第2話 図書室奥にて

「もうこんな時間か…」


ボーンボーンと鳴る鐘の音に気が付き、少年は顔を上げた。どうやらまた没頭してしまっていたらしい。読んでいた本を閉じると、腰を左右に曲げたり、背を伸ばしたりして凝り固まった体をほぐす。もう一度席について窓を見上げると、明るかった午後の柔らかい日差しはほぼ消え失せ、ほぼ夜に近づいていた。


少年の名はセル・ゼル・ミュール。


今年から国立学園に通い始めた、ミュール家の長男である。


貴族と言えば聞こえも良いが、蓋を開ければ財務整理の紙束を登山しているような、いわゆる低級貴族という立ち位置の家であった。しかしながら、貴族は貴族、それなりでも裕福な生活をさせてもらっているセルは幸せであった。


ただ、この学園に通うまでは。


「今日も分からなかったな…」


夕闇が刻々と迫っている。学園の閉まる時間までもう少しで、先に鳴った鐘の音は最終下校の知らせである。


セルはため息と共に本を鞄にしまう。


タイトルには[火魔法に関する基礎知識と初期応用編]とあり、表紙には真っ赤な刺繍で炎のステッチが施されている。熟読してはみたものの、セルにとってはこの本もすでに無用の産物となってしまった。


教室を出ると、歩きながらポケットに手を入れ懐中時計を見る。確か、今日は司書の先生が鐘を鳴らす当番だった筈だ。ならば無用となったこの本の返却は今日の内に叶うだろう。セルは踵を返し、図書室へと向かうことにした。


「ご機嫌よう」


玄関に向かって来た女生徒たちは通り過ぎる際にセルに声をかける。


「どうも」とセルは簡素な返答をしたが、やがてクスクスというなんとも嫌な笑い声が遠ざかっていった。視界がぐらつくような、体が急に寒さを感じるような、そんな不愉快な感覚がセルを襲う。


「やっぱり、嫌なものだな…」


セルは目を細め、俯いた。彼はわかっているのだ。自分がこの学園に相応しくない存在だということを。この学園において存在価値などなく、蔑む対象にしかならないのだということを。


決して、悔しくないわけではない。だが、事実として自分が何者にもなれていないことも同じく理解しているのである。


セルは、まだ魔法が使えなかった。


オスラ国立魔法学園、それがこの学園の正式名称である。


文字通り、魔法の習得を目的として国が設立した由緒ある学園である。この学園では魔法の実力が全てであり、評価として物を言うのである。この学園においては社会の階級とはことなるシステムが構築されている。それは国王の意向もあり、才能を重視した方針だからである。


この世界には、魔法が浸透している。


人々の普段の生活から、はたまた王宮の政治にまで深く関わってくるほどに、魔法は身近な存在である。だが実のところ、魔法を使える者はそれほど多くない。国の人口でも数%しか魔法を使える人間は存在しないのである。それ故、魔法が使える者、または使えそうな者はそれだけで価値あるとされ、この学園に呼ばれるのである。


学園には高位の貴族の人間から、町のしがない者まで広く在籍している。魔法使いの人口が少ないからこそ、才の秀でた者は王宮で働くことも不可能ではなく、一発逆転の芽が開ける場所でもあった。魔法使いの需要は高いが故、今後の引き抜きも兼ねて貴族の生徒は町民出身の生徒に優しく、唾をつけておくこともしばしば行われている。


魔法は神の祝福という考えの者もいるが、そうではないとセルは考えている。


教師にも様々な考えがあるようだが、セルは『魔法習得における理屈的メソッド』という本が魔法習得の原理に近いような気がしている。今日までの魔法使いたちが積み重ねた知恵の経験則から魔法の原理を説いたものである。


