#5 鋼の牙を剥け

6月6日 22時18分

二間市 未土 住宅地区

桜蔭館 外庭




<オオオオッ!!>


先手を繰り出したのは怪物だった。


爪と剣の凌ぎ合いから一早く脱し、飛び込みながら爪を繰り出す。


その一撃は、当たれば岩さえも粉砕しそうな程の力が込められている。


<ガゴォ!!>


「ぐうっ!!」


しかし、光弥はそれを両手で差し出した巨大な剣で受け止めた。


怪物の爪以上に堅牢で重厚な剣は、激しい火花を散らしながらもびくともせずに耐えてみせた。


怪物は腕を降り下ろした勢いのままかがみこみ、立ち上がり様に剛力で前方を薙ぎ払う。


光弥はそれに機敏に対し、再び下がり気味に剣を構え、樋の部分で流し受ける。


この巨大剣は見た目とは裏腹に・・・・いっそ不可思議な程に、光弥にとって究極的に扱いやすい形状・構造と重量を持っていた。


直剣の取り回しと敏捷性。


長柄戟の剛性と重い撃ち込み。


相反する筈のそれらの特性を同時に発揮し、馬鹿げた威力で襲いかかる怪物の攻撃と、見事に渡り合ってみせる。


いうなれば、"重撃剣"あるいは"重剣"とでも言うべきその代物は、光弥の戦いを力強く支えてくれていた。


「っ!!」


攻撃を止めはしたものの、衝撃の方までは殺し切れず、光弥は後ろへ押し戻されてしまう。


そこを狙い、怪物は更に接近した。


光弥は痺れる腕を無理やり動かし、重剣を掲げ、刃の樋に手を添える。


<ガアァッ!!>


右から大きく刈り込み、なぞるように逆の軌道で爪を振り抜く。


そして、爪を立たせながら光弥の足下をかちあげ、同時に接近。


更に高々と振り上げた腕を、渾身の力で地面に叩き付ける。


連撃。


「うあぁっ・・・・くぅっ!!!!」


凄まじい衝撃が次々と重剣にぶち当たり、真っ赤な火花が上がる。


だが光弥はすべての攻撃を防ぎ、捌き、いなし、そして躱してみせていた。


<グオオオッ!!!!>


怒りの咆哮を上げ、怪物は更にスピードを高める。


それに気圧されぬよう、光弥は強く睨み返した。


(落ち着け、落ち着いて相手をよく見ろ。

一つも見逃すな!!

間合いに入られるなっ!!

落ち着け、落ち着け、落ち着け!!)




