第8話 それぞれの朝

「まだ不満という様子だな、ナーシャ。気持ちは分かるが、もう決まったことだ。曲げたヘソを戻してくれないか」


「別に、怒ってなんていませんよ。ただただ億劫なだけです」


「怒っていないと澄ましつつも、内心がよく伝わってくるのは昔から変わらんなぁ」


「...ええ、そうですか」


盗賊ギルド。情報の収集と売買から、果ては国の暗殺依頼まで幅広く暗部を担う組織である。国の番犬と呼ばれ、メンバーは基本非公開、その施設の中には国王以外の貴族すら入館の許可をしないという絶対秘密機関である。ギルドの入り口は公にされてはいる一方で、その入り口には様々な仕掛けが施され、手順を間違うと仕掛けに攻撃され、中にいるメンバーによって束縛される程で、まともなものは入ろうとはまず思わない。


ある部屋の一室、ギルド長とその娘ナーシャは途切れ途切れの会話と気まずい雰囲気に包まれていた。事の発端は数日前に通知された第三王子による国内視察の護衛以来であった。


(冒険者ギルドにでも送ればいい案件でしょうに...父様は全く国王様だけには甘いわ)


ギルド長と国王は、幼い頃に出会い、一旦はそれぞれの道に進んだ後、ある事件で邂逅を果たし、それから2人はこの国を担う存在となっていったそうだ。その息子、オル王子からの要望もあり、弟のシャル王子の護衛に誰が付くかという話になり、様々な意見が出たものの、結果はギルド長である父の一言により、娘のナーシャとなった。


「とはいえ、これからしばらく会えませんよ。国中となると少なくても一年...三年だってありえます。寂しくなるのは父さんでしょう?」


「はは、よくわかってるな。俺も寂しい。だが、相手は王子だ。護衛任務となると情報収集に長け、なおかつ即座に敵を排除できる人物となる。力馬鹿なら冒険者ギルドにもいるし、強いやつなら魔法ギルドにもいるが、だが機転とぶれない精神、そして他の能力を凌駕する瞬発力を持つのは、俺の中ではお前しかいないよ。周りの幹部連中、なんつったと思う。可愛い子には旅をさせよだってよ。失礼な、俺は任せる気満々だったつうの」


ギルド長として、ペラペラと選抜理由を話す父。本心はナーシャにもよく分かっていた。このギルドだってきっと一枚岩ではない。きっと父にとって私を選択したことは最善なのだろう。


ナーシャはただ、娘として拗ねてみただけであった。


いつからだろう、父の困る顔がなんだか好きで小さな悪戯をするようになったのは。今だって、自分の中では既に腹は括っていて、父の命令を全うすることだけを考えている。それが、私が父へとできる恩返しの全てだからだ。父が選んでくれたことはなにより嬉しいのである。


「深くは言いませんが、用事はそれだけでないでしょう? ささっと情報も集めておきますよ。定期的に手紙も送ります。父様は日々色んな交流がありますからね、私からの手紙を探すのは大変でしょうけど」


「...娘の手紙なぞ、名前と筆跡が異なっていても匂いで分かるわ。...すまんな」


ナーシャからの意図を汲む父。長年一緒に苦楽を共にしただけのことはある。荷造りの手を止め、その手で父の顔を包む。その表情には若い頃には無かった年輪が皺となって刻まれている。老けはしたけれど、父の目はいつも変わらない。あの日の信念に基づいた眼差しと一緒だ。


「なるべく、すぐに帰りますから。風邪を引かないで、元気にしていてくださいね。ご飯も食べて、ちゃんと休んでくださいよ」


「分かってるよ。ナーシャこそ、ちゃんと帰って来てくれよ。お前は強いし、一人で無理でも、今回は仲間たちがいる。調べたが、信頼できるメンバーだ」


父の手が頭を優しく撫でる。昔ならグシャグシャと掻き回していたのが、今では気を遣っているのだろう。しょうがなくも愛おしい、ナーシャは優しく微笑むのであった。



「ではラテス君、どうか気をつけて。お母さんのことは私たちが面倒をしっかりと見ますから」


「長旅になると思います。どうか、母をよろしくお願い致します」


ラテスは小さな背をしっかりと曲げ、頭を下げた。医師は彼の肩に手を置き、看護師は「立派な息子さんね」とハンカチで涙を拭いていた。


ここは国立の病院である。本来、国の機関であり貴族か高額の治療費を出さねば入院は叶わないが、ラテスはここ数日の間お世話になり、更には母もこれから長期の入院予定となっていた。


ラテスにはここ数ヶ月の記憶が欠如していた。気づいた時には床にふせ、状況が読めなかったが、程なくして、この国の第三王子、シャル王子が面会しに来たのである。


「貴殿には、取り返しのつかないことをしてしまった。それは断罪されるべき、私の罪である。だが、これからは私は国人のため、この命を全うするつもりだ。どうか、私についてきてくれないだろうか」


王子の説明によると、私は王子の兄に有能な駒使いとされ、学園にて彼の不正を暴く手伝いをさせられていたそうだ。そして、逃げられないと感じた王子に、数日前に薬を盛られた為にここ最近の記憶を欠落したとのことだった。


王子のカミングアウトも衝撃だったが、ラテスにはそれ以上に自分に魔法の適性があったことに驚いた。


スラム街出身の彼にとって使える武器は頭脳だけ、そう思っていた自分に魔法が使えるかもしれない。事実は小説よりも奇なりとは言うが、まさか自分に魔法が使えることが何よりの驚きだった。


加えて第三王子直々の抜擢、国の重要人物からの指定とあれば今後の動きにも箔がつく。迷う余地なしとラテスは旅の同行を決めた。


当日の朝、ラテスは支度を終え最後に病室を訪ねた。ノックをして中に入る。


「失礼します」


病室にはある女性が一人いた。既に目は覚めていて、外の風景を眺めている。


「おはようございます」


「あら、おはよう。珍しいわね、朝から会いに来てくれるなんて」


言葉に抑揚もなく、感情も薄い女性の声。視線はラテスを見ているものの、どこか心ここに在らずといった様子だった。


「ええ、すみません。突然訪れてしまって。実はしばらく街を離れることになったので、今日はお別れを伝えに来たんです」


「あら、そうなのね、残念だわ。お話しできるお友達が減ってしまうなんて、悲しいわね」


「ええ、僕も悲しいです。ソシュールさんと話すの楽しいですから」


「あら、お上手ね。しばらくって言っていたけれど、どのくらい行かれるの?」


そんな話を続けるラテスと女性、話し仲間と見れば何らおかしなことではない。しかし、この2人の関係においては奇妙な状態であった。


彼女の名はフロム・ソシュール。ラテス・ソシュールの生みの親にして、彼の唯一の肉親であった。


彼女はある事件をきっかけに、心を病んでしまった。記憶を消す、あるいは歪曲するという自衛を取ったのである。そのためラテスは息子としてではなく、よく会いに来てくれるお友達ということになっていた。


「少なくとも一年、長いと数年に渡るかもしれないです。でもたまに手紙も送りますよ」


「ぜひお願いするわ。そしてまた来たら旅の話も聞かせて頂戴ね」


しばらく話をした後、ラテスは病室を出た。振り返り、部屋へ繋がるドアを見つめる。


いつか、彼女の心の拠り所が再び見つかる日は来るのだろうか。また昔のように母子という関係に戻れるようになるのかは分からない。


「では、行って参ります。母さん」


ただ、いつかは。


そう心に決めながら、ラテスは病院を去るのであった。

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