#6 霧影の凶斧

6月8日 22時25分

二間市 西部

中碁地区北端 立体駐車場前




暗闇に余すところなく覆われた、旧開発区の中心部。


"放電女"スパーク・レディとの邂逅を果たしたショッピングセンター建設跡地には、同じように放棄された立体駐車場が併設されていた。


店舗側の大きさに見合う、競技場のような面積の駐車スペースが7階建てに重なった構造だが、やはりこちらの方も未完成のままで作業は終わってしまったようだった。


まだ作られて3年もしていない筈なのだが、壁や天井、床までも数多く崩落して、全体的に酷く荒廃している。


満身創痍を覆い隠す、放置されたブルーシートや作業足場も、それ以上に激しく劣化しており、もはや死に体と言ったみすぼらしさで暗闇に沈んでいた。


役目を果たす事なく朽ちた痛ましさに、やにわに冷たく、強くなった夜風が吹きつけ出していた。


風鳴りは、まるで自身の惨めな境遇を呪う怨嗟の声めいて、辺りに不気味に響き渡っていた。


光弥は、そんな荒れ果てた建物の前に、未だに留まっていた。


「・・・・分かる。

"奴ら"が・・・・"レクリス"がいるって、確かに・・・・っ」


然り、姿を眩ませた"放電女"を追うでもなく此処に戻った理由は、この近辺に漂う濃密なを感じ取ったが故である。


思えば、奇妙な話だった。


音や匂いを捉えるでも、直接その眼で見るでもなく、相手のとでも言うべき感覚だけで存在を知る、だなんて。


さりとて、やはりそう言い表すことが、最もこの感覚を上手く言い表せる気がしていた。


怖気を覚えるような、ざらついた"黒さ"。


総身を震わすような、醜悪な"冷たさ"。


強烈な不快感で嫌悪と敵意を煽り立てる、そんな"怪物"レクリスの存在が、理屈でなくのだ。


振り返って、一昨日。


初めてこれを感じ取った時はただただ衝撃的で、恐ろしかった。


されど、昨日の"彼女"を襲った赤色の怪物や、今この暗闇に潜む奴らの気配を追って、光弥は着実に場数を重ねて来た。


結果、光弥はいつしか、息を吸うのと同じくらい自然に、この戦いの気配を受け止めるようになりつつあったのだった。


(――――おそらく、一匹、二匹どころじゃない。

こんな、人の集まる場所のすぐ近くで・・・・あの女性ひとだって、戦い続けているんだろうに、まだ潜んでいる、ってのか・・・・)


やはり、光弥達が倒した怪物など氷山の一角に過ぎないのか。


もしくは、新たに怪物共が湧き出す大元が、直ぐにでも商店街へ出られるこの場所に出来てしまったのか。


「・・・・放っておける訳が無いよな。

今の僕は、その為の"力"を持ってる。

あいつらに勝って、誰かを守れる。

その教えだって、身についてる・・・・」


呟きながら、右腕の""とやらを握りしめる。


その時、ふと光弥は、自分があの怪物を"敵"と見做し、そしてことに、もはや抵抗を覚えなくなっている事に気づく。


それはつまり、力付くに相手を捻じ伏せる術に、"慣れた"ということでもある、のか。




―――― もう、やめて・・・・もう・・・・聞きたくない ――――




記憶の中の"彼女"が囁きかけた戸惑いを、頭を振って振り払う。




(・・・・今更、取り返せやしないんだ。

だったら・・・・何があろうが、僕はやらなきゃならないんだ・・・・)




一瞬、大きくうねった弱気に、光弥は直ぐ様きっぱりと結論付けて、顔を上げる。


その果断さとは感情の弛緩か、それとも精神の成長なのか、定かではない。


ただ、今の光弥の胸にあるのは、どこか自暴自棄めいた擦れた感情であることは、確かなのかもしれなかった。




・・・・

・・・

・・




立体駐車場内の状況は、想定していた以上の悪環境だった。


コンクリートは脆くなって、大小の瓦礫となって散乱したり、ひび割れて陥没しかかっていたりと、とにかく足場が悪いのが不安だった。


(変に足を取られたりしたら、命取りだな・・・・。

ひとまず見通しは良いし、後手に回って慌てるのだけは避けないとな)


警戒を張り詰めさせて、螺旋状のスロープを行く光弥。


やがて立体駐車場4Fに相当する、広大な空間へと辿り着く。


そして、そこで目にした"恐ろしい光景"に、光弥の身体は今までと段違いの緊張に竦み上がっていた。


「――――やばいな、これは」


予想していたことであると言うのに、無意識に引き攣った小声までも漏れ出てしまう。


褪せたコンクリートと鉄筋材の交錯する駐車場の中ほどに、あの灰爪の怪物が


数は、2匹。


2対1、と数字の上では小さな差にも見えるが、しかし実際にはとてつもない大きさである。


これが1対1の戦いであったなら、とにかく目の前の相手に全神経を集中することは出来る。


ところが、相手が2体となれば、それぞれに向けることの出来る集中力は、単純に考えて半分。


常に他方からの横槍を警戒しなければならず、言ってみれば注意力散漫な状態を余儀なくされてしまう。


この上、更にしっかりした連携行動を取られでもしたら最悪の形だ。


自分達の隙を補い合い、協力してこちらの隙を突く。


数の利を押し付ける前には、手も足も出せずにと成り果てたとしても、決して不思議はない。


そして、今の光弥にはこの局面を乗り切れるだけの力量も、経験も無い。


ここまでの想定とて、爺様に言われた事を半ば聞き流しながらもなんとなく覚えていた、そんな程度のものでしかないのだ。


(・・・・それでも・・・・僕は、逃げるわけには行かない・・・・。

あいつらを放っておけば、また誰かに危害が及ぶ・・・・っ。

戦える"力"があるんなら、やってみせるんだ・・・・!!)


