第13話 馬が逃げた

「よし、放て」


世界が漆黒に染まった丑三つ時、森の中で男の声が小さく発すると共にもう一人の振り上げた短刀が月夜に反射する。


ブチンと縄が切れると同時に、くつわが外れ脚をくくっていた縄が緩みだした。


むっくりと体勢を立てると一度大きくぶるんと震える。束縛されていたことでフラストレーションの溜まったその生き物は、野性の魔物であった。無論、言うことなど聞くわけもない。攻撃の対象は近くにて己を捕らえた人間に向かう。


「お前たちの向く方角は反対だ」


そう言って、闇と同化した黒いローブに身を包む男は向かってくる魔物に向かって手のひらを向ける。刹那、魔物に向かって唐突な明かりが発され、熱さが襲った。


あまりの熱さだったのだろう、魔物は一度止まり威嚇を続けている。どこで生け取りにしたのか定かではないが、さすがはあの方々の実力と感じするばかりだった。


「面倒だ、さっさと襲ってこいよ」


男は放出していた炎を逆流させ、右手に集約させる。右の拳に集まった炎は次第に小さくなり、その密度と熱量を増し色が青へと変化してゆく。その状況に魔物の動物の直感が働いたのだろう。数秒前の威嚇姿とは打って変わり、魔物たちはジリジリと後退りしていったが、やがて子犬の様な、か弱い声を出しながら反対を向いて坂道を勢いよく駆け出したのであった。


「さあ、俺たちも仕事と行こう」


掌の炎を空中に散漫させると、男はもう一人の男に声をかけ、再び闇夜の中に溶け込んでいった。




「みなさん、起きてください」


真っ暗な中、突然の発言に全員の意識が戻ってくる。あくびをしたり、目を擦りながら上半身起こす男連中に背を向け、ナーシャは布越しに外を向いている。


「どうしたんだ、こんな時間に。まさか敵襲か?」


唯一、すぐに動き出したキースは室内の魔道具に火を灯し、光源を確保してゆく。


「敵襲、といえばそうかもしれません。しかし、これは…」


一点の方角を見つめながらナーシャは感覚を尖らせ、考えている。この頃には全員も緊急事態と悟り、王子を囲む様に陣形を取っていた。


「やはり、何か向かってきます。王子の周りから皆さん離れないでください」


「ナーシャさん?」


セルが発したと同時にナーシャは一瞬にして姿を消し、入り口の布が外側に向かって大きく揺れた。それから程なくして、動物の雄叫びが辺りに響いた。それは威圧的な物ではなく、返って断末魔の叫びの様だった。それとほぼ同時に反対側から馬の鳴き声が聞こえた。


確かめに行こうとセルが一歩を踏み出すと、キースが静止を命じる。セルは再び元の位置へと戻った。


「今は私の側にいた方がいい。この状況で迂闊に行動すべきじゃない」


「すみません、分かりました」


セルがキースの注意を受け取った時、再び入口の布が揺れ動く。


それはナーシャであった。服には汚れの一つもなく、息も上がっていない彼女は、真顔のまま口を開いた。


「危険物は排除しましたが、代わりに馬をやられました」


ナーシャは手に持っていた長細い武器、まるでコンクリート針の様な物にベッタリとついた血痕を布で拭き取っている。この時セルが確信したのは、この人が敵を一掃したということだった。


「馬はどうなったんだい?」


「四方八方に駆けて行きました。ロープの様子を見てみると、どうやら誰かに鋭利な刃物で切られたようですね。しかし、あの数秒で複数のロープを綺麗に切断し私の索敵範囲から逃げ切るとは…良い仕事をしていますね」


「いや、褒める場合じゃないからな? 敵襲だぞ?」


あくまで戦闘の評価をするナーシャにシャルは食い気味のツッコミが炸裂する。ラテスは緊張の糸が解けた様で、その場に座り込んでいた。セルも安堵したものの、まだ気を抜けないとシャルの近くにて待機している。そんな時、キースは肩を軽く手を置いた。


「大丈夫だ、もうこちらが警戒体制になっている以上は襲ってこないだろう」 


「そうですか…すみません、何も力になれず」


「力にも様々な種類や相性がある。彼女のは力をねじ伏せる為の力。セル、君のは誰かを助け為の力だ。だからその時が来たら、君から手を伸ばしてあげればいい。それに、君は無力だと知りながら私の前に立った。そのことの方が大事な意味があるよ」


そんな返答と共に、シャルが「ありがとう」と伝えるかの様にセルの背中を軽く叩く。セルの中にあった詰まりが除かれたように、気持ちが軽くなった。


「なにか、おかしいですね。馬の縄を切った人間がいるとしたら、ナーシャさんが倒した物はなんだったんですか? というか、その目的は…」


ついさっきまで気の抜けた表情だったラテスは、いつの間にか推察するように一点を見つめながら口を手で塞いでいた。何か違和感を感じたのだろう。その様子を見てセルは、本当に頭が良いのだなと感じた。一を聞いて十を知るというが、彼の様な思考のことを言うのだろう。


