第14話 白紙の魔法

「…ねっむい」


朝焼けの光が山頂から差し込み、クマをこしらえた目の中に入り込む。眩しさが今ほど嫌なこともない。全員の中に思い浮かぶ気持ちは共通で“もう寝たい”という思い一点のみだった。ただ一人を除いて。


「いやぁ、時間が掛かりましたな! ナーシャ殿はやはり刃物の扱いに長けてらっしゃる、既におやすみ状態だ!」


唯一元気な男、キースは豪快に笑いながら三人の酷い顔を見て喜んでいる。その横には部位ごとに分けられたアーマーベアの肉と毛皮が並べられていた。あれから今の今までずっと解体を続けていたのだった。


ナーシャはというと、30分程で早々に解体を終えてしまい、そのまま近くの椅子に腰を下ろすと目を瞑っていた。キース曰く、あの状態でも気配には察知できる状態らしい。器用なものだ。


それはさておき、他メンバーがようやく解体を全うしたのは、それから一時間半が経過した頃だった。セルは時計に目をやると、時刻は既に深夜から早朝ともいうべき時間に代わっている。


「なぜお前はそんなに元気なんだ、エルフは不死身か?」


シャルが恨みの籠った皮肉をボソリと飛ばす。肉をバックへと仕舞い込みながら、キースはまた軽やかな口調で答えた。


「限りなく近い不正解ですな」


「なんだと?」


「エルフは元来、森の奥深くに住んでおりましてな。分類としては魔力をエネルギーとする霊体に近いのです。私はその中から人間達と交わったハーフエルフという種族でしてね。その間には寿命や身体的特徴など雲泥の差がある。私達は身体と霊体のどちらも持ち合わせた訳です」


「僕、エルフってキースさんの様な人達のことを指すのだと思ってました」


「まあ、世間ではラテス君と同様のイメージだろうね。おかげで色々苦労したこともあったが、それはさて置いて、私は霊体の部分も持ち合わせているから、身体だけに依存してないんだ。君たち人族は体を主として、食べ物からのエネルギー摂取が主だが、私は魔素も吸っている訳だ。そう言った側面では魔物に分類されるかもしれないね」


「なるほど。だから不死身ではないが、元気はあるということか。確かに不正解だな。…そろそろ寝て構わないだろう、もう限界だ」


シャルは納得したようで、眠い目をこすりながら小屋の中へと入っていき、ラテスもその後に続いて姿を消した。


起きているのは二人となり、キースは肉をしまい終え、皮から鱗を一枚一枚丁寧に切り取っていた。


少しの無言の後、キースはポツリと言った。


「ちなみに体に依存しないので、あまり寝なくてもいい。便利だが、人の中に日々いると自分がはみ出し者に感じることもある。人からすれば怪異にすら見えるだろうしな」


「そんなことありませんよ」


キースの言葉に、セルははっきりと言い切った。真っ向から否定されることに驚いたキースは目を見開いて振り向く。


「体がどうとか、寿命がどうとか、生き方がどうとか、そんなことは大事なことじゃないです。僕はキースさんから人間くささを感じました。空気読めないし、イタズラしますし、たまに性格悪いですけど、全部ひっくるめてキースさんはキースさんじゃないですか」


セルは真っ直ぐに言葉をぶつけた。途端にキースは吹き出し、盛大に笑い出す。


「はっはっは、悪口しか言われてないのになんでだろうな。まるで嫌な感じがしない。むしろ、私の心が温まった感覚があるよ。セル殿、君は本当に貴族の息子かい? 貴族と呼ばれる者達の生活環境からは決してあり得ない思考の仕方だな。君とはまだ顔を合わせてから一日しか経っていないし、会話をしたのなんて数時間前からだというのに。そうかそうか、だからギフテッド持ちなのか」


「思ったことを言っただけですよ? というより、ギフテッドってなんですか?」


「遅くなってしまったが、君の魔法について、少し教えよう。ここは周囲に私たちだけだし、誰にも聞かれることはないから話せる。とりあえず、ゆっくり話そうか」


キースはカバンから椅子を二脚取り出し、うち一つをセルにすすめた。二人は腰を下ろすと、紅茶を入れ口にする。春とはいえ夜はまだ肌寒い。解体も終え徐々に冷えつつあった体は、紅茶の温かさが五臓六腑へ染み渡る様に温度を取り戻す。ハァと息をすると、白い湯気が天へと登っていった。


「君のお父様が言っていた通り、君は古代魔法:白紙の魔法の会得した者なのだろう。その力は古代の文献に辛うじて残っているだけなので、細かい能力は定かではない。ただ間違いないことは、人の屈折してしまった精神を修復できると言うことだろう」


