#4a 月下の激吼
――――始めにその光景を見た時、光弥は迂闊にも一瞬、我を忘れて立ち止まってしまった。
降りしきる雨、人の往来。
時に、赤信号や、走行する車の鼻先。
何もかもを無視して、光弥は赤津場自然公園へ走り続けた。
間違いであれ。
でも本当だったら?
頼むから、無事でいろ。
3つの考えがぐるぐると頭を巡って、自分が物凄い早さで走っていることも、その疲労を一切感じていない事にも気付かず、ひたすらに走り続けた。
やがて公園内へと突っ込み、夢に見た映像を追う内に、どんどんと強まる"黒い気配"。
そして辿り着いたのは、敷地の外れの方の、行き止まりの広場。
人影が一つと、人型だが決して人間ではない歪な影が、そこにはあった。
無残に泥に塗れた格好の"彼女"。
片や、さんざん光弥を危機に陥れた、人狼の如き怪物。
一方が一方に組伏せられ、そして震え戦いている。
どちらがどちらかなど、言うまでもない。
だが、眼前にあるのは紛れもなく"彼女"の危機。
今しも、華奢なその身体を貫こうと突きつけられている腕は、まるで死神の刃。
程なくして、それは容赦なく振り下ろされ、"彼女"の命はいとも容易く奪われるだろう。
絶対にあってはならない結末が、現実になろうとしている。
光弥が何よりも恐れる、忌まわしい結末が、齎されようとしている。
目の前の出来事一つ一つを、積み上げていくように徐々に理解していく。
――――たすけて――――
まるで、時が止まったかのような錯覚に囚われた心に、鮮明な"彼女"の声が響いた、気がした。
刹那。
<ブツンッ>
そんな、音とも感触とも取れる反応があった。
光弥の中の、限界まで張り詰めたものが引き千切られた。
身体中、臓腑と血潮の全てが、沸騰したように熱を帯びる。
恐怖、警戒心、苦悩、全て思考から消し飛んだ。
否・・・・もはやなにがあろうが、関係無かった。
「その子に」
極端な前傾姿勢のまま、身を投げ出すように身体を沈める。
そのまま、猛烈な踏み込みを以て前へ、弾丸のように飛び出して行く。
―――― 現界(MATRIX) ――――
同時、敵へ飛びかかる一歩を刻む脚に、光と共に”装甲”が成される。
閃いた蒼い光は更に、思い切り振り被らせた左腕をも、瞬時に”黒鋼の大籠手”へと変じさせる。
瞬きよりも速く、文字通りに"刹那"の内に鉄槌と化した左拳に、軋み上がる程の怒りと力とが、充填される。
「―――― 手を出すなああああっ !!!!」
そして、魂の鉄拳が放たれた。
突進、踏み込み、体重移動、筋肉の収縮、着弾間際の五体の捻り。
光弥が持っていた、あらゆる力学的要素を込めた渾身の一打が、狼のような鼻面へと叩き込まれた。
その瞬間の衝撃は、とてつもなく重く大気を震わせていた。
生身を殴ったとはとても思えない、岩石をぶつけ合わせたような重低音が轟く。
< ドゴォッッッッ・・・・ !!!!>
「―――― ああああぁぁぁぁっっ !!!!」
激痛にも似た、強烈な手応え。
何かを叩き潰す、明確な感触。
それでも、尚も止まらない憤激の拳は、戦車砲の如き威力で、怪物の巨体すらをも撥ね飛ばす。
< ギッイィッ !!??>
怪物は、爆破に巻かれた瓦礫めいて、3m近くを殴り飛ばされた。
低く吹き飛び、地面に一度叩きつけられるも、勢いは一切緩まらない。
轟音を立てて何度も跳ね上がり、転がりながら、怪物はブルーシートのかかった建造物の横っ腹へと、叩き込まれる。
爆轟と共に、建造物の骨組みが歪み、メキメキと鳴りながら傾く。
一連のそれは、いっそ冗談じみて滑稽な光景だった。
さっきまでが怪物映画なら、今のはまるで
だが、さながらフィクションのような無理を現実に引き起こしたとなれば、その影響は大きな代償をも伴って現される。
事実、途方もない一発を放った光弥は、四肢が千切れそうなほどの猛烈な負荷に全身を貫かれていた。
無茶苦茶な力を絞り出したことで、心臓は異常に動悸し、脂汗も一気に吹き出している。
「眞澄さんっ!!??」
しかし、今の光弥にとってはそんな代償も、そして怪物の事すらも些細な問題だった。
感情が振り切れた光弥は、もはや"彼女"の事以外は全て、気にする余裕すらなかったのだ。
「――――眞澄さん!!!!