光弥はのしかかる焦燥、緊張と気負いを、大きな呼吸で必死に抑え込んでいた。


とにかく、そうと決めたなら悠長にしてはいられないだろう。


相手よりも先んじた有利を活かして、不意討ちでもなんでも、早々にを減らさなければならない。


しかも、この場にが現われないと限らないともなれば、もはや卑怯だなんだと躊躇う謂れも無い。


なにせ、命が懸かっているのだから。


ごくりと、光弥は生唾を飲み込み、身を乗り出して構えた。




< グゥゥゥッ >




唐突に、不気味な唸り声が響いた。


「っ!?」


場所は、


< オ"ォア"アアアッ !!!!>


「うわっ!!!!」


光弥が咄嗟に横に転がると同時、もはや嫌になるほど見慣れた骨灰色の大爪が、先刻までいた場所に突き刺さる。


「っ!!

くそ、もう一匹・・・・!?」


まさに、完全な戦闘態勢を取って、こちらを威嚇する怪物の姿がそこにあった。


いつの間に回り込んだのか。


否、それとも全く気付かずに光弥自らのこのこと近づいて行ったのか。


なんにしろ、光弥の存在は怪物達へ気付かれてしまっていた。


背後で、あとの2体が耳障りに喚きながら走り寄って来るのが音で察せた。


合わせて、3匹。


その全てが、あの気味悪い赫い目玉を、殺意にギラつかせている。


果たして、こうなっては不意打ちもへったくれもない。


そして、逃げるという選択肢も既に失われた。


背中を向けて逃げる危険はもちろん、殺気立ったこの化け物共を放っておけば、それこそ何が起こるか分かったものではない。


(――――もう、やるしかないんだ!!

とにかく、動け!!

囲まれるのだけはマズいっ!!)


後手に回った混乱を素早く切り捨て、光弥は鋭い出足で正面の怪物の横様へ飛び出していた。


怪物は直ぐ様に反応して、腕を伸ばす。


しかし、光弥がそれよりも早く、駐車場内を仕切る鉄格子壁まで辿り着けることは、計算通り。


バカでかい爪は鉄骨を数本引き千切るが、そこで"追跡の手"は止められ、光弥はその状況を盾に、一拍の猶予を得られる。


だが、しかし。


「ぐっ・・・・!!??」


呼吸を整えたくて大きく息を吸った瞬間、濃密な血臭を吸い込んでしまう。


咽せ込みながら傍らに目をやった光弥は、絶句した。


その原因は、壁の裏側に隠されていた、血の池地獄のような光景。


暗がりの中に、人間大の生き物を4、5匹は跡のような、腥く、どす黒い痕跡がぶちまけられている。


あまりにも、周りとは色味が、空気が異なり、まるで本当に地獄にまで繋がる赤黒い大穴のようだった。


「・・・・なんて、ことを・・・・!!!!」




視界一杯に散乱する、怪物どもの食事の痕跡。


そこに混ざり込む、食べ残しだろう崩れた腐肉。


もはや原型の想像など出来やしない、らしかったボロ切れ。




果たして、それらを見届けた光弥に、恐怖は無かった。


自分の居場所の傍で、友人達が暮らす場所で、こんな暴虐が起きている。


いつ、誰に対して降り掛かってもおかしくはない。


昨日の"彼女"のように、何の謂れもなく嬲られ、殺されかけても、不思議は無い。


その事実を想い、湧き上がってくるのは、腹の底のがゴウと一気に燃え上がったような、憤怒。




<ゴオオオオァ!!>


<ガウッ、ガゥォ!!!!>




迫ってくる足音と吠え声に、敢然と睨み返す。


改めて、は3体。


光弥が最初に戦った、体色が灰色の身体と白いタテガミの怪物。


幸いと言うべきか、そのいずれも今まで光弥が戦ってきた怪物よりも小さく、そして細かった。


とはいえ、状況は3対1の不利であり、いつまた敵が増えるかも分からない。


出遅れれば出遅れるほど、掛け算でこちらが不利になる。


速攻で各個撃破、あるのみ。


そう結論付けるや否や、光弥は矢のように飛び出した。


「  現界 MATRIX !!」


腹を括ると共に、その集中が光弥に"力"を与え賜る。


一喝と同時に、”重撃剣・嶄徹"じゅうげきけん・ざんてつの装着が発動していた。


「はぁっ!!!!」


目前の怪物に、一足飛びに斬りかかる。


重々しい音を上げて空気を掻っさばき、ほとばしる横薙の一戟を、怪物は飛び退って躱した。


「――――甘いっ!!」


だが、空振りの一撃が床に当たった反動を利用し、即座に踏み込み、斬り返す。


常軌を逸した堅強けんごうさをもつこの武器だからこそ出来る、荒技だ。


<グャッ!!!!>


高速の一太刀が怪物を斬り裂き、怯ませる。


続けざま、光弥は更に駆け抜け、擦れ違いざまの回転斬りで追い込む。


意表をついた猛攻に、怪物は2度、大きな手傷を負う。


(残りは、まだ遠い!!)


このまま決めきる覚悟で、光弥は低く構えた残心から、一気に飛び出す。


同時に、後ろ手に回った重撃剣の長い柄を、剛力で引き込む。


しゃにむに下がりたがる怪物を逃さない、素早い袈裟斬りで体勢を斬り崩す。


尚も近接し、振り切った低姿勢から刃を返し、両腕に力を込める。


しかし、一瞬見せたその動きはフェイント。


斬り上げるかと思いきや、横っ飛びに軸をずらし、背に担ぐような円の軌道で、重剣を上段構えへ。


「りゃあぁっ!!」


鋭い交差斬りを、怪物に刻み込む。


激痛と衝撃に、敵はその体勢を致命的なまでに崩す。


(これで――――!!)




