#4a グッド・バイ
6月8日 15時20分
上赤津場 南部
赤津場自然公園 周辺
<今日は大変だったね・・・・
梓も一緒にいた子達もケガ無いよね?
いきなりいなくなってたからびっくりしちゃった!!
こっちも大丈夫だったよ
光弥くんなんてあんな事あったのに擦り傷一個だけ!!Σ(´∀`;)
頑丈!!
梓?
出来ればそっちからも連絡して欲しい>
「・・・・こうして、怖がらずにちゃんと読んでおけば、あんな風に驚く事なかったのにね。
ごめんね、香・・・・」
動きやすい服装に着替え、長い髪も結い纏めて、梓は外に繰り出していた。
その途上、黒々と出来た木陰の下で一休みがてら、スマートフォンに溜まったメッセージにようやく目を通していた。
その場の涼感に、浮かんでいた汗も徐々に引いていく。
清潔な白の鍔広帽のお陰で日差しは防げるが、夏の午後の暑気まではどうにもならなかった。
手に提げていたバスケットから取り出したミネラルウォーターを一口飲み、引き続き香からの連絡を読み進める。
<大丈夫?
今日もお休みだったね
学校で、今朝病院にいたって聞いたんだけどホント?
あんなことがあったばっかだし、あたしも心配だし、もしどこか悪いんだったらお見舞い行ってもいーかな?
その時はクッキー焼いて行ってあげるから!
今度のは梅干とかは入ってないからダイジョーブ! >< >
香らしい勢いのある文面に、笑みが溢れた。
けれども、思えばこんなにも梓を心配してくれている彼女の細やかさに、感謝と自責の念とが込み上げてしまう。
あの事故のあった日から、明癒や遼哉とは何度か現状報告程度は交わしていたものの、香からの連絡を開く勇気は、どうしても出なかった。
言わずもがな、"彼"と友達である香から、事の顛末を聞くのが恐ろしかったから。
そして、その責を彼女から糾弾される杞憂に、勝手に囚われていたから。
(・・・・私に・・・・"彼"をとやかく言える資格なんて、本当は無いのかもしれない)
梓は深く、暗い溜息を吐いていた。
確かに、あの出来事は梓に大きな衝撃を与えたが、それでも友人からの思慮を無視する理由にはならない。
身勝手で、なによりも香に対して失礼だ。
もはや今更だろうが、梓は改めて数少ない友人を想い、きちんとその親切心に応えることに集中する。
<香、心配してくれてありがとう
それから、ずっと無視してて、本当にごめん
あの後、なんだか気分が落ち込んじゃってて、寝込んでいたの
せっかく連絡してくれたのに、言い訳を並べているみたい・・・・ごめんなさい
怪我は私達3人とも平気で、なんともない
病院に行っていたのも、ただの検査だから安心して
それから、こうしていられるのも、日神君のお陰だよね
私達みんな、貴方に感謝していますって、よろしく伝えておいてください
改めてちゃんとお礼をしに伺います、とも>
自分の気持ちを書き連ね、一気に文は出来上がっていったが、最後の文章を付け加えるのには、少し躊躇っていた。
(・・・・"彼"との事は難しい事だけど、有耶無耶には出来ない。
・・・・これは礼儀、なんだもの・・・・)
思う所は、言うまでもなく色々ある。
それでも、梓達3人の命を救った"彼"の為した事は本当に大きくて、いずれ明癒と遼哉も連れて、きちんと礼を述べなければならないだろう。
これは、つまりそういう礼節の話である。
それ以外の気持ちは・・・・今はもう、無い。
そんな風に、咄嗟に付け加えてしまう自分をどうにも卑屈に感じられて、また嘆息が漏れる。
「・・・・はぁ」
面と向かって言葉を伝えられていないのが引っかかるけども、ひとまずの心配事が軽くなった事には、素直に安堵できた。
そして、汗も十分引いた。
