申し分ないのだが…二品目までは写真を撮ってみたりしたが、なんとはなく虚しくなってやめてしまった。ふと正面の窓ガラスを見ると、浴衣を着て見てくれだけははしゃいでいるのに、妙に心許なげな顔をした男が映っていた。


 「ごめん。嫌いになったわけじゃないんだけど、なんか…ダメみたい。」

なんかってなんだ。いまだに何度も繰り返し思い出す。多分一番嫌なタイプの振られ方だ。付き合って約半年、喧嘩することもなくいつもニコニコ楽しくやっていたつもりだった。この夏は泊まりでどこか遊びに行こう、なんて浮かれてバイトに精を出し、海が綺麗なところがいいよね、沖縄とか思い切って行っちゃう?とコンビニで買った観光情報誌片手に旅行計画をプレゼンテーションしようとした時だった。反応が鈍い彼女の顔を覗き込んだら、例の「なんか」。気になるところがあるなら治すから、何か他に理由があるならきちんと言ってくれと、どんなに宥め懇願し説得を試みても「そういう問題じゃない」ときた。俺が何を言っても、困ったような泣きそうな顔をするばかりで、そのくせ決して結論は変わらないという態度に、俺の方が根を上げて逃げるように彼女の部屋を後にした。それが7月の終わり。

 旅費を稼ぐためだった短期バイトは目的を失い、かといって振られたから辞めますとは言えず、8月半ばの契約期間終了まできっちり勤め上げ、過去一番預金通帳が潤った状態で虚無の夏休みに入った。大学の後期授業が始まるまでまだ1ヶ月ちょっと、予定は皆無。この夏は彼女とみっちり遊ぶからと、友人との予定は一つも入れていなかった。もしも会う約束なんかあろうものなら、まだ飲み下せない振られたという事実を、なんでもないように、ずっと過去の整理のついた出来事みたいに、自分を取り繕って友人たちに話さなければならなかっただろうから、その点は過去の自分に感謝してもいい。まだ、諦められていなかった。観光情報誌を買ったコンビニの近くで、背の高い男と親しげに歩く彼女の姿を見るまでは。

 目が合ったらまずいと慌てて視線を外したものの、彼女の胸元に光っていた石が瞼の裏に焼きついてしまった。太陽の光を受けてキラキラと輝くそれは、男から貰ったものだろうか。必死にバイトなんかしなくても、ポンと高価な石をプレゼントできる、そういう男を彼女は選んだんだろうか。そしてそれは、いつから?

 

 惨めで暗澹とした気持ちで自分の家に帰りつき、シャワーを浴びてベッドに転がると、なんだか全てが馬鹿馬鹿しくなってきた。どうでもいい。あいつらのことを考えるだけ人生を損している。そうだ、折角のゆとりある夏休み、1人でだってどこか遠くへ旅行に行こう。静かな景色のいい場所…海の側の旅館なんていいかもしれない。もう9月に入ったから海水浴客はいないはずだし、とびきり料理の美味い旅館でゆっくりしよう。朝浜辺を散歩するのもいいかもしれない。

 そう思い立って勢いのままネットで予約を取ったのが先週。そしてその旅館の1人には広すぎる部屋で、布団に転がりながらスマホをいじり倒しているのが今。SNSを開き、楽しかった美味すぎ最高〜などと打っては消し、友人達の花火大会やバーベキューの写真などをフリックで流して、侘しい孤独感に苛まれてそっと閉じる。閉じたものの、スマホを眺める以外のことをする気力は湧かないので、ひたすら興味のない他人の日常をぼんやり眺めていたら、いつの間にか19時50分。灯台ツアーの集合時間は20時。正直だるいが、申し込んだからには直前でキャンセルするのも面倒だ。急いで浴衣の帯を解き、明日着る予定の服に着替え、ホテルの玄関口に向かう。


 ホテル正面出入り口の自動ドアをくぐると、すでにホテルの名前が入ったバンが停まっていて、腰の低い、しかしハキハキよく通る声の壮年の男性スタッフが丁寧に案内してくれた。乗り込んでみると、母娘(おそらく大学生くらいだろう)が1組、あとは時々手を叩いて盛り上がっているやかましいお婆さんが1人2人…全部で5人の合計2組の先客がいた。なんとなく場違いというか、居心地の悪さを感じながらシートに腰を下ろしたところで、

「こんばんは、失礼します。」

と、女性の声がした。見ると、綺麗な長い髪を揺らしながら顔立ちの整った細い女性が乗り込んでくるところだった。どうやら俺と同じおひとり様での参加のようだ。(まぁ俺と違って、部屋で待っている連れがいる可能性も大いにあるが。)30…にはなっていないように見えるがどうだろうか。スキニージーンズに黒いTシャツ、首から下げたチェーンの先には車内灯を受けて一粒の石が白い輝きを放っていた。ダイヤモンドなのかガラスなのかは判別できないが、なんて嫌味にキラキラ光るんだろう。光が目に入る度に、別れた彼女の笑顔がちらつく。ここでちらつくのが笑顔というのも本当に嫌になる。