重要なのは"魔法使いがどの魔法も使える訳ではない"ということである。


人には向き不向きがあるように、元来、人にはそれぞれに適応する魔法が決まっているのである。基本的には[火・水・風・土]の4種が基本とされ、それ以外は不特定魔法に分類される。不特定魔法はそれこそ錬金などの特殊な物から、動物と会話ができるなどの細かいジャンルに分かれている。そのため学園も5つの学科に分かれ、それぞれの専門の学びが得られるシステムとなっている。


入学の前から、魔法の素質がある者はなんらかのきっかけで発覚する。例えば、魔法具に触れた時に道具が過度に作動したり、魔法使いと触れた際に共鳴したりといった出来事が起こるのである。


そうして12歳を過ぎると、入学が許可される。入学の際に判別の魔法具によってその者に適した魔法が判別され、各クラスに配属されるのである。


魔法が発覚するタイミングは人によって異なるため、クラスはその適正に応じて初級・中級・上級と別れ、テストを受け合格すると昇級する制度となっている。よってクラスには年齢がバラバラの生徒が存在している。


そんなクラス分けにおいて、セルが配属されたのは不特定魔法クラスであった。


大体の生徒は4種の魔法に配属されるため、不特定魔法のクラスは学園内でも特殊であり、どこか煙たがられるような目で見られやすかった。その中でも、目立っているのがセルだった。


セルにはまだ自分の魔法がわからなかったのである。クラス分けの当日、魔法具に手を触れたものの判別できる要素がなく、代わりに大きくエネルギーが満ちるという過去の学園の例でも見られない現象が起きた。不特定魔法の使い手は、大概が自分でなんとなくどんな魔法が使えるのかわかっているのだが、セルにとって思い当たる節がなく、悪目立ちをしてしまった結果、他の学科の人間から馬鹿にされる日々が続いているのである。


クラスメイトたちは気に止むなと励ましてくれた。同じ魔法を周りが使えない少数派にとって、理解されないという共通意識を理解してくれる者も多かった。しかし、セルは気持ちが楽になりながらも納得はできなかった。自分が何者なのか、どの魔法が使えるのか、陰口を叩かれながらも発見に時間を費やす日々を送っていた。


そんな彼が諦めずに日々を送れる理由に、家族がいた。


彼の父は貴族の人間ながら人格者であり、決して驕らず、上司や部下から人望があった。息子の現状においても「諦めなければ、いつかは芽吹くものだ。焦らなくていい。自分でいることに誇りを持ちなさい」と肩を持ってくれた。母もまた、セルを心から愛し、「魔法なんかなくてもいい、あなたがあなたでいてくれることが、私には一番の魔法なのよ」と笑いかけてくれた。


そんな両親に育てられたからこそ、セルは学園でへこたれる出来事があっても耐え凌いでいた。少なくとも、クラスにいる間は嫌な思いをすることもなかったし、クラスメイトの魔法について熱心に聞いてくるものだから、本人はつゆ知らず、返って好かれていた。


「よかった、返して帰れそうだ」


読み通り、図書室の扉は開いている。室内には誰もいなかったが、待っていれば先生も戻ってくるだろうと、セルは本を返却口に置き、次にヒントになりそうな本を物色する。


この学園の図書室は国有数の蔵書がある。そのため施設の一つとは思えないほどの広さである。これまで様々な種類の本を調べていたが、やはり4種の魔法はうんともすんとも反応がなかった。不特定魔法であることは間違いないと、セルは奥側にひっそりとあるコーナーに向かった。


使える人間が少ない魔法の本は冊数も少ない。仕方がないものの、ここにしか活路がないとセルはひとつひとつの本を吟味する。


すでに日は落ち、頭上の自動化されたランプに火が点き始める。


「さすがに帰らないとか…」


そう思った時であった。ふと、本棚奥に隙間があることに気がついたセルは、近づいて顔をひっこりと覗き込んだ。


そこには地下へと続く扉があった。


そして、少し開いているドアの向こうから声が聞こえてきたのだった。


「君、本当に懲りないね。まあ、その方が潰しがいはあるけれどね」

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