そろそろ行こうと、梓は手提げのバスケットと、色々な"道具"を入れた小さなリュックを背負い直し、再び炎天下へ繰り出して行く。
「――――・・・・暑い・・・・。
昨日は寒いくらいだったのに」
歩道のすぐ左手、鉄柵の向こうの森林からは、蝉の声がうるさく聞こえてきていた。
夏の風物詩たる彼らの鳴声だが、ずいぶん暫くぶりに聞いた気がした。
今年の夏は暑くなったり寒くなったりと、人間ですら体調管理が難しいのに、彼らもさぞかし苦労しているのではなかろうか。
そして梓自身、病み上がりにそんな過酷な環境の中へ出ていくのは辛いものがあった。
何せ、ほんの1時間程前に、二間総合病院から退院してきたばかり。
どうにか自宅に帰って冷房を点けただけで、1日ぶりに帰っただけと思えない安心感にへたり込んでしまいそうだった。
一緒に帰ってきた子猫も、もうすっかり疲れていたようで、そのまま一緒に昼寝を、と考えてしまったのだって否めない。
それでも、梓は必死に気持ちを張り詰めさせ、手早く身支度を済ませて、結局は30分と居座ること無く、ここへやって来た次第だ。
(・・・・ひとまず、誰にも見つからずに帰れて良かった。
あの子も、すっかりお眠みたいだったし・・・・でも、そうしておとなしく待ってくれてる内に、帰らないとね)
と、今頃は編みカゴで作った寝床ですやすや眠ってるだろう子猫を思う梓。
他にとりあえず簡単なご飯と水、即席の"トイレ"だって用意してきたが、やはり少なくない不安が過る。
本当なら、動物を相手にそんなままならない心配をするより、まずは真っ先に必要な環境を整えたほうが、きっと良いのだろう。
だが、今から梓が取り掛かろうとしている"事"は、そうして一刻でも早くやり遂げなければならないのだった。
(・・・・あれからもう半日くらい経ってしまって、どんなに急いでも、もう間に合わないかもしれない。
それでも、私・・・・あの子の家族の私だけは、諦めちゃいけない。
出来る限り、やって見せなきゃいけない。
それもきっと、あの子を預かった責任の一部だと思うから。
・・・・けれど――――)
幾らその為とは言え、これから向かおうとしているのは他でもない、悪夢よりも恐ろしい体験を味わった、その当該地だ。
それを思い返すだけでも、梓の身体には震えが走ってしまう。
「・・・・・・・・・・」
白昼とは言え、1日と空けずに再度向かおうなどと、本来ならばありえない考えだ。
梓は昨夜、あの場で信じられないものを目にし、その果てに殺されかけた。
もしも・・・・あの時、気を失う直前に見た"大きな背中"が助けてくれなければ、それは現実となって訪れていた。
(――――誰、だったの?
炎みたいに熱い、怒りと焦りを抱えていた。
誰かは分からなかった、あの人は・・・・私を心配して・・・・・?)
ずっと頭から離れない心配事が、またも梓の足取りを止めさせていた。
悩んだ時の癖で、横髪を何となく弄る。
ややあって、答えを求めるように顔を上げ、眩しい青空を仰ぎ見ていた。
あの時、梓を救ってくれた"誰か"を見上げるのと、同じように。
(・・・・"アレ"に組み伏せられて・・・・もう、ダメって・・・・助からないって、思った。
けれど、"あの人"が私を守ってくれるように現れた時・・・・凄く安心してしまった。
自分でも驚くくらい・・・・心が軽くなって・・・・そのまま気絶して、記憶まであやふやになってしまったけれど――――)
だが、あの背中は、あの力強さは、今も梓を悪夢から守ってくれている。
不思議な程に、心を落ち着かせてくれている。
(――――薬師寺先生の言ってた、私を助けてくれた人・・・・。
・・・・その人はどうして、助けてくれたの?
私の事を知っているから?
・・・・私も、その人を知っている・・・・?)