 彼女で参加者は全員揃ったようで、先ほど案内してくれた壮年スタッフがにこやかに挨拶したあと運転席に乗り込み、車は振動と共に前進を始めた。


 明かりのほとんどない海辺の道を、ポツンとバンが進んでいく。運転席のスタッフが何やら観光案内や灯台の歴史についてマイクで解説してくれていたが、それに対するおばあさん達の相槌や笑い声が大きすぎて、結局ほとんどよく聞こえなかった。おばあさん達は1人参加者の例の女性にも声をかけて盛り上がっていたが、俺には決して声はかけてこなかった。もちろんその方が有り難いのではあるが、楽しい気持ちで参加できそうな空気でもなかったから、寝たふりを決め込みツアー参加は失敗だったかなとやや後悔を始めていた頃、ガタガタとバンは砂利道に入りやがて止まった。

 

 「皆様足元に気をつけてゆっくりお降りください。ご覧ください、本日は雲もなく満天の星空もお楽しみいただけますよ。」

車から降りて一歩踏み出したところで、皆が息を飲んだのが分かった。

 

 まさに満天。空の端から端までキラキラと星が瞬いていた。大小様々な宝石を深い紺のビロード地に所狭しと縫い付けたみたいだ。白いものもうっすら青いものも、オレンジに輝くものもある。そこへくるりくるりと白い帯が灯台から放たれる。灯台のてっぺんのガラス張りの部屋には、檸檬色の強い光を放つレンズが回っている。まるでショーケースに大事に大事にしまわれた古代の秘宝みたいだった。そこから檸檬色は引き伸ばされて徐々に白くなっていく。


 神秘的な空間に飲み込まれて、さっきまでのくさくさ気持ちが萎んで消えそうになっていたところで、ふと長い髪が目に入る。黒いTシャツの女性は、どうやら涙ぐんでいるようで、両手で鼻から口まで覆って肩を振るわせていた。

 自分よりも大袈裟に感動している人間を見てしまうと急激に冷めてきてしまって、老人のはしゃいだ声が乱暴に鼓膜を叩いているのに気づく。ばあさん一同はああでもないこうでもないいと騒ぎ立てながら、なんとかしてこの景色と自分たちをうまく写真に収めようと奮闘していた。どうせ写真には上手く写りっこないんだから、おとなしく目に焼き付ければいいものを…。苦々しく思いながら女性の方に目を戻すと、彼女も右手でスマホを空に向けていた。左手には胸元で光っていた石。どうやらネックレスの石とこの夜空を一緒に撮りたいらしい。なんでそんなことを?「映え」ってやつか。

(ウッザ)

心の中で毒づいて、ドロドロした気持ちで自分もスマホを掲げる。夜空ではなく、彼女に向けて。こっそり一枚彼女の後ろ姿の写真を撮る。そして、SNSに向けた写真タイトルを考える。そうだな…「映えモンスター、星空に自分のチンケな石も仲間入りさせる」なんてどうだろう?炎上するかな。隠し撮りだもんな。犯罪者だな俺は…最低だ。スマホをポケットに乱暴に突っ込むと、俺は一番に車へと戻った。窓の外ではおばあさん達が女性に絡みに行っているのが見えた。下手くその集団のくせに、彼女の写真を撮ってやろうとしているらしい。

ーダメだ。今の自分はひどく歪んだものの考え方しかできないようだ。興奮冷めやらぬといった様子で母娘がバンに乗り込んできたのを視界の端にとらえた俺は、もう思考を停止させて、目を閉じた。


 車が宿まで帰ってくると、老人達はフロントの方へ、母娘はロビーの方へ散っていった。この時間にエレベーターを使う客は俺たちくらいだから、ネックレスの女性と俺はエレベーターで2人きりになってしまった。軽く会釈をして乗り込んだものの、非常に気まずい。自分は人畜無害であることをアピールするかのように、つい焦って話しかけてしまった。

「その首の…素敵ですね。彼氏とかからのプレゼントですか?」

女性は一瞬息を詰めたかのように見えたが、すぐに肩の力を抜き、石を指先で転がしながら穏やかな声で返事をくれた。照れくさいのか、やや言い淀みながら。

「いえあの…夫…なんです。」

なるほど既婚者だったのか。薄暗い車内と星の明かりでは気が付かなかったが、確かに左手の薬指に光るものがあった。石を愛でる眼差しや手つきから、夫婦仲の良さがうかがえる。じゃあ旦那さんは部屋で待ってるのかな?などと考えているうちにエレベーターがチンと音を鳴らし、がたんと開いた。

「おやすみなさい。」

微笑んで降りていく彼女に軽く頭を下げ、再び動き出したエレベーターの壁に体を預ける。今日は美味しいものを食べ、綺麗な夜空を見た。充実した1日だった。そうだ、良い1日にしなければ来た意味がない。何にも考えずに、とにかく今日は眠ろう。



