第12話 飯と記憶
「もう、狩りなんか行きません…」
「すまない、すまなかった! つい出来心で、本当に申し訳ない!」
あれから数分後、セルはどうしようもない程にいじけ散らかしていた。
体育座りで室内に篭り、その後ろからキースが謝り倒している。その顔はシャルとナーシャから一発ずつもらった打撃により、両頬が腫れに腫れている。
「これが内臓か。新鮮なら下処理すれば食べられそうだな。爪と皮は素材になりそうだし、これはなかなか…」
キースが渾身の謝罪を続ける中、ラテスは本をめくりながらナイフでリッパーラビットを解体していた。ブロックごとに解体をしながら、切り分けた部位はバットの上に置いている。
「それにしても手慣れているな、習ったりしたのか?」
「いや、独学ですよ。うち貧乏だったんで。動物の罠を張って捕まえたり、そのうち屠畜場で働いたりもしていたので」
「ナイフの使い方も丁寧で良いですね。あ、関節はここに刃先を入れてですね…」
「おお、簡単に外れた。ナーシャさん凄いですね」
「腕肉は発達しすぎてちょっと硬そうだな。だが、低温でじっくりと煮込めば美味くなるか」
ナーシャとシャルは解体を見学しながら晩御飯について話し合っている。天国と地獄とはこう言った光景なのかもしれない。
「さあ、あとは私に任せたまえ! なにせ初日の手料理だ。腕に寄りをかけようじゃないか!」
解体が終わる頃、中からキースが出てくる。その後ろには片腕に大きな缶を抱え、幸せそうにクッキーを頬張るセルの姿があった。
(うっわー、買収チョロ)
この先の、セルの取り扱い方をなんとなく察した両名だった。
「ラテス君ありがとう、綺麗に解体してくれたね。うんうん、実に美味しそうだ」
解体されたリッパーラビットを見てキースは嬉しそうにしている。その隣でクッキーを齧っていたセルには皮が剥かれた顔を見て「うっ」と小さく声を上げた。
「なんだかグロテスクですね」
「うん、見ていて気持ち良くはないと思う気持ちは分かるな」
シャルは顔をしかめるセルの肩に手を置いた。
「だが、これは生きるために仕方のないことなんだ。だから慣れろとは思わないが、事実は認識しないとな」
「グロテスクとは、否定したい真実に触れた時に生まれるのだと、私は思う。だからこそ、人によってグロテスクと感じる事も異なるだろうしな」
キースは小さな骨断ち包丁を振りかざすと、一気に首へ振り下ろした。
「我々にできることは殺めたものの責任を持つこと。そして美味く食い、全てを活用することだな。さぁ、料理を始めて行こう」
こうして夕飯の調理が始まった。
バックの中から現れる調理器具と調理台、そして焼き場が姿を表す。つくづく便利なバックである。
「パンは焼く手前の物がストックしてあるからそれを使おう。みんな、手伝ってくれ。ナーシャさんは警備に必要なことをしていてくれたまえ」
シャルとラテスはパンを焚き火にて焼き始める。キースはモモ肉とウデ肉をフライパンで焼き付けながら、薄切りのじん臓と心臓をフィレ肉と共にマスタードを塗った背肉で巻いていく。紐で結ぶと同じ様に焼き付けていった。
「本来のウサギとは違って、リッパーラビットは上腕の筋肉が発達してる。だからウデ肉と鞍下肉と背肉はじっくりと煮込んで、他の部位は軽くローストしてからさっと煮ていこうか」
「わかりました。…こっちのスープはなんですか?」
「頭や屑肉を野菜と一緒に煮込んであるんだ。骨からも良い出汁が出るからね」
「へぇ…知りませんでした。なんだか、初日にして知らないことばっかりで、正直無知を恥ずかしく感じます」
セルにとって、食事とは出来上がったものを食べることだった。もちろんお抱えの料理人が丹精込めて作ってくれたことは知っていたし、その感謝も忘れてはいない。しかし、こうして調理の過程を材料の調達から仕込みまで一部始終見たのは衝撃と共に、知らなかった当たり前への恐怖を感じさせたのであった。
「別にいいじゃないか」
フライパンを見ながら話すキースから帰ってきたのは、予想外の肯定の言葉だった。
「君は知らないことを知り、恥だとそう思えただけで立派なんだよ。他の貴族の人間は、そもそもそんなこと自体思わないよ。それどころか、知らないことはどうでもいいと思い込んでいる節もあるし、そんな自分たちが全て正しいと思っている。…すまないね、君も貴族なのに文句を言ってしまって」
「いえ、実際貴族はそういうものですから」
「…君たち一族みたいな者が多くいれば、国も世界も大きく変わるだろうにね。とにかく、知ることは自分が変わるということ。決して遅いわけじゃない。だから、この旅を通して探してみれば良い、君なりの答えを」
「そう、ですね」
焼いた肉を鍋に移し、ミルクを注いでいく。今のセルの気持ちの様に、濁っていた色は白く移り変わっていくのであった。
「いただきます」
テーブルに置かれたリッパーラビットのクリーム煮、焼きたてのパン、サラダにチーズと野営とは程遠い食事を前に、キースは手を合わせて言った。
「なんだそれは、誰に言ってるんだ?」
シャルは不思議そうに首を傾げる。ナーシャとラテスに至ってはすでに食べ始めている。その様子を見ながら、キースはやれやれと言った感じで答えた。