<ガァゥアアアアッ!!!!>




間一髪で、光弥は構えを解いて飛び退り、駆けつけた怪物の飛び掛かりを回避していた。


とどめの斬戟は僅かに間に合わず、深傷を負った怪物はふらつきながら退く。


手負いの仲間を庇うように、怪物達は改めて陣形を図り、光弥の前方に固まった。


正面からのにらみ合い、斬り込むには悪くない位置だ。


口惜しさを前向きな思考で飲み下す一拍の後、光弥は重剣を逆手に構え、腰を落とした。


「――――逃がすか!!」


優先すべきは各個撃破。


言葉通り、あと一手で倒せる相手を見逃す道理は無い。


接近する光弥に、2体の怪物達が襲いかかる。


この場合、光弥にとって救いなのは、重撃剣・嶄徹の巨大な"攻撃範囲"だった。


長大な柄を活かし、槍で払うかのように大きく振り回す。


それによって2mに達する規格外の間合いは、牽制として十二分に機能する。


早さを意識し、体勢を崩さない程度に大きく、重剣を薙ぐ。


<ギ・・・・ッ!!>


その時だった。


幾度も走らせた重剣の鋒が、1体の怪物を掠めた。


すると、堅固なはずの灰色の甲殻は、まるで粘土か何かのように抵抗なく、大きな傷を刻まれる。


"彼女"を襲った赤黒い怪物とは、まるで違う手応え。


一瞬、驚いて動きが鈍る光弥。


それを見計らったように一歩引いていた怪物が、爪を突き出す。


咄嗟に、左腕の篭手でそれを防ぐと、衝撃に身を削り、火花を散らしたのは大爪の方だ。


これにたじろいでみせる怪物に、光弥はすぐさま斬り返す。


鋭敏な反撃は、相手が退くよりも早く刃を掠らせる。


すると、怪物達は大げさに狼狽し、大きく距離を取った。


その様子は恐慌しているようにも見えた。


(分かったぞ)


密やかに、光弥はある確信を得ていた。


(――――"彼女"を襲った、赤くてデカいやつは実際、物凄い強さだった。

けど、あれに比べてこの灰色のは、動きも強さも・・・・なにより、あの傷つこうとも突っ込んでくる"闘争心"が、無いんだ!!)


そして、光弥の技は完全に奴らを上回っている。


油断は出来ない。


だが、考えていた程の苦境では決して無い。


「つまりは、"格下"相手に縮こまってるより突き破って見せろ、ってことだっ!!!!」


気合を漲らせ、地面を蹴飛ばす。


出し抜けに、向かって右手の怪物に袈裟懸けに斬りかかる。


横っ飛びに回避する怪物。


それを援護するようにもう1体が、襲い来る。


予想通りだった。


再びガツンと鋭角に斬戟を跳ねさせ、突っ込んでくる爪腕へ振るう。


甲殻を物ともせず、重剣の刃はその腕を切り裂いた。


<ギャ"ッ!?>


悲鳴を上げて仰け反る怪物を追いかけ、踏み込みながら重剣で斬り上げる。


もつれていた怪物の脚を斬りつけ、そのまま構えを上段に移行。


そこへ、苦し紛れに別の怪物の反撃が飛来するが、不安定な攻撃は頭上を空振った。


光弥が、優れた反応で体勢を落とし、腰撓めに構えたからだ。


そして、ぐるん、と一瞬の速さで重剣を掌中で回し、両順手に柄を掴む。


続け樣、光弥は峻烈しゅんれつに地を駆ける。


繰り出された反撃の逆袈裟斬りは、野分風のわきかぜの如く迅く、強かだった。


「りゃああああ!!」


半ば身体ごとぶち当てる強烈な斬戟を、すれ違いざまに叩きつける。


その一撃の鋭利さはもちろん、発現させた巨大な衝撃は怪物を大きく斬り裂き、押し飛ばした。


<グゴアァッ!!!!>


に大きく吹き飛んだ怪物は、先の鉄格子壁の上側に激突する。


衝突の威力は、この脆くなった建物の天井を崩すほどだった。


格子壁が基部ごと崩落し、多量の瓦礫と塵埃が降り注いで、怪物を呑み込む。


<ボコリッ>


刹那、真後ろから聞こえてきた異音に、光弥は迅速に反応する。


姿勢を低くしながら横っ飛びした次の瞬間、今まで光弥がいた場所を、白い硬質な物体が一直線に撃ち抜いていった。


言わずもがな、怪物の吐き出した杭だった。


更に、背後から飛来した飛び道具は、その狙った対象が回避してしまった事で、先の崩落に呑まれた怪物の方に突き刺さっていた。


もうもうと、腐食性の煙と音とが立ち上り、怪物の苦悶の唸りもそこに入り交じる。


(次は!!)


そんな事態を尻目に、光弥は勢いのまま弧を描いて疾駆し、もう一体の怪物へ躍りかかる。


存分に踏み込んでからの、右からの斬り払い。


怪物の腕の甲殻で軽減されるが、続いて振るう袈裟掛けの返し斬りは、肩口を捉える。


しかし更なる追撃は、怪物が滅茶苦茶に腕を振り回したことで、機を逸してしまう。


そして、光弥が攻めあぐねるや、怪物は思い切り後ろへと飛び退って距離を取った。


恐らく光弥を甚大な脅威と警戒し、低くうずくまって唸りを上げる1体。


片や、横目で先ほど吹っ飛ばした方の怪物を確認すれば、そいつもまた赫い目を尚更に爛々と光らせ、瓦礫から這い出してくるところだった。


(しぶとさと素早さは変わらずか。

寧ろ小柄な分、今までのよりも速いか・・・・?)


