#5 黒鎌の侵蝕
6月9日 14時42分
上赤津場
大型商業施設 "Buy-las" 1F
セントラルファウンテン・スクエア跡
「あぁ、"ヒュドラ"が・・・・っ!?」
「
奴等に好き勝手させるなっ!!!!」
中央噴水広場に、乾いた破裂音が幾度も鳴り響いていた。
巨大で凶暴な蟲の出現を知った神保と、その部下らしい数名が駆け付け、避難する人々の殿に立つ。
そして彼らの持つ拳銃が火を吹く度、射線上の蟲の身体から、次々に青白い放電が走る。
光弥は、ぼやけて横倒しになった視界にその光景を写しながら、緩慢に左肩の傷を抑えた。
(・・・・此処はもう、戦場なんだ。
なのに、怯えて・・・・自分を見失って・・・・何をやってんだ・・・・!!!!)
呻きながら肩口に触れさせた指に、血の湿り気を感じる。
一瞬、昏倒させられるほどの外力を受けたが、幸いにも傷はそう深くない。
瞬間的に腕輪をかざして防いでなければ、まともに受ければ真っ二つに両断させられかねない威力だった。
一方で、皮肉な思いも込み上げる。
光弥には、咄嗟にそれだけの事が出来る"戦士の本能"があれど、それに見合う覚悟までもは伴っていなかったらしい。
眼前の脅威に向き合いきれなかったばかりに、あっさりと遅れを取り、真正面からの不意打ちまでも喰らった。
恥ずべき、二重の不覚だった。
「光弥にぃちゃん!!!!」
「遼くん・・・・っ」
倒れ込んでいる光弥の下に、意外なくらいな大声を上げながら走り寄る遼哉。
しかし今、その行動は不味い。
光弥は、手傷があるのを感じさせない敏捷さで立ち上がり、遼哉を背後に庇っていた。
状況は、刻々と悪化しつつある。
今の遼哉の大声に刺激され、正面の3体の蟲が動きを見せていた。
そして例えこれを対処しようとも、蟲共は今やこの広場中と、そして"Buy-laS"の上階の方にまでも蔓延っているようだった。
しかもこれに対応する為、神保達が打ちまくっている拳銃も、まるで通用しているようには見えない。
せいぜい件の放電現象を押しつけ、多少なり動きを制限させるのが精一杯のようだった。
つまりは、敵が本腰を入れれば、彼らの抵抗など一溜まりもない、ということでもあった。
「ありがとう、遼くん。
でも、僕は平気だ。
だから君は、あの銃を持った人達の方へ逃げるんだ。
周りを振り返らず、真っ直ぐに」
差し向けられる害意の証・・・・蟲共の赫い目から伸びる光線を、光弥は堂々と睨み返し、深く身構えた。
これ以上、犠牲者を増やさせてはならない。
既に、団欒の噴水広場には、夥しい量の血が流されてしまっていた。
清々しく白い建物の照明が、蟲共の・・・・
血溜まりの中に、もはや動くことのない人。
されど、そのまま野晒に朽ち果てることすら許されず、物同然に引き摺られ、連れ去られていく人。
だがしかし、それでも尚、生き残っている人もまだ残されていた。
その1人、最も身近にいる遼哉は、光弥の為に広場の深くにまで来た為に、自力での脱出が難しくなってしまっている。
そして足止めで精一杯の神保達だけでは、この状況の打破は厳しいだろう。
(・・・・なんとかして、注意を引き付ける必要がある。
遼くんを逃がして、他の人達のことも神保さん達に任せられたなら・・・・後は、僕がやれる・・・・っ)
少なくとも、自分1人だけとなれば、どれだけ暴れても誰かを危険に晒すことはない。
されど、光弥の心身にはまだ先程の最悪のイメージ・・・・それに取り憑かれた怖気と強張りとが、残っていた。
