#5 Runaway -暴想-




「もう、ここで平気です。

ありがとうございました・・・・えと、"光弥"さん」




光弥の背から降りて、明癒はペコリと頭を下げた。


しかし、改めて見ても足取りは覚束ない上、この炎天下。


それに道路では未だザーザーと音を立てて多くの車が走っており、光弥は不安を拭えなかった。


「分かったよ。

・・・・けど、ここからまた歩いていくなんて、あまり無理はしちゃ――――」


「・・・・まだけっこう痛いです、けど、でもすぐそこに診療所があるんです。

あたし達、ここに行こうとしてたんですよ」


明慰の指差す方を見るとそこには「神崎クリニック~骨折から心臓病までお気軽に!!~」などと謳う看板の建物があった。


(・・・・心臓病を、"気軽"ってどうなんだ・・・・?)


とりあえずそれについてはノータッチにして、光弥は二人に向き直る。


心配だったが、確かにもう目と鼻の先だ。


明慰の言を、光弥は尊重することにする。


「――――それに、迎えに来てくれる人がもう、この近くにいると思うんです。

その人と会えれば、もう大丈夫ですから」


「そうだったんだ。

ならひとまず、いちばん大変な所に手は貸せたし、僕はお役御免かな。

お大事にね、明癒ちゃん」


「はい」


明慰ははにかんだように笑って応え、それからふと、ぽそりと小さく付け加え始める。


「・・・・光弥さんって、凄いです」


明癒の顔は明確に赤らんで、大事そうに口にしたその言葉にも、別の"意味"が上乗せされている事を、言外に醸し出してしまっていた。


本人も自覚はあるのか、明癒は殊更に恥ずかしそうにするも、何処か満足げでいた。


「え?

い、いやぁ、そんなそんな。

どうもお気遣いなく・・・・」


ところが、光弥はといえばそんな機微の半分も察せず、思わず謙遜の言葉で返してしまう体たらく。


しかしながら、明癒は顔をまた赤くしつつもへこたれることなく、さらに強く肯定を重ねてみせる。


「は、初めて会うのに、光弥さんはあたしを助けてくれて・・・・優しい、です。

それにすごくカッコ良かったっ・・・・です、よ」


「あ、はは・・・・い、良いんだっ。

ほら、僕はただ、人としてトーゼンの事をしただけだし、さっ。

友達にもよく言われるんだよ、"脊椎反射親切"とか、お前ってお人好しだなーって!!」


明癒の真剣さに狼狽えてしまって、光弥は落ち着きなくおどけて、そう返す。


嬉しいのは確かだったが、こんなにもストレートに褒められると照れ臭さが先行しがちになってしまう。


とはいえ、あまり明癒の言葉を軽んじたくはないし、茶化し半分という塩梅で気にしないよう促す光弥。


だが――――


「そんな事ないよっ・・・・ですっ!!

