#4a Omen -凝醜-

6月9日 14時30分

上赤津場

大型商業施設 "Buy-las" 1F

ウェルカムファウンテン・スクエア




<――――繰り返します。

火災が発生しました、避難してください――――>




耳を突き刺す甲高いサイレン。


そして、無機質な合成音声による避難誘導が、あらゆるところに反響している。


おそらくは"Buy-laS"中の火災報知機がけたたましく鳴っていた。


やがて時が経つにつれ、そこに困惑から抜け出した人々の叫び声が混ざり出した。


明確な異常事態を察し、周囲へ呼びかける声だった。


その中で一際大きく、声を枯らさんばかりに避難を呼び掛けているのは、一般人然とした格好の人物達。


"Buy-laS"の従業員達すらまだ混乱している状況で、彼らと、そして目の前の男性の冷静さに揺らぎは無かった。


「お連れの方と共に早く避難を。

"レクリス"が現れれば、此処は戦場になります」


来たる有事を見据え、丁寧な口調ながら張り詰めた気配を纏う男。


年の頃は恐らく四十に届くくらいか。


短く整えた黒い髪に、改めて見れば驚くほど頑強に鍛え抜かれた、その体躯。


厳しい顔には所々にシワが走るも、衰えは一切感じさせなかった。


「私は、"対レクリス事案特別対応組織・ ANVIL アンヴィル"の神保と申します。

昨夜、貴方が会ったお二方も、その一員です」


「・・・・アン、ヴィル・・・・!?」


「我々は、この場所にてなんらかの"異変"が起こる可能性を掴み、行動を開始しました。

しかし、実際には大きく後手に回ってしまっています。

この件に一般人を巻き込むのがどれほどに危険か、貴方ならばよく分かるはず。

今すぐに、ここから避難を」


神保と名乗った男の通告は、今まで光弥の抱えていた幾つもの疑問に、答えを提示するものだった。


この街に、そして今こうして大勢の人が集まる場所に、訪れようとしている"異変"。


それに対抗する為に動く、"アンヴィル"とかいう組織。


また、昨夜の2人組・・・・"ヴァンガード"と名乗っていた彼らもまた、その一員であるらしい。


もしも、本当にこの場にあの2人が来るというなら、それはどんな援助よりも頼もしい事だった。


例えどんな凶暴な化け物が出てきたとしても、彼らならば確実、且つ徹底的に、事態を鎮圧してみせることだろう。




――――戦わなければと逸る光弥の気持ちも、力も、一顧だにすることもなく。




だがしかし、今の光弥は、以前にはあんなにも認め難かった事実を、自分でも意外なほど冷静に受け止められていた。


(今の僕がするべき事は、そうじゃない。

何よりもまず、この場にいる大事な人達を巻き込まないようにすることだ。

僕にとっては、それが一番に考えなきゃいけない事なんだ)


ここにレクリスが現れると知った時、光弥は一切迷いなくその考えに行き着いていた。


悔しいが、これもあの白髪の男の言う通りのようだった。


香と、明癒。


そして、"眞澄 梓"。


傍にいる親しい人達が、レクリスの暴威に晒されることこそ、光弥には堪えられない。


やはり、それを防ぐ事こそが、光弥にとっての第一目標であるのだった。


「さあ、ここは我々に任せて、早く」


「――――いいや、まだです」


、である。


ならばこそ、尚更に光弥は、ここで言われるまま脱出する訳に行かなかった。


神保からの抗議の視線をも撥ね付け、否と返さざるを得ない。


そうまでせねばならないある"理由"を予想していた光弥は、さながら目指すべきを見据えた猛禽のように、機敏に動き出し始めた。


「香ちゃん、眞澄さんの事、支えられる?」


「う、うん、たぶん・・・・でも光弥くんは?」


未だに容態の悪い梓のことは、今はひとまず香に任せるしかない。


答える時間も惜しみ、光弥は今度は明癒を振り返った。


おそらくこの場にいる筈の、"もう1人"の存在を確認するためである。


「明癒ちゃん、遼くんはどこに行ったんだ!?」


突然に、内心の不安を言い当てられ、明癒は目を大きく見開いていた。


その驚きようを見るに、やはり光弥の予想は当たっていたようだ。


ただ、どうして知っているのか、と明癒が困惑する時間すら、今は煩わしかった。


焦りも手伝い、強めな口調で矢継ぎ早に問い詰める。


「眞澄さんは、明癒ちゃん"達"って、言ってた!!

遼くんも一緒だったんだろ!?」


またこの時、遼哉も一緒だと予想出来たのは、梓から取った言質だけではなかった。


今までを思い返して、彼が明癒の傍にいないというのは考えにくかったからでもあったのだ。


「っう、あ・・・・!!