眞澄さんっ !!!!」
倒れて動かない"彼女"の元へ走り込むや、半ば裏返った声を張り上げる。
耳障りなくらいの声量だろうに、返事は返ってこない。
それどころか、"彼女"はまるで埋葬を待つ亡骸のように、腕を組んで横たわったままだった。
息をしているのかすら曖昧なまでの静けさは、光弥に最悪な結果を想起させざるを得ない。
だが、必死に頭を振ってその考えを追い出し、光弥は尚も呼びかける。
それでも、応えはやはり無い。
「・・・・嘘だろ・・・・。
返事・・・・してくれって・・・・っ。
・・・・なぁっ!!??――――」
あまりにも静かに眠る様が、真っ黒な絶望感を底なしに深めていく。
間に合わなかったのか。
今や、黒鋼の装甲に包まれた腕、身体までも、痙攣するように止めど無く震えていた。
「――――ダメだ。
死ぬな・・・・死ぬなって!!!!
頼むっ、起きてくれっ!!!!」
喉が潰れそうなほどに、光弥は叫んだ。
絶望に重く引かれようとも、激昂した心は愚直なまでに"彼女"へ呼びかけ続けていた。
果たして、その行為が繋ぎ止めたのか。
「――――かふっ・・・・っ!!!!
っ・・・・はっ、はぁっ、はぁ・・・・はぁ・・・・ぁっ・・・・!!!!」
直後、彼女の豊かな胸の膨らみが大きく上下した。
苦し気だが、紛れもない呼吸の動作。
意識は戻らないまでも、それは確かに"彼女"の命が、まだ息衝いている証だった。
(・・・・気絶、してるだけ・・・・)
その時、光弥は安堵感のあまりに、緊張までも失ってしまっていた。
今の状況がどれほど切迫しているかも忘れ、完全に放心してしまったのだ。
<ギ、ギィィィッ・・・・!!!!>
しかし、先に痛烈な"先制打"を食らった怪物は、崩れた鉄骨などに絡まれて、一時的に身動きを封じられていた。
そうでなければ、後ろから一突きに殺されたって文句は言えない失態であったのは、言うまでもない。
「・・・・・・・・・」
――――泥にまみれた"彼女"の姿は、痛ましいものだった。
逃げている間に付いただろう、薄手の衣服から垣間見える傷の数々。
漆黒の長い髪はすっかり汚れて、色白の美貌は血の気が引いて、目許には涙の跡がある。
暴虐され、傷つけられたその姿は、光弥の心を再び、強弓の弦のようにキリキリと張り詰めさせる。
一度はゾッとする悪寒に苛まれていた身体に、狂暴な熱が戻り始めていた。
その熱は、ともすれば敵もろとも光弥をも焼き尽くさんばかりに熾烈なものだった。
ふと、光弥は立ち上がり、僅かに天を仰ぐ。
激情は、収まるところを知らぬように高まり続けている。
光弥には、もうそんな己を律しきることが出来そうに無い。
否・・・・抑えるつもりも、そもそももう無い。
砕けんばかりに歯を食い縛り、唸るような声を絞り出す。
「この野郎・・・・っ!!!!」
向き直った先で、遂に怪物は、建造物の残骸を撒き散らしながら這い出してみせた。
動作と共に漏れる、やたらに甲高い唸り声は如何にも獰猛で、聞くものに否応なく恐れを植え付けるようだ。
< ギャアアアアェェェェッッッッ !!>
瞬間、緒が切れたとでも言わんばかりに、凄まじい咆哮を炸裂させる。
鼓膜を劈き、気の弱いものならそれだけで失神しかねない、恐ろしい威圧。
(知ったことかよ)
だが、今の光弥はそんな事も意に介さないほどに猛っていた。
怒気と殺意を漲らせる怪物。
凶器を振るう躊躇い。
死の恐怖。
そんなうだうだした鬱屈、全てを吐き捨てる。
「 ああああぁぁぁぁっ !!!!」
光弥の怒号と同時に再度、虚空に蒼い閃光が爆ぜた。
幾何図形めいた光が飛び交い、電光の奔るような、鉄槌を打ち響かすような異音が絡まり、そして一瞬にして"人"の求める強き"力"を、此処に結ぶ。
即ち、蒼き烈光纏う重撃剣・”嶄徹”を、光弥は荒々しく掴み取り、地面に突き立てた。
