3章 「迷想」
#1 烈刃暗動
6月7日 4時25分
二間市西部
――――S県、二間市の最西端。
同市を横断する浅磨川の河川沿いには、元は田園地帯だった広さを活かして、貨物集積場や工場等をいくつも建設した、産業区があった。
しかしながら、今のその場はまるで、灰色の氷原のようであった。
人気は無く、無音に等しい静寂の景観は、立ち込める朝霧に白く覆われている。
今頃は初夏。
しかし、辺りには纏わりつくような夏の湿気の感覚は少しも存在しなかった。
それどころか、今朝のその場は明らかな"異常"の只中にあった。
空気は身を切られそうな程に重く、張り詰めている。
地面を覆う傷んだアスファルトは、薄闇によって一層陰気に黒ずみ、立ち並ぶ幾つもの大きな倉庫は不気味な暗がりに沈んでいる。
それは、あたかも氷原に晒されている岩山のような、硬質な冷気を帯びているようにも思える。
加えて、次第に量を増す濃霧は辺りを白く覆い隠し、迷い込む者に牢獄の中の様な不快感を与えるようだった。
斯様に、そこは無機的な物で溢れた"人"の領域にも関わらず、生き物を拒絶するかのように苛烈な極地の様相を呈していた。
"異界"。
そう言われてすんなりと受け止められそうな、強烈な違和感と矛盾とがこの場には在ったのだった。
そんな、この世のものとは思えぬ事象の中を真っ直ぐに歩く、靭やかな長身の男が1人。
筋肉質な身体に纏うのは、軍服とおぼしき頑然とした雰囲気の衣装。
加えてその漆黒の服装は、何らかの特殊な役目を請け負う者である事を想起させる。
一歩一歩と踏みしめる足音も、それに比例して重い。
目的を見据えた、確固たる歩みを見せるその背後には、漆黒の長い尾の様なマフラーが揺らめいていた。
されど、一転してその頭に頂くのは、正反対に光沢のある"白髪"。
男の風体は、この朝霧の中に、まるで一点の染みのように一際異彩を放っていた。
やがて、その歩みの響かせる重々しい靴音は、1つの建物の前で止まる。
果たして、男が見上げるのは、何の変哲もない倉庫。
だが、辺りを漂うこの世ならぬ異質な気配は、そこを中心として澱んでいた。
< バァァァァンッ・・・・ッ!! >
男は無言のまま、そして急激に、倉庫の大きな前扉を蹴り開けていた。
けたたましい衝撃音と蝶番の軋みとが、狂おしく辺りに鳴り響く。
途端、開け放たれた扉の奥からは、思わず鼻を塞ぎたくなる異臭が漏れ出していた。
強烈な血腥さが真っ先に押し寄せ、それに次いで様々な饐えた臭いが入り混じり、生半可な精神力では悶絶するのは必至であろう。
しかも、倉庫内はこれを上回る有様だった。
そこら中に飛び散る赤い液体は、乾いたものもあれば、未だ光沢を放っているものもあった。
そして、臭気の大本であろう大小様々な肉片が所狭しと散らばり、そして面妖な事に小さく痙攣しながら動き続けていた。
入口付近の狭い範囲にも関わらず、屠殺場のように凄惨な光景が広がっていたが、これが縮図という訳でもないだろう。
だが、男はこの惨状にも眉一つも動かすことなく、まるで精巧な彫像かのように、不動のままに中の暗闇を見据えていた。
――――・・・・・・・・・――――
その時、奥の暗がりで何かが動くのを男は捉えた。
倉庫の中に一歩を踏み出せば、その硬い靴音はやたらに反響し、揺らめくように響き渡った。
そうして奥へ進むにつれ、入口からの微弱な光は薄れ、やがて暗闇に景色が飲まれ始める。
< ガアアアァァァッ !!!!>
突如として、獣の咆哮が轟く。
同時に暗闇から大きな"何か"が飛び出し、男へ飛び掛かる。
「遅い」
しかし、男はまるで予知していたかのようにして"敵"の姿を捉え、腰溜めに構えていた。
襲いかかる獣は、灰色の甲殻の張り付いた巨大な腕を振り下ろす。
されど、それを凌ぐ早さで閃いた灼光の軌跡は、瞬時にして立ち込める闇を斬り裂いて、爆ぜる。
「――――"ガーゴイル"。
浅ましくも、
尽きぬ赤熱を宿す、"
"ガーゴイル"と言う呼称の怪物は、灰色の体色と甲殻を持った巨躯が特徴だが、目の前に横たわるそれは、通常とは少し異なっていた。
