第9話 自己紹介

「さて、それでは出発と行こうか。いつまでもここにいても進まないからな!」


(よく言うよ…)


あれから更に時間が経ち、三十分は経過した頃、ようやくシャルは皆の前に立ち、そう言った。


セルはと言うと、長い問答の様な光景に辟易していて、帰宅して優しい家族や使用人たちと一緒にいたいなぁと感じていた。


それもその筈で、隣の女性の厳しい視線の矢の雨は一旦は止んだものの、代わりに毒ガスでも噴出するかの様にイラつきの雰囲気が増しているからであった。


そんなことは梅雨知らず、シャルは街から行くのも目立ってしまうからと地下の秘密通路から行くことを話している。


(性格が変わったとしても、この人はこれ程に鈍感だっただろうか…)


セルは睨まれたあの時から今までに、イメージの中で何度シメられたことか。胸ぐらを掴まれ、腹パン一回からの足払いと踏み付けのコンボ、そして唾を吐きかけられている。髪も鷲掴みされた。思い出すだけでも気持ちがげんなりする。


助かったのは、ようやく移動が始まると言うことと、女性は既に怒りを収めたのか、澄まし顔で立っているということだ。ようやく現状から解放されるセルであった。


「よし、ここから行こう」


「あの、シャル王子…」


「セルよ、気をつけてくれ。今後、私は王族ということを隠して行動していくのだ。だから王子とつけるのはマズい。偽名…まで行かずともせめて人前では名を伏せるか、名前を呼び捨てにしてくれ」


「しょ、承知しました。どう呼ぶか、少し考えてみます」


「うむ。それで、どうかしたか?」


「えっと、ここ…民家ですよ?」


セルが言いたかったこと、それは城入り口から堀沿いに歩いて付いた一軒の民家であった。看板を見る限り、ここは包丁などの刃物を研ぐ店の様だった。


オスラ王国の首都は珍しい土地の形式の街である。海を背に大きな城を構え、その左右は山脈に囲まれている。自然の要塞のような街の中央は全て国民の街や店となっている。


他国であれば城の近くには貴族たちの屋敷があるわけだが、それがこのオスラ王国の特徴の一つであった。


位の高い貴族であればある程、左右の山に屋敷を構えることになっていた。これは山からの侵略者を発見し対応することを義務付けられているからだ。だがそれ以上に、一見不便な生活を強いられそうな場所でも裕福な生活ができる財力があることを示す一種のステータスともされていた。つまり、城に近いほど低級の貴族であり、城から距離も高さも離れるほど上位の貴族なのである。


低級の貴族であるミュール家は無論、多少の小高い丘くらいの立ち位置である。当主である父を含め、それを気にする者はミュール家にはいなかったのは、代々続く穏やかな家系だからかもしれない。


「いいんだ、ここで間違いない。失礼するぞ」


特に説明もなくシャルは堂々と正面ドアから中へと入っていく。後から他メンバーも中へと続いた。


屋内には様々な形の刃物が所狭しと並び、その柄には紙が巻かれ日付と名が刻まれている。どうやら全て預かり物でこれから研ぐ物の様だ。


「…久しいな、息災か」


唐突に知らない人物の声が響く。


「ああ、近頃リフレッシュしてな。なんだかみなぎってる」


「そうか、余計な身が削げたか」


その男は後ろを向いたまま言い放った。背中に目でもついているのだろうかとセルは驚く。


「毎度済まないな、アポ無しで来てしまって」


「構わん、必要な時ってのは大体そういう時だ」


いかにも無骨そうな初老の男はシャルを一瞥すると、再び視線を体の正面に戻し、ぶっきらぼうにそう言った。鋭い目つきはさっきまでセルに突き刺さった女性と同じ感じだが、声の感じからは反対に温かい印象をセルは感じた。


