第3話 更生の光

自分に向けられた訳ではない鋭い刃物のような言葉、しかし何度も自身が味わった嫌な感情に、セルは勢いよく階段を降り、ドアノブを引っ張った。


部屋の向こうを覗くと、ランプに照らされたのは3人の顔だった。一人は横に倒れ、二人はこちらを驚いた様子で見つめている。その顔ぶれにセルは「え...?」と声を漏らした。その片方は、セルが見知る人物だったからであった。


「なんだ、ドアが開いていたのか? いけないな、ちゃんとドアを閉めたかどうかを確認しないとさ。ほら、ドアを閉めてこい」


男はそう言いながら、隣にいた男の尻に回し蹴りを放った。よろめきつつ「すんません」と謝り階段に向かう後ろ姿に苛立っているのか、舌打ちと共にギッと睨みつける。その表情が、セルの知る人物像とあまりに異なるために理解が及ばなかった。


それはこの国の三番目の王子、シャル・ル・オスラだった。


「君は…確かミュール家の息子か。君の父は実に優秀だな、なにせ改ざんした記録を暴いてしまうものだから、不正がなかなかしづらくてね。なんでも色んな部署からも引き抜きたいと息が掛かっているとか。…まあ、子息はその活躍とは反比例しているようだが」


普段、学園で見かける印象とは全く異なり、煌びやかな長い金髪と美形の顔に合わない、下衆な笑みを浮かべてセルを見ている。その背後には口を縄で塞がれた少年が横たわっていて、なにかをされているのか、ピクリとも動かない。意識がないのだろうか。


「…ああ、なるほどね」


シャルは察したように、唖然としているセルを見る。


「この私が本来の姿だよ。似ても似つかぬだろう、君の知る私とは。日々良き王子を演じるのはなかなか骨が折れてね。だからこうして憂さを晴らしているのさ」


そう言って、シャルは横たわる少年をちょんとつま先でつつく。ようやくセルも我に返った。


「彼はあなたに何をしたのですか。この様な事はいけませんよ、シャル王子!」


セルはまるで物の様に人を扱う王子に苦言を呈した。一体、彼らの間に何があったのだろう。シャルは困った様に額にしわを寄せる。


「…何をした、か。憂さ晴らしに理由も何もないと思うのだがね」


「人の行動には必ず原理があります。王子の意志とは関係なく、彼を対象に選んだ理由が。話を聞かせてください。これ以上、彼が苦しまなくて済む様に」


セルの言葉に、再びシャルは腕を組み考え始める。何度かパチンと指を鳴らしながら、ふっと顔を前に向けた。


「強いて言うなら、邪魔だから、かな」


「なんですって?」


セルは唖然とした。理由として、あまりに横暴であった。普段は穏やかなセルにも怒りの感情が入り混じる。


「彼はきっと君のお父さんの様に頭が良いのだろう。学園の馬鹿な生徒たちならば気づきもしない違和感に気づいて、不幸にもその真相を探ってしまった。おそらくだが、他の理由もあるのだろうがね。兎にも角にも、私も再三手は打ったのだが彼はそれもかいくぐり、事件の中心に私がいることを突き止めてしまった。知らなければ良いことを知ってしまった訳だから、口止めをするしかない。そして、ここに呼んだのさ」


シャルは横たわる彼の隣に座り込む。スッと胸から一本の瓶を取り出した。セルにはそれが、何かしらの毒であることを察し、「やめてください」と声を張り上げた。


「さすがに殺す事はしないさ、あまりに不自然だからね。なに、体には問題ないさ。これは"トキトバシ"という植物から採取した根の汁でね、接種すると脳に作用して接種日から数年間の記憶が飛ぶ物でね。まあ自我が崩壊する訳でもないし、死ぬよりマシだろう。それに」


「ふざけるのも大概にしてください!」


セルの怒号が部屋中に響き渡った。話を遮る様に叫んだことが気に入らなかったのか、シャルは目を三角にして睨みつける。


「死なないから、苦しまないから、だから奪って良いなんてこと、許されませんよ! 私にはあなたの過去に何があったか知りませんが、他人を貶める事が正義になんて成り得ません。シャル王子、思い直して頂けませんか?」


問い掛けに、シャルは苦虫を噛み潰した様な顔に変化した。その怒りの中に、どこか物悲しさを読み取れたが、同時に後頭部に強い衝撃と共に視界がぐらりと揺らぎ、セルは倒れたのであった。


「お前が一番邪魔だな」






ズキズキと後頭部が痛んだ事で、セルは目が覚めた。


頭をさすろうと手を動かそうとしたが、腕どころか手までも動かず更に足も動かない事で、ようやく自分が縄で拘束されていることに気づく。どうにか体勢だけでも起こそうとモゾモゾと動いていると、部屋の奥から声がした。