もしも当たれば、即死。


目の前で荒れ狂う暴風のような怪物の攻撃の中で、光弥は未だ直撃を免れていた。


それは手に持つ重剣の強固さ、そしてその重量に依る拮抗のお陰もあったが、何より光弥の精神状態が大きく影響していた。


まるで念仏かのように何度も呟いている「落ち着け」という言葉。


これは、光弥が闘い方を"教わる"うえで、最も大事だと言われ続けて来た事だった。


張り詰め続けられる冷静さが、ともすれば恐怖と動揺で叫び出しそうになる衝動を必死に押さえ込み、この紙一重の攻防を支えていた。


また、怪物の左腕が失われている事も、これに幸いした。


これにより、怪物の攻撃手段が限定され、光弥が警戒すべき箇所も大きく狭まっているのである。


防戦一方ながら隙を見せない光弥に、忌々しげに唸る怪物。


直後に、大振りにその腕を振り払うのを、光弥は大きく飛び退いて回避。


追い縋り、逃げる相手を捕まえようとしてか、平手を突き出す怪物。


迂闊にも、容易く次手を予想できるその動きを、光弥は見逃さなかった。


重剣を構え、正面から受け止める体勢と


「ぅらぁっ!!」


そして交錯の瞬間、隙を突いて重剣を繰り、長い柄を用いて爪腕を打ち払った。


<ッ!?>


「行くぞっ!!」


訪れる攻勢の時。


光弥は一気に飛び込み、間合いを詰める。


即ち、怪物の”爪”の間合いから、”牙”と”掴みかかり”の間合いの内へ。


なにか一つでも間違えば、より確実な死が待っている。


だが、同時にそこは、”重撃剣・嶄徹”の繰り出す攻撃が、最も威力を発揮する距離でもあった。


逆手持ちの重剣を、身体ごと右薙に振るう。


刃は怪物の腕の甲殻を捉えるも、耳障りな摩擦音と共に表面を滑り、防ぎ切られてしまう。


敵もさるもの、咄嗟の反応で退いて間合いを外されたのだ。


しかし、光弥は尚も進み、返す刃で薙ぎ払った。


怪物は今度は大きく身を捻って躱し、その攻勢を嫌って背後に大きく飛び、仕切り直しを図らんとする。


それなりに広い桜蔭館の中庭と、怪物の持つ跳躍力によって、一気に3mほどの距離が空く。


普通なら、追い縋るのに走って10と数歩。


時間にして、3秒近い間を相手に与えることになる距離。


だが、今の光弥にならば、そんな間隙を些かも与えない追撃が可能だった。


っ!!」


刹那、その場でしゃがみ込んだと錯覚するほどに低く、前傾した姿勢を取る。


重心が傾き、そこをすかさず脚力で前へと蹴飛ばす。


その速さは、まさに韋駄天。


謎の武具を身に纏った光弥は、人間を遥かに凌駕する閃光の速度で駆け、一瞬で怪物を間合いに捉え直す。


<グゥッ!?>


牽制を兼ね、遠目から重剣を横に振るいながら突っ込む。


神速の追撃に焦り、しゃにむに腕をふるおうとした怪物を縮こまらせ、勢いで重剣を振りかぶらせ、強力な袈裟斬りを放つ。


その圧力に抗しきれず、怪物は体制を崩す。


<――――オアァッ!!!!>


しかし、その明らかに苦しい状態から、怪物は不意打ち気味に爪腕を振るった。


間合いを侵略されるのを何より嫌ったのだろう。


その苦しい内実と、己の発揮し得る"速さ"とを自覚した光弥にとって、それはただ隙だらけの悪足掻きでしかない。


迫ってくる爪腕に対し、光弥はすかさず横へ跳ね跳ぶ。


大きく離れ、怪物の反撃を無にしてしまえば、がら空きになった相手の懐までの距離は、先の半分以下。


即ち、この上ない好機。


具足を着けた脚の先で地を抉り、ドンという重い破裂音を打ち鳴らす。


光弥は再び鋭く吶喊とっかんする。


逆手持ちの重剣を、突撃する身体の勢いごと投げ出し、すれ違い様の力強い一撃と成して、叩きつける。


「はああああっ!!!!」


一種独特な光弥の剣技は、しかし怪物の防御姿勢も、甲殻も、ものともしなかった。


いかなる対応も許さない速さと重みを以て、巨大な刃は怪物の身体へ、初めての斬戟ざんげきを刻む。


< ガアアゥァッ !!??>


痛みに吼え上がり、転げるようにして再び距離を取った。


光弥は構えを取り、怪物と睨み合う。


怪物の脇腹には、決して浅くない傷が刻まれていた。


嵐のような攻防が一時、止む。


肩で息をしながら、光弥はまるで吐き気を堪えるかのように、歯を食縛った。


(これが、"斬る"ってことか・・・・嫌な感触だな)


睨み合いの最中、光弥は顔を顰める。


だがそれはなにも、戦いの中に感じた嫌悪感の所為だけではなかった。




<ガギィッ!!>


「い"・・・・っぅ!!――――」




十数合いも打ち合った頃。


一際強い打撃を受け止めた光弥の腕が、ミシリというような軋みとともに強く痛んだ。


無視できるような軽い痛みではない。


今までは鈍痛のような重さであったそれは、ここに来て突き刺さるような鋭さに変わって、光弥を襲う。


(やばいっ・・・・腕が・・・・!!??)