危険への緊張とは違う、冷たい違和感。
一度はこれに囚われ、目の前の戦いに臆してしまった有り様を引き摺って、どこまでやれるか。
(――――だとしても、"あの2人"が来るまで、この場を繋げば良いんだ。
何よりも、皆が無事に避難させなきゃならない。
だったら・・・・まず問題は、遼くんが此処を抜け出す為の道程だ)
"日神 光弥"として成すべきが、乱れる気持ちを研ぎ澄まさせる。
その連鎖の最中に見据える”目標地点”は、しかし生憎と噴水の残骸を挟んで反対側に位置する。
最初にして最大の関門として、光弥は遼哉を守りながら、其処までの間に
遼哉が自力で逃げ出せるまで包囲を突き進み、そこからは速やかに陽動に回る。
その算段を済ませた光弥は、覚悟と共に深く呼吸する。
「顔を上げて、進むんだ。
こんな事を招いた仕業を・・・・絶対に、許すな」
<ギシィッ>
鳴き声とも、甲殻を纏ったその身を軋ませた音にも聞こえる、金属質の音が傍に聞こえる。
いよいよ迫ってきた1体の蟲が、その鎌脚を振り上げている。
それが突き下ろされる前に、光弥は遼哉を横抱きにし、瞬足で飛び出す。
小柄な遼哉なら、抱え上げるのも難しくはない。
そしてその速さたるや、武靭具を身に纏っていないにも関わらず、光弥は既に、"ヴァンガード"としての身体能力を発揮してみせていた。
「光弥にぃちゃ――――」
「黙って、舌を噛む!!」
急激な光弥の動きに注目が集まり、蟲達の赫い眼光が一斉に向いた。
こうなればもはや止まれず、一息にその害意の光を振り切らねばならない。
広場の規模は大きいが、それでも走ればすぐに壁に突き当たってしまう。
左手側を行くとすれば、広場を突っ切る事となる最短経路だが、既に蟲達に固められて突破は無理だ。
右手側の噴水の跡を行くも、蟲達の出現地点である上、障害物となる残骸も多く、素直には通れない。
そもそも、この数を相手に逃げおおせるには、真正直に”平面”で挑むだけでは無理がある。
(なら、突破口は一つだけだ!!)
走り寄ってきた別の蟲が、鎌脚を振り上げる。
光弥はそれを、一段と鋭い出足を以てして加速し、潜り抜ける。
人の背丈を超える鎌脚を倒れ込みながら振るうこの一撃は、そこに伴う重心移動によって殺傷力が更に高まる反面、大振りで見切り易い。
更に、左右から挟み込むように蟲が迫り来る。
正面には上階テラスを支える柱が立ち塞がっている。
一見すれば壁際へ追い込まれ、退路を断たれた状態。
しかし今の光弥にとって、それは単なる袋小路には終わらない。
「行くぞっ!!」
抱えている遼哉へ、そして己をも鼓舞するように一声上げ、光弥はそこから跳ぶ。
即ち、活路は上だった。
ドンと、重力をも頭から突き破る跳躍で高々と跳び上がり、更に柱を蹴り上って二階の安全柵を掴む。
そのまま柵の外側に足をかけてぶら下がり、光弥は自分達を捉えようとした眼下の包囲網を見下ろす。
「光弥にぃちゃん、すげぇ」
「いいや、まだまだこれからだ」
光弥の言葉通り、敵はそれくらいで諦めるほど容易くはなかった。
下階の蟲達は、鎌脚を壁に突き立てて、しつこくよじ登り出す。
更に、2階に侵入した蟲も数匹、同時に光弥に迫り来ていた。
そして、柵の向こうから突き出された鎌脚を避けるため、その場でしゃがみこむようにして体勢を下げる。
光弥の胸元目掛けて突き出された切っ先は空振り、柵からの転落防止に張られた透明なアクリル材を貫いて止まった。
(追いつかれて囲まれる、その前に―――――!!)