されど、どんなに求めても頼みの記憶は朧気で頼りなく、核心にはどうしても届かない。
そして、もどかしさにどんなに焦れて悶えても、時間は遡れないし、真実は自ら表れ出たりはしない。
分かりきっている事に、梓は失望と共に嘆息し、頭を振った。
・・・・
・・・
・・
・
少し後、梓は赤津場自然公園の入り口へ辿り着いていた。
眩い太陽に照らされ、件の森林は鮮やかな緑に輝いている。
その中を延びる、白熱しているように真っ白い遊歩道のアスファルトと、のびのびとした木々の下に生まれる木陰のコントラスト。
昨夜のあの惨事が嘘のような、爽やかな光景があった。
ただし、それと同時に彼の地には、梓の行動の妨げとなるものもまた、同時に現れていた。
たくましい人影が、自然公園の正門の両脇に阿吽の像のように立っている。
紛うこと無い、揃いの青の制服と帽子を被った警察官の姿である。
朝に聞いたように、実は昨夜の出来事は、「街に迷い出た大熊!!」とかいう見出しのニュースになってしまっていた。
加えて、昨夜は公園内の様々な物が壊されていた筈であり、その昨日の今日では、警察官達が調査に訪れているのも当然と言えるだろう。
(・・・・昨日もそうやっていてくれれば、私もあんな思いをしなくて済んだのに・・・・)
"目的"に暗雲の立ち込める憤りも混じり、思わず内心で毒づいてしまう梓。
とはいえ、無理な理屈に拘泥したところで、何も始まらない。
梓はまず、遠巻きに公園の様子を観察することにした。
先述のように、正門前に立った2人の警官は興味ありげに集まっている野次馬に対し、牽制するように絶えず眼を光らせている。
そして、立ち入り禁止のテープが張られた正門の向こうにも、疎らに警官がうろついているのが見えた。
(正面からは行けない。
もしも忍び込んだりしても、あの中は通り抜けられないし・・・・)
好んでやりたくはないが、しかしそんな無茶を通してもなお付け入る隙の無さに、梓はため息を付いて踵を返していた。
すんなりと諦める訳では、もちろん無い。
この公園の入り口は1つではないし、なんとか他の侵入経路を見つけようとして再び足早に歩き出したのだった。
――――赤津場自然公園は、ほぼ円形の形をした中規模の市営公園である。
内部には子ども用の大きなアスレチック遊具、凝った作りの噴水や大きな池などがあり、平時なら憩いを求める近隣住民で、それなりに賑わう場所だった。
その出入口は、梓の住まいにもっとも近い東側の他に、南側と西側の計三つある。
言い方を変えれば、それしか無いとも言えた。
と言うのも、公園の森林は外周部までけっこうな密度で広がっており、更にそれを生け垣や鉄柵がぐるりと取り囲んでいるのだ。
周囲との段差も相応にあり、"よほどの理由"が無い限りはまず通ろうと思わない、しっかりとした境界線が築かれているのであった。――――
「はぁ・・・・」
30分ほどして、全ての門を回り終えた梓の口から、大きなため息が漏れていた。
歩きっぱなしだったことへの軽い疲労感と、それが徒労に終わったことに対する落胆のせいである。
結局、公園外周を一周りしてはみたものの、出入り口とその周辺は全て警官の目が光っていた。
なので一応、正攻法も試してはみたのだ。
こちらの"事情"を説明して、短時間でも同伴してもらってでも構わないから、中に入れないものかと。
「獣害事件の発生による、特別警戒中です。
申し訳ありませんが、お引き取り願います」
もちろんと言うか、一蹴されてしまった。
とはいえ、腹立たしさよりも納得感の方が大きい。
公園内にはまだ、薙ぎ倒された街灯や、叩き潰された鉄のフェンスなんて物騒な有様が残っていることだろうし、用心の措置は当然。
梓だって、香や明癒達がもしも今この公園に行きたいと言ったのなら、絶対に止める筈だ。