そう怪物達を評する由縁は、光弥の繰り出す剣技を辛くも反応と、そして今、崩落に巻き込まれても堪えた様子を見せない1体を見てのこと。


件の怪物は、普通なら怪我で済まない量の瓦礫に打たれ、それどころか別の怪物の"流れ弾"までも受けた筈だった。


右の肩口が大きく抉れ、爛れているのが、あの"杭"の被害か。


否、それどころかその身体には、衝突の際に巻き込んだ鉄骨が未だに何本も突き刺さってすらいる。


しかし、奴はそれでも傷を庇う動作も見せず、光弥を睨みながら立ち上がる。


すると、同時に先述の傷口が、泡立ちながら蠢き出す。


<グゥッ、ォオァ・・・・ッ!!>


「――――!!」


目の前で、怪物が受けた数々の傷が様に、さしもの光弥も目を見張る。


瓦礫に打たれた痕どころか、仲間から受けた猛毒の杭からの侵食までも、瞬く間に小さくなっていく。


幾本も身体を刺し貫いている鉄骨に至っては、逆に腐り落ちさせて、痕を塞いでしまう始末だった。


尋常でない生命力、などと片付けるには、あまりに異様な有り様で、現実味に欠けてすらいた。


但し、たった1つの例外・・・・重剣による手傷だけは、相手が抗えぬ”悪夢の産物”などでは無いと証すように、深々と刻まれている。


やはり、この"レクリス"とやらを斃すには、"ぶじんぐ"こと、重撃剣・嶄徹でなければ果たせないということなのだろう。


光弥は、過大な緊張と昂揚に、重剣を強く握り締め、3体に包囲された状況に構えを取る。


怪物達はいずれも手負いとなり、それだけに慎重に機を伺う素振りが見られる。


この状況で、いずれか1体を追えば、途端に他のものが呼応する。


バケモノとは思えない、巧妙な距離感だった。


(――――だったら、尚更に場の流れは渡すな。

他に手なんて無い以上、全力の速攻!!

一点突破で斬り崩すだけだっ!!)


果断に決意するや否や、目を見張る速さで、前方の怪物へ吶喊する。


後ろから、1匹が駆け出す音が聞こえる。


同時に、目前の怪物の喉が膨らむ。


(来るっ!!

狙いは――――)


刹那、光弥は飛び道具の前動作に注視する。


吐き出す為の動作は発射の機会を、銃口たる口と頭の向きは射線を、それぞれ表す。


そして光弥の集中は、その予兆を見逃さずに捉えきる。


<グ・・・・ゴボォッ!!!!>


(―――― 足 !!!!)


すかさず、最小限の右移動で射線を外してみせる。


それでも僅かに速度は鈍り、その背に背後の怪物からの攻撃が迫る。


<ガギィッ!!>


しかし、突き出された爪は、振り返りざま横薙にした重剣が弾く。


間髪入れず、光弥は返す刃で怪物を斬り払いながら、再びさっきの怪物へ狙いを定めた。


「 "葬魔絶刀" 」


相手との距離は、重剣と光弥の瞬発力を合わせても僅かに遠い位置である。


だが、そこは確実に射程内である、と言い切れた。


何故ならば、そこまで届きうる"業"わざを、光弥が持っているからに他ならない。


それこそは光弥の流儀の、"礎の三剣"いしずえのさんけんの末である。




――――鋭くはやく、邪気満つる空を斬り裂き、はしる――――




銃弾を打ち叩く撃鉄のように、光弥の脚は激甚げきじんたる威力で地を蹴り飛ばす。


両腕で重剣を握り、袈裟懸けに斬りかかる構えのまま、その身は高速で"飛ぶ"。


発揮される身体能力と、嵐を呼んだかの如き速さから生まれる運動量。


それらを巧みに束ね、常軌を逸した絶大な膂力へ変換し、全てを一瞬に解き放つ。


怒濤の突進から一気呵成に振るう、疾風迅雷の剣。


その閃きは、正しく空を斬り裂いて、唸りを上げる。


「 斬空迅ざんくうじん !!!!」


避けようなど無い、重鋼の暴威が繰り出された瞬間。


怪物は、それでも咄嗟に両腕の腕甲を構え、防御姿勢を取っていた。


(防げるもんなら――――)


されど、この渾身の一撃の前には、防御など無意味だ。


何故ならば、名を持った"業"として昇華されたこの斬戟は、今までの太刀筋とは次元が違う。


(―――― 防いでみろっ!!!! )


凶暴極まりなく大気を引き裂く、絶大な袈裟掛け一閃。


それは、微塵の容赦も無く"違い"の程を示し、怪物へと叩き込まれる。


堅固な外殻も、剛健な巨腕をも、重剣は容易く突破し、それどころか荒ぶる威力は更に、軽々と怪物の巨体を吹き飛ばした。




< グアアアアオオオオッ !!??>




――――その名は"迅剣"、葬魔絶刀 斬空迅。


単純な斬撃の威力ならば"剛剣・轟破嶄"に劣るものの、身剣を嵐と化して繰り出す一振りは、ただ1撃で相手を打ち倒す程の衝撃力を伴っている。


そして、大技を繰り出した残心もつかの間、光弥は止まることなく走り続ける。


薙ぎ倒された怪物の向こう、先に仕留め損ねた深傷の1体を抜いて、包囲を突破するのだ。


迎撃に繰り出された爪腕を、低くスライディングで回避。


そうして、遂に敵方の全てを正面に見据える絶好の場所に構え、光弥は重剣を振り被る。


怪物達の陣形は崩れ、最も動きの鈍った1体の背が、目の前に在る。


(・・・・躊躇っている暇なんかないんだ。

僕がやらなきゃならない。

こいつらに、他の誰かを傷つけさせる訳に行かない。

僕も、まだこんなところで、死ぬわけにはいかないんだ。

だから・・・・!!)


弾みをつけるように重剣を強く握り締める。


そして、必殺を期して力強く飛び込んだ、その刹那だった。




「――――っ!?」




走り出そうとした身体が、不意に硬直した。


手脚どころか、全身が異様に重たく感じられる。


まるで、光弥の周りでだけ異常に重力が高まったかと錯覚する程に。


そして同時に、この正体不明の"波動"は、立体駐車場内の空間までもを震わせ、押し包んでいるかのようだった。




(・・・・なんだ、この・・・・今までと比べ物にならない、"禍々しさ"は・・・・っ!?)




光弥の動きを阻害する感覚の正体とは、今が戦闘の最中だということすら忘れ、酷くせいだった。


まるで内蔵を掴み揺さぶられているような、耳鳴りすら伴う胸の悪さが押し寄せて来ていた。


だが、同時に怪物達の方も、身を縮こまらせながら混乱する様子を見せていた。


光弥の感じているものを、奴らもまた感じているのだろうか?