しっかり足場にかけた左脚と、柵を掴む腕。
ここから引き出せる瞬発力の程が、光弥の作戦のキモだった。
深く息を吸い込み、一気に膂力を練り上げる。
そして、目的地までの距離はほんの20m程度。
例え人ひとり抱えていようと、容易く走り切れる。
脚を、腕を、限界までバネを圧縮させるように身構え、筋肉の熱と呼吸、全てを整わせる。
「掴まってろ、遼くん!!」
「――――!!」
そして、その好機に解放させた身体能力が、光弥の身体を弾き飛ばさせた。
その身にもたらされた人知を超えた能力を存分に躍動させ、速度は瞬間的にトップスピードに達し、万有引力の枷をも緩めさせる。
「ぅわっ・・・・っ」
驚愕する遼哉を脇に抱えたまま、光弥は安全柵を側面を走り出していた。
一歩、二歩と、絶え間なく安全柵の継ぎ目の鉄棒を蹴り出し、前へ前へと、まさしく飛ぶように走る。
理外の化け物と戦う存在の凄まじい脚力は、柵に使われた鉄材がひしゃげかねない程。
絶え間なく下へ引き込む力を無理矢理に振り切り、そして遂に追い縋ってきていた蟲の集中する一角の上空を、走り抜ける。
「ここだっ」
一喝とともに、光弥は遼哉をしっかと抱え、全力で壁面から飛び出す。
2人の身体は放物線を描いて宙を舞い、一瞬の後、徐々に重力に引かれて落ちていく。
<ズサァッ!!>
そして、着地。
あえて激しく転がり、続けて手足を突っ張っての受け身で、衝撃を滑走で軽減させた。
「遼くん、平気か!?」
「う、ぅん」
「なら、走るんだ!!
眞澄さん達を頼む!!」
果たして、重力を無視した超機動に目を回す遼哉から手を離すや、光弥は直ぐ様、猛然と飛び出す。
突っ込んでいく先、蟲の1体は邪悪に身を震わせながら、光弥へ赫い眼光を向ける。
「どけぇっ!!!!」
<ギギッッッッ>
だが、相手に何かさせる間も与えず、突進の勢い全てを乗せた怒涛の飛び膝蹴りを敢行する。
”いぶき”の身体能力で以て、蟲を力づくに蹴り転がす。
無手だろうとも、そこまでして無謀に突っ込まざるを得なかった理由は、ただ一つしかない。
「うえぇん・・・・っ!!!!
ママっ、ママぁ・・・・!!??」
「――――神保さんっ、この人達を早くっ!!!!」
額から多量に出血して倒れ込む女性と、その傍で泣き崩れる幼い少年。
光弥にはその親子の状態を確認する間すらない。
だが、息をしているなら、生きているのなら、どんな無理だろうと押し通す他にない。
その事実を今一度、
ギシギシと、恐ろしげな軋みを上げながら接近してくる蟲。
対して光弥は、床に転がる鉄パイプの残骸を逆手持ちに確保し、同時に振り上げられる鎌脚の懐深くへ潜る。
そして戦士の身のこなしで腕を突き出せば、それは確かな武技へと変じ、蟲の顔面を突き上げた。
体液と悲鳴らしき音を醜悪に撒き散らしながら、蟲は引っ繰り返る。
「全く、無茶をする!!」
其処へ、駆け寄ってきた神保達が、更に倒れた蟲へ銃を撃ち込んで牽制。
その傍らについて来ている遼哉の姿があった。
「――――この場はもう限界だ!!
脱出せねば、我々も包囲される!!」
「神保さん達は、皆を助けてください!!