「――――納得、しちゃダメなのに」
もう一つため息をつく梓。
他所の事情を慮るより、ともかく今は何とかしてこの公園に入りたいのである。
そして、実は・・・・幸か不幸か、その目星は既についていた。
現在、梓のいる場所は、公園の北東に位置する外縁部。
先述のように、公園の周りには、鉄柵と木の並びが延々と続いている、と思いきや、この一箇所だけは例外だった。
枝葉が伸び伸びと広がって薄暗く、内と外とを厚く隔たっている木立だが、ここだけはほんの数m先に遊歩道が覗ける。
また、後ろが一段高い地形のせいで腰元くらいまでの段差も無く、他所と違って地面に直接、鉄柵が植わっている。
しかも、誰がやったか知らないが、その鉄柵も基部が掘り返され、2つの柵の継目に、1人分の隙間が開けられそうだったのだ。
「・・・・でも、こんな・・・・。
何がいるかも分からない、道とも言えない場所を通らなきゃいけない、なんて・・・・」
これ以上無い裏口を目の前にして、しかし先に「不幸か」と言ったのは、その先に広がるのが、道は道でも"獣道"と言うべき代物だったからである。
いたく年季の入った鉄柵に、身体を擦りつける様にして入らなければならないだけなら、まだ良い。
その先の、鬱蒼とした木々の軒下を通らなければいけないエリアが、梓を尻込みさせていた。
「・・・・うぅ・・・・ん・・・・」
見ませい、なんともはや、脚が4本より多い"やつら"が好みそうな、この環境を。
張り出した枝葉のせいで薄暗く、少しかがまないと進めないくらい狭く、地面に広がるはフカフカの土。
(・・・・有り得ない。
上も下も、いつどこから、ム・・・・"アレ"が出てきたって、おかしくない。
そうしたら私・・・・きっと思い切り叫ぶし・・・・意識、保っていられない、かも・・・・)
そんな事態を考えるだけでも、寒くもないのに身体が震える。
普段なら、近付くどころか直視すら堪え難い忌まわしさである。
「・・・・でも、仕方ないじゃない。
ここしかないんだもの。
・・・・ものすごく嫌だけど、背に腹は代えられない、から・・・・」
半ばヤケ気味にブチブチと零しながらも、梓は感情を排し、理屈だけでそう結論付ける。
そして、不満たらたらとは言え、一度決めたからにはその行動は早い。
辺りを見渡し、誰も通りがからない事を確認。
それから持ってきていた軍手を装着し、目の前の鉄柵へと挑みかかる。
「ん・・・・しょ・・・・っ――――」
鉄柵は思っていたよりも軽く動かすことができた。
すぐにそれなりの大きさの隙間が出来上がる。
(これなら・・・・なんとか見つからないで、通れそ――――)
「ねぇ、何やってるのかしら?」
「 !!!!!!!! 」ぐらいの勢いで、びっくり仰天する梓。
思わず手を離した鉄柵が、音を立てて跳ね返って、元の位置に戻った。
同時にばっと振り返ると、いつの間にかそこに誰かが立っているではないか。
だが、どんな人相かを見る余裕も、さっき確認したのに言い訳めいて考える思考も、今の梓には無い。
見られてしまった。
ため息をついて、顔を引き攣らせて、それからいきなり独り言を言って、据わった目で鉄柵を動かそうとしていたのを。
そうとあっては、もはや相手が何者であろうがどうでも良く、きっとトマトみたいに赤くなってるだろう顔を、必死に背けるのが精一杯。
「すいません何でもないです探さないでくださいっ」
口調も、普段の3割増くらいの小声と早口である。
それから大げさに一礼して、脱兎という表現がぴったりな勢いで走り出す梓。
自分でも分かるくらいに顔は熱くなって、視界までも若干潤んでいた。
その有様を傍から見たならば、意を決して告白した挙句、手酷く振られた少女のような悲壮感であった。