男は削った刃物を光にかざしながら何かを確認している。


「うちのお抱えシェフが褒めていたよ、切れ味が抜群だと」


「仕事だからな。切れない時は引退の時だ」


やれやれ、シャルはそんな呆れつつもなんだか嬉しそうな表情で、彼の肩に一度手を乗せると、その横へ一本の瓶を置いた。


「今日は早めに上がるか。つまみを買わんとな」


瓶に目をやった男は、表情はそのままに一瞬、口角が上がる。そして持っていた刃物を鞘へと納めた。


「しばらく会えないからな、餞別みたいなもんだ。…帰ってきたら老いぼれになっていてくれるなよ?」


「こなせどこなせど、その後ろの山が崩れんのよ。しばらくボケられそうにもねぇ」


「ははっ、そりゃそうか。せっかく国中回るんだ。なにかいい酒があったら掻っ払ってくるよ」


「…周りを頼れよ。そいつらは多分、いい奴らだ」


そんなことを言いながら、頭をボリボリと掻きながら男は立ち上がる。ある武器を指差しながら奥の部屋へと入っていった。


シャルはその剣を手に取ると一度素振りをし、鞘を腰へと付けた。


「こっちだ、来てくれ」


そこからシャルは男への挨拶となく、奥に進むとトイレに入っていった。トイレの後ろを何やらゴソゴソとしていたが、すぐに「1人ずつ頼む」と声がかかる。


「もしかして、これが王家の通路ですか?」


「そうだ、セルには前に話したな。王家と一部の人間しか知らないからな。他言無用だぞ?」


トイレの壁の向こうには人1人が入れる穴が空いており、そこには地下へと繋がる階段があった。全員が降りたのを確認すると、シャルは再び上ると光が消える。どうやらまた壁を塞いで戻ってきた様だ。暗闇の中を平然と降りてきた辺り、手慣れているのがよく分かる。


「では、このまま歩こう。街の外に馬を用意してある」


ロウソクに火を灯し、シャルは歩き出す。その後ろを一向はついて行った。


「そういえば、まだ自己紹介をしていなかったな」


藪から棒に先頭のシャルがつぶやく。


「まだここにいるみんなは、それぞれのことを知らないだろう。外までは少し掛かる。外では話しづらいし、ここがちょうど良いだろう…自己紹介といこう」


この坑道のルートをシャルは熟知しているらしい。左右正面と分かれる道を迷わず先導してゆきながら、これまでの経緯を話し始めた。


名前から、幼少期にトラウマを受けたこと。自分を守るために狡猾になったことなど、簡潔に伝えていく。


「正直、我が兄弟は仲良くない。むしろ昔から歪みあっている状態だ。君たちが事情に深入りするのも危険なので詳しくは避けるが、私も随分と自分を守るために悪いことも色々やってきた。ラテスに手をかけてしまったのもその一つだ。ただ、セルの魔法のおかげで我に返ってな。今は全ての罪を償いながら、この国を良くするべく、この身を捧げたいと思っている」


セル達には背中しか見えなかったが、その言葉と言い方には本当の気持ちが込められていることが感じ取れた。


「私は大体そんなところだ。もちろん話したくないことは話さなくて構わない。好きなものでも嫌いなものでも、そんな話でもいいさ。さ、誰から話す?」


「では、私から」


意外にも、先陣をきったのはメイド服姿の女性だった。


「盗賊ギルドから派遣されました、ナーシャと申します。シャル王子の護衛任務を拝命します。なので、勝手にあちらこちらと向かうのはお辞めくださいね」


「早々に手厳しい頼まれごとだな」


背中から視線を受けながらシャルはそう返す。セルには斜め向きでしっかりは見えなかったが、なんとなく口元が笑っている様に見えた。


「ですので、皆さんに何かあったとしても、私は王子の安否確保が最優先となります。皆さんは自力でどうにかしてください。死んで恨まれても困りますから、先に伝えておきます」


「まあ、とは言いつつもきっとみんなの力にはなってくれるだろう。なにせ、彼女はギルド長の娘だからな」


シャルが凍りついた場をどうにかしようと発した瞬間だった。


「あまり、人のことを話してはいけませんよ、王子」


三列になって歩いていた中でナーシャは一番後ろに居たはずだった。しかし、一瞬にして、彼女はシャルの隣に立っていた。突然に隣から声がしたものだから、シャルも思わず「うはっ、びっくりした!?」と体を震わせている。というか、横っ腹を抑えている。何かあったのだかろうか。


「はっはっは、威勢がいいな。だか、お手柔らかに頼むよ」


突如、笑いながら行ったのはセルの隣にいた男性だった。


シャルと同じく金色の髪に、整った顔立ち。腰には短剣と杖を携え、背中には立派な弓を携帯している。しかし何よりも、尖った耳先が印象的なこの男性は、間違いなくエルフであった。