後のことは、僕が引き受けますっ!!」
光弥の告げた言葉の意味を、”アンヴィル”の2人はすぐに理解したようだった。
一方で、諸々の事情を知る由もない遼哉は、どこか滑稽なくらい目を白黒させていた。
「え、なんで・・・・逃げないの?」
「こんな奴等を放っておいたら、大変なことになる。
此処で、僕が少しでも時間を稼がなきゃならないんだ。
・・・・大丈夫、自分の身の程はよく知ってます」
「副長、来ます!!」
その時、いよいよ牽制を突き抜けて押し寄せる蟲の群。
対して、神保達が反応するよりも早く光弥は動いていた。
足元の、何かの拍子に転がったろう消火器を引っ掴み、群の先頭へ峻烈に打ち掛かる。
しかし、どんな物で叩こうが突き刺そうが、"レクリス"への決定打にはならない事は百も承知。
だから、消火器で思い切りぶん殴ったのは蟲をどうこうするのではなく、むしろ消火器を壊す為だった。
<バシュウゥゥゥゥッ!!!!>
規格外の衝撃に、一気に消火剤が撒き散らされ、その音と煙幕が周囲を包んだ。
それによってこの場を離脱する神保達の動きも、文字通り煙に巻くことが出来る。
そうして皆が此処を離れてくれたなら、其処からが光弥にとっての正念場だった。
「っ、こうやにぃちゃ・・・・」
「遼くんも、その男の子を頼む!!!!
皆で、出来る限りの事をするんだ!!!!」
「・・・・どうかご武運を!!」
傷ついた親子達を抱え、遼哉と神保達はこの場を退いていく。
おそらくその先でも、蟲の追撃は止まないだろう。
彼らには、未だ避難を続ける人達の援護をしてもらわねばならない。
武器を持っている以外、普通の人間と変わらないだろうに、神保達はこんな化物相手に怯まず立ち向かっていく。
危険を厭わず立ち向かう、その勇敢さを頼もしく思う。
だがそんな彼らでも、あの蟲に1体でも詰め寄られれば為す術はない。
まして、この数えるのも馬鹿らしくなるほど大量の”レクリス”の相手は荷が勝ちすぎている。
それは無論、光弥の領分だ。
「これ以上はやらせない」
静かな宣言と共に、仁王立つ。
少なくとも光弥は、この場に湧いて出た十数体の群れを、全て相手取る必要があった。
防戦に徹するとしても限度を超えているかもしれない。
それでも、退く事は出来ない。
この化け物共は、こんなにも無残に人を傷つけ、無慈悲に殺めた。
(・・・・そして、僕は・・・・それを、止められなかった)
――――絶対に、許すわけにはいかない。
その為の切り札は、今も光弥の右腕で鈍く輝いている。
「・・・・良いさ、そろそろお互い本気で行こう」
だが、刹那。
「 きゃああああぁぁぁぁっ !!!!」
突然に響き渡った、絹を裂くようなその悲鳴は、一瞬で光弥の意識を引きつけさせた。
光弥の他にもはや誰もいなくなったはずの広場の隅に、2人の少女がいた。
怯えて抱き合い、動けずにいる少女達は、それぞれ”蜂蜜色の結髪”と、腰まで届く”長い美しい黒髪”を持っていた。
「なんで――――っ!?」
無論、それはとっくに避難させた筈の犀樹 明癒と、眞澄 梓の2人だった。
どうして戻ってきたのか、それとも逃げ遅れたのか?
だが、今はそんな事を考えていられる時ではない。
悲鳴を上げた2人の目前に、獰猛に身を震わす蟲がいる。
いつ殺されてもおかしくない、至近距離。
だが、ここから彼女達の下まで一息に行くには遠い。
そう判断した光弥はでたらめな速さで動き、地面に転がっていた行列整理用のパーティションポールを掴んで、ぶん投げた。
<ギシッ>
焦りながらの行動ながら、しかし投擲の結果は寸分違わず蟲を捉え、速度と重さで怯ませた。
「眞澄さんっ!!!!」
その隙に、光弥は
「日神、君・・・・!?」
「なんでここに――――っ!!??」
言い出したが、そんな場合でもない事に気付く。
とにかく"レクリス"の最も密集したこの場所から、一刻も早く脱出しなければならない。
「め、明癒、ちゃん・・・・行かなきゃ・・・・っ」
「あぁ、あっ・・・・ぁ!!??
なに、これ・・・・っ!!??