だとすれば、あの狼狽えようはいったいなんだ?


光弥と戦い、追い詰められた怪物も、あそこまで震え上がってはいなかったというのに。


<ギャァッ!!!!

ギャッ、ギャァッ!!!!>


「・・・・!?」


怪物達が叫喚し、混乱と耳鳴りとがいよいよ窮まり出した。


光弥の前にが開いたのは、その瞬間だった。


<ズォッ・・・・>


なんとも形容し難い、空気と空間が一瞬で萎み切って、消滅するような異様な音。


同時に、少し先の何も無い場所が濃く、ぐにゃりと歪んで、天井が突然に円形に欠け、上階への吹き抜けにしまう。


そして、その中心に不気味に浮遊するのは、あの空の"赫い月"にかかる、獣の瞳孔のようなだった。


内部は、暗いのではなく黒い。


何も見えないし、何かがあったとしても塗りつぶされしまうだろう。


だが、光弥には分かった。


この止め処無い怖気の元凶が、その奥に


こちらをじっと見つめている。


「お前は・・・・一体、何だ・・・・っ!?」


そう思わず呟いた途端、前方の闇を取り巻いて脅かすように、放電が爆ぜる。


続けて、今度は周囲に真っ白な靄が、にわかに漂い出し始めた。


しかも、それはたちまちに濃度を増し、霧となって辺りを覆い始める。


瞬く間に視界は白い帳に撒かれ、物音をもくるみ込まれて遠ざかる。


生温く纏わりつく湿気に、光弥は嫌な汗を滴らせた。


それと、同時。


突然に、前方の暗黒が消え去っていた。


それに驚く間もあればこそ、しかし気付けば其処には、代わりに何か"大きなもの"が現れていた。


唖然とする光弥よりも、頭3つ分ほど大きいその輪郭は、この霧に隠されてぼやけている。


だが、怪物達と同じ、獣の両手脚を持つのは分かる。


しかも、さながら人間のような無理のない直立姿勢を取っていて、より均整のとれた体躯は更に一回り以上も背高に見えた。


新たな異形は、やはり敵であるのか。


あまりに屈強であり、それでいて捉えどころの無い様相に、光弥は言葉を失ってしまう。


<シュアァァ・・・・ッ>


やにわに、激しく嘶く蛇のような音がした。


すると、巨躯の影が立つ吹き抜けに、一段と濃い乳白色の帳が生まれる。


漂ってくる霧は、もはや実体を持つかのような濃度で迫り来る。


その時、霧に巻かれた光弥は、気味の悪い蒸し暑さだけでなく、ぞわりとした冷感をも同時に感じていた。


まるで断崖絶壁のすぐ淵に立つかのような、"確実な死"を目の前にするのに似た、悪寒が止まない。


だが、迂闊な判断で動ける場面ではなく、光弥は気を張り詰めさせながら、慎重に状況を観察する他なかった。


「え?」


だが、間抜けな声と共に、光弥の集中力は文字通りに"霧消"してしまう。


それを向けていた相手が、霧の中にふとからだった。


光弥は、一時たりとも目を離していなかった。


それなのに、遠ざかった訳でもなく、本当に何の前触れも無く、巨大な影は消えてしまったのだ。


肩透かしを食らわされた気分で、光弥が少し構えを崩された、直後。


< ギャアアアアッッッッ !!!!>


濃い霧の向こうから、耳を劈くけたたましい断末魔が響き渡る。


<ガヅンッ!!>


その恐ろしい絶叫とほぼ同時、重剣を叩きつけた時のような重い破裂音と、なにか粘っこいものをぶちまける不快な音がする。


目視の出来ない場所で、事態が何か大きく動いていた。


狼狽する光弥は、動けないまでもとにかく状況の整理に務めた。


(今のは、あの怪物の声!?

なら、誰かがあの怪物を倒したのか?

この場で、いったい他に・・・・あのデカい影がやった、のか?

でも、どうしてそんなことを・・・・!?

怪物同士でも、仲間じゃない、のか・・・・っ!?)


過度に膨れ上がった緊張に、光弥は目まぐるしく振り回されていた。


白一色、方向感覚も失いそうな霧をしきりに見渡し、その間にも幾つもの疑問に思考を揺さぶられる。


文字通りに”五里霧中”の混乱の最中・・・・しかし、その答えは直ぐ様に示されることになる。


「・・・・?

何だ、急に景色が歪――――」


まさに、痛烈な衝撃と共に。




< ズガァッッッッ !!!!>




何かは分からない。


そして、すらも分からなかった。


ただただ左腕を通じて、脳天から手足先までを貫くとんでもない暴力が、突如として光弥を襲っていた。


身体が折れ曲がる程の勢いで吹っ飛ばされる。


その先には、立体駐車場外壁の開口部を塞ぐ鉄柵が聳える。


転落防止用の屈強な代物の筈が、しかし常軌を逸した勢いで打ち飛ばされた光弥は、それをたやすく突き破った。


「――――ぐっぅああああっ!!??」


激痛と、驚愕の綯い交ぜになった悲鳴を上げながら、光弥は空に投げ出された。


そのまま、実に10m以上の距離を落ちて、左肩から叩きつけられる。


それでもなお衝撃は止まず、コンクリート敷きの地面を数mも転げ回り、ようやくそこで暴威の余波は収まった。


だが、光弥の受けた甚大なダメージはそれくらいで収まる筈もなかった。


「が・・・・っ、あぁっ!!!!