「・・・・絶対に、許せないんだよ・・・・それは」
あの化け物には、断じて分かるまい。
大事な
傷つけてしまった、この痛み。
狂ってしまったように駆け巡るこの悔恨が、どれ程なのか。
(なら・・・・思い知らせてやる。
お前らが今までやってきたことが、どれだけ恐ろしいのか。
・・・・どれだけ残酷なのか)
眼前の怪物は、既に猛り狂っている。
明確な殺意と、自分を害する巨大な武器とを持つ襲撃者を”敵”と見定め、殺気を放っている。
しかし、光弥は、それを上回る憤怒に駆られている。
まるで鬼神のように蒼く輝く眼光で、怪物を睨み据えて仁王立つ。
歯軋りさせるほどに噛み締めた口の中で、血の味がした。
思考、感覚、全てが獰猛な闘志に塗り潰されて、今までの自分とは別物に変異していくのが感じられる。
今や、光弥もまた、傷付き怒れる獣に成り代わっていた。
その場はもはや、血に餓え、牙を剥き出し、眼前の"敵"を殺すことに囚われた凶暴な獣が一対、睨み合うばかり。
小雨の降りしきる中、互いの喉元を噛み裂かんと構え合う空気はまさに、嵐の前の静けさだった。
「・・・・お前は、倒す。
躊躇とか、容赦も、もう要らない。
ここで"オレ"が、斬り臥せる・・・・!!」
まるで、光弥の宣告に戦いたかのように、怪物は低く、低く身体を沈み込ませていた。
無論、本当に臆して縮こまっているわけが無い。
光弥には、既に分かっていた。
「――――っ!!」
すると、怪物の巨大な双腕に、翠緑色の怪光が絡む。
皮膚の下の、無数の血管の中を光が走ったような、気味の悪い現象が唐突に起きた。
その、刹那。
< ギョオオオオァァァァ !!!!>
奇声と共に、双腕を一気に引き上げるや、目を疑うような現象が起こる。
まるで、そこだけ重力がひっくり返ったかのように、地面の泥が濁流となって捲れ上がった。
3m近い高さの隆起は、更に横幅もまた広く、尋常ではない規模だ。
呑み込まれたなら、そのまま潰され、ただでは済まない。
ならば避けるのが正道だったが、しかし後ろには"彼女"がいる。
故に、光弥は真っ向からこれを突破するのを、迷いなく選んでいた。
「 ぅらぁっ !!!!」
一喝と共に、突き立てた重剣を無造作なまでに一閃した。
即ち、強剛なる自然の理を、剣の一本で捻じ曲げようとしたのだ。
無意味でしか無いだろうこの矮小な行動は、しかしこの時、この
蒼き烈光・・・・この世のものと思えぬ怪物をも打ち祓う超常の光が閃けば、それを纏った斬戟はまるで落ち葉を吹き払うかのように軽々と、迫る土砂の壁を斬り拓く。
強大な障害どころか、目眩まし以下にまで成り下がった
間合いに飛び込み、強烈な袈裟斬りが烈風を奔らせる。
最短距離を突破されるのは想定外か、怪物は先手を許し、左肩と硬い腕甲殻を斬り付けられる。
だがそれは、必殺となっておかしくない一撃をその程度に外されたことをも意味し、光弥は歯噛みする。
「っ!!」
<ギアァッ!!>
鋭い爪での返し突きが、光弥のすぐ横を貫いた。
瞬時に掌打でその腕を弾いて、今度は光弥から外させた。
忌々しげに怪物が雄叫びを上げ、更に飛び掛かる。
右腕での殴り付け。
屈んでかわし、同時にギュンと重剣を回転させて、逆手持ちに変える。
スピードを緩めずに、怪物は尚も攻め来る。
下から振り上げるような、大振りな爪での連撃。
光弥は重剣を掲げて凌ぎ、打ち弾くようにして横様に反らす。
その空気ごと弾き飛ばすような強い反動を利用し、さらに重剣を脇構えに構え直し、前へ低く飛び出す。
ブオンと、唸りを上げて振り回される重剣に、怪物は追い払われた。
一気に距離を開けさせたことで、光弥は安堵を半分、また構えを取った。
同時に、思わずちらりと後ろを気にする。
(これ以上は、下がれない。
だからまずは、こいつを押し遣る・・・・!!)