「はあっはっは、まるで芋虫だな。なんだい、変身魔法でも会得したんじゃないか?」


どうにか座る状態に持っていき、その相手を見ると、王子が椅子の上でサンドイッチを美味そうに頬張り、セルを酒の肴の様に見て楽しんでいた。その横にはドアを閉めにいった舎弟の男が座っており、同じようにパンを頬張っていた。その側には木の棒があり、どうやらそれで後頭部を殴打されたために気を失ったことがわかった。


「もう深夜ですか?」


「おや、なぜそう思う?」


シャルはグラスに水を注ぎながら質問に返す。


「王族の夕飯にしてはサンドイッチとは簡素すぎます。僕たちを拘束している以上、家に戻るのはリスクがありますし、学園の近場で手に入れて間食と考えるのが妥当です。それなら夜遅い方が、合点がいきます」


「さすがに奴の息子なだけあって、馬鹿ではないか。ご名答、今は夜だ」


指についたソースを舐めながら、シャルは答えた。


「残念ながら、仲間の助けはこないと思うがな。ここは普段、禁書のコーナーでな。図書館の司書ですら鍵はおろか存在すら知らん。王族専用というやつだな。幻想の魔法が使える者に協力してもらったのでドアも見えない。だから気づきもしないだろうな」


「それなら、反対に来るかもしれませんよ」


セルの言葉にシャルは訝しむように見つめる。対策を打ったか?という表情だった。


セルはここに来る直前、読んだ本を置いていったのである。学園にいたことは分かっているだろうし、帰還がないことを不審に感じた父が、仮にも貴族の息子がいないともなれば教師と共に学園に来る筈だ。ならば本に気づく筈だ。常に入り口にいた司書の教師が鐘を突き終わって帰ったら本があるのだから。


父は魔法こそ使えはしなかったが、魔法の反応を察する能力があった。ある意味、父の魔法なのかもしれない。だからこそ、様々な改ざんを見つけたり、引っ掛かる部分から悪事が判明したりと、王宮に貢献できているのである。その父が図書室にでも入れば一瞬にして違和感に気づくだろう。私が才能を開かせたいと日々本を読んでいるのも知っている。父親を信じているからこそ、セルはどっしりと腰を据えて状況の把握に努められた。


「はぁ...買収できればと思うのも儚い望みだったか。まあいい。それならさっさと事を済ませてここから出るだけだな。君も知らないだろう、王族にだけ通行できる隠し通路が学園の地下にあること。君も処置した後はそこを通って外に君を置いておけば無事完了だ。暴れないでくれよ?」


その瞬間に、セルは自身の血が沸くのを感じた。これから己の身に起こることではなく、この事件に巻き込まれた時から動くことのなかった、倒れた少年についてであった。


「飲ませたんですか?…彼に薬を盛ったのですか!」


「というよりも"君が来た時点で"の方が正しいね。君も時知らずってことだな。ははは」


シャルは傑作だと言わんばかりに腹を抱える。


許せない。


その思いは膨らむ一方で、セルはある違和感を感じた。逡巡し、口をつぐんでいたが、意を決すると、恐る恐る話しかける。


「シャル王子、あなた…そうするしかなかったんじゃないですか?」


「…どういう意味だい?」


笑い声がぴたりと止まると、シャルは鋭い眼光でセルを睨み付ける。忌諱に触れたようだった。


「僕はそう感じました。シャル王子、今の貴方は、本当の貴方ではない気がしてなりません」


「違うね!」


シャルはそう叫ぶと、セルの胸ぐらを掴む。


「私は子どもの頃からこうして生きているんだ、お前が知らない数々の悪行をしてきたよ。空に浮かぶ星の数ほどね。私の悪知恵に巻き込まれた奴らの末路なんて知ったこっちゃないんだ。この私が一体どうして悪人でないというんだい」


「せざるを得なかったのではないですか?」


確たる証拠などなかった。ただ、シャルの笑う目の中に、寂しさや悲しさを感じてならなかったのである。


「…もう余計なことを喋るな」


セルの頬に強い衝撃が走る。殴られた勢いで再び床へと倒れる。仰向けになった瞬間、次いで腹にも痛みを感じた。シャルが腹を踏んだのである。思わず口が開いた瞬間、口の中に液体が注ぎ込まれる。


「飲んだな。さぁ、これで長い夜も終わりだ。記憶喪失者が2人など、なんとでも揉み消せるからな」


彼には、何かがあったのだ。確信はない。ただ何となく、セルはそう思っていた。


知りたい、彼がこうなってしまった経緯を。


セルはそう思い歯を食いしばる。薬物の影響で視界が揺らいでいたが、セルはお構いなしにシャルを見続けていた。


「おい、お前...」


その姿に気づいたシャルは驚きの表情で叫んだ。


「お前、何で光ってるんだ?」


セルの体から、溢れんばかりの光が四方に放たれていた。その光は弱まることもなく、たちまち部屋の全てを飲み込んでいったのだった。

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