あ、ぐ・・・・ああああ・・・・っ!!!!」


神経をズタズタに焼き切る電撃を、絶えず流し込まれるに等しかった。


”激痛”なんて表し方では生温い、狂おしい光芒が押し寄せて、眼は眩み、息は詰まる。


血反吐を吐きそうな喘鳴、身じろぎの一つの度、数百倍の苦痛が返ってくる。


いったい何が起こったのか、そして自分がどれだけ苦しみ、転げ回っているのか。


めちゃくちゃに錯乱した五感からのノイズに、光弥の意識は叩きのめされる。


今にも途絶えそうに悶え、か細く明滅していた、その刹那。


機能不全に陥っている思考に、凍えるような電流が走る。


光弥の奥底・・・・痛覚と同じ、とても原始的な本能が、レッドアラートをかき鳴らす。


" 何も迷わず避けろ "。


急速に弾けた危機感のまま、光弥はしゃにむに横様に転げ回っていた。


壮絶な衝撃を伴い、ギロチンのように巨大な刃が叩き下ろされたのは、その直後だった。


< バギィッンッッッッ !!!!>


吹き上がる火花と烈風。


重厚な金属音と同時に、くたびれたアスファルトは引き裂かれ、光弥はまたも吹き飛ばされる。


「――――っ!!??」


必死に振り返った先に突き刺さるのは、光弥を両断せんとした冷徹な一撃の痕。


そして、これを放ったその恐るべきは、黒々とした巨躯を初めて晒し、ギギギ、という耳障りな唸り声を上げていた。




「・・・・なん、だよっ・・・・こいつはっ・・・・っ!!??」




――――そいつは、全身に"鎧"を纏った、見上げるほどに巨きな異形。

もしくは、至強の獣を模した鉄塊が動いている、とでも言うべきなのか。

その化け物の纏う鎧とは、灰爪の怪物のような、甲殻の延長めいた代物とはわけが違った。

まるで、豪壮な合金鎧のように頑健で、精緻な重装甲。

艶のない真っ黒な装甲板が無数に組み合わされ、その各部を縁取るように、不気味な緑黒い光が、鼓動から奔る血潮めいて明滅している。

そして、その鎧の継ぎ目から僅かに覗けるの生身は、しかしギシリと軋みながらも柔軟に動く、"金属骨格"が占めるのみ。

然り、この化け物とはようだった。

あたかも"サイボーグ"のように、屈強な胴体、野太い逆関節の脚に至るまで、全身が鉄鋼に成り代わっていた。

頭部にはやはり漆黒の大兜を被っているが、どういうわけか口どころか、眼すらも見当たらない。

否・・・・真に戦慄すべき点は、今しがた光弥を狙って振り下ろされた腕にある。

だが、より正確にそれを言い表すなら、"腕から直接生えた大斧"、とでも言うべき代物だった。

3つもの折り重なった両刃斧が、化け物の二の腕から先、掌や指をも巻き込んでし、強靭な身体器官と成り果てている。

凶悪に反りを帯びた重刃にベットリと付く血糊と、地面を叩き割った巨大な痕跡が、先程の悲鳴の真相と、そしてどれ程の暴力であったかを物語る。

果たして、この新たな異形は、まるで相反する要素を数多に併せ持つ、不条理な存在だった。

極めて戦闘的な武具を纏った、獣。

戦闘の英知を得た、野生。

冷たく硬い身体に宿る、獰猛さを顕に襲いかかる、鋼鉄の獣――――謂わば、"鉄獣"。

それは今、容赦ない必殺の一撃を躱した光弥に対し、漆黒の大兜越しに絶大な殺気を放っていたのだ。――――




息も絶え絶えな光弥の前に現れた、鉄鎧のバケモノは、見るからに今までと比較にならない手強さだった。


更には、間違いなく光弥は、の攻撃対象にされていた。


先程、人間1人をぶっ飛ばす威力を叩きつけられた左腕は、未だ衰えない激痛を訴えている。


なにより、もしこれが頑強な大篭手越しの一撃でなければ、文句を垂れる間すら無くくたばっていただろう。




< ギェヤァァァァア”ア”ア”ア”ァァァァッ―――― !!!! >




鉄獣は徐ろに身を起こし、そして天を仰いで凄まじい絶叫を上げる。


頭部の大兜の下側が開き、”甲殻類”に似た構造の口顎が顕になっていた。


そして、内蔵まで打ち震わす奇怪な咆哮の残響が、霧海に消えるか否かという時、鉄獣はまた動き出した。


但し、その狙いは光弥ではなかった。


外敵達が立体駐車場の外へ出て行き、そのまま縄張りから追い出そうとでもするように現われた、の方だったのだ。


鉄獣は、背後の喚き声へ猛然と飛びかかり、大斧と融合した腕を横薙ぎにする。


猛獣の唸りめいた音を立てて、桁違いの暴力が迸った。


同じく強大な怪物の筈が、しかし一溜まりもなく、絶叫ごと真っ二つに捩じ切られる。


重たく粘っこい、肉と骨ごと轢き潰す異音が鳴り、更に叩き切られた骸は、上下がまるで別々の方へと吹っ飛ばされる。


恐るべき力だった。


目を背けたくなるような惨憺たる光景だが、そうするわけにいかない。


何故なら、鉄獣はその”速さ”までも、ただ1回の瞬きだけでも見失ないそうな程に規格外だったのだ。


「み、見境無しかよっ!?」


狼狽える怪物達を、更に殴り飛ばす鉄獣の姿に、光弥は思わず驚きが口を突いて出てしまう。


すると、鉄獣はそれを聞きつけたかのように、恐ろしい程の速度で光弥へ突進した。


<シャァギャァッ!!!!>


痛む体に鞭打って、重剣を構えて防御。


だが、耳を劈くような金属音と同時、大型自動車にでもぶつかられたような強烈な衝撃に打ち据えられた。


「づぅっぁあっ!!??」


嶄徹の加護で、超人的な身体能力を得ているはずの光弥が、堪らずに押し飛ばされ、武器をもぎ飛ばされそうになる。


その衝撃から立ち直る間もなく、鉄獣は容赦なく次なる斧腕を振り被っていた。


光弥は、もはや勘だけでその軌道に大篭手を翳す。


<ガヅゥンッ!!!!>


再びの致死的な衝撃に、光弥の身体は浮き上がった。


勢い、放物線で吹っ飛ばされるが、叩きつけられる前に両手両足を突っ張り、受身を図る。


「はあっ、はあっ!!!!