・・・・あたしの知ってる人達で、そんな人って全然いないです・・・・。

だからあたし、助けてもらえて・・・・嬉しくって・・・・」


「・・・・!!」




真っ直ぐな眼差しを見せる明癒は、真剣だった。


光弥の善意が本当に嬉しかったと、身を乗り出しながら訴える明癒。


その様子に、光弥もまた認識を改めざるを得ない。




「人として正しい、当然の事ってのも、いざとなったらけっこう難しいもんだからさ。

けど今回、僕にそれが出来たってなら、素直に嬉しいよ。

勇気を出した甲斐があった」


自分の思い入れの強さを知ってもらえて、明癒は安心したように愛らしく微笑んだ。


「・・・・あ、すいません、変なこと言っちゃって・・・・」


すると、今度はそんな心の内を見せてしまったことに顔を赤らめ、明癒は俯いた。


その様を見届けてから、光弥は次いで、遼哉にも視線を移した。


「――――遼くんも、バイバイ」


「ん」


相変わらずの無愛想で素っ気なくはあったが、遼哉は確かに頷いたのだった。




そして、その一方で、光弥は今までのやり取りを経て、やはり明癒と遼哉達にはどこか不穏な影が纏わりついているように、感じていた。


咄嗟に、このまま放っておいて良いのだろうかと逡巡が過る。


しかし同時に、まだ出会ったばかりの自分がベタベタと近寄るのも、それはそれで重荷になってしまうかも知れないとも考える。


それに、よくよく思い出せば、明癒達は"誰かが迎えに来る"と言っていた。


そして、おそらくその人物とは、出会って30分も経っていない光弥よりも、当然ながら付き合いの深い事だろう。


(これ以上は出しゃばり過ぎ、か)


光弥はそう結論し、勇み足を引っ込め、踵を返す事にするのだった。


「それじゃあ」


「はい。

・・・・あっ――――」


果たして、互いに笑顔でいながらも、どちらかと言えばしめやかなお別れに行き着こうとしていた、その時だった。


「お姉ちゃんっ!!」


「えっ?」


大人しい印象だった明慰が、他所を向いて不意に声を上げていた。


思っていた以上の声量にも驚きながら、光弥も釣られてそちらを振り向く。


しかし次の瞬間、その眼はより一層の驚きに大きく見開かれる事になる。


「君は・・・・!?」


「・・・・明慰ちゃん・・・・!?

りょう君・・・・!?」


その先にいた"少女"――――眞澄 梓は、同じく驚きに瞠目しながら、明慰の傍へ駆け寄った。


見るからに落ち着きをなくして、そしてはっきりと感情的になるその様に、光弥はまた驚いてしまっていた。


「あ、光弥さん。

この人は、昔から仲が良くって、あたしたちの面倒を見てくれてる、梓お姉ちゃん、です。

――――もしかして知り合いだったんですか?」


今まで一番の笑顔を浮かべて、明癒は"彼女"との関係を物語る。


それだけでも、明癒の持つ好意の度合が伺えた。


「あ、ああ・・・・その・・・・」


不意を突かれ、言い淀む光弥。


しかし、"彼女"はそれを一顧だにもせず、何より明慰の怪我の事を気にかけていた。


「怪我って、こんなに・・・・!?

酷い・・・・っ。

なのに、ここまで歩いてきたの!?」


「は、はい!!