やだっ・・・・ごめん、なさ・・・・っ!!!!」
だが、こうして初めて、しかも至近距離で化け物に遭遇して動転しない訳が無く、明癒は完全に我を失っていた。
そして梓の方とて、機敏に動けるような体調には見えない。
両共に、光弥が手を貸さねばまともに動けそうにない上、ましてこんな2人の傍で戦うなど、以ての外だった。
「――――っ、やばい・・・・!!??」
そして、今やこの場で唯一の"獲物"を見逃す訳もなく、周囲の蟲が即座に群がり出す。
だが、この場への乱入者は幸運にも彼女達だけでは無かった。
「こっちだ、急げっ!!!!」
「神保さん!?」
続けざま、鳴り響く銃声が、光弥達の危機を制した。
悲鳴を聞きつけて戻った神保が、詰め寄ってくる蟲の群れを的確に牽制していたのだ。
「――――行こうっ!!!!
二人とも、掴まれ!!!!」
この僅かな間に梓と明癒を助け出すには、手ずから2人を運んでいくしかない。
言葉を言い切らない内に、光弥は彼女達を両脇に抱え上げた。
だが、ぐったりとした人の身体というのは、想像以上に動かしづらいものだった。
加えて、少女とは言え共に長身な2人ともなると、いくら光弥でも小走り程度の速さが精一杯だった。
「・・・・ごめんなさい・・・・日神くん・・・・っ」
まともに歩けないのは梓だけではなかった。
明癒もまた、ほとんど光弥にしがみついているのが精一杯だった。
「うぅ・・・・痛っ・・・・ひぐっ、い・・・・たい、よぉ・・・・っ!!」
理由は明白だった。
そもそもに明癒と出会ったきっかけは、彼女が酷い足の怪我を負っていたからだ。
病院で診てもらうくらいの容態が、たった2、3日で快復する筈が無い。
日常的に歩くだけならまだしも、この混乱の中で急激に悪化してしまったのだろう。
まして、こんな凄惨な光景までもを目にしてしまっては、心が折れてしまっても不思議は無い。
神保は拳銃を連射しながら手で進むよう促し、一方で通信機らしきインカムに怒鳴りつける。
「片桐っ、ケビンっ、すぐ戻れっ!!!!
要救助者2名っ!!!!
"SAW"も今すぐ持って来いっ!!!!
急げっ!!!!」
「二人とも、頑張れ!!
あと、もう少しだ!!」
梓は、もはや息も絶え絶えになって苦しんでいた。
あの蟲が近くにいる状況になり、明らかに体調が悪化している。
そして、神保からの援護も限界が近い。
あまりにも多い蟲の群れに拳銃1つでは力不足だったのだ。
されど光弥の歩みは遅々として、これ以上は速く進めない。
「ちくしょうっ」
少し先の神保の位置が、絶望的に遠い。
このままでは追いつかれる。
生き残るために足掻く皆の、その心を摘もうとするかのように、凶事ばかりが追い立てて来る。
だが、それでも尚も進み続けようとする皆の願いが、何かへ通じたかのように、1つの好機が訪れる。
「なっ!?
待て、君!!??」
「ねぇちゃんっ!!!!」
神保の足元を猫のようにすり抜けてその場に戻ってきたのは、先に避難をした筈の遼哉だった。
声を張り上げ、銃弾飛び交い、おぞましい怪蟲の押し寄せるその間に、躊躇いなく飛び込んで来る。
果たして、それは今この瞬間において、間違いなく光明だった。
「りょっ、りょう・・・・っ!!!!」
「ねぇちゃん、オレがおぶるから!!」
「りょう君・・・・っ!?
どうして・・・・!!??」
「だって、ねぇちゃん達の泣きべそ、聞こえたから。
だから、来たっ」
梓の問に、遼哉は迷いなくきっぱりとそう返してのけていた。
遼哉は、自分の大事な姉達の声を聞き逃さなかった。
そして、無愛想さの裏に秘めた、家族への想いに従い、この修羅場へ頼もしく戻ってきたのだった。
「――――助かる!!」
小さな身体だが、遼哉はしっかりと明癒を支える役を引き受ける。
明癒も、弟の姿を見て少しは落ち着き、足取りも幾分確かになっていた。
「行こうっ!!」
ようやく、活路が見出だせた。
皆をこの場から逃がすことができれば、後は神保に任せられる。
「――――後の事は、光弥にぃちゃんならなんとかするんでしょっ?」
「あぁ!!