続けざま、身を捩らせての大振りな斬戟を振るい、更に怪物を押し返す。
だが、不自然な体勢で放った攻撃は、それだけ崩され易くもある。
<ガンッ!!>
「くっ!!」
爪腕で無造作に払われただけで、あっさりと重剣が上に流された。
引き戻そうにも怪物の馬鹿力だけあって、そのまま手放さないだけで精一杯だった。
そして、その隙を見逃す相手ではない。
<ガアアアアッ!!>
光弥目掛けて、猛然と怪物の左腕が繰り出される。
がら空きの胴体を薙ぎ払う攻撃を、重剣で防ぐのは不可能。
(なら!!)
もう一つの武器、左の大篭手が再び唸りを上げる。
光弥は身をよじり、迫る爪腕の掌目掛けた拳打を叩き込んだ。
<ガヅンッ!!>
痛みに身悶えるように五爪が蠢くが、大籠手には傷一つつく事はない。
しかし直後、光弥の身体がぐいと引き寄せられた。
怪物は、敵の拳を掴み取ったまま、一気に間合いを詰めて顎を開く。
鋭利な牙が剥き出しになり、唾液が飛び散り、腐った臭気が漂ってくる。
相手を拘束し、勝利を確信して、怪物は必殺の攻撃を繰り出したのだろう。
だが、それはまったくもって早計である。
「これでもっ!!」
怯む事なく、攻めに転じる光弥。
物を掴むにはおよそ向いていない怪物の手からは、簡単に脱することが出来る。
そして、怪物が咥え込んだのは光弥の頭ではなく、突き出された黒鋼の大籠手だった。
ガキリと、光弥の左腕に猛烈な負荷がかかるも、精緻な重装甲はびくともしない。
「――――喰らいなっ!!」
重剣を引き戻し様、柄尻での打撃を鼻面に叩き込む。
黒鋼の鉄塊を無理やり喰わされた怪物は、その痛みに仰け反った。
そして、光弥は解放された左の拳を、更に怪物の顔面にぶち当てる。
ボキリ、と何かが砕ける感触。
<ギャギッ!?>
堪り兼ねて後退る怪物。
手応えは、十分にあった。
<――――ギャアアアアッッッッ!!!!>
しかし、それでも怪物は堪えた様子の薄く、逆に鬱憤を吐き出すかのように鳴き喚く。
お返しとばかりに、怪物の左腕が振りかぶられ、光弥へ猛然と突き出される。
「っ!!!!」
それでも、光弥は退かなかった。
体を捻って、寸前で回避。
間髪入れず、怪物は一歩踏み込み、裏拳気味の爪腕で襲い来る。
のけ反り、すんでのところで躱す。
当然、反対の右腕が黙っているはずもなく、鋭利な爪が光弥へ突き出される。
今度は躱せない。
重剣で防がざるを得ず、激しい衝撃と火花で揺さぶられる。
「ぐぅっ!!」
怪物の力はやはり凄まじく、衝突の瞬間に腕の付け根から吹き飛ばされそうになる。
たたらを踏みながら踏ん張ったつもりだったが、1mほど背後に押されてしまう。
(まともに防御も出来ないか・・・・っ。
こんな化け物と、正面からの力比べに拘るまでも無い。
その、ご自慢の”力”を躱した先に、勝ち目がある・・・・!!)
直後、吼え上がりながら爪腕を繰り出す怪物。
大振りな一撃は凄まじい破壊力を持ち、同時にあまりにも見え透いている。
そして、光弥にはこれを紙一重で捌き切る確かな技量と、無茶な扱いにもびくともしない神懸かりの”大業物”を持っている。
故に、意表を突く鋭い突進から速やかに重剣を押し上げ、爪腕を払い除けた、その瞬間。
光弥は遂に、反撃の一瞬を見出す。
<ッ!?>
「でやぁっ!!」
怪物の攻勢を断ち切る、鋭い一閃を一直線に立ち上げる。
重剣は、鋒を掠らせただけで避けられてしまうも、続けざまの横薙ぎの2撃目で、爪腕での防御を強いる。
更に返す刃の3撃目を薙ぎ払い、尚も怪物を追い立てる。
同時、纏わり付かれる事を嫌うように、怪物は爪を振るう。
甲高い音を立てて、互いの武器が弾き合う。
しかし、光弥は力任せに重剣を引き戻し、4撃目を叩き込む。
上段から打ち込まれた刃は怪物の防御を押し込み、肩口に突き刺さった。