さ、最初はこんなに酷くなくって・・・・ごめんなさい、です」


強い語調の叱責、しかしその表情は明慰の足の具合を察して、痛々しそうに歪められている。


明癒を案じる様は、まるで本当の姉かのよう。




――――そして、その眼差しはやがて、不審を帯びながら光弥の方へ向けられた。




「ぼ、僕は、たった今、会って、心配に思って・・・・」


それはもちろん誤解で、口にするのは当然の言い分だった。


なのに、とてもそうは思ってもらえないほどに、光弥の言はしどろもどろだった。


光弥は、厳しい目を向け続ける"彼女"に、竦んでしまっていたのだった。




「光弥さん?お姉ちゃん・・・・?」


「・・・・何でもない。

それよりその足、診てもらわないとダメ。

行きましょう、明慰ちゃん、りょうくん」


「あ、ちょっとまっ・・・・」


引きとめようとする光弥だが、しかし返って来たのは突き刺すような眼差し。




「近寄らないでっ!!」


「!!」




発せられた声と、吊り上がった眼は、学校での時とはまるで迫力が違った。


言葉だけなのに、本気で突き飛ばされたような衝撃を感じる。


伸ばしかけた手は宙ぶらりんになって、そのまま力無く下ろされる。


「・・・・光弥さん・・・・!?」


心配そうに光弥を見やる明慰に、光弥はできるだけ朗らかに手を振り返す。


釈然としない顔の明慰と遼哉だったが、結局は強く手を引かれるのに逆らえず、そのまま行ってしまったのだった。




果たして、たっぷりとした間を置いた後、やがて光弥は大きく溜め息をついていた。


「――――情けないよなぁ・・・・。

肝心な時に、何もできないなんて・・・・」


光弥の勇気は、すっかり萎んでしまっていた。


遠ざかっていく黒髪の少女の背中は・・・・その強い"拒絶"は、光弥からそんな気概を根こそぎ奪って、金縛りに遭わせてしまっていた。


「・・・・分かってるさ。

自信がないんだ・・・・だから、何処にも行けずに、立ち止まるしか無くて・・・・」




―――― おーい・・・・!! ――――




そんな時、耳馴染んだ声を不意に感じて、光弥はようやく顔を上げた。


「正木、香ちゃん・・・・」


2人は顔に心配の色を浮かべて、変わらない赤信号をじれったそうに見ていた。


落ち着きなく身体を左右に揺らし、早く進みたい気持ちが小刻みな足踏みとなって現れている。


そして、普段なら何でもないような事だろうが、その時の光弥には、そんな様子がひどく滑稽に見えた。


沈んだ気分の時には、ふと下らないことで気持ちは軽くなるもので、光弥は小さく笑みを浮かべられた。


(・・・・戻ろう。

僕の助けは、もう必要無いな)


どのみち、帰り路だって、道路の向こう側だ。


こっちから向かった方が都合が良いだろう。


そう思って光弥は、向かいの二人へ声をかけた。


「今、そっち行くよっ!!」




しかし、その時だった。


ぞわりと、誰かに撫で擦られたようにはっきりとした気持ちの悪い感覚が、いきなりに光弥の背筋に走る。


冷ややかで、しかし電撃のように神経を逆撫でされる違和感に、光弥は咄嗟に振り向かされていた。


(何だ、これ・・・・っ!?――――)




何の前触れも無く光弥に到来したのは、"嫌な予感"とでも言うべきものだった。


だが、実際の"それ"は目の前の情報と今までの経験とを照らし合わせて行う、一種の推理の産物だ。


事故でも病気でも、自分の近くでそういった危うげな前兆を見聞きすると、人はそれがどういったものでどのような結果を招くのか予想する。


さりとて、予想とは予知ではない。


いわゆる"虫の報せ"のように、なんの手がかりも無く、自分と遠い場所で起きる不幸を感じる事が出来たのなら、それはもはや超能力や神通力といった、オカルトチックな領域の話になる。


だからこそ、いきなりスタンガンでも押し付けられたかのように訪れた超常的な衝撃は、光弥の人生で初めて経験した、理解しがたい現象だった。


そして、"予感"は今や胸の内を握り掴めるような場所まで染み渡り、光弥を大きく混乱させる。


視線は激しく動き回らされ、咄嗟に歩き去って行く"彼女"達の背を追っていた。


今、最も光弥が気にかける人物は、1つ向こうの通りを渡る横断歩道を中程まで渡っていた。


道路のど真ん中は確かに危険だが、今はどの車も信号待ちで止まっている。


さっきのようなせっかちで苛々した奴もいないし、強風に落ちそうな看板とか、そんなものも無い。


光弥の見渡す限り、眼の前の光景は至ってありふれた町並みでしかない。


だが、それでも胸のザワつきは収まらなかった。


「――――気のせい、なのか・・・・?」


そうであって欲しい、という気持ちが滲み出た言葉だった。




(・・・・もしも・・・・もしも、"彼女"達の身に何かがあったら・・・・)




拭えぬ不安感が、思わず拳を強く握り込ませる。


根拠も理由も、あやふやな想像でしかない。


だがしかし、その"想像"とは、光弥にとって絶対に許せない事であった。


それ故に、こうして全身の肌が泡立ち、光弥の焦燥は猛烈に煽り立てられていた。


一方、香と正木は急に忙しなく辺りを見回しだした光弥の様子を不審に思い、その許に駆け寄る足を尚も早めようとしていた。


「おーい、光弥、どうし うおおおぉぉぉっ !!??」


「な、正木!?」


すると突然に異常な音と声とがして、弾かれたように光弥は振り向く。


その先にあったのは、頭と足の位置を逆転させた正木だった。


「・・・・???」


とりあえず理解に苦しむ光弥。


良く見ると、正木の足元――――つまり今、頭がある辺りに、ひしゃげた小さなジュース缶が落ちている。


「・・・・ぷっ。

正木っ、あんたそんなので転んじゃって、ベタすぎーっ!!」


「う、うるせっ、笑うなっ!!」


「うっわ、ドジだな~、正木」


「おめぇにだきゃ言われたかねぇっ!!