あ、の・・・・りょうはさっき、トイレに行っちゃったんです。

い、今どこにいるか・・・・」


「―――――たぶんこの警報を聞いて、遼くんも気付いてる。

あの子なら、余計なことはしないでココに戻ってこようとするはずだ。

だから平気だ」


無意味に明癒を動揺させてしまったことに気付き、光弥は出来るだけ落ち着いた口調で話し、微かに微笑んでみせた。


そんな流れに既視感を感じて、光弥は最初に会った時もこんなやりとりだった事を思い出していた。


その時も、明癒の傍には遼哉がいた。


一見して飄々として無愛想で、しかしその裏で奇妙に落ち着いて振る舞う少年。


普通の小学生ならこんな状況で取り乱すだろうが、おそらくその心配はいらないはずだ。


(なんといっても"大物"だもんな)


あの時、初対面の光弥に対しても堂々たる自然体を貫いていた姿を思い出し、場違いにも少し可笑しくなる。


だからと言って、放っておいて平気な筈もない。


神保達も、も、事態に対処するべく動いている。


光弥だって、いい加減に動き出さねばならない。


「――――皆、聞いて。

僕は、遼くんを探しに行く。

香ちゃんと明癒ちゃんは、眞澄さんと一緒に外へ。

もし入れ違いになっても、僕は平気だからそのまま行ってくれればいい」


「ゑぇっ!?」


「こ、光弥さん!?」


光弥の言葉に、目を丸くして驚く香と明癒。


次いで2人は、何かを言いかけながらも言葉を詰まらせる、同じ様な仕草をした。


おそらくそれは、現状に対して2人が抱えている、似て非なる懸念からだろう。


火災が起こっている(と思っている)建物から避難するどころか、人探しへ向かおうなどと、危険である事は明白。


だが無論、遼哉を置いていくわけには行かないし、誰かが探しに行くべきなのも事実。


言って良いとも、止めろとも、迂闊には言えない板挟み。


加えて2人の性格上、無碍に一方の事情を切り捨てるような事も出来ないだろう。


そんな心配と気遣いをありがたく思う光弥だったが、既にこの行動は決定事項だった。


そもそもに、この場に近付く"本当の危機"に対する手段を持つ光弥以外に、出来る者などいない。


だが、光弥がその旨を伝えようとしたその時、それに先んじて口を開いた人物がいた。


「――――待っ、て・・・・っ!!!!」


「わ、あ、梓!?」


梓は、必死に声を絞り出し、力の入らない身体を無理やりに立ち上がらせようとする。


しかし1人ではやはり難しく、慌てた香に支えられてどうにかという有様だった。


それでも、その黒曜色の眼の輝きだけは強く、真っ直ぐに光弥を睨み上げるようだった。


「私・・・・行くっ・・・・!!」


「お姉ちゃん!?」


「りょう、くんを探すなら・・・・私も・・・・私が、行かないと――――!!」


「眞澄さん・・・・」


以前にも見た通り、本当に彼女は、明癒と遼哉を大事に思っているのだろう。


気持ちは分かるが、しかし梓の体調を見たって、どうにも無茶だと言うほかに無かった。


元から色白な顔は今や血の気が引いて、珠のような汗を流しながらも青褪めている。


息だって酷く荒げられて、四肢は今にも崩折れそうに震えていた。


心配する明癒へ向けた笑みだって、取り繕っているのが明白な痛々しさだった。


「お姉ちゃんダメ、ですっ!!

そんなに苦しそうなのに、無理したら・・・・お、お姉ちゃんまでっ・・・・!!」


明癒の言葉に、光弥も同意見だった。


梓の容態と、これから起きるだろう危機は、とても2人で探すメリットと釣り合わないだろう。


「その有様で、無理に動かないほうがいい。

もしまた倒れたりしたら、それこそ人探しどころじゃなくなる」


「でも、私は・・・・っ!!