「あら、ちょっとお待ちなさいな」
「ひゃっ!?」
ところが、真後ろに向かって思春期っぽく暴走しようとした梓は、しかし謎の声の主に挟み撃ちにされ、行く手を塞がれてしまう。
否や、人間が分身など出来るはずもなく、その現象はただの梓の”錯覚”である。
即ち、梓が逃げ出そうと踵を返そうとしたその瞬間、声の主は眼にも止まらぬ速さでその前方へ滑り込んでいたのだ。
だが、動揺しまくっている上に足元しか見ていない梓には、それに気付くことはなかったが。
「――――忘れ物よ、お嬢さん?」
ともかく、梓は逃げ道を封じられてしまった上、明確に相手から声を掛けられている。
此処まで来ては仕方なく、梓はあんまり顔が見えないよう、慎重に目線を上げていく。
シックな色合いのスニーカーに、ジーンズを履いた長い脚を辿り、その先に見えたのは見事な曲線美を持った、ポニーテールの長い髪の女性。
いたずらっぽい笑みを浮かべる彼女は、手に小さなベージュのリュックを持ち上げていた。
梓は、あ、と思わずまた声を出す。
それは、鉄柵を動かす時に足元に置いといて、そしてたった今、全力で置き去ろうとしていた自分の荷物だ。
醜態の連続に、跳ね上がる羞恥心。
それを強引に誤魔化そうとしがてら、変な呻き声を出しながら女性に突進する。
「~~~~、か、返して・・・・っ」
リュックへ伸ばした手は、しかしすんでのところで掴み損ねてしまう。
いや、掴み損ねさせられた、という方が正しいか。
絶妙なタイミングで、女性がリュックを引き戻したせいだった。
もう一度伸ばすものの、梓よりさらに長身の女性は、手を伸ばしてもギリギリ届かない間合いを的確に見切って、動いてみせる。
「ふふ、照れ屋さんなのかしら?
でも、そんなりんごみたいに真っ赤になってちゃ、かえって目立っちゃうわよ。
はい、クールダウン、クールダウン♪」
「ひやっ・・・・!?」
女性は次の瞬間、暴れる梓の額へ、ペチと手を当てていた。
まるで子供の熱を測るみたいに、気安い仕草。
そして、まさに梓の顔が熱くなってるせいで、その掌はひんやりと冷たく感じたのだった。
「な、な・・・・あ、あなたわ、わ・・・・!?」
「ふふふふっ。
ごめんごめん、ちょっとからかい過ぎかしらね。
あたしは・・・・まあ、ただの親切な通りすがりのお姉さんってとこよ」
「自分でお姉さんなんて・・・・」
「なにか言った?」
「――――いえ、何でもないです」
と、狼狽えまくる梓は、俯き加減に呟いての返事に留める。
勿論、痛烈に文句を投げつけたくはなるも、しかし多少は取り戻した冷静さが、矛を収めさせたのだ。
(大体、全然親切なんかじゃ無いじゃない・・・・っ)
しかし、一方で女性は尚も愉快そうに、されど同時に愛嬌も兼ね備える絶妙な微笑みを向けていた。
「まぁ、まずは少し落ち着きなさいな。
急がば回れって言葉もあるでしょう?
人生、三日に一回くらいは、深呼吸してじっくり考えることが必要なものよ」
妙に悟った言い草は、至極もっともらしくも聞こえた。
が、ここで素直に従うのもなんだか癪に触るくらい、既に梓の中でこの女性の第一印象は
「・・・・だとしても、貴女には別に関係ないですよね。
通りすがりの方に口出しされる謂れだって、ありません」
不審感を顕に、かなりつっけんどんに言い放つ梓。
文面では現しきれないも、先程までの問答での苛立ちも混じって、それはそれは辛辣な調子であった。
「んー、まぁそれもそうだわね。
見たところ、この公園に入りたがってるみたいだけど、立ち入り禁止って事はもちろん承知の上よね?」
ところが、女性は同意を見せつつも、次の瞬間には素知らぬ顔で問い返す始末。
あくまでも梓を遮ろうとするその行動に、また一段と眼を釣り上げさせる。
「いいから、放って於いてくれないですか?
