第6話 勅令

唐突なお触れだった。


体調も戻り、自分の魔法について王宮のお抱え教師の方に直接話を聞こうとしていた矢先のこと、セル家に王宮からの勅令が届いたのである。


「セル・ミュールはこれより一週間後、オスラ第三王子シャル・ル・オスラと共に国内を視察する任務へと抜擢された。従って明朝、王宮にて式を執り行う」


突然の知らせに、父は持っていたナイフを落とした。ナイフに付着していた卵の黄身が跳ね、服についたと慌てて拭いている。


母は悠長に喜びながら両手を上げているし、勅令を読み終えた執事は「坊ちゃんとまた会えるまで、この爺や長生きしてみせます」とおいおいと涙を流している。幼き妹に関しては、ご飯の方が優先事項のようだ。


当の本人はというと頭が真っ白になり微動だにしなかった訳だが、そこからはあれよと言う間に準備が進んだ。王の手前、無礼があってはならぬと服の清掃から、式に関する立ち振る舞いと謁見の手順などの手ほどきを受け、学園に休学の申請をし、旅の準備にあちらこちらと連れ回され、ベッドに倒れ1日が終わった。


今朝も風呂で入念に身を清めることを母に言われ、身なりを整えて、普段は絶対につけないワックスで前髪を上げられ固められた。着なれない衣装に身を包み、王城の一室にて一息ついたのが現在である。


すでにセルの心は限界に達していた。王の前に立つことも緊張の理由ではある。だがセルの心を削り取った本当の理由は別にあった。


「裸見られた…色々洗われた …笑われた…」


「王族ならば、日常的なことなのだがな」


「誰です?」


突然の声にセルは顔を塞いでいた手を退け入口へと振り返った。そこには、あの時以来のシャルが立っていた。


「…盗み聞きなんて、関心しませんよ」


「うむ、すまない。どうやら兄弟共にそういう性質なようなのだ」


「なんですか、それは...」


呆れながら、セルは再びため息と共に項垂れた。朝、風呂に入ってきたと言われても聞く耳を持ってもらえず、メイド複数人により服を剥かれ、浴槽に投げ入れて体を隅々まで洗われたのである。


セルはまだ、女性との性的な経験がなかった。


セルの全てを見たことあるのは沐浴をさせていた頃の母のみである。全身を洗われる心地よさとは別のむず痒さを感じ、思わず勃起してしまったのである。


メイドがフフと笑い、「あら、随分とご立派ですこと」と言った記憶が再び脳内に浮かぶ度に「ああぁ…」とセルは愁嘆の声を上げた。おかげで体は清められたものの、その代償は大きかったのだった。


「単純に大きさを褒められたと思ったらよいではないか」


「そういう問題じゃないんです! そもそも、何故ここにいるのですかっ!」


「正直、式となると過剰になるのが城の者の傾向でな。面倒臭くなったから逃げてきたんだ」


手に持っていた紙袋から「食うか?」と包みを渡される。迷いつつも、朝から何も食べておらず腹の虫がなりっぱなしのため、受け取って包み紙を開くと、バゲットにハムやチーズが挟まれたサンドイッチが入っていた。セルが食べ始めるとシャルも同様の物を手に取り、近くの物置の上に腰を据える。


「何故、僕を選んだのですか。何か目的があるのでしょう」


サンドイッチを食べ終え、セルはしばしの無言の後にセルへ向かってそう言い放った。そもそも疑問ではなく疑惑であり、彼の真意を知りたかったのである。ただ、それとは別に気になったことがあった。


「成り行き、と言ってしまえばそれまでなのだが…巻き込まれるかもしれない、というのもあるんだ」


「巻き込まれる?」


セルには違和感があった。前回の彼と関わった記憶は、あの図書室から繋がる地下室である。その時の彼は少なくとも付け入る隙間もなく、負や淀みをすくい集め押し固めた様な嫌な人であったはずだ。しかし今、目の前にいる彼は全くと言って良いほどに嫌味が抜けきっている。それが気になっての質問でもあった。


「君、何か不思議な魔法が使えるんだろう?」


「どうしてそれを?」


「キースが…私の教師が今朝、教えてくれたんだよ。私を変えたのは、恐らく君の魔法だと」


言葉が出なかった。自分の探し求めていた魔法がまさか大事の最中に判明するとは思わなかったからである。セルは何も言わずに、シャルの言葉を聞き続ける。


「君の光に包まれた時、自分の心から棘や膿みたいな物が抜けた様に感じたよ。それと思い出したんだ。昔の真っ直ぐだった自分をね。それが君の力なんだと思う。凄い魔法だよ。だからこそ、それはある種の人間には己を殺す凶器ともなるんだ。今は誰とは言わない。ただし、そいつらが私を見て原因が君と気づいたら良いことにはならないと思ったから、君を一旦外に連れ出すことにしたんだ。付き人にはキースもいるしね。下手に城の側にいるよりも、ある程度は安全な筈だ」


突然に人がここまで変わる筈がない。今のシャルの姿はセルを身震いさせる程に変容していた。これまで疑惑だった考えが、確信へと変化する。これは自分が起こした事態なのだと。


食事を終え、シャルは了承を得て椅子をずらしてセルの目の前に座る。


「私の罪は消えない。貶められ苦難の最中の者もいるだろうし、命を落とす結果となってしまった者もいる。私は一生をかけて償わないとならないだろう。だが、私はこの国の王の候補となる人物だ。父が、あの人が愛したこの国をこのまま腐敗させたままではいけないと、今朝この街を見回ってきて改めて決心したんだ」


シャルは、真っ直ぐな眼差しで向かいの瞳を見続ける。その目には一切の揺らぎのない、熱く光るものを感じた。


「セル、君の魔法はきっとこれから多くの人に道を照らせる光となると思う。だから、手伝ってくれないか。私たちと共に国を周り、研鑽を積み、弱きを助け、この国の腐食を一緒に止めてほしい」


「…あなたは、そういう目の人でしたね」


セルの手を包むシャルの暖かさに、セルは遠い昔の記憶がふと蘇った。それは朧げの記憶ながらに今でも記憶に残っている。


「シャル王子、一体どちら…に…あら、あらあら。これはお邪魔でしたか?」


ダンと強い衝撃と共に開いたドア。その向こうにはシャルの捜索をしていたであろうメイドたちがいた。その目に入ったのは手を繋ぎ至近距離で向かい合うセルとシャルであった。無論、その様子を逢瀬と捉えたようで全員でニヤニヤとこちらを眺め、一部の者たちはヒソヒソと話し、キャーと黄色い声を押し殺しながらも挙げている。


「いや、お前たち、間違いだからな。これはその様な密会の類では」


「大丈夫、大丈夫ですよ。これは私たちだけの中に留めておきますっ。では、式の前には自室へとお戻りくださいね。最後に『お直し』いたしますから!」


風に流されるようにメイドたちはそう言って姿を散らしていった。部屋と廊下の周辺には、シャルの「違う!違うぞ!」と叫ぶ声が虚しくもこだましていたという。


なお、それがメイドたちだけの間だけで終わる訳もなく、シャル王子は意中の者がおり、どうやら男色らしいという尾鰭が付いて回ることに後々苦しむこととなるのは、また後の話。

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