「昔出会った人が言っていましてな。なんでも糧となった生物への敬意を込めて、その命をいただきますということらしい。狩猟をする私にも通じるところがあってな。以来、私も食事の際に言う様にしているんだ。おまじないみたいなものだから、みんなは気にせず食べてくれ」
グゥとセルの腹が鳴る。一日中動いていたから腹がなるのも当然で、セルは早速肉を切り取り、口はと運んだ。
「美味しい!」
まず口の中に広がったのは溢れ出た肉汁だった。噛み締めるごとに肉の旨みが口一杯に広がりその旨みをクリームが優しく包み込むと同時に甘さでより相乗させている。だが中に塗られたマスタードと、ソースに含まれたレモンの果汁が味の広がりに締まりもつけていて、美味の一言に尽きた。
次はパンをちぎり、ソースにつけて口に放り込む。上質な小麦の香りがソースと合わさり、肉とはまた違った美味しさを出していた。
「やたら美味そうに食うな。貴族の位なんだ、家でもそれなりの飯は食っていだろう?」
シャルは急いで喉に詰まる心配をしたのか、ハーブ水の入ったグラスを近くに置いてくれる。
「美味しい物は美味しく食べるのが一番、母がよく言っていました。母に似たと父はよく笑っていました」
「そうか。良い両親だな。大切にするのだぞ」
そう言ってシャルもグラスを持ち、セルのグラスに軽く当てた。キースは何より、みんながよく食べているのを満足そうに見つめながらワインを飲んでいた。
「ラテス君、この小屋はどうだった?」
「驚きました、まさかこんな簡単に組み立てができるなんて。どこの国の物なんですか?」
「これは昔出会った人の故郷の移動式住居らしくてな…」
食事後、一行は焚き火を囲みながら一服していた。キースとラテスの話を聞いていると、中央の軸を中心に棒と柵を組み合わせながら作っていくようだ。セルも次はこちらの設営を担当するので、良い情報だった。
「初日から良いご飯だったな。これが続いてくれれば良いが…」
「シャル様…そういえば、今朝仰っていた別の呼び方のがいいですよね。すみません、まだ思いつかなくて…」
「そうだなぁ。じゃあ、一部をとってルーと言うのはどうだ?」
「ルー様、ですか?」
「様はなくても構わないが…昔な、世話してもらっていた乳母が呼んでくれた名なんだよ。だから、そう呼んでもらえるのは心地よいんだ」
ヒュウと吹く風がシャルの髪を攫ってゆく。見上げると夜空には満点の星が浮かんで輝いていた。
「なんだか、飯を食ってて思い出したよ。その乳母が自分の食事として食べていた物の味が似ていてな。普段はいけませんよと咎められながらも、味見させてくれたっけな。それが妙に美味しくてな。背徳な行為って味付けだったのかもしれんな」
「その方は今は一緒ではないのですか?」
ラテスが会話に入って質問すると、シャルは少し寂しそうな表情で答えた。
「兄たちの嫌がらせでどこか分からないとこに飛ばさせられてしまったんだ。その後も必死に探したんだが見つからず仕舞いでな。…諦めたわけではない。せっかく誰にも頼らずこうして自分で探しにいける環境にもなったんだ。また会えることに期待するよ」
「会えると良いですね」
セルはそう言いながら、シャルと同様寝そべって空を眺めた。
「それにしても、記憶って不思議なもんだな。今まで全く思い出してなかったのに、飯を食ったら急に湧き上がってきたよ」
「ウサギのクリーム肉は庶民の定番ウサギ料理ですが、同時にご馳走でもありますからな。きっと他の安い肉でアレンジした料理だったのでしょうな」
「キースがあの時に近い料理出してくるものだから、つい感傷的になってしまった。お前の責任だからな?」
キースは「お褒めの言葉を」なんて言いながら笑っている。この二人の関係も、以前はどうだったのだろうと気になるところだった。
「さっきセルも言っていたが、私も庶民の暮らしや風土なんてものは全く分からない。分からないままでも王子の位はあるんだろうが、それじゃいけないと今の私なら断言できる。大事なのは王になるか、なれないかじゃない。国民がより良い暮らしを、自由に出来て幸せな一生を送れる様な国を作れるかどうかだ。それが王族に生まれた私の使命と責任。兄様達がどうとかじゃないんだ。この旅を通して、私はそれを証明したい」
シャルの瞳は星の輝きを得ながら、焚き火の火がゆらゆらと反射していた。キース、ラテス、そしてセルも、その言葉を聞いて改めてこの人の力になろうと決心したのであった。
「さっきから色々と言っておられますけど、なんですか、ムラムラしたってことですか?」
「違うよ!?」
「私、メイド服に身は包んでおりますが、そういったお世話はお断りしますからね?」
「聞いて!? ムラムラとかそういうの隠すために誤魔化してた訳じゃないからね?」
(この方はもしかしたら、色んな意味でブレイカーな人なのかもしれんな…)
キースはそんなことを言い合う二人を見ながら思っていたが、更に横にいた二人は「(面倒なのが二人もいるのか…)」と熱した気持ちが急速に冷めていくのを感じた上で、本当にこのメンバーで正解なのかと一抹の不安を覚えるのであった。
その後もシャルの心の叫びという名の弁明は、虚しくも夜空へと吸収されていったのだった。
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