「私が倒したのはあれらですよ」


ナーシャは入り口の布を持ち上げた。直接ご覧になっては?という意味と察した。全員が一人ずつ出て行き、セルが最後に出ると、先に出ていた者達は既に口を開けたまま固まって唖然としている。そしてセルもまた、目を疑う光景に仰天したのだった。


「あれらって、熊四体を倒したのか? あの数秒で」


状況を見込みいち早く答えたのはシャルだった。ラテスは頭の回転が良いばかりにあり得ない状況に思考回路がショートしてしまったらしい。プスプスと煙が頭から登っている様だ。


「これはただの熊じゃない。魔物です。これを見てみなさい」


近づきキースが指差した場所を覗く。手のひら程の大きさで、鱗のような平たい丸い物体が腹部と背中から首元に駆けて広がって形成されている。触れてみると、それはとてつもなく硬く、一枚を引き剥がすのも難儀する様に強固に付着していた。


「まるで鎧だな」


「む、殿下鋭いですな。これはアーマーベアと言います。この硬化したのは元は毛でしてね。この熊は幼体の頃から海藻に魚、自生している豆類、柑橘類など毛を太くする食材を好み、なんなら石も食べます。そうして溜め込んだ毛の栄養を使い、毛のまとまった部分を固めて硬化していくのです。特に背中側と内臓のある腹の防御を目的とした感じですな。実はこの鱗はあまりに硬く、経験のある職人しか加工が効きませんが、それ故に使い道も抜群にあります。一枚でもそれなりの額になるでしょうなぁ」


「もしかして、金持ち熊って言葉、ここからきてます? というか、結構な資金になりそうですね!」


ラテスは食いつく様に話に割って入ってきた。すっかり元に戻っているどころか、瞳が輝きに輝いている。意外とがめつい一面があるのかもしれない。


この国には昔から金持ち熊という言葉がある。主に成金の貴族のことを庶民が揶揄する時にする言葉で、仕事もしない貴族が熊のようにぐうたらと自由気ままにやっているといる意味である。大抵こう呼ばれた貴族は後に国王によって処罰されるか、寝込みを襲撃され別の領主になるかのパターンが大概である。


「その通り。語源はこのアーマーベアの一体の価値が高いことから付けられた名前ですな。普段は人里から離れたところにいるし、出会っても勝てるどころか刃を砕かれてボコボコにされる冒険者なんてのは多い。まあ、知識がなければまず勝てないでしょうね。コイツを倒すセオリーは、水を掛けることです」


「そんな簡単なことが弱点なのか?」


シャルは驚き、鱗を触っている。キースはバックから水を出すとその鱗にかけ始めた。


「殿下、接着とは物と物の間に液体上の物が隙間なく貼った状態で固体化されることを指します。つまり、この鱗も同様濡れた状態ではくっついてしまい返って動きにくくなってしまいます。そうなれば、いくら守られようと動きに支障が出れば隙も生まれます。そのため、海辺や川辺では守りに徹することが多く山奥に逃げることが多いですな」


「とはいえ、濡れてもないアーマーベアを四体、それもほぼ同時で倒したんだろう? 一体どうやったんだ?」


「警備の関係上、お答えは控えさせていただきますが…まあ、熊なんて野生動物ですからね。反射速度は良くても動きは直線的ですよ。避けて首を一突きしただけです」


それを聞いて、全員が納得したのだった。なぜ、盗賊ギルドから彼女が今回の任に選出されたのかと。それこそ、彼女の逆鱗に触れてはいけない、そう悟った瞬間でもあった。


「ま、熊肉はワイルドな味わいだが、処理の仕方で十分に美味しくな食材だ。金にもなるし、今の我々には益獣かもしれないな。さあ一人一本ナイフを持って。解体作業に移ろう!」


こうして眠気はすっかりと覚め、一同は渋々、真夜中の解体作業を始めたのであった。




「目的は達成された。至急、その旨をあの方々に知らせてこい」


キース達の場所から離れた山奥、例の襲撃犯達は二手に分かれ動き始めた。


「噂には聞いていたが、あの女…相当に手だれだな。俺ですら間合いに入ったら瞬殺されていたか。それに俺たちの悪意にも敏感に察知して遠くで反応しやがった。可能なら王子の暗殺もと漁夫の利を狙っていたが、浅はかだったな」


ロープの男は木の根に腰を据え、一息つく。途端、クックックと笑いが込み上げてくる。


「盗賊ギルドの実力No.1、エルフの教師、切れ者と異能のガキか。あの王子にはお似合いの人選だな。面白い、実に面白い。いつか一人ずつ相見える形で対峙してみたいものだ。ああ、楽しみで仕方がない。そのきっかけを下さったあの方々にも感謝せねばな。…しばらくは言い付け通り、邪魔の仕事を続けながら機会を伺うことにしよう」


そう言いながら、男は愉快そうにニヤけながら、仕事終わりの美酒を口にするのであった。

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