瞬間、カウンター気味に怪物の左手の爪が唸りを上げる。
<ギァアッ!!>
「づぅっ!!」
際どいところで、光弥は咄嗟の後退と防御を決めた。
判断が遅ければ、右の脇下・・・・装甲に覆われていない生身部分の傷程度では済まなかっただろう。
そして、押し付けられる馬鹿力の爪腕は、鋭く回転して受け流す。
同時に、左手側に流れた重剣を背後で持ち替え、円弧の軌道で駆け上る5撃目へ転化。
「――――はあぁっ!!!!」
凄まじい気迫と膂力を込めた斬戟が、野太い風切り音を轟かす。
勢い余って身体まで引き摺られ、泥の上を滑走するほどの一閃。
それは、まさに加減や躊躇など微塵もない、殺す覚悟の伴う証左だった。
生傷の疼きも、無茶を強いている身体の負担も、噴水みたいに溢れ出ているだろう興奮物質のおかげか、まるで感じなかった。
<ギゥゥゥッ!!>
怒涛の剣戟に削られ、遂に怪物が飛び退った。
これで、”後ろに庇う人”の位置から大きく離れたことになる。
一瞬の幕間が訪れ、光弥は荒らげられていた息を整え、構え直す。
――――今更ながらに光弥は、あの怪物が"以前に戦った奴とは違う"と気付いていた。
前の怪物が灰色の体色だったのに対して、コイツは不気味な赤黒い色をしている。
体格も一回りほど大きい他、狼の如き鼻面と顎に、鋭い角のような突起物がある。
そして何よりも、大爪を揃えた腕が、ちゃんと"2本"揃っている。
強靭さに加えて、柔軟性と破壊力をも併せ持つ、盾と矛を兼ねた一対の武器と考えれば、曲者にもほどがあった。
攻防の密度が段違い。
また、全方位に隙無く備えられ、その懐へ付け入る隙をなかなかモノに出来ない。
(何より・・・・さっきの、”腕を光らせての攻撃”。
直撃すれば一撃でやられかねない。
いよいよ、下手に喰らえないな)
それでも、光弥に後退の選択肢は無い。
せっかく追いやった距離をみすみす取り返させる謂れもなく、なおさら果敢に踏み込んだ。
一方、次々と傷を負わされる怒りに唸りを上げ、怪物は両手を大きく広げて構える。
視覚的な威圧感と迫力に一瞬、光弥の足が止まる。
そこを狙い、右腕での突きを放つ怪物。
身を逸らして躱すも、間髪入れず首元目掛けて左腕が奔る。
咄嗟に屈むが、ほぼ同時に迫る右腕の突き下ろし。
防御で足止めされざるを得ず、怪物はそれを見て、躍起になって重剣を殴りつけてくる。
堪り兼ねて、光弥は横に飛び出して
(この上、さらに速くなるのかよ・・・・!?)
おまけに立ち位置が逆になってしまう。
怪物の背後、一足飛びに行ける位置に"彼女"が横たわっている。
看過するわけには行かない。
「はぁっ!!」
出し抜けに、光弥は走る。
怪物はすぐさま反応し、爪腕を繰り出す。
躱しきれない、と思った時には既に、光弥の右上腕が、爪で切り裂かれていた。
それは焦った末、回避も禄に取れないような無謀な突撃だったのだ。
咄嗟に低く構え、尚且つ怪物の意表を突けていなかったら、今頃は串刺しになっていた。
だが、その事に肝を冷やすのもつかの間、今度は光弥が意表を突かれる。
突如、下からの攻撃が光弥を襲う。
怪物の足蹴りが、顔目掛けて飛んできたのだ。
「っっっっ!?」
そもそもの的が小さかったのが幸いし、どうにか顔を逸らして左頬だけに直撃を抑える。
ゾブッ、と、爪が柔らかい皮膚を引き裂く痛み。
そして血が飛び散る。
「――――ぅああああっ!!」
苦悶と綯い交ぜの雄叫びを上げ、光弥は身体ごと重剣を叩きつける。
猛突進の勢いも乗った捨て身の攻撃は、さしもの怪物をも一瞬たじろがせ、組み合う格好になる。
しかし、それも一瞬の後、怪物に無造作に振り払われることによって終わる。
互いの武器が大きく流され、密着状態でありながら無防備に胴体を晒した恰好になる。