・・・・っ、あなたはまた、一人で――――!!」


「・・・・それに、病み上がりの場所に負担をかけるのも良くない。

眞澄さんはここで待っててくれ」


「――――え?」




最後の言葉は、ずっと梓が庇っている胸元が、先日襲われた時に痛めていた場所だと思い出して、付け加えた一言だった。


光弥にとっては何気無い気遣いで、それ以上気に留めることはなかった。


故に、それが本来であり、それに気付いた梓の困惑にも気付くことは無いのだった。




「神保さん、出来れば皆の事をお願いします」


「・・・・貴方は分かっていない。

この状況で"それ"を持っているのが、どういう意味なのかを」


「もし"あいつら"が本当に現れるのなら、この場で一番安全なのは僕です。

深追いもしません。

・・・・自分に出来ることは、分かってるつもりですから」




光弥は徐ろに、学校からずっと持ちっぱなしだった鞄から、その"腕輪"を取り出していた。


自分を幾度となく、窮地から救ってきた"力"は、しかし同時にその災難を招いた要因でもあるのだと言う。


その意味を、既に光弥は文字通り、つもりだ。


それでもこの場に留まろうとする選択が、どれほどのリスクを負うのかも理解できる。


だが、それを言うなら光弥だけではなく、今ここにいる全ての人達が同じはずだった。


今までの戦いをくぐり抜けてきた経験から、光弥は直感的に断じていた。


ひとたび”奴ら”が現れたなら、その前にいる者は等しく殺意と凶暴性とに曝される。


あれはに対して見境も無ければ、選り好みもしない。


動くもの全てを残虐に害したがる、そんな原始的で危険なモノだ。


まして、この場にいる大多数はそれと渡り合う力など無く、それどころか何が襲いかかろうとしているのかすらも知らない。


言ってみれば、彼らは鍵を破られた猛獣の檻の前に大挙し、それに気付いてすらいないのだ。


そこまで分かっていて、自分の都合だけを済ませて知らぬ振りをするような真似など、光弥に出来るはずも無かった。


「・・・・光弥くん、それ、何?」


思い詰めたような光弥に、それまでの会話を不思議そうに見ていた香が問うた。


装身具としては珍しい上、妙に年季の入った厳つい腕輪バングル


改めて見ればとても奇妙な物に、全員の視線が集まる。


光弥は軽く微笑んで返すも、やはり問い自体には答えなかった。


「――――悪いけど、鞄は頼んだ。

それから明癒ちゃんと、眞澄さんの事も」


光弥はそれだけ告げるや否や、混乱の止まない"Buy-laS"の奥へ向き直る。


「光弥さんっ!!」


だが、駆け出そうとした光弥の背を、名前を挙げられた当人が呼び止めた。


「明癒ちゃん?」


「あ、あのっ、あたし・・・・明癒、は、もう一度会えたら言いたかったんです・・・・!!。

お姉ちゃんから光弥さんの事聞いて、ずっと・・・・っ!!

明癒達の、皆のこと・・・・光弥さんは助けてくれてっ!!

だからっ、ごめんなさいって・・・・あぁ、違うっ。

それじゃなくって、明癒は・・・・っ――――」


碧い瞳が潤み、揺れていた。


その言葉もまた、雨粒に波立つ水面のように乱れ、震えていた。


伝えたい事が多すぎて、言葉は順序通りに並べられず、感情と共に溢れ出てしまう。


そんなもどかしさに見えた。


「――――ごめんなさいじゃなくて・・・・ありがとうって言いたいんですっ。

だから、あた・・・・明癒、は・・・・っ!!」


「良いんだ」


逸り、溢れ出てしまったその涙に、光弥は優しく押し留めるように答えていた。


「不安にさせて、ごめんな。

でも、僕はこの通り平気だ。

だから、ありがとうってところだけ貰っとく。

こっちこそ、皆が大丈夫そうで良かったよ」


「・・・・ごめんなさい、光弥さん・・・・っ。

明癒達のせいで、危ない事ばかりして・・・・ごめんなさい・・・・っ。

でも、お願いします・・・・りょうの事お願いし・・・・ま・・・・」




光弥と出会い、そこから衝撃的な別れを経て、今こうして前触れもなく再会。


その状況は、避難警報の鳴り響く建物の中、実の姉のように慕う梓が原因不明に倒れ、弟も側にいないという過酷なもの。


こんなにも立て続けに衝撃が積み重なって、混乱しない訳がない。


それでも、満足に会話も出来ないこの一刻を争う状況ででも、明癒は伝えたがっていた。


光弥は、あの時と同じ様に、明癒達を助ける為に危険を侵そうとしている。


それをただ見送る事が、きっと堪らなく申し訳なくて、切なくて、支離滅裂になりながらも必死に伝えようとしているのだろう。


光弥は、そんな訴えに首肯で応え、そしてもう一つ、思い悩む明癒の為に明言をする。


「僕は、ただなし崩しに巻き込まれた訳じゃないんだ。

初めて会った時も、今も、僕は僕の考えで、やらなきゃいけないって決めた。

・・・・だから、明癒ちゃん達の所為なんかじゃない、断じて」




いつか、梓にも似たようなことを言った。


" 何もしないままで終わらせられない "


無償の行為という訳ではなく、それは光弥が、"日神 光弥"である為に必要な、譲れない意地であるのだと。


(――――正木に言ったみたいに、もう恐いし、痛いのだって、嫌だ。

・・・・あんな目に遭うのはもうこりごりだって、思ってる)


けれども、そんな考えとは裏腹に、光弥の胸の奥には今も、沸々として滾るものがあった。


なんの非も無い人々が、傷つけられようとしている。


友達に、危険が迫っている。


もしも、そんな望むべくもない最悪の現実が眼の前に現れたのだとしたら、光弥はその時どうするのか。


ただの言葉や想いなど”力”になり得ない、純粋な暴悪を見過ごせないと謂うのなら、どうすべきなのか。


その覚悟は、既に決めていた。




――――To be Continued.――――




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