「人の精神、ですか?」


「正確には、フラットな状態に戻せると言うことだ。いいかい、人の性格は子どもの頃の体験から形成されていく。アタッチメントといって人と触れる中で安心できる場所を見つけ、そこからトライ&エラーを試みるなかで成長していくんだ。それを経て計算力や語学力といった認知能力、そしてコミュニケーションや思考する力といった非認知能力を身につけて行くんだ。だが、全ての人間が環境に恵まれて生まれるわけではない。貴族だろうと貧民街出身だろうと、生まれた先の大人との関係はランダムなわけだ」


セルはその話を聞いて、家族と使用人たちを思い出した。決して世間で言われる様な裕福な貴族ではないが、確かに幼い頃から至る所に愛が溢れていた。いけないこと以外は否定されることもなかったし、否定された時も必ず理由や思いを受け止めてくれた人達が当たり前の様にいた。


「ルー様は色々あったんでしょうね」


「私もお抱えの教師になったのは数年前からの話でね。その頃には既に策略を巡らし、辺りを常に警戒しながら悪事に赴く性悪王子だった。性格を直しあぐねているところに降ってきた殿下の失踪事件の重要人物が君だった訳だ。あの時はたまげたよ、まさか私の手をこまねいた難題だった王子の性格を一瞬にして直してしまったのだから」


「あれは…なんというか、ご迷惑をおかけして済みませんでした」


「いや、謝ることじゃないさ。白紙の魔法は文献によれば、稀に会得する者が現れ、人の苦しみを和らげたり、屈折した人格を修正する効果を持ち合わせている様だ。また、君が盛られた毒を解毒したように、毒素を分解するという力もあるのだろう。これは現在の医学を遥かに超える力となるかもしれない」


キースの言葉に力が込められる。それだけ、セルの能力は凄まじいものであった。


「残念ながら、発動条件は分からない。ただ、今回の発動を分析してみるに、君の心が大きく関係しているのじゃないかな」


「僕の心、ですか…?」


「ああ、と受け取って貰えればいい。この人を助けたい、理解して共感してあげたい、分かってあげたい。そんなセル殿の優しさが発動の根幹にあるのは間違いと思う。さっき、ギフテッドと言っただろう?」


「ええ、それは一体なんですか?」


「これは生まれながらにして個人が備えている特性といったところかな。特定の分野にて斗出した能力を持つ子どものことを指していて、君はきっと、対人的な知能を高く持ち合わせているのだろう。相手の見た目や印象に囚われず穂本質を見抜き、気持ちを推測してそこに適した行動ができる。だからこそ、君は白紙の魔法を会得したんだと、私は思う。もちろん、その根底には君を大切に育てたご両親の素晴らしさもあるがね」


不思議な気持ちだった。自分の能力がわからず、今まで思い悩み続けていたが、蓋を開ければ今まで自分がしていたことの延長線にあった能力が開花しただけであった。だが、セルの中にあった感情は驚きよりも納得が大きく、咀嚼し、飲み込めるものだった。


「僕は、これからたくさんの人の助けになれますか?」


「君が望めば」


キースの返答は一言のみだった。あまりに短い一言ではあったが、それ以上にこれからの道を示してくれる言葉はなかった。


「僕はこれから、僕にできることをしていこうと思います。そして、この力でルー様をサポートしたいです」


「よろしく頼んだよ。君の能力はまだ開いたばかりだ。もしかしたら、これからもっと様々な広がりを見せるかもしれない。是非とも殿下の力になってくれるかい」


「ええ」


二人はお互いに手を伸ばし、固く握手をする。日は完全に山頂から登り、その眩い光は繋がれた手を照らしていた。


「一度寝るといい。次の街まではそれほど時間も掛からないだろうし、ゆっくり行こう」


「では、失礼して少し休んできます。キースさんは?」


「私は一週間に一夜程度で睡眠は事足りるんだ。だから君たちが起きた時に食事が取れる様にしておくよ」


「わかりました。じゃあ、おやすみなさい。って言うのも、なんだか変ですね、朝焼けなのに」


「間違いないね」


キースは笑いながら、小屋の中へと帰るセルを見送った。辺りをそよ風が泳ぎ、草原はサラサラと音を立て、朝一番の光を吸収している。


「いつの日か、私の呪いすら解く日が訪れるかもしれないな…さて、解体を頑張った若人たちに精のつく料理でもこしらえようかな。早速準備に取り掛かろう」


キースは気持ちを切り替えると、クマ肉を塊でバックから取り出し、包丁を片手に調理を始めるのであった。

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