光弥と怪物の間には1つ、決定的とも言える大きな差が存在する。


それは即ち、"身体能力"。


現在、光弥はどういう訳か、普段とは比べ物にならない程に動けている。


それに加えて、些かの剣の心得と、この超常の装備のお陰で、ここまではほぼ無傷の善戦が出来ていた。


しかしながら、生物の肉体というものは実は驚くほどに脆く、多少無茶な動きをしたくらいで簡単に損傷してしまう。


今や、およそ人間の領分からはかけ離れた、桁外れの負荷を掛け続けられる光弥の身体は、急速に限界へ近付きだしていた。


対して、相手は生身の一撃で地面を叩き割る、頑健にして強大、正真正銘の怪物である。


この生来のだけは如何ともし難く、光弥の動きは徐々に鈍り、攻撃に対処し切れなくなる。


<ザシュ・・・・ッ!!>


ついに怪物が突き出した爪が、光弥の右の肩を捕らえた。


掠めた程度だが、それでも痛みが走り、光弥の動きが一瞬止まる。


怪物がそれを見逃す筈も無く、即座に腕を引き戻し、渾身の薙払いを繰り出した。


「うわっ・・・・っ!!」


寒気を感じる程の振りの早さに、光弥は咄嗟に防御の構えを取る。


しかしながら、握力も鈍りだした上、取り乱した光弥の構えでは攻撃を受け切れず、ついに唯一の武器である重剣が弾き飛ばされてしまう。


(しまっ・・・・!!)


やたらに重々しい反響と共に、宙を舞う重剣。


光弥がそれを後悔できたのは一瞬だった。


< シャアアアアァァァァッ !!!!>


勝利を確信したような声を上げた怪物の顎が、またも裏返りそうなほどに大きく開く。


防御手段を失った光弥に確実に止めを刺す気で、その大顎で喰らい付かんとしたのだ。


分かってはいても止められず、崩された体勢では回避も間に合わない。


(まずい・・・・っ!!)


無防備な光弥に迫る、致命の一撃。


それでも、万策尽きたと思考停止に陥るには、まだ早い。


光弥は既に戦士だった。


故に、怯え諦める事など無く、勝つ為、生き残る為に、今の自分に出来る最善手を的確に選び取る。


<ガギギィッ!!>


果たして、鳴り響いたのは肉が裂け、骨が噛み砕かれる音ではなく、硬い金属音。


怪物の大顎が咥えこんだのは、光弥の左腕だった。


即ち、あの巨人の腕のような大篭手を差し出し、迫る攻撃の盾としたのだ。


「ぐ・・・・ぅっ!!」


物凄い暴圧が左腕に掛かっている。


ギシギシと不気味に軋み、火花が飛び散り、あるいはそのまま噛み潰されてしまうのか。


だが、幸いにも状況の全ては、光弥に有利に傾いていた。


躍起になって大篭手を噛み砕こうとする怪物だが、件の超重装甲は壊れるどころか、大した痛みすら光弥まで届かせない。


火花となって削られるのは、文字通りに怪物の方ばかりであり、結果として光弥は無防備な顔面へ一撃を加える機会を得る。


「退けっ!!!!」


興奮する怪物の鼻面に、手甲を纏った右拳を打ち込む。


途端、怪物は悲鳴を上げ、物凄い膂力で暴れ出した。


腕を咥えられ、そのまま引き千切らればかりに振り回される光弥だが、しかし腕力と装備の剛性とで、衝撃を抑え込む。


<グゥギィッ!!??>


混乱した怪物はしゃにむに悶え、遂にこのまま食い殺そうとするのを諦める。


それ以上に光弥を寄せ付けるのを嫌い、一際大きく頭を振って、そのまま投げ飛ばしたのだ。


軽々と宙を舞い、地面に頭から落ちて行く光弥。


「――――っ!!」


だが、そのままむざむざ叩きつけられるのでなく、咄嗟に右腕を地面へ伸ばし、着地の直前に素早く、吹き飛ぶベクトルに回転を加える。


結果、この絶妙な受け身により、衝撃を分散するという離れ業をやってのける。


勢いこそ派手に地面を転げ回ったが、ダメージは無い。


光弥はむせこみながら立上がり、怪物の姿を睨み付けた。


「・・・・危、ねぇ・・・・っ」


武器を失い、至近距離で怪物と組み合う事になるも、咄嗟に振り上げた大篭手によって、これを制した。


思えば、これほどの装備を今まで一度も使わなかったのは、宝の持ち腐れにも程がある。


過剰なまでの重装甲とはいえ、すぐ下が生身の腕という事で、やはり躊躇ってしまっていたのだろうか?