全身にある無数の醜い傷は、まさに男の言うように”同胞”らの突き立てた爪牙によって乱雑に付けられたものだろう。
そんな物を身に受け、それでも生きているという事は、こいつは襲ってきた相手全てを返り討ちにし、逆に喰らったという事を意味する。
その強大さを証明するように、傷の下に覗く、肥大した筋肉。
中には急激な身体の強化に追いつけず、皮膚が裂けている所も見受けられた。
歪で凶悪な力を宿すガーゴイルだったが、しかし男の放った斬戟は既に致命傷に達していた。
龍炎の刃を横一閃に受け、身体を両断されては、いかに"
<グゥ・・・・ォォォォォ・・・・ッ・・・・>
――――弱々しい声を末期に残し、その動きはやがて完全に止まった。
その死に様を尻目に、男は再び歩を進める。
程無く倉庫の最奥に辿り着くと、その暗がりには"奇妙なもの"があった。
もちろん、これまでの光景も十ニ分に異常なものである。
しかし、この男にとっては今更見慣れたものばかりだったのを、思わず僅かに眉根を寄せさせる程に、それは輪を掛けて奇妙だったのだ。
最奥の床上に、大量の血痕と共に、蠢く肉塊が打ち捨てられていた。
腕も脚も、首すら無く、一抱えもある胴体だけが、身悶えしながら転がっている。
灰色の体色は血で真っ赤に染まってしまっているが、それは確かに、ガーゴイルのものだった。
共食いの餌食となったものの末路だろうとは、簡単に想像がついた。
超常の生命力を持つ"
また、同じ晶獣に食われ、受肉した器を吸収される事でも、個体としての滅びはもたらされる。
故に、胴体だけを喰い残されても未だ生きている事自体は、別段不思議な事では無い。
問題は、喰い残されたその理由。
周りの血痕の乾き具合を見るに、こうなったのは数時間ほど前だろう。
晶獣の飢餓は底なしであり、保存食として残す、といった上等な手段を取ったとも考えにくい。
それならば、再生もせず、捕食の対象から外される、というこの異変はどうして起こったのか?
男は、その理由は胴体を両断せんばかりに刻まれた、刀傷にあると睨む。
(・・・・刀剣の類らしき、直線的で巨大な切り口。
一方で、晶獣の再生を阻む、この"力"の残滓は間違いなく――――)
程無くして一先ずの結論が出たことで、男は滞っていた行動を再開させる。
倉庫内の暗がりに再度、紅の火閃が迸る。
悶え苦しむ肉塊の中心を龍刃の軌跡が走り抜ければ、其処に在る"
貪欲に、惨めなまでに生き続けようとする蠢動は、こうして終わらせられる。
その行為に、一切の容赦も、感情もありはしない。
男は、その手の龍刃と同じように苛烈に、果断に、敵を狩る。
それが、男の任務であるからだ。
果たして、目的を完遂した男は、腰に帯びた鞘に刃を収める。
すると、吸い込まれるような音と、一瞬の光が走り、龍刃はまるで魔法のように、鞘ごと消え失せていた。
同時に、紅い光が脈打つ、男の身を覆う"鎧"もまた。
そして、男はそのまま踵を返すと、右手を耳元に当てた。
「"13thリーダー"より"8thリーダー"。
聞こえるか」
<あら、アンタからのモーニングコールなんて、珍しいわね。
調子はどう?>
装着した通信機から聞こえてきたのは、冗談めかしたうら若い女性の声だった。
紅い炎に包まれ、焼け落ちだす晶獣の死体を歩き過ぎながら、男はその声に応じる。
「・・・・過日、通称"旧開発区"から落ち延びた、ガーゴイルを殲滅した。
だが、この一帯に本命は存在しないようだ」
言いながら男は、ふと足を止め、肩越しに背後を一瞥する。
「"門"から出てきた群れは、規模から見ても"
だが、ここまで潰せているのは、追い立てられて隠れ潜んだ"
<・・・・群れの中心たる雌の率いる集団が、もっと街の方に居を構えているのだとしたら、まずいわね。
もしもオフィス街のド真ん中で暴れ出したりしたら、とんでもない謝肉祭の始まりってワケね>
「・・・・文字通り、冗談にもならんな」
<ええ。
ブラックな冗談や、噂で止まっている間に、あたし達がなんとかしないとだわ。
・・・・ともかく、アンタがわざわざそんな半端を報告する為だけに、連絡をしてきたとは思えないんだけど?>