「あの、もしかしてシャル様の教師の方では?」


「そういう君がセル・ミュール殿だね。驚いたよ。まさか一日にしてシャル殿下の灰汁を抜いたのだからね。君のことはお父様からも聞いているよ。状況は把握している」


父から白紙の魔法を知らされた日からずっと気になっていた。実際は出発準備のために方々を歩き回っていたから考える暇もなかった訳だが。もしかしたら、父が持っていた本はこの方から借りたものかもしれない。だとしたら、古代魔法についてもご存知なのだろう。


今、その全貌がわかるかもしれない。セルは身震いが止まらなかった。ここ数ヶ月、どれ程調べても分からなかった自身の魔法がようやく解明されるのだ。暗闇の部屋の中に窓から一寸の光が差し込んだようだった。


「すまない、自己紹介が遅れたね。セル君、ぜひ私の名前を覚えてもらいたい。繰り返してくれたまえ」


「もちろんです!」


セルは考えもなく返答した。しかし、よく考えれば分かるだろう。名前を反復させることの違和感に。


「私の名は、キース・ラエラル・スティルノ・ファン・ディーノ・ネルドル・ガット・ジーク・スレイン・シュライヌ・アメロ・ユライア・ライラーチ・ジャミロ・カンテ・ノル・ニル・ロットだ」


「、、、はい?」


「キース・ラエラル・スティルノ・ファン・ディーノ・ネルドル・ガット・ジーク・スレイン・シュライヌ・アメロ・ユライア・ライラーチ・ジャミロ・カンテ・ノル・ニル・ロットだ」


「な、なんて?」


「はっはっは、君も旧王子のように、なかなかの曲者だな。三度言わせようとは、さすがの私も舌が回らなくなりそうだよ」


しまった、これは地雷だったのか。セルは一瞬にして混乱した。これ程に長い名前だったとは。というよりもそんな長い名前が存在するのかという衝撃が襲った。


だが復唱を了承した手前、言わない訳にはならない。失礼千万の行いである。


「さあ言ってみなさい、私の名を。言ってみなさいよ!」


キースは両手を広げて満面の笑みで復唱を求める。もはやうやむやにして逃げられる状況ではない。


(どうにか、どうにかしないと…)


セルの脳内はグルグルと思考が迷子になっていた。数分前とは異なる意味で身震いが止まらない。吹き出す脂汗、生まれたての子鹿のような脚、視点の合わない目。セルは精神が保てなくなる、そんな時だった。


「いい加減にしないか」


坑道にパァァンと良い音が響き渡る。同時にキースの首が下を向く。正確には向かされ、元の場所にはシャルの平手があった。シャルがキースの頭を思い切り叩いたのであった。


「すまんな、セル。コイツは優秀な教師ではあるんだが、少々歪んだ性格でな。初見の相手に自分の名前を言わせて困惑する姿を観て楽しむんだ。私も昔やられた」


「殿下、王子とはいえ恩師をコイツ呼ばわりとは関心しませんな!」


「恩を受ける人間は自分で恩師とか言わないんだよ!」


「はぁーん、私は人間ではありませぇぇん。エルフでぇす!」


「うるさい、クソエルフ!」


坑道に響く二人の罵倒、これが王子とその教師によるものということが、世間には決して見せられない惨状であった。


「ル、ルー様ぁ…」


セルは涙を流し、片膝から崩れ落ちた。無礼を回避でき極度の緊張から解放された結果、頬を涙が伝っていき、全身の力が抜けたのだった。


セルに気づいたシャルは罵倒を中断し、セルの肩を両手で支える。


「セル、何かコイツに嫌なことをされたらすぐに私に報告しなさい。些細なことでも構わないからな」


「はい…」


二人の間にあるのは、短いながらも生まれた縁と感謝の感情のみである。しかしながら、側から見ればそれは分からないものである。


「…この二人はそういう関係なのですか?」


「ふむ、なにやら数日前からメイド達が騒いでいたな。殿下とそのお近づきになった男性が良い感じだとかなんとか。これのことかもしれんな」


「はぁ…ジレンマとはこのことですか。使命と率直な気持ち、どっちを取ろうかしら。帰りたいわ」


「まあ、殿下にどのような趣味があろうと、国民にとって良い王となられるのであれば問題あるまい。過去を遡ればどの時代にもそういう王は居たしな」


キースとナーシャはそんな会話をしながら、二人を眺めていた。そんな彼らを一番後ろで見ながら、ラテスは思っていた。


(僕の自己紹介はあるのだろうか…というか、濃すぎて記憶に残らないんじゃ…)


一難去ってはまた一難、なかなか街から出られない一向であった。

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