とはいえ、致命的な傷を防いだと言っても、噛みつき、振り回されて投げ飛ばされた衝撃は凄まじいものだった。


(・・・・よく気絶しなかったな。

そうでなくても、やっぱり何か一つでも間違えてたら、そのまま終わってた・・・・っ)


果たして、結果的には光弥の勝ちとなった立ち合いだが、首の皮一枚の塩梅であったのは明白。


やはり敵は正真正銘のモンスターだ。


このまま身一つでやり合っても勝機はない。


「――――勝つには、あの剣がいる・・・・"嶄徹"が」


力も体力も、何もかも劣る自分が唯一、あの化け物に勝り得る要素。


その最高の切り札は、この中庭にそびえる大きなケヤキの木に、深々と突き立っていた。


光弥を警戒して慎重に、しかし確実に歩を進める怪物の、その向こう。


現在地からは、目算で約20メートル程もある場所だった。




(・・・・行けるのか?)




――――自分に問い掛ける。


無理だ、と”頭”は即座に否定したがった。


目的地に辿り着くには、立ち塞がる怪物の側を、無手で突破しなければならない。


そもそもに、動きが鈍った今の状態では、突破どころか攻撃を凌げるかどうかすら危うい。


あまりにも勝ち目のない博打であり、代償は己の命。


秤に掛けるのも馬鹿らしいほどの無茶な勝負だ。


< グオオオオォォォォッッッッ !!!!>


しかし同時に、光弥には確信のようなものがあった。


自分の中の、奥の奥の方で、勇猛果敢に叫ぶ声がある。


(出来る・・・・行ける!!

今なら、必ず!!)


それは唸りを上げる恐ろしい怪物を目にしても、決して揺るぐことのない確かな”予感”。


理屈を押し退け、身体を突き動かそうとするそれは、危うい無謀と紙一重かもしれない。


でも今、光弥の一念はひたすらに滾っている。


逃げず、惑わず、立ち向かえ。


この正念場に、真っ向から挑みかかる。


そして、光弥は確立の大小よりも、その厄介な熱情に従うことを決めた。


「――――こんな時、だからこそ意地張って、勝つんだ。

前に立つ敵と、そして己自身に」


左腕を握り込む。


怪物の馬鹿力にまともに晒された筈だが、影響はほとんど感じない。


体調も、そしてこの篭手の能力も、勝負の場に出すには申し分ない。


(このまま何もしなければ、どうせ死ぬんだ。

・・・・まだここは、終点なんかじゃない。

さっき付けた傷だって、浅くはない、筈。

あいつを抜くなら、そこに賭けるしかない!!)


こちらが与えた初めての手傷。


それが唯一の突破口となると、光弥は直感する。


そして、遂に仕掛けられる間合いにまで接近してきた怪物は、その爪腕を大きく振りかぶり、飛び出す。


「っ!!」


大気を揺るがせる程の風圧を纏って突き出された爪を、光弥はしゃがみこんで躱す。


そのまま身を低くし、怪物の懐へ入る。


幸いというべきか、重剣を手放した事で、光弥本来の身軽さが発揮されていた。


だが、刹那。


< ガァゥッ!!!! >


怪物は一気に腕を引き戻し、同時に鉤爪の付いた脚を光弥の顔目掛けて蹴り出す。


「!?