それを嫌い、怪物は焦ったように左の掌を突き出す。
対する光弥は、鋭い反応で身を屈め、掴みかかる怪物を掻い潜る。
そして、低い体勢から立ち上がる勢いそのまま、握り込んだ拳を突き上げる。
「でぇいっ!!」
力強いアッパーカットが、屈強な怪物の身体へ捻込まれる。
全身の”バネ”を発揮した一撃は、大砲の着弾のように重く胴部を貫き、更には怪物の急所を覆う、堅い甲殻までも叩き割っていた。
<ギギィァッ・・・・!?>
身をくの字にしてのけ反る怪物へ、光弥は重剣を高々と振りかぶる。
その時、強烈な反撃に後退った怪物との間には、どうしても追い縋るのに一瞬を要する距離が横たわる。
しかし、この”神秘の武具”によって変わった光弥なら、この瞬く間の隙にも一気に飛び込んで見せる。
急速の前進から、地を踏み抜かんとばかりに打ち下ろす、脚の踏み込み。
連動する体捌きが、袈裟懸けに振り下ろす重剣に必殺の荷重を与える。
「おおおおぁっ!!!!」
鈍く光る巨刃が、肩口へ叩き込まれる。
<ガアアアアッ!?>
だが、斬り裂かれた傷口から迸る紅い飛沫は、直ぐに赤い火花にとって変わる。
遮二無二飛び退いた怪物に、またも間合いを外されてしまったのだ。
瞬間、斬りつけられた筈の怪物は怯まずに反撃を図り、爪腕が光弥の胴体を捉える。
咄嗟に横様に飛び退いた光弥だったが、間に合わずに鉾が掠め、呻きを漏らす。
果たして、痛み分けの形で両者は距離を取り、睨み合いに戻る。
「っ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・っ!!」
どうにか、光弥は再び、背中に"彼女"の横たわる位置取りに立った。
鎧の胸当てはともかく、露出している右の脇下、腹部辺りがやたらに熱く、湿り気を感じた。
本当なら激痛に転げ回っていただろうが、今や脳内で氾濫している興奮物質のせいか、感覚が薄くて幸いした。
(傷も消耗も、どんどん増える。
無傷でいられると、そう思い上がっていたわけじゃないけど・・・・)
<――――グゥ、ギ、ィッ>
一進一退。
互いの肉を削ぎ合うような戦いに光弥が歯噛みした、その時。
怪物がそれまでにない、唸り声を上げる。
不穏な気配に、咄嗟に構えを取ったと同時、怪物の目が獰猛に光る。
< ギィシャアアアアッッッッ !!!!>
狂気じみた雄叫びとともに、腕ごと叩き付ける薙ぎ払いを繰り出す。
迫る拳、そしてそこに絡む翠緑の閃きを見て、全身が総毛立つような悪寒を覚えた。
< バガァンッ !!!!>
「うぐあぁ!!??」
防御や、力を捌く余地もなく、光弥は吹き飛ばされていた。
ぬかるんだ地面を転げ、それでも勢いが止まない。
咄嗟に重剣の柄尻を突き立ててようやく止まり、そして光弥は動揺と動悸の背後に、冷たい緊張を感じ取っていた。
そして、それは一撃では終わらない。
猛然と怪物が迫り、首目掛けて振るわれた右腕を、後退して躱す。
直後のもう一本の腕は、重剣で無理やり遮る。
防いだ筈だが、吹き飛ばされたも同然に押される。
(何、だっ!?
このとんでもない重さ!!??
やっぱ、あの緑の光がヤツの腕になにかをして、それでか・・・・!?)
苦し紛れに光弥は、さっきのように重剣を振り回して追い払おうとする。
だが、怪物はその程度の攻撃など意に介さない様に、さらに距離を詰めて殴りかかる。
「くっ!!」
甲殻に傷をつける程度の攻撃ではもう止まらない。
だが、距離が近すぎて振りかぶる時間は無い。
防御で凌ぐ事も、もはや出来ない。
目の前で、拳を振りかぶる怪物。
(――――なんだろうと、押し返すんだ!!
さもなきゃ、"彼女"がまた、巻き込まれるっ!!)
頭の中で熱い何かが爆ぜた。
「 うおおおおああああっ !!!!