てか、なんでこんなん落ちてんだチクショー!!」


今朝振りの見事なすっ転びように、光弥は香と声を揃えてひとしきり笑い合う。


その内心では、ほっと胸を撫で下ろしていた。


(・・・・予感は、予感だった。

大した事は無くて、良かった)




誰かが傷つく、誰かが悲しむ。


大切な人が、苦しむ。


それは光弥にとって、一番見たくないものだったから。




「まぁ、あながち間違いでもないか」


「こ、こ、こ、腰が、きたぁぁぁっ・・・・」


腰を押さえて悶える正木。


光弥も、正木だけは例外らしい。


正木が苦しみ悲しんで(?)いるのに、傍で大笑いである。


「ちょっと正木、平気?」


「平気そうに見えるかっ・・・・カハッ」


「あ、死んだ・・・・」


「南無三・・・・」


「勝手に殺すなぁっ・・・・、ノ"ッ!!」


「・・・・やっぱり死んだ。

もぅ、大声なんか出すから」




とりあえず悶え苦しむ正木はうっちゃって、光弥はもう一度"彼女"達の方を見る。


3人は、もう光弥達からは随分離れたところにいた。


"彼女"はひどく心配そうな表情でいて、そして明癒もそんな剣幕に驚きつつも、どこか甘える様な様子であるのは分かった。


・・・・遼哉だけはさっきとあまり変わりないが。


ともあれ、つまり今の"彼女"の眼差しや仕草は、優しげで思いやりに満ちていて・・・・今朝の様子からは、まるで結びつかない姿だった。


「――――あの子達が、梓のよく言ってた"年の離れた友達"みたいだね。

あたしも、初めて見たかも」


「知ってるの、香ちゃん?」


「話だけは、よく梓から聞いてたの。

"姉弟"で近所に住んでて、上のお姉ちゃんの・・・・明癒ちゃん、だったかな。

その子が小学校に上がって以来の付き合いだって」


「・・・・意外、だよな。

眞澄って、聞いた話じゃ友達付き合い狭いし、あんまり笑ったり明るい印象ない"クールビューティー"らしいしな」


「・・・・いや・・・・そうでも、ないよ」


「光弥くん・・・・?」


(・・・・意外なんかじゃないんだ。

昔から・・・・いや、今もああして・・・・)




さっきの剣幕だって、偏に明慰の事を案じればこそ。


すぐ側にいる大切な存在に、なにか良くないことが起こったと知って、余裕なんて無くなる。


"彼女"も光弥も、そして目の前にいる2人の友達にもそれは当てはまると、今更のように光弥は気付いた。


明慰達に会う前までの会話を思い出す。


ほぼ何の説明も無しに、自分と"彼女"とのあんな険悪な場面を見せられて、2人が気にしないはずがない。


今まで光弥は自分の事で頭が一杯で、周りの事は少しも顧みれていなかった。


辛気臭く、下手な誤魔化しを続けていたその様子に、きっと随分気を揉んでくれていたのだろうと思う。


「・・・・二人共、ごめん。

なんか、らしくなくうだうだ落ち込んでてさ。

今更言うのもアレなんだけど・・・・心配してくれて、ありがとう」


そう考えてる内に、自然と言葉は滑り出していた。


いざこうして、畏まって言うとなると照れくさいものがあるが、やっぱりちゃんと言わなきゃならない事だと思う。


痛そうに腰を擦りっ放しの正木に手を差し出しながら、光弥は謝辞を述べた。


正木は意外そうに、香は戸惑った表情でその言葉を受け取った。


「まぁ、なんだ・・・・当てが外れて残念だったな」


「ちょ、そ、そんな事ないよ!?

