客は無償の愛を注ぐ

「僕には恋人が一人います」


 言ってから、随分と痩せて青白い肌をした男は、あぁ、恋人が一人というのは当たり前の事でしたね、大抵は、と付け加えた。珈琲を飲むとどうも具合が悪いのだと言って、彼は紅茶を注文していた。


「恋人が複数欲しいという事ではありませんよ、まさかね」

「何も言っていません」

 念の為です、と彼は微笑んだ。


「彼女は素敵な方です。僕の事を何から何まで受け入れてくれる。もちろん、それを理由に彼女を愛しているわけじゃありませんが」

 それは確かに素敵なものですね、と女給は言った。はい、と男は頷くものの、何故かやけに神妙な面持ちでいた。


「僕は彼女に度々訊きます。何故君はこんなに僕に良くしてくれるのか、と。そうしたら彼女は、あなたを愛しているから、と必ず言います」

 僕にはそれがよくわからない。彼は溜息を混じらせながら言った。女給が空いたティーカップに紅茶の御代わりを注ぐと、男はその紅色を覗き込んだ。


「自分の愛する人に愛される事は嬉しい事です。喜ばしいのですが、僕はただ、それがわからない。愛しているからという理由で特別良くしているというのは、良い事なのでしょうか」

「あなたが気にしていらっしゃるのは、平等の観点ですか。それとも、彼女のことかしら」


 彼は瞼を伏せて、少し間を置いてから、その両方かもしれません、と答えた。また瞼を上げると、今度は少し疲れたように視線を横に逸らす。


「贔屓は良くないとよく言います。僕もそう思っています。選り好みで対応を変えるのは良くありません。でも、友人は僕に言います。恋人くらい、特別にしてやらずにどうするのだ、と」


 男は紅茶を口に含み、じっくりと中を温めるように飲み込んだ。


「冷たいのかもしれません、側から見るには。恋人を大切にせよというのは、理解は出来ます。それに、愛している事に変わりは無いので、僕は自然と大切にしようと思います。だから、彼女が心配になります。彼女は僕を愛しているがために、僕を特別にして、本来許せない様な事でも、僕であれば許そうとしているのではないか、と」

 それはとても疲れる事なんじゃないでしょうか、と彼は言い、また溜息をついた。


 また紅茶を飲む。飲んだものの流れは、痩せた細い首から突出した目立つ喉仏の動きでよく見えた。


 注文:

 アールグレイティー 二杯と少し

 焼き林檎

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