その足で蹴りっ――――!?」


確かに、2m近い巨体を軽々動かしている脚なら、あの太い腕に勝るとも劣らぬ武器となりえるだろう。


だが、高く浮いた踵を持ったその形状もあって、そんな使い方は無いものと光弥は勝手に思い込んでいたのだった。


思わぬところから襲い掛かってきた前蹴りを、ギリギリで避ける。


顔面を潰されはしなかったが、しかし脚爪を肩鎧に引っ掛けられてしまう。


散ったのは、血ではなく火花の赤。


衝撃に光弥の足は止まる。


怪物はすかさず反応し、またも脚を急速に動かして踏みつぶしを仕掛けて来た。


咄嗟に前方へ大きく転がって避け、続くもう一足の踏み付けもぎりぎりで回避。


とにかく、のしかかられて逃げられなくなるという最悪の体勢だけは回避せなばならない。


その間合いだけは外そうと、しゃにむに距離を取る光弥だが、代償に尻餅をついたような体勢になってしまう。


<ガァオォッ!!>


這い蹲り、転げ回る光弥に、怪物は休むことなく肉薄して、雄叫びをあげる。


次々と叩き下ろされる爪腕と脚を紙一重のタイミングで躱しながら、光弥は焦りを感じていた。


(このままじゃ、さっきと同じだ。

早く抜け出さないと、掴まる!!)


体力に劣るゆえ、持久戦はこちらが不利。


それでも、激しい呼気で体力を絞り出し、ギリギリで避け、凌ぎ、そしてチャンスはやって来た。


脚を狙った爪腕を、光弥は体を丸めての後転で避け、更にそのまま勢いを付けてバック転の要領で跳ね起きた。


「――――っし、来いっ!!」


接近してにらみ合う状況に持ち直し、光弥は吼えていた。


結局は振り出しに戻っただけで、未だ状況は五分。


しかし窮地に陥り、マイナスの状態から競り勝ったのも事実。


そんな自信、そして活力が身体に漲り、それによって更に意識が研ぎ澄まされる。


いわば"正のスパイラル"を感じながら、光弥は襲い来る怪物の攻撃に集中した。


爪腕を振り回し、突き込み、時に体ごとぶつかって来る攻撃の嵐。


しかし、すでに幾度もその流れに対応してきた光弥にとって、力任せに暴れるような攻撃など、もはや見切りの範疇にあった。


<ガアァッ!!>


頭に血が上ったらしい怪物は、一際大きく腕を振りかぶり、叩き付けるように薙ぎ払う。


それに対し、しかし光弥は全く慌てずに"前に踏み込んだ"。


<ド・・・・ッ!!>


鈍い音がして光弥は軽々と吹き飛ばされる。


(・・・・的中っ!!)


しかし、今度の光弥はなんとそのまま空中で態勢を立て直し、逆にその勢いを利用して反転、一気に走り始めた。


そして、その先にはがある。


即ち、光弥の狙いとはだったのだ。


(――――さっきの応用だ。

一番怖いのは、あの爪や牙を受ける事。

この篭手の防御力なら、多少の衝撃を誤魔化して、一気に移動が出来る!!)


加えて光弥は攻撃を受ける瞬間に自分から飛び上がり、威力を多少なり軽減する事に成功していた。


先程のように受け身で手一杯と成らず、素早く次の行動に移れた理由はそこにもあったのだ。


まんまと怪物は、逃げ果せた光弥に気付き、追いかけようとする。


<ブシュゥ・・・・ッ!!>


しかし、無理な動きが祟り、脇腹の傷から鮮血が迸る。


光弥が突破口と睨んだその傷は、その通りに致命的な動作の遅れを与えたのだ。




<――――ア"ア"ア"ア"ォォォォッ!?>




そして、光弥は遂に、其処へと辿り着く。


大木に突き立つ重剣に飛びつき、その掌に再び握り締めた。




「っ!!」




光弥の手に一瞬、蒼い閃光が絡む。


まるで持ち主と武器、両者の秘める昂ぶる闘志が、共鳴したかのように。




< オ"オ"オ"オ"ォォォォッッッッ !!!!>




(奴が、すぐそこにいる)


背後に、まるで炎のような強烈な怒りの念を感じられた。


(凄い、殺気だ。

でも――――)