きっちり決めてやるさ・・・・っ!!」
――――平和だった筈のこの施設へ、矢継ぎ早に襲いかかる凶事と災禍。
しかし、光弥達は辛くも、最後に生き延びる道を拓けた、と思えた。
だが、そんな判断を下すにはまだ早過ぎたのかもしれなかった。
見えたと思った希望はまるで、誘蛾灯のようなまやかしの存在だったのかもしれなかった。
この世ならぬ昏い闇が伸ばす見えざる手は、光弥達を捕らえようとするその力を、まだ緩めてなどいなかったのだ。
「っ・・・来る、たくさんっ――――」
刹那、梓の身体が強張り、一際痛みに喘ぐ。
「眞澄さん・・・・?」
「ダメっ!!!!
止まってっ!!!!」
必死の形相で、梓は悲鳴のような忠告を絞り出す。
こんな状況で、止まれる訳がない。
されど、その言葉の意味は次の瞬間、轟音と共に明らかになった。
< ゴバァッ !!!!>
「っ!!??」
「全員下がれ!!!!
天井が――――!!??」
「お姉ちゃん!!!!」
神保の警告と、明癒の悲鳴とが一緒くたに響く。
脱出口の殿、そして崩落の直下にいた光弥は、梓を抱えたまま文字通りに飛び退いた。
即ち、進行方向とは反対の、蟲共ひしめく後方へと。
光弥の退路は、もはやそこだけだったのだ。
果たして、うず高く積もった瓦礫によって、光弥達は完全に分断された。
更に悪いことに、崩れ落ちてきたのはそれだけではない。
瓦礫に巻き込まれながら落ちてきた蟲が数体、其処で蠢いていた。
「――――っ、やだあぁっ!!!!
お姉ちゃんっ、光弥さんっ!!!!」
「早く逃げろっ!!!!
こっちはもういい!!!!」
明癒の悲鳴に、そう叫んで答えるしかなかった。
神保の持っている拳銃では、この蟲達を怯ませる事は出来ても、退かせることはできない。
そして、これ以上留まれば、それこそ全員が逃げ遅れてしまう。
歴戦の戦士たる神保は、それを素早く理解してくれていた。
泣き叫ぶ明癒、顔を青褪めさせる遼哉、光弥達を見捨てる事など出来ない2人を掴まえ、引き摺ってでも連れていく。
「っあ、あぁ・・・・っ!!!!
そんなっ・・・・いや・・・・っ!!??」
――――そして、その行方を心配していられる余裕など無かった。
今、最も危険が差し迫っているのは、間違いなく光弥達の方だ。
蟲達はもう一方の人間達には目もくれず、害意の全てを光弥達へ向けていた。
(理由はやっぱりこれ、なのか・・・・!?)
"スパーク・レディ"に言わせれば、その右腕に着けた腕輪は化け物共にとり、唯一その身を脅かすという武装であるという。
いざそんな危機を前にすれば、なんとしてでも潰しに掛かるのは当然かもしれない。
そして次の瞬間、低く唸るような異音がして、ついに"Buy-laS"の照明までもが落ちていた。
一気に広がる暗闇の中、その向こうに無数に光る、蟲共の赫い眼光。
周囲はもちろん通路や上階からも、鎌脚を軋ませて現れ、まるで餌に集る蟻のように数を増やしていく。
「嫌っ・・・・いや・・・・っ!!??
来ないでっ・・・・!!!!