えっと今のは、結局、その・・・・やぶ蛇みたいな感じになっちゃったかもしれないけど・・・・」


「ついでに言うなら、大きなお世話って感じかな、この場合。

・・・・まぁ、でも余計な事じゃなかったとは思うんだ」


もしかしたら本人以上に気に病んでくれている様子の香だが、光弥はそれに対して気を遣った嘘を言ったわけでもない。


確かに、円満な解決とはならなかったが、満足出来る結果にはなったと思っていた。


思えば今の事も、"さっきの自分の行動"も、立場は違えど同じ行動である気がする。


要は、困っている人を助けられたという結果は、ここにあるのだ。


何もかもをきれいに解決は出来なくとも、何か一つの力添えが安心と元気とをもたらす事もあるだろう。


そして、自分の行動がそうなれたのなら、それはとても良い事ではないだろうか。


「――――誰かからの善意や思いやりは、やっぱり嬉しいものだと思う。

色んな都合で、素直に受け取れない時もあるけど、そこで気付けることもあってさ。

とりあえず僕は、助けになれて良かったって思うし、後悔もしてないよ。

ありがとう、って言っても貰えたし」


「・・・・呆れた、もぅ。

そんなに良い人しちゃって、いつか騙されるよ?」


「そうかも。

確かに、損の多そうな進み方だろうなとは思うけど、何かっていうと、ついそうしたくなる、っていうか」


大きな嘆息、それから小言をチクリと刺されても、光弥は苦笑をするにとどまる。


今度は正木も一緒になって、呆れ顔を浮かべた。


光弥の言い分は、まるで仏門の人間かのような、滅私奉公めっしぼうこうの精神だった。


光弥は自分の意志で、自分の都合より相手の事を優先してしまっている。


"善行"に当たる事の為なら己を蔑ろにする、あまりに聖人然とした言い分であるのだ。


にわかには信じられないし、胡散臭く聞こえるだろう。


だが、その言は強がりや見栄なんかじゃない、光弥の本心だった。


実際、見返りや理屈は関係なく、光弥は動けてしまう。


そして、その姿を良くも悪くも確信できてしまう所為で、香も正木も簡単に流せずにいたのだった。




どうして、そこまでの善人像を貫こうとするのか。


その無茶な原動力を強いて言い表すなら、光弥なりの"意地"、と言うべきだろうか。


信念とか矜持とか、似たような意味の言葉は色々あるだろう。


でも、これぐらい泥臭くて身勝手な言い方の方が、しっくり来る気がした。


「"己の意地に向き合い、退くなかれ。

そして、人の為の正しきを成せ"ってね」


「何かあるといつも"それ"だな」


「ああ。

なにせ、僕の"師匠"から教わった、大事な人生訓だし」


「やれやれ、本当かよ・・・・」




この時、肩を竦めながら呟かれた正木のぼやきは、実は案外、真に迫った言葉だった。


正直に言って、こんな考えと行動が正しいのかどうか、光弥にも自信は無かった。


迷いはありながら、それでも光弥は、大切なその教えを表していきたいと思っていた。


見ているだけでは何にもならない。


賽は投げてみなければ、結果を測ることは出来ない。


「・・・・ちゃんとやりたい事をやってけば、いつか分かるかもって思ってるよ」


そうやって進んでいった先に望みを託し、光弥はそう答えるのだった。


――――もとより、"日神 光弥"に、そうする以外の道はないのだから。




< ~~~~♪ !!!!>




その時、そのけたたましいメロディは、突如として響き渡った。


言葉と会話、人の生活、社会の動き。


それらの都合の全てを切り捨て、従わせようとするように、一帯はその大音響に埋め尽くされた。


道行く人が持つ携帯電話、車のカーステレオ。


それどころか、何処かにあるだろう町内放送のスピーカーも、耳朶を突き刺すような激しい音を発している。


町並み、空、空間の全てが、サイレンに包み込まれていた。