一瞬、息を深く吸い込み、それによって生み出した力を、身体中に行き渡らせる。


中心の動力機関に、火が投げ入れられるイメージ。


そして重厚な金属音が響き、抜き放たれた巨刃を月光が照らし出す。


光弥は木の幹を蹴り飛ばし、重剣を手に空中で向き直った。


「―――― 今度は、こっちの番だっ !!!!」


素早く、重剣を


そのまま構えは大上段。


叫ぶや否や、光弥は今まさに自分を刺し貫かんとしていた怪物を目掛け、全力で刃を打ち下ろした。




「 でぇりゃあぁっっっっ !!!!」




長大にして剛強なる刃の威力は、絶大の一言だった。


今までさんざん光弥を苦しめてきた怪物の大爪は、跡形なく打ち砕かれる。


それでも尚、斬戟は止まらず、巨大な腕までをも斬り裂き、破壊し尽くす。




< ギャアアアアァァァァッッッッ !!??>




怪物はそれまでにない、凄まじい絶叫を上げた。


雄叫びなどではない、明らかな悲鳴だった。


(まだだ――――)


光弥は地面に着地するや、続け様に前へと駆ける。


同時に、光弥はその掌の上で重剣を小気味良く回し、円を描かせる手遊びを行う。


そして、それが素早く、華麗な一回転を描いた時、光弥の集中は極限にまで高まっていた。


「―――― これで、終れっ !!!!」


長い柄の両端をそれぞれ握り掴み、振り被る。


刹那、鮮明に思い出される何十、何百とやって来た"修行の日々"。


その記憶は今、この瞬間に実を結び、一撃必殺の"業わざ"となって示される。




――――「よくぞ成したな、不肖の孫よ!!

然り、心して聞けぃ。

我らの継ぎし、剣と覚悟。

そして、この業の名は・・・・」――――



「"葬魔絶刀そうまぜっとう”」




右構えの腰撓めからさらに体を捻り上げ、極端に後背にまで重剣を流す。


引き絞られた弓のように、総身に膂力が満ちる。


刹那。


空気を打ち据える裂帛の気合いを放ち、左腕一本の豪快な逆袈裟で薙ぎ払う。


斬鉄すらも容易いだろうその重い斬戟は、衝撃を伴って怪物を引き裂く。


間髪入れず、峻烈に"回転"し、振り切られた重剣を引き戻しざま、両手で掴む。


飛び舞うようなその動きは、繰り出さんとする必殺の一撃の為の動作。


間合いを詰めながら一転し、全身の膂力を速やかに集束。


斯くて、渾身の斬戟は、もはや何者も止める事の出来ない暴威と成る。




―――― 至剛の烈剣、嶄絶すらをも打ち破く也 ――――




身を翻し、威力の全てを前方へ投げ出す。


ともすれば、光弥の身体までも引きずり倒そうと暴れる重剣を、浴びせ斬りの形に制御。


長大な柄を両手で握り締め、身体ごと眼前へ叩き下ろす。


その必殺の刃は、怪物の肉体を打ち砕き、その先の地面までをも撃砕する。


まさしくその様、巌をも断ち割る地上の雷霆。




「 剛破嶄ごうはざん !!!!」




――――その時。

僅かであり、弱々しくすらあった。

だがそれでもその烈剣の軌跡は、確かに光輝いていた。

それはまるで、夜闇に終わりを告げる黎明のような蒼。

魔性を払う払暁の光を宿す、"蒼き烈光"。

それは、獣の姿をした闇を今、斬り臥せる。――――




< バゴオオオオォォォォッッッッ !!!!>




爆轟。


繰り出された剛剣の極、"剛破嶄"。


その一撃の威力たるや甚だ絶大であり、叩きつけた地面を夥しい衝撃で爆裂させた。


塵埃は噴煙となって吹き上がり、その衝撃たるや100kgを優に超すだろう怪物の巨躯を盛大に吹き飛ばした。


怪物は断末魔を響かせ、地面へ叩きつけられる。


勢いはそれでも止まず、もんどり打って尚、転げ回る。


肩口から一直線に入った傷は信じられない程大きく、ほとんど皮一枚で身体が繋がった状態だ。


身体からは、見るだけで目眩がしそうなほどの大量の血が広がりだしていた。


<グ・・・・フゥッ・・・・ゥッ・・・・!!??>


「・・・・・・・・・・」


そして、荒く息をつきながら、光弥はゆらりと立ち上がっていた。


地面を割り砕いた重剣を引き抜き、その手に携えて。


無論、それは敵にトドメを刺すための歩みであった。


(こいつは、なんの容赦なく、殺す気で襲いかかってきた。

もしもこいつをここで見逃せば、また命を狙ってやって来かねない。

だから、その前に"始末をつける")