っ・・・・やだ・・・・っ!!!!」
完全に孤立し、包囲された光弥達へ多量に降り注ぐ、血の色をした光線。
奴等の害意の証。
もはやさっきのように突破する事は出来ない八方塞がり。
包囲に死角はなく、どんな小さな逃げ場も見出だせない。
蒼白な顔色で、いまだ発作のようなものに苦しめられている梓の身体が、それとは別の要因で震える。
蟲の群が、包囲網を狭めだす。
捕らえ、引き裂き、殺す。
これまで幾人もの人間へ行ってきた残虐な行為を、無慈悲に行うために。
「・・・・もう、っ・・・・だめ――――っ」
諦め、絶望した梓のか細い悲鳴を否定するように、彼女を抱える腕に力を込める。
「
力強く光弥は呟き、抗していた。
確かに、もはや”ただの人間”に為す術など無いだろう。
だからこそ、起ち上がらねばならない。
この、唯一無双の力を手にした、”日神 光弥”が、今。
―――― 此処に熾れ、"破王"の闘志 ――――
かつてない難局が、未熟な光弥の前に立ちはだかっていた。
だが、そもそも未熟者に状況など選べる筈など無かったのだ。
ただ目の前の困難に全力で挑み、斬り臥せて行くしかない。
これまでだって、そうだったのだから。
―――― 現に哮れ、万邪を葬る無窮の威氣 ――――
猛然と蟲達が飛びかかった。
恐怖と驚愕、そして声にならない悲鳴を上げる梓の眼の前で、”蒼き烈光”が閃く。
「――――!!」
師から受け継いだ腕輪が光と弾け、瞬時に形成された光陣の波動が、蟲を弾き返した。
放たれる光は、闇の帳を斬り裂き、祓う。
そして、光弥は絶対に守るべき大事な人を引き離し、恐怖の向こう側を堂々と睨み据える。
(もっと早く、この決断をすべきだったんだ。
そうすれば、もう少しだけ誰かを、救えていたかもしれない)
だが、光弥は恐れてしまった。
自分の手で、他者を殺めてしまいかねない事にだけではない。
これまで、この手で怪物を葬ってきた時のように、暴力に呑まれてしまうこと。
返り血に塗れた、悪鬼となり果ててしまうこと。
何よりも、その姿を他者に見られることにだった。
以前には、正木と香の事が咄嗟に頭に浮かんだ。
そして今日この場には、明癒と遼哉、そして梓がいた。
皆の前では、異常な存在になりたくなかった。
忌避される存在に、なりたくなかった。
・・・・そんな、甘ったれた考えが判断を誤らせたというなら、その未熟の責は後で幾らでも受け入れる。
「君は、僕が絶対に、守る。
何があっても、必ず元の日常に帰してみせる。
だから――――」
だから、この言葉は己自身に刻み込む宣誓でもあった。
何を於いても、何を捨ててでも、それだけはどうしても違えてはならない。
もはや逃げ場も無く、故にこそ、断じて譲れぬと猛るべき意地の一線。
そして光弥は今、大事な人の命までもを背負って、全てを挫こうとする原始の暴力へ向かい立つ。
「――――今だけで良い。
・・・・僕を、信じてくれ」
「いったい・・・・貴方は・・・・っ!?」
光陣の文字が整列し、眩い光は流れを帯びて、光弥の身体に集束しだす。
蒼い輝きの力は使い手の身に纏わり、覚醒めの号令を待ちわびている。
それは即ち、弱き"人"と偉大なる"力"を結ぶ、覚悟の咆哮。
「
刹那、解き放たれた蒼き烈光が、力の正体を織り上げていく。
瞬く間に奔流は巨大な剣となり、そして神憑りの鎧となった。
何者にも侵されぬ漆黒の鉄甲を纏い、戦士は邪悪の群団の只中に、仁王立つ。
その身体に脈打つは、蒼い息吹。
気迫は光となって立ち上り、身の丈を超える重撃剣を天へ振り翳せば、その軌跡に同じく蒼い光が、鮮烈に躍る。
――――そして、強烈な既視感に目を見開く、梓。
それは、このような闇の果てに見た、烈しき光。
そして、このような絶体絶命の瞬間に見た、闘志の背姿。
朧気な記憶しか残っていない、"あの夜"の真実は、突如として梓の前に示された。
蒼く昂る、
それを纏う、"光弥"の背。
梓は、その衝撃にただただ圧倒され、絶句するのみだった。
――――To be Continued.――――
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