狂乱状態めいた苛烈さで迫る怪物。
当たれば、体中の骨が砕かれそうな重い拳が唸りを上げて繰り出される。
だが、これを凌駕せんばかりの気迫を爆ぜさせる光弥は、飽くまでも真正面からの突撃を敢行する。
受けきることはできない、されど避ければ反撃の機を逃す。
それを嫌った末の、蛮行だった。
結果的に、それは相手の攻撃のタイミングをずらし、攻守が一転。
身体を捻り上げるようにして、重剣を掲げる光弥。
間合いの内に怪物を捉えた一瞬に懸け、ありったけの速さで袈裟懸けに重剣を叩き込む。
怪物は防御も取らずにまともに受けるも、やはり止まらない。
その斬戟に威力が伴わなかったがため、右肩の甲殻で刃が止められてしまったからだ。
だが、それを光弥は察していた。
反撃が来るよりも速く、続け様に動く。
「――――りゃああああっ !!!!」
固い手応えが伝わった瞬間、左拳を握り固め、突き出す。
その手に持つ、重剣の"峰"へと。
一度止まった刃は、力強い拳打の激突と共に、再び奔り出す。
<アアアアオオオオッ!!??>
絶叫が木霊し、怪物の巨体が宙を舞って飛ぶ。
瞬間、眼の前で吹き出た血飛沫を浴びながら、それでも光弥は構わず重剣を振り抜いたのだった。
――――重撃剣・嶄徹は諸刃の大剣であるが、その片側に刃を中程まで覆う、"峰"を持つ。
そして、この峰と柄との2点を用いて攻撃を繰り出せば、梃子の原理に則り、作用点たる鉾の威力は凄まじいものとなる。
例え、剣を受け止められた密着状態からでも、瞬間的に絶大な破壊力を発揮することが出来るのだ。
特殊な構造、超絶的な剛性を併せ持つ、重撃剣・嶄徹ならではの奇策であった。
成功していれば。
「ちぃ・・・・っ!!」
仕掛けた瞬間の手応えで、光弥は察していた。
怪物は、またも攻撃の直前、自分から飛び退っていた。
刃の通りが浅く、威力を発揮しきれていない。
< ギャアアアアッ !!!!>
目に見えるような激烈な怒気を全身に漲らせ、怪物が吠えた。
仕返しとばかりに槍の一突きのような高速の突きが繰り出され、足元に突き刺さる。
「うぁ・・・・!!」
軸足を狙われて体勢を崩す光弥目掛け、怪物の剛腕が降り下ろされる。
横っ飛びに回避、しかしすぐに次なる攻撃が迫る。
「くっ・・・・!!」
重剣を引き摺るように更に低く横に飛び出し、三段構えの攻勢を凌ぐ光弥。
まさに間一髪で、頭のすぐ上を怪物の爪が横切った。
そして光弥は飛び出した勢いで身体を回し、重剣を薙ぐも腕甲に弾かれる。
「――――っそ・・・・っ!!!!」
やはり、苦し紛れ程度の攻撃ではもう通じない。
歯噛みする間もなく、体勢を崩した光弥へ怪物の顔がグンと近づいた。
怪物の狼のごとき顎が裏返りそうなほど開かれる。
噛み砕き。
「やらせるかぁっ!!」
咄嗟に、重剣を思い切り引き戻す。
怪物の口腔は、今度はその刃をくわえ込む。
<ガキキィッ!!>
鋭い牙が重剣に突き立てられ、火花を散らす。
光弥は怯むこと無く、重剣を怪物の顎へと押し込む。
小さく悲鳴を上げ、後退する怪物。
「だあぁっ!!」
暴れ回る怪物のでたらめな爪腕を、低く避けて踏み込む。
そして、同時に身体を一回転させながら右足で踏み締め、軸足と成して重剣を大胆に振り上げた。
怪物の左脇腹から、逆袈裟に撫で斬る。
仰け反る怪物に、更に続けざま、重剣を薙いだ。
怪物の首根っこ目掛けて走る、鈍色の光。
しかし、到達するその前に、強い力で重剣が止められる。
「なっ・・・・刃を掴んで・・・・!!??」
怪物は、掌から血が吹き出すのもお構い無しに咆哮し、右脚を剛力で蹴り上げる。
電撃的な早さで反応した光弥は、左の手足を同時に構え、脇を固める。
<ドグッ・・・・!!>
それでも、怪物の蹴撃は激甚たる衝撃を以て、光弥の身を貫いた。
「――――っっっっ!!!!」
堪らずに、重撃剣の柄からも手を離させられ、光弥はまたも激しく吹き飛ばされた。
否、正確には、ギリギリで自分から飛んでいた。
大篭手と草摺を着ける左側面への攻撃であったのも功を奏し、恐らく骨は折れていない、筈。
だが、例え装甲越しでも、その威力は身体の芯までも軋ませて、手足に轢き潰されたような痛みと麻痺を与えていた。
< ギァアアアアッッッッ !!!!>
武器を取り上げられ、更には地面に這いつくばらされた無様を嘲るように、怪物が鳴いた。
だが