「これ・・・・!?」


何の変哲もない日常は突如として一転し、異様な緊張感が辺りを包む。


この音の正体を、しかし光弥達は分かっていた。


同時に、これはそう頻繁にある事ではなく、そして極めて不穏な事である、とも。


「・・・・"特災勧告"とくさいかんこく


「確か、先週もあったよな。

授業が中断されて・・・・それはそれでありがたいんだが」


「これが出たってことは、避難しないと。

この辺だったら・・・・やっぱり、ウチの学校か」


「ちっ、面倒くせーな。

この熱い中、今来た道戻れってか?

・・・・コンビニの中とかでじっとしてれば平気かね・・・・」


「馬鹿!!

何言ってんのよ、もぅ!!

ちゃんと避難しないと捕まっちゃうのよ!?」


「う、やっぱダメか・・・・?」




――――特種災害警戒避難勧告とくしゅさいがいけいかいひなんかんこく

通称・特災勧告とは、遡って大正末期に制定された、古い法令である。

近隣で、極めて危険な事案が発生した時に、この勧告は政府から直接、迅速に発令される。

全ての国民は、この勧告が発令された場合、医療措置中や治安組織などの例外を除き、速やかに最寄りの指定された避難場所に集まらければならない。

もしこれに従わず、災害発生区域と指定された場所に居続けた場合は、即座に補導。

場合によっては、逮捕・拘留されることすらある。

その教育は徹底されており、小学生の内から授業や訓練を行い、国民の"義務"であると教え込まれる程。

特災勧告とは、この国において、非常に強力な権限を持って行使されていた。――――




非常に大規模、かつ強制的なこの勧告は、確かにそう何度も出くわすようなものではない。


現に、光弥の覚えている限り、以前は年に数度、日本の何処かで発令されたのをニュースで見る程度だったはず。


それが一月に2度も、しかも妙な猟奇殺人が起こっている真っ最中の、この街で直面するとは。


不吉なものを感じずにはいられない異変だと言えた。


「・・・・鶴来浜変電所にて重大な危険性が見つかり、この警報は発令されました・・・・。

この、すぐ先じゃん・・・・」


携帯電話に届いた避難勧告の詳細を読み上げ、香は不安そうに呟く。


街の光景も変わりだしていた。


同じ様に不安を顔に浮かべ、一斉に避難場所を目指す人々が道に大きな流れを作り出していた。


車道は指定された区域を離れようとする車で大渋滞し、中には既に車を使うのを諦め、歩行者の列に合流する人の姿もあった。


<パァン――――ッ>


その時、突然に大きな破裂音らしきものが、辺りに轟いた。


音はくぐもっていて、何処か遠方から聞こえて来たという事は分かるが、それでもかなり大きな音だ。


次いで、避難をする人々の列から、一定の方向を見ながら何事か騒ぎ出す者が現れだす。


彼らの指差すのは背後の、川向うの変電施設――――すなわち、避難を呼びかけられた地域の中心地だった。


そこから、黒煙がもうもうと吹き出し始めていることに、光弥達も気付く。


「お、おい・・・・煙に、この音ってことは、何か、爆発でもあったってのか!?」


「やだ、何かあたし、怖くなってきた・・・・!!

ねぇ、早く行こ!?」


「あ、ああ・・・・でも、"彼女"達は・・・・?」


いよいよもって、まさにきな臭くなってきた状況で、光弥は再度"彼女"達の姿を探し求めていた。


足を怪我した明癒を連れているため、遠目からでも"彼女"達の姿はすぐに見つけられた。


と言うより、すぐに見つけられる場所に、"彼女"達はぽつんと佇んでいた。


明癒の足の具合を心配して、避難場所に向かう列に交じるのを躊躇っているのだろうか。


手助けに行くべきか、光弥は迷った。


思い出されるのは、先程の嫌な予感。


これがもしも、切り捨てて良いものではなかったとしたら?