くっそ、っ・・・・重いっ――――!!??」


毒づく由縁は、凄まじい鉄獣の猛攻に、防御すらロクに出来ない事だった。


異常なパワーにいちいち体制を崩され、反撃どころではない。


未だに骨の一本も折れたりしてないのは奇跡的と言って良かった。


(打ち合っても、勝ち目は無い!!!!

なんとか・・・・何か状況を変える手を見つけないと、嬲り殺しだ・・・・っ!!)


<ギシュイ"ィィィィッ!!!!>


耳を突く高音を発しながら、鉄獣は尚も追いすがろうとする。


まっすぐに迫ってくる鼻先に、光弥は咄嗟に重剣の鍔元に手を伸ばす。


そうして掴みだすのは、重撃剣・嶄徹の刃に番えられた、あの”小剣”である。


「――――っ!!」


鋭い動きでこれを投げつける光弥。


鉄獣は避ける素振りもなく、刃は真っ正面から鎧を打ち叩く。


ただ当たっただけ、とも言える結果だが、しかし意外にも鉄獣は大袈裟に横っ飛びし、突撃を中断する。


その反応と、そしてという外見も併せ、光弥は一つの仮説に至った。


(こいつ、やっぱ目が見えてないのか!?

それなら、こうやって音や飛び道具で撹乱すれば、隙を突けるかもしれない・・・・!!)


僅かに見えた光明に、光弥は痛みを推して構えを取る。


左腕で小剣を左方に投げつけると同時に動き出し、鉄獣を撹乱する腹づもりだった。


<シュアァァァァ――――>


だが、敵はそんな足掻きを嘲笑うかのように、更なる力を示す。


(っ!!

この霧、あいつが出していたのか!?)


突如、鉄獣はその関節部や背部から、白濁した空気の奔流を吐き出し始めた。


気体が激しく吹き出す独特な音と共に、瞬く間に霧は濃度を増し、周囲に立ち込めだす。


だが、今は屋外とあって、視界を塞ぐほどの濃さにはならない。


光弥の陽動に対して、同じく揺さぶりをかけるつもりであるのか。


<・・・・シ"ャ"ァオ"ォァッッッッ!!!!>


光弥のその予想は、しかし瞬時に覆る。


刹那、絶叫めいた喚声を上げた鉄獣が、真っ直ぐに光弥の方を目掛け、踏み込む。


その脚・・・・巨体を前へ弾き飛ばす一歩が、瞬間に


< バギンッ !!!!>


破裂音の直後、鉄獣がする。


否、そう錯覚する程の速さで、


対応する間すらも無い、でたらめな速さと威力は、まさに砲弾だった。


「があぁっっっっ――――!!??」


語弊なく、光弥は撥ね飛ばされていた。


軽々と空中に投げ出されながら、すれ違っていく鉄獣の姿にを見つける。


白い濃煙を放つ身体、そしてその強靭な脚が、


――――其処に至って、理解する。


鉄獣は、この熱を帯びた霧・・・・"蒸気"を利用し、その脚を爆発的に延伸させた。


謂わば、"生体蒸気機関"のような能力によって、光弥に見切れないほどの絶大な突進を敢行した。


それはもはや生物の範疇を超え、奴の見た目通りに戦闘兵器とでも言い表すべき異能だったのだ。




<ズシャァ!!>




強かに地面に転がされるも、重剣の柄を突き立て、どうにか倒れはせずに堪える。


だが、砕けんばかりに歯を食い縛って、意識を繋ぐのが精一杯だった。


咄嗟に左腕での防御と身のこなしで直撃は避けたからこそ、こうして轢き潰されずに済んだのだ。


しかし、それは同時に、この地獄の苦痛に耐えながら、鉄獣と戦い続けねばならないことをも意味する。


荒げた息を吐き出すたび、気が触れそうなほどの激痛が荒れ狂う。


視界は赤く色づいて、明滅した。


そこに、僅かに映り込んだ斧腕の影に、光弥は半ば本能的に、縋るようにして掲げた重剣を身代わりにする。


「うぐぁっ!!」


衝撃に重剣が打ち上げられた。


身体ごと押し退けられてたたらを踏むも、しかし期せずしてその体勢は、武器を振り被った状態となる。


光弥は、鈍った動きでもこれを見逃さず、"全力"で重剣を振り下ろす。


だが、数多の怪物を頼もしく斬り裂いてきた重剣の刃は、ただ大きな金属音だけを響かせ、鉄獣の鎧を叩いただけだった。


光弥の死力を尽くした攻撃とは、もはや剣技にも満たない棒遊びのような一振りに終わったのだった。


愕然と目を見開くのも束の間。


あたかも、微塵も自身を脅かすことない"獲物"を嘲笑うように、鉄獣は霧の中に


「なっ!!??」


信じ難い思いと、恐怖とに駆られ、光弥は後退りながら頻りに周囲を見回した。


気配は、まだある。


散発的に揺らめきつつ、近くで隙を伺っているのが察せた。


だが、決してその姿を捉えることは出来ない。


「――――なんでだ・・・・っ!!??

敵が・・・・見えない・・・・っ!!!!」


濃厚な霧に紛れて、視界の外に離脱したのかもしれないが、しかしそんな素振りなど無かった。


また、体色を変えるなど巧妙な擬態をしようと、この至近距離で、しかも一瞬で見失うはずがない。


鉄獣は、確かに消えている。


光弥は確信していた。


敵はまるで透明人間のように、その黒々とした巨体を、この白い霧の中に完全に隠す術を持っているのだ。


(冗談じゃ、ない・・・・っ!!)