ややあって、そんな事を平然と考えている自分に気付き、光弥は動揺する。


「・・・・"僕"は」


<グゥッ・・・・グクゥッ、ウゥ・・・・ッ!!>


烈火の闘志はその瞬間、急速にその熱量を下げていった。


(・・・・確かにこいつは・・・・人食いの化け物だ。

僕の事を襲ってきて、最近の猟奇事件だって、きっとこいつが・・・・)


けれど今、目の前で痛みに苦しみ、死の恐怖に身体を震わすその様は、普通の生き物と何ら変わりない。


「っ・・・・」


止め処なく力が抜け出て行く。


重剣を構えはするものの、どうしてもその先の行為に踏み切れない。


憐憫。


無抵抗の相手に手を掛ける罪悪感。


そして、殺害という行為に対する恐怖。


たとえ正当防衛という形であれ、光弥には容易にそれを拭い去る事は出来なかった。


(僕は、殺したくて戦った訳じゃない。

死ぬのが嫌だったから・・・・だから、ただ必死で――――)


果たして、心の中で言い訳を並べ立てる内に、やがて光弥の動きは完全に止まっていた。


その刹那だった。


「――――っ!?」


< グオオオオォォォォッッッッ !!!!>




突如、凄まじい咆哮が光弥の耳をつんざいた。


無論それは、眼の前の怪物の仕業だ。


「ぐっ、あああっ!?」


たまらず光弥は耳を塞いでよろめいた。


(――――耳と・・・・頭・・・・痛ぇ・・・・!!)


酷い耳鳴り以外、一切の音が聞こえない。


しかも同時に平衡感覚まで失ったらしく、まともに立っていられなかった。


「くっ・・・・やば・・・・!!」


にわかに取り戻した戦闘状態の熱気で、光弥は苦痛を噛み殺し、怪物の姿を探した。


今襲われたら、危険すぎる。


だが、幸か不幸か、その予想はまるで違えられる。


(――――いない!?)


<ズン!!>


突然に、桜蔭館の方から大きな音が聞こえて振り向けば、怪物は追撃をするでもなく屋根の上にいた。


深傷に息を荒げ、血を滴らせながらも、大跳躍でこの場から逃げ延びようとしていたのだ。


「待てっ!!」


既に背を向けたその姿に、思わず光弥は滑稽に叫んでいた。


(ここで逃がしたら、またあいつ、誰かを狙って――――!!)


負傷を押してでも、それを許すわけにはいかない。


光弥は重剣を固く握り締め、すぐさま追撃を仕掛ける。


「う・・・・っ!?」


だが、その筈で鞭打った身体は、しかし3歩と歩かないうちに足取りが揺らぎ、堪らずその場に膝を突いてしまう。


光弥が思う以上に、自分の身体は激しく消耗していたのだ。


咄嗟に重剣の柄尻を地面に突き立てる。


だが、それを支えにしようとしても、もはや身体はどうしようもなく重かった。


頭重感が急速に広がり、眩暈に視界が覆い尽くされていく。




(だめ、だ・・・・もう・・・・っ!!!!)




<グオオオオ――――ッ!!>




悠々と跳躍し、逃げ去っていく怪物。


そこまでが限界だった。


光弥の意識は薄れゆき、そしてぷつりと途切れた。




――――今、ここに闇は凪いだ。

獣の皮を纏った邪妖は、再びその身を闇へと眩ませる。

そして、戦場の跡に倒れ臥す光弥は、まだ知る由もなかった。

およそこの世ならざる獣との闘い。

その手に握った"力"との出会い。

それらは全て"必然"であり、彼自身が"進むべき"道である事に。

これは長い、長い戦いの、ほんの序章に過ぎない事に。

下界の様を見下ろし、" 女神の聖涙 "はただ輝き続けるのだった。




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