「ああ。
一つ、重要な発見がある」
<オッケー、まずはそっちから聞きましょうか。
ついでに、モーニングセットはご飯と味噌汁でお願いね>
この時、含みを持たせた女性の軽口に引っかかりを感じながらも、男もまた算段を曲げずまずは自分の情報を告げた。
「たった今、件のガーゴイルの一体に、奇妙な痕跡を確認した。
胴体に、致命傷に相当する大きな刀傷を受けながら、死に損なっている。
おそらく、威武騎によって付けられた傷だろう」
男が淡々と口にした・・・・しかし衝撃的な報告を聞き、女性の声はにわかに張り詰める。
軽口の減らない彼女だが、この事実の深刻さを見抜けない様な阿呆では、無論無い。
<周りに、他の痕跡は?>
「無い。
この場にある血痕は全て、晶獣のものだ。
また、この個体が傷を負ったのは今から数時間内と思われる。
程度から見て、それほど長距離を動けたとも思えん。
加えて、この傷に"焼け焦げた痕"は無かった」
<なら、どっちかの仕留め損ね、って線も無いワケね。
その中途半端の産物は、あたしでもアンタでもない。
・・・・となると、つまり"エグゼクト"も満足に出来ない未確認のルーキーが、今この街に居るって事になる>
「だが、そもそも今この街に"派遣"されている威武騎は俺達2人のみだ。
そして"もう一方の勢力"には、そんな事をする理由も無いだろう。
然らば、これを行ったのは――――」
<――――全くの第三者。
・・・・ふふ、面白くなってきたわ>
一聞いて十知るとばかりに、女性は話の勘所を軽妙に掴み、それからさも愉快そうな笑い声を上げていた。
<そうなると、どうやらこっちからの報告も、これまでと意味合いが変わってくるようよ。
あたしの掴んだカードは、問題用紙でなくてヒントのカードだったみたいだわ>
「何事だ」
<昨夜22時頃、警察へ数件の通報があったのよ。
二間市東部、未土区の郊外で、大きな物音と獣の吠えるような声が聞こえるってね。
周囲に民家は少なく、通報者達も怖がって確認はしなかったらしいわ。
そして、通報を受けた警察だけど、その内容を傍受した"我々"が特殊な事態の発生を予想した為、その出動を見合わせさせたわ>
「・・・・・・・・・・」
<未土区は、"旧開発区"からもそう遠くないだけに、今も周辺を"8th"と"5th"で探っている最中よ。
ただ・・・・もしアンタの見立通りなら、我々は件の"虎穴"から虎子を得るのに注力するべきなのかも知れないわね>
「・・・・よしんば、其処に威武騎がいるとするなら、その”力”はともすれば晶獣以上に危険だ。
急がなければならん」
<ええ。
・・・・さて、ここからはどうなさいますか、"
此度の作戦指揮官でもある男に、今後の対応を尋ねる女性。
その声色には、先程よりも事態を面白がっている色があった。
今、この街は一般社会に露見させるべきでない事態が幾つも交差する鉄火場と化している。
結果、こうして休む間も惜しんで危急の対応を強いられ続けている苦境に、更に浮かび上がる異常事態。
晶獣への対処に加え、謎の第三者の暗躍。
こうした難儀が重なる中、それでもこうして飄々としているのは、彼女らしいとも言える様子だった。
そして、対する男もまた、普段通りを崩す事なく指示を下す。
「俺は、このまま単身でガーゴイル追討に当たる。
東部の住宅地付近の調査は、お前達に任せる。
あくまで、優先すべきは晶獣の追跡。
13thの人員も動員し、奴らの仕業を徹底的に封鎖しろ」
<了解よ。
グッドラック、"
その言葉を最後に、通信は途絶えた。
そして、それは同時に、男の新たな任務の始まりを意味していた。
パチパチと、背後で燃え立つ紅い炎の音を聞きながら、今までの景観が嘘のように晴れ渡った初夏の暁を見上げる。
「・・・・間に合うか」
呟くや否や、男は駆け出して行く。
やがて、その姿は埠頭の白い霧の中へ消えて行った。
――――To be Continued.――――
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