平時の光弥の"全力"を凌駕しかねない、斧腕の破壊力。


瞬間的とはいえ、速さもまた光弥の上回り、そして身に纏う鎧は生半な攻撃では傷一つ付かない。


なにより、敵は自在に姿を眩ませて戦うことができる。


この霧に撒かれている限り、文字通りにのである。


(・・・・今の僕に・・・・勝ち目は無い・・・・っ)


絶望的な予測は、この薄気味悪い湿気の中でもがく心胆を、一気に冷え切らせる。


相手の位置すら掴めないようでは、反撃どころか防御の一つすら満足に行えない。


勝てない戦いなら、せめて逃げるべきか。


しかし、どうやっても鎧の獣から逃げ切れる気がしない。


既に幾度も殴り飛ばされ、動きの鈍ったこの状態では、尚の事。


そして、鉄獣は更に、その打開策を考える時間すらも光弥に与えようとしなかった。


<ボコリッ>


目の前の地面が、不自然に抉れる。


体だけはどうにか反応し、考える前に重剣を盾にする。


<ガァンッ!!>


だが、言ってしまえばに攻撃を凌いできた光弥に、遂にその尽きが訪れる。


刹那、叩きつけられた野太い斧刃が、重剣の表面を滑り出す。


攻撃を捌ききれず、防御を押し潰すようにして鉄の鉾が捩じ込まれる。


凶風は耳を劈く金属音と共に風向きを変え、光弥の右腕に突き立つ。


「――――!!!!」


肉どころか、骨まで圧し斬られる激甚な苦痛に、意識が瞬時に焼き尽くされる。


更に、右半身ごと抉り飛ばされんばかりの衝撃が到来し、光弥は強かに殴り飛ばされた。




「 ぐっぅああああぁぁぁぁっっっっ !!?」




喉が張り裂けんばかりの絶叫を上げて、光弥は遂に打ち倒されていた。


嶄徹の重鎧の及ばない、右腕への致命打。


上腕部が大きく、意思と関係ない痙攣運動の度、血が止めど無く吹き出ている。


意識の全てが、その地獄の苦痛に押し潰されようとしていた。




(――――・・・・うご、け・・・・っ――――)




そして、力尽きた光弥の目の前に、漆黒の巨体が悠然とその姿を現していた。


ギシギシと、低く異様なその唸り声は、断頭台の刃を引き上げる縄の軋みのようだった。


目の前で重々しく振り上げられる斧腕。




(――――動けよ・・・・っ――――)




避けなければ、動かなければ、光弥は今ここで、確実に殺される。


だと言うのに、既に光弥の身体には、どんな些少な抵抗も行えないほどに脱力していた。


既に、光弥は圧倒的な力に制圧され、敗北していた。




(――――だとしても、終われないだろ。

勝てなくても、負けて、諦めるのだけは、許すな!!

だって・・・・そうすれば、次にこいつは誰を殺すんだ?

"彼女"みたいに、また誰かがこいつに襲われるんだ!!――――)




だが、幾ら己の弱さを打ち消そうとても、その意志を表せるだけの力はもう、一滴ひとしずくたりとも残っていない。


勝敗は覆らず、光弥はただ惨めに無念に打ち震えるのみだった。


< シャァギャアアアアッッッッ !!!!>


狂喜のような、長い咆吼を張り上げる鉄獣。


その勝鬨を、光弥は眼にすることも出来ずに、ただ地に臥していた。


断頭台へ繋がれた死刑囚のように、自分の命運が断ち切られる瞬間を歯を食い縛って待つのみ。




――――だが、それでも光弥は、まだ諦めてはいなかった。



噛みしめる血の味に、死の恐怖はおそらくある。


そんなものよりも、遥かに悔しさの方が勝っていた。


光弥は、自分の意志で戦いに赴いた。


その末に独り、負けて、終わる。


納得は出来た。


けど、"彼女"はきっとそれを赦さないだろうとも、同時に思えていた。


いつかのように、勝手に飛び込んで死のうとしているこの姿を、"彼女"はまた無責任だと糾弾するだろうか。


それでも、やはり心配し、胸を痛めて、涙するのだろうか。


だとすれば、光弥はまた"彼女"を・・・・あの涙を裏切ってしまう事に、なるのだろうか。




――――やっぱりあなたは・・・・何も分かってない――――




詮無い考えだった。


もはや逃れようない最期の時は目前と言うのに、走馬灯は"彼女"への後悔で埋め尽くされている。


馬鹿な意地、だった。




(・・・・ちくしょう・・・・っ)




――――果たして、しかし衝撃はいつまで経っても訪れなかった。




< バァンッッッ !!>




その代わりに響き渡ったのは、間近の雷鳴のような爆裂音。




「え――――!?」




死の倦怠に閉ざしていた眼を、こじ開ける。


既にその時、光弥の目の前の景色は一変していた。




――――黒く、そして雄々しい人影が、目の前に在った。

逞しいその"男"は、異形の鎧纏う怪物を前に、威風堂々として正面から対峙していた。

手には、未だ硝煙を薄く立ち上らす、鈍く黒光りする大振りな銃。

背中は静かに、それでいて一分の隙も無く、鉄獣の威容を前に些かの動揺も見せない。

抜き身の刃そのものの如き、鋭い迫力と威圧感を纏う頑然たる姿に纏うのは、漆黒の戦装束。

要所を金属の装甲ガードで纏い、そして手脚はそれぞれに重厚な篭手と脚半とを身に着けている。

その首元から、背後へ向けて"尾のように長く翻る"は、首に巻き付けた漆黒の長布。

頭に戴くは、獅子の鬣のように雄々しい存在感の"白髪"。

果たして、その姿には、香から聞いていた特徴の全てが一致していた。

ならば、これこそが・・・・このこそが――――




「・・・・"ブラック・テイル"・・・・!?」




「――――寝ていろ。

まずは、己が未熟を思い識れ」




空気すら戦いているかのように、音の遠ざかった白い霧中を斬り裂く、太刀打ちの如く鋭い声。


嵐の到来を告げる一陣の風、あるいはそれすらも引き裂く雷光かのように、その男は鮮烈に、光弥の前に立ちはだかっていた。




――――To be Continued.――――



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