 翌朝、どうせ知り合いに会うこともないのだからとボサボサ頭のまま朝食会場に入る。食べたらゴロゴロして、朝風呂にでも入って、海でも見て帰ろう。自分の席につくと、盆の上には品数多く豪華な料理が並べられていた。着物を襷掛けした給仕スタッフがチャッカマンで盆の端にある小さなかまどみたいなものに火をつけてくれる間に視線を巡らすと、昨日見たネックレスの女性が目に入った。黙々と1人で箸を動かしている。両隣にも向かい側にも盆が置かれていた形跡はなく、連れの姿は見えない。

 もしかして、1人で泊まっていたのだろうか。あんなに仲の良さそうな旦那がいるのに?

 

 まぁ他人の家庭の事情なんてどうでもいいか。一晩ゆっくり寝て、捻れた心も幾分マシになった俺は箸の先に目を移し、舌鼓を打つことに集中した。



 チェックアウトギリギリまで宿で過ごし、駅までの送迎の車に乗り込む。昨日と同じバンには、なんと昨日と同じおばあさん集団が乗り込んでいた。やかましい道中になることを覚悟しながら、発車までの間、昨日よりは素直な心でおばあさん達の雑談を聞き流す。

「いやぁでも最近はあんなのがあるなんてねぇ。」

「ほんとびっくりしたわよ、私帰ったらいくらかかるのか調べてみようかしら」

「えっ古田さん旦那さんを?」

「ヤダァ〜死んでまで旦那に縛られたくないわよぉ、私を!ダイヤモンドにしてもらうのよ!」

「あははは誰に託すのよぉ、あなた息子しかいないのに!残された側も扱いに困るわよ」

「そうそうそのうち古田さん質屋に並んじゃうわよ」

「あっははそれ傑作ぅ、まぁねえ、あの子みたいにずっと側に大事においてくれる人がいないとねぇ」

「ほんと気の毒にねぇまだ若いのに未亡人だなんて…」

「ねぇ、別嬪さんなのに…」

「私っ彼女の話思い出したら泣けてきちゃって…ッ」

「私も…もう昨日は途中から灯台どころじゃなかったわよ」

「はぁ〜上手く写真撮ってあげられたか心配…連写しといたから1枚くらいいいのあるといいんだけど…」

「遺骨をダイヤモンドに変えてネックレス作って…あんなに大事そうにずっと身につけてくれるなんて…」

「死んだ旦那さんも嬉しいでしょうね」

「えっ?」

 思わず声が出てしまって、一斉におばあさんの視線が自分に集まる。まずった。でも衝撃的な話を聞いた気がして。

「あ!昨日の灯台ツアーで一緒だったお兄ちゃん?!」

「あらあらあら!」

「今の話聞こえてた?びっくりするわよねぇ」

闖入者の俺に不快感を示すこともなく、老人達はするりと自分を会話の中に入れてくれた。


 おばあちゃん達の話によると、昨日1人でツアーに参加していた彼女は、昨年夫を亡くしたそうだ。まだ新婚だった彼女は、どうしてもお墓に骨を納めるのに抵抗があり、ずっとそばにいられるようにと、遺骨の中の炭素を使ってダイヤモンドを作るサービスを見つけて申し込んだらしい。それがつい先日出来上がり、夫の生前、2人で行く約束をしていた垂島の海に、垂島灯台に「一緒に」やってきたと。そういう背景があったらしい。

 そうか、エレベーターでしたあの会話…


『いえあの…夫…なんです』


あれは本当に、そのままの意味だったのか…


 駅でおばあちゃん達と別れ、電車に乗り込み車両の端っこの席に腰を下ろすと、無性に泣きたくなった。周りに気づかれないように鞄に顔を埋めた途端、次から次から涙が溢れて止まらなくなった。なんで泣いているのか、自分でもわからなかったがとにかく止まらない。そういえば、振られてから俺は一度も泣いていなかった。泣いたら負けだなんて変な意地を張って、素直に怒ったり悲しんだりできていなかった。あぁ、俺は自分が思っていたより傷ついていたのか。それにしたってあんな酷いことを、俺はあのネックレスの人に思ったり考えたりして…そこでハッとしてポケットからスマホを取り出す。フリックして昨日の夜撮った彼女の写真を出す。石をうんと高く掲げた左手。旦那さんに、見せてあげていたのか、あの星空を。2人で来れたねって会話していたのか、石の中の彼と。


 タップして削除を選ぶ。写真がスマホから消えたのを確認して目を閉じる。


 どうか、幸せになってほしい。素直に、彼女のこれからを祈ることができた。人の幸せを心から願えるなら大丈夫だ。もう、白く揺れて輝く石を見ても、俺は大丈夫。あの子の笑顔を思い出したとしても、きっと前に進んでいけると思う。

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光る石 きゅうた @kan90

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