私、大事な用事があるんです。
・・・・それとも、貴女は警察の人ですか?」
「いーえ。
言ったでしょう、ただの通りすがりって。
でもただの通りすがりでも、なんだか顔を青くしながら頑張ってる女の子を心配する権利くらい、あると思わない?」
「そっ、そっちこそ、怪しいじゃないっ・・・・ですか・・・・」
「あら、人当たりの良さには自信あったのだけれど♪」
果たして、梓がどんなに刺を飛ばしてみても、女性は尚も余裕の笑みであった。
逆に、焦りともどかしさに冷静さを取り戻せない梓は、自覚できるくらいに動揺しきり。
その事も気に食わなかったが、しかしもっと気に入らないことが今、梓の目の前にはあった。
(この人・・・・凄く、スタイルいい。
細くて、背も高くて・・・・かっこいい・・・・)
――――梓は、押し問答の最中だと言うのに、彼女の立居振る舞いの方に意識を奪われてしまう。
目の前の女性はそれ程に、スーパーモデル級と言っても過言でないプロポーションの持ち主だったのだ。
梓に勝るとも劣らない、咲き誇るとも言い表せそうに見事な、胸や腰の円やかさ。
されどウエストは細く引き締まり、更に驚くほどに美しく伸びる、靭やかで長い脚。
これら、均整の取れたS字の曲線美は、同じ女性の眼で見てもため息が出そうなほどに完璧で、颯爽としていた。
タイトなパーカーにスキニーデニムと言うボディラインの良く分かるラフな出で立ちを着こなしている事で、そのダイナミックなスタイルは更に強調されている。
そしてその上の、茶目っ気のある微笑みを湛えた秀麗な美貌は、上品な薄化粧で見事に彩られている。
鋭利さと強かさを伺わせるようなアーモンド型の眼に、同じく赤みがかった褐色の瞳を宿し、眉間から下りるすっきりとした鼻梁はツンと高い。
唇は緋色の瑞々しい花弁のようであり、また顎や首、そして僅かに覗くデコルテのラインも細く、そして滑らかだ。
どんなケアの賜物なのか、柔肌は白磁の陶器のように滑らかだし、更には梓に匹敵するほど長い栗色のポニーテールだって、見るからに素晴らしい艶めく髪質を帯びていた。
この上に、口角を上げながらスラリと立つ小粋な立ち姿までもを加えれば、陽気で快活な雰囲気と同時、ファッションモデルのような華やかな迫力までも伴って見えるのだった。――――
「・・・・・・・・・」
この時、梓は言い知れない寂寥感を覚え、勝手に打ちのめされたような気分になってしまっていた。
それは、何も外見だけを見比べた、短絡的な感想などでも無かった。
梓の美貌もまた、”絶世の美少女”と言ってなんら差し支えないのは知っての通り。
目の前の美女に匹敵して魅力的であり、また梓本人もそれなりの"自負"を持ってもいた。
”美しさ”とは、何よりも本人の意識と努力を重ねてこそ体現できるものと知らねば、これを磨き、保つことは出来ないのである。
では、そんな梓がいったい何に屈服させられたかと言えば、それは目の前の女性が纏う、余裕に満ち溢れた気配だった。
彼女は、常に麗しい微笑を口端に浮かべて、そして嘘も本音も、おくびにも出さずに包み隠すことができていた。
言いたい事をうまく表せなかったり、それどころか時に気持ちを激しく乱し、自制の効かなくなってしまう梓とは違って。
この女性の立ち居振る舞いは、今まで梓が磨いて、現してきた姿とは、趣こそ大きく異なるだろう。
数ある要素は、千差万別に差もあるだろうが、その内のたった一つ。
されど、そのただ一つに於いて、梓は彼女に決して敵わないと、感じさせられてしまったのだった。
だが、女性の方は相手がそんな事をもやもやと考えているとは知る由もない。
なので、単純に回りくどい言い方が癇に障ったと思ったらしかった。
「あらら、ちょっと冗談が過ぎたかしら、ごめんなさい。
だからそんな恐い顔しないで、ね?」
途端に少し調子を変えて、今度は人懐こい笑みを浮かべる。
その柔和さときたら、例え間にどんな確執があろうと、するりと許してしまえそうに心地良いものだった。
「・・・・別にそう言うわけじゃない、です・・・・」
実際、硬い声でそう言う梓も、なんとなく毒気を抜かれてしまっていた。
憮然とした表情だったが、別に怒っている訳でもない。
たおやかに笑うこの女性だって、こうして真っ直ぐ相対すれば邪念などは感じられないし、きっと悪い人ではないだろうとは、梓も思っていた。
(でも・・・・なんだか、初対面なのに近くない・・・・?
