第20話 エルンスト家 午後2


「じゃあリュシ。そのままでいいから、18日の話をしよう」


二個目のタルトを頬張ったリュシエンヌは頷いた。


「次の事件は18日のお茶会。これに彼女が来なかった……」

「ええ。案内状が届かなかったと言ってたわ。出したのは12日よ」


リュシエンヌは紅茶を一口飲んで答えた。


「それは教会の侍従係が?」

「そう。いつもなら一人で終わる案内状がどうやっても間に合わないって、12日に図書館に助けを求めに来たの。書き終えた案内状は、教会の配達係に渡したわ」


毎月開催されるお茶会。今では若い貴族の集まる場となっているが、始まりは教会の慈善事業だ。その為、参加者や会場の選別、全ての取り決めは教会が行っている。


「その日は俺も行くよ」

「本当! ルドが手伝ってくれるならもっと早く書き終わるかも。いつもなら30通くらいなのに、今回は150通近くあったのよ。まるでちょっとした舞踏会よね。会場に選ばれたバートン家も大変そうだったわ。ウィルはアレシアと話すチャンスだって喜んでたけどね」


バートン家か。たしかウィル・バートンは同じ年齢で、まだ婚約者がいない。お茶会の会場に、頻繁に屋敷を提供している。

たしかに年齢の近い男たちはアレシアに夢中のようだ。先日の乗馬でも彼女のことを話しているのを、何度か耳にした。


案内状の紛失……まず、教会の配達係が案内状を隠すとは考えにくい、意味が無い。

書き忘れもあり得ない、リュシエンヌの話だと案内状を何度も数え直したという。そう考えると、本当に紛失してしまった可能性もなくはないが……。


ふっと、あのインクで汚れた布と手袋が頭をよぎる。いや、やはり一通だけなくなるのは不自然だ。


「手伝ってほしいと言われたのは何時ごろ?」

「あれは13時過ぎだったわ。セレーネと新しくできたガラスペンのお店に行く約束をしてたから、図書館で待ち合わせてたの」

「わかった、じゃあ13時に行くよ。その時間だと……」

「……うん、アレシアはいなかったわ」


リュシエンヌは視線を上にあげ、何かを思い出すようにゆっくり頷いた。

そのまま目線を落とし、マドレーヌを手に取った。


「それ、想像より大人の味だよ」

「ふふ楽しみ」


少しだけ目を細めて、リュシエンヌはマドレーヌを口に運んだ。すぐさま両手を口に当て、長い睫毛を何度も瞬かせる。


「ほろ苦くて甘くてすっごく美味しい! しみこんでいるシロップも酸味があって最高だわ」

「よかった、またヨハンが喜ぶよ。最近はリュシにお菓子を作ることが楽しみになっているようだから」

「私も楽しみよ」

「俺に会うより?」

「えっ……もうっ!」


リュシエンヌが慌てたようにお茶を飲んでいる。表情がころころと変わって、ずっと見ていたくらい可愛い。

彼女を貶めようとする奴がいるなんて、胃がねじれそうなほど嫌な気持ちだ……。


「じゃあ12日は俺に任せて。本当なら念の為にも、リュシには家にいてほしいんだけど、セレーネと約束があるのでは仕方ないな」

「うん。最近図書館に行く回数が減ってるから、セレーネがお喋りしたいって。私も同じ気持ちだから断れなくって」

「大丈夫だよ、俺がいるから」


リュシエンヌはこくんと頷いて、こちらに顔を向けた。灰青色の美しい瞳が、俺の目をしっかりと捉えている。


「あの……本当にありがとうルド。私も一人で考えたの、ただ怖がっていても駄目だって。だってルドが、とても私の為に頑張ってくれてるんだもの」


そう言いながら、リュシエンヌは持ってきていた小さなポーチを開いた。

その動作に、あの日の婚約破棄証明書を思い出して、思わず身構えてしまう。

心臓が少しだけ早くなっている。そんな俺に気づいたのか、リュシエンヌは慌てて手を振った。


「違う、違うの! これはこの前みたいな、あ・あ・い・う・の・ではないわ」


眉を下げて困ったように笑いながら、薄い箱を取り出して俺の目の前に置いた。


「開けても?」

「ええ……気に入ってくれるといいんだけど」


真っ白な箱を手に取り、十字にかけられたリボンをほどく。

そっと蓋を開けると、美しく刺繍された"ルドウィク"の文字が目に飛び込んできた。

名前の周囲は、誕生花であるラナンキュラスで飾られている。

その横に寄り添うように、アスターが一輪だけ刺繍されていた。

アスターはリュシエンヌの誕生花だ。


「リュシ! 素晴らしいよ! 嬉しい、ありがとう!」

「そんな、恥ずかしいわ」

「だって! 一緒に君の花があるじゃないか、最高すぎる」

「あまり派手なものを好まないから、銀糸だけにしたの」

「完璧だよ!」


席を立ちあがり、テーブルの上に置かれていたリュシエンヌの手をとった。跪いて、その柔らかい手に口づける。

顔を上げると、リュシエンヌは俺の目をしっかりと見て微笑んだ。


大丈夫だ、こんなにもふたりはうまくいっている。

どんな妨害があっても、それは何の問題にもならない。

俺がリュシエンヌのことを嫌いになんて死ぬまでない……いや、死んでも好きだ。

きっとリュシエンヌも同じ思いでいてくれるはず……あっそうだ!


「リュシ、前回の18日のお茶会。俺は行ってなかったようだけど、今回は君も出席しないというのはどうかな?」

「えっ?」

「12日の案内状の日に、二人で用があるから出席しないって言おう、それとも行きたいかい?」

「ううん……」


小さく首を横に振るリュシエンヌの手をしっかりと握る。


「前回と違う行動をどんどんしたほうがいい。君の辛かった思い出が新しいものに書き換えられる。そこにはもちろん俺がいる、どう?」

「素敵だわ、ありがとう」

「こちらこそだよ、お姫様」


美しい瞳を輝かせているリュシエンヌの手に、もう一度キスをしようとした瞬間「駄目です」とひっこめられてしまった。


「くすぐったいんだから」


少し口を尖らせ、紅茶のカップを両手で持ったリュシエンヌは、恥ずかしそうに呟いた。

彼女から婚約破棄を告げられたあの日から、ここまで二人の仲が深まると思ってもいなかった。日に日にリュシエンヌへの思いが強くなる。

彼女に言うと怒られそうだが、ちょっとした充実感さえある。


「リュシ、18日はデートをしよう。考えておくから楽しみにしておいてくれ」

「うん、わかった」


にっこりと微笑んだリュシエンヌは、山盛りになったクッキーを一枚とって口に入れた。

俺は、すっかり空になってしまったティーカップにたっぷりとお茶を注ぎ入れる。

きっと、この調子ですべてがうまくいく。そう確信していた……。


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