もしも、正木がすっ転ぶ程度の災難や、文字通り"対岸の火事"の警報を予感してのものでは無かったとしたら?


不安が尽きる事なく込み上げる。


さりとて一番の心配の基に駆け寄ることを即決も出来ず、光弥の身体は怯んでしまっている。


そんな臆病さに焦れながら、彼女達の動向からも目を離せない、膠着状態に陥る。




結果的に、それは功を奏したと言えた。


光弥は、おそらくその場の誰よりも早く、"それ"が自分達の許へ不吉に迫ってくる事実に気付けていた。




「・・・・何だ、あれ?

なんだ、この嫌な感じ・・・・」




ずっと向こう、発電所側の道路を走ってくる1台の大きなトラックがあった。


そして気のせいでなければ、まるで悲鳴とクラクションの音を引き連れているかのように、刻一刻とそれらは近づいてきている。


大渋滞を目の前にしているとは思えない速さ、しかし減速する気配は一切無い。




「なん、だ・・・・?

嫌だ・・・・あれは、なんか――――」


「光弥君・・・?

――――あっ!!」




刹那。


その光景の中の"矛盾"に気付いた時、光弥は猛然と走り出していた。


燻っていた疑念は確信という火となって燃え出し、猛烈な焦燥感と、寒々しい怖気とを同時にもたらす。


光弥は、"彼女"達の渡っていった横断歩道を、赤信号にも関わらず躊躇いなく突っ込む。


渋滞に巻き込まれた車がノロノロと動く鼻先を突っ切り、クラクションが鳴り響いた。


だが、今はそんな事に構って入られない。


それを凌ぐ大音声で、光弥は叫んだ。


「―――― 早くっ、逃げろぉっ !!!!」


その声は、何とか"彼女"達に伝わった。


明慰と遼哉は不思議そうな目で、そして"彼女"は訝しげな顔でこちらを見た。


そのワンテンポ置いた対応が焦りを倍増させる。


(間に合うかっ!?)


走りながら、光弥は必死で右前方、"彼女"達の左手側を指差す。


「 全員っ、そこからっ、逃げろぉぉぉぉっ !!!!」




その先からは――――


< ブォォォオオオオッ !!!!>


――――エンジンを高鳴らせ、巨大なトラックが緩やかに曲がりながら突っ込んで来る。




瞬間、視線の先の3人の顔が歪む。


だが驚くばかりで事態に行動が追いついていない。


「く、そ・・・・っ!!!!」


息を切らしながら光弥は毒づく。


迫りくる危機的状況を、周囲の人々も認知し出していた。


悲鳴を上げ、暴走トラックの軌道から必死に逃げ出し始める。


(なんだってんだ、あのトラック!!??

大渋滞だし、前に人がいるんだぞ!!??

どうして止まらない!!!!)


流れに逆らい、走るのは光弥だけだった。


その場の誰も、逃げ出せずにいる少女たちの一団を助けるために動こうとはしていなかった。


明白な危機を目の前に、その傍観を責められはしない。


だが、胸の内ではその行為を呪わざるを得なかった。


そして、混乱の元凶であるトラックは、もはや制御不能のスピードに達していた。


然り、暴走するこの鉄の塊には今、有り得べからざる異常が起こっていた。




(――――そもそも、なんで走ってるんだよっ!!??)




遠目からだが間違いなく光弥には見えた。


フロントガラスの向こうに見えるのは車内の様子だけ。


つまり、そこには本来居るべき、車を操る人間の姿が無かったのだ。


理解できない光景に、光弥は先ほどの予感が間違いでなかったことを、愕然としながら思い知る。


誰も乗っていない・・・・即ち、なんの意思も無くただただ暴走する凶器は、更に速度を上げる。




「明慰ちゃん、りょう君!!!!