・・・・どう接すれば良いのか、良く分からない、というか・・・・厄介そう、というか・・・・)
やっかみ混じりとは言え、けっこう失礼な事を考える梓。
しかし、そんな内心のもやもやは次の瞬間、またもこの女性の行動によって吹っ飛ばされることになる。
「とりあえず、この中に入りたいんでしょ?
あたしも付き合わせてもらっていいかしら?」
「――――え?」
梓は、思わず目をしばたかせて、答えに窮してしまう。
この女性ときたら、行動からして突飛だが、言動までも大概なようだった。
「何をするつもりなんですか?」
「何かするつもり、とだけ言っときましょうか?
あなたの名前と目的を教えてくれたら、話してもいいかも」
一応聞いてみるも、打てば響く速さで返事が来る。
あらかじめ用意された答えだったのだろう。
(――――私・・・・もしかして、ナンパでもされているの?)
女性の思考が読め無さ過ぎる梓は、混乱のあまり変な結論に迷い込む。
だって、会ってまだ30分と立っていないのに、目的はともかく名前まで聞き出そうとして、しかも妙に馴れ馴れしいし。
だが相手は女性で、梓も女性だ。
この女性が"そーゆー趣味"の人、という可能性も無きにしもあらずだが。
(・・・・こんなに美人だし、本人の言う通り・・・・確かに人懐っこそう。
男性からでも、女性からでも人気はありそう、だし・・・・無くはない・・・・?
で、でも、交際・・・・っだなんて、そんな・・・・っ)
と、歪んだ愛欲の幻影に惑い、大概に失礼な思考に沈んでいた梓は、ややあってようやく我に返る。
歪んでいるのはこっちだ、と変に脱線しだした思考を引っ張って、改めて目の前の問題に集中する。
(・・・・別に、後ろめたいことでもないけれど、見ず知らずの人とするものでもないし・・・・。
・・・・でも、今更退けないし・・・・)
本当に、厄介なことになってしまったと今更ながらに気落ちする。
この女性は悪人ではないのだろうが、目的も真意も見えてこない相手というのはやはり信用し難い。
それとも彼女はこの公園の管理者か何かで、不審にウロウロしている梓を見張るための方便だろうか?
だとしても、筋の通った理由だし、それならば隠す必要も無い筈だ。
「ね、どうかしら?」
判断つきかねる梓に、女性はにこやかに、しかし急かすようにはっきり問うてくる。
向こうも、もはや引くつもりはないらしい。
(――――だったら、断るだけ時間の無駄、かもしれない)
何となく、この女性の気質の掴めてきていた梓は、嘆息しながらそう結論する。
どうせ不法侵入を行うことに変わりはないし、"毒を食らわば皿まで"。
梓としては、今はただ時間だけが惜しかった。
「・・・・分かりました」
結局、押しきられる形で渋々と承諾する。
すると、女性はまた一段と喜色を顕に、無邪気そうに笑ってみせた。
「ふふ、そうこなくっちゃっ。
旅は道連れ世は情け、風が吹けば桶屋が儲かるってね。
さ、あたしに続きなさいっ!!」
(・・・・本当に、これでよかったのかしら)
天と地程もありそうなテンションの差に、言いようのない不安を覚えながらも、梓は女性とともに鉄柵に手をかけるのだった。
――――To be Continued.――――
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