「――――吠えてろ」
その声へ、光弥は不敵に言い捨てた。
優位を取った、とでも言いたいのかも知れないが、同じ轍を二度は踏まない。
刹那、光弥は手に持った"短剣"を強く引く。
吹っ飛ばされる直前、咄嗟に重剣から引き抜いて持ち替えた事で、光弥は武器を失うのを回避せしめた。
そして今、柄尻同士が鋼線で繋がっている重剣は、その動きに応じて怪物の手から強く引っ張られる。
「ぐ・・・・ああああ!!!!」
怒号を上げながら、敵の手中から重剣を引っ張り出す。
同時に、怪物は掌を引き斬られて、堪らず怯んだ。
その明確な隙へ、光弥は解放された重剣を捕まえ、峻烈に突進。
全身を走る痛みを黙殺しながら、渾身の力で振り抜く。
「 ぅありゃあぁっ !!!!」
身体ごとぶん回す横一閃。
軌跡に血を纏わせながら、怪物の腹を鋼刃が抉り抜く。
舞い上がった血飛沫がビシャリッ、と地面、そして光弥を汚す。
「まだだ!!!!」
カシン、と一瞬で短剣を番え直すと、重剣を両順手に持ち替え。
そのまま前方に荷重を放り投げ、袈裟懸けに振るう。
<ガェゥッ!!!>
しかし、怪物の方が僅かに速かった。
迫り来る刃を直接腕で振り払った。
右腕の甲殻を砕かれながら、それでも直撃よりよほど軽傷のまま、後ろへ飛び退る。
呆れた体力だった。
既に幾つもの大小の傷を負いながら、それでも怪物は低く、凶暴に唸りをあげる。
普通なら、とっくに動けなくなってもおかしくない出血と深手だというのに、まるでそれを感じさせない。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ――――!!!!」
対する、光弥自身も、既に満身創痍だった。
明確に疲労感を感じ、息が整わない。
痛みだけは相変わらず鈍いが、それでも楽観視は出来ない。
特に、怪物の蹴りを受け止めた左手足は、熱を帯びて変に痺れている。
また、右腹部あたりの傷から、湿った感触が多量に滴っているのがはっきりと分かる。
(・・・・意識が飛ばないだけ、上等か。
・・・・たぶん・・・・もう、そう長くは戦えない・・・・っ。
それに――――)
何よりも、攻撃が後一歩の所で届かない口惜しさに、光弥はギリ、と歯噛みした。
(・・・・やっぱり、こいつを倒すには、もっと間合いを割って懐へ飛び込むしかない。
かといって、あのままじゃあこいつの攻撃を至近距離で対処しきるのは難しいな・・・・)
――――然り、ならばどうするべきか?――――
こんな時だと言うのに、ふと脳裏に響く"懐かしい聲"に請うまでもなく、光弥は答えを過去に知っていた。
――――「よいか、光弥よ。
"相手がなんであれ"、正面から切り結ぶのに間合いは肝要じゃ。
それこそ手を間違えた詰め碁よろしく、間合いを違えば、瞬間に大勢は決しようぞ。
刀と槍の立ち合いが、良い例じゃな。
早いが、間合いの短い刀で槍に勝つは、至難。
よほど力量の差が無い限り、自分よりも長い攻撃へ飛び込むのは、分が悪い。
・・・・さて、ではどうするか?
答えは明白じゃな」――――
(邪魔するものがあるなら、無くすまで。
・・・・化け物の長大な間合いを支える"腕"。
それを、潰す)
反応は異常に早く、そして思考は単純になっている気がする。
力を振り絞り、身体が苦痛を訴えかける度、逆に思考が熱を帯び、訴えを押し退ける。
痛いのに痛くない、そんな奇妙な状態に光弥は陥っていた。
あまりの激痛に耐えられずに、とうとう頭がバカになったのか。
あるいは、血の匂いと暴力・・・・生への渇望、死の恐怖。
現代ではまず遭遇する事ない原始の宿命、"弱肉強食"の理。
そんな要素が嫌というほど濃密に満ちたこの場所が、人間の中に眠る本能を引きずり出したか。
あるいは、そうかもしれない。
頭はすっきりし過ぎているくらいで、そっちのほうが可能性は高そうに思った。
今の光弥を動かすのは獣の理だった。
思い悩んだり、理屈をつけたり、そういう人間的な思考はもう遠く、頭に浮かぶのはどうやって敵を斃すかという一念だけ。
人の情けも、暴力を振るう容赦ももはや無く、その手にした剣のような冷徹さで、光弥の思索は結論に至っていた。
――――To be Continued.――――
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