早く!!!!」




"彼女"は顔を真っ青にしながら二人の肩を押すが、しかし自力で逃げられそうもない。


そして、彼我の位置もあまりに遠い。


光弥の全力疾走でも、惨事の起きるより先に辿り着くには、少しだけ足りない。


息が苦しく、心臓は締め壊されんばかりに痛む。


ただ全力疾走した結果、というだけではない。


絶望が、その冷たい手で光弥の心を掴んでいた。


未来は閉塞し、最悪の結末に至ろうとしていた。




「そんな・・・・間に合わないっ――――!?」


「ねぇちゃんっ――――!!!!」


「やだっ・・・・ママっ・・・・――――」




(――――せる)




だが、見過ごすな。


止まるな、そして諦めるな。


決して、"彼女"達を傷つけさせてはならない。


たとえ何があっても、日神 光弥は"それ"を許してはならない。




( 間に合わせる !!!!)




もう一度、その思いを噛み締め、光弥は前へ前へ、進む。


往けよ、走れよ。


己の意地に向き合い、退くなかれ。


人の為の正しきを成せ。


――――例え、




「 ねぇちゃんっ !!!!」




息が吸えなくて、光弥は顔も上げられなかった。


しかし微かに聞こえた遼哉の声を頼りに、ひたすらに走って、走り続ける。


間近に走り込むや、飛び付くように3人の身体を纏めて抱え込む。


呼吸器が、脚が悲鳴を上げる。


知ったことかと苦悶を噛み殺し、膂力を最後の一滴まで絞り出す。


刹那、耳をつんざくような爆音がし、身体が揺さぶられた。


直ぐ側の縁石が砕け、ガードレールが引き千切られ、弾ける。


視界の端に捉えた、その破壊の現象に、己の背を盾と向ける。




「―――― うおおおおぁぁぁぁっっっっ !!!!」




人ではないような唸り声を上げ、のしかかる4人分の体重を物ともせず、光弥は跳んだ。


ただ一歩で後方へ大きく退き、同時に腕で"彼女"達を目一杯に危険の外へと押し遣る。


まさに火事場の馬鹿力が、限界を超えた力と素早さを発揮させていた。


それでもまだ、安全を確保できたか分からない。


後はもはや、運を天に任せるのみ。


以上が、この場で光弥に出来る、最大限の最善だった。




「――――間に合った――――」




極限状態に陥ると、馬鹿力以外にも時間がゆっくりと感じるらしい、という話を不意に思い出す。


おそらく今がそれだろう。


スローモーションの中、目に映る全てがはっきりと認識出来ていた。


突き飛ばされた"彼女"達は尻餅を着くように倒れ込む途中だった。


まったくもって乱暴なやり方で、申し訳無く思う。


同時に、大きな達成感もまた込み上げている気がした。


本能的に、背後に迫ってるだろう危機に目を向ける。


トラックは縁石にぶつかり、冗談のように跳ね上がっていた。


覆いかぶさるように迫ってくる巨体は、飛びかかってくる猛獣か何かのように見えた。


途端に、それまでひどくゆっくりと進んでいた時間が急速に速度を増し始める。




「光弥、お前っ!?」


正木の叫びが聞こえる。


「光弥くんっ!?」


香の金切り声が聞こえる。


「光弥さんっ!?」


明慰の悲痛な声も聞こえた。


「――――っ!!」


遼哉も、声にならない声を上げたみたいだった。


そして


「――――どう、して―――― 」


"彼女"の掠れた囁き。




その答えは、すぐに思い描くことが出来た。


もし僅かでも暇があれば、光弥はただ短く、こう言っただろう。




――――"俺"は、そうしなきゃいけないから――――




胸の内で言い切るより前に、巨大な鉄塊は襲い来る。


物凄い爆轟、そして衝撃が、身体を打ち抜く。


痛みなのかどうかも判然としない。


それを判断するよりも早く、音は途切れ、感覚も途絶える。


全ては真っ黒に閉ざされて、光弥の意識は暴力的に刈り取られ、潰えた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る