更生王子と白紙従者の世直し道中記
山川秋野
第1章 国内巡回編
第1幕 覚醒と旅立ち
第1話 プロローグ
「本当に不快だわ。パンに生い茂るカビを見ているよう」
隣に佇んでいる女性は、誰に言いたい様子でもなくポツリとつぶやいた。
「えっと...それほどですか?」
どう返答をして良いものかと戸惑いながら、少年は彼女を見て尋ねた。こちらの声に気づくも特に微動だにすることもなく、ただ不快だという目の前の光景を眺め続けている。
「そうね、まるで女性を見て品定めでもするかのような男のいやらしい視線の次くらいには気持ち悪いわね。合理的でない上に、無駄なのだもの。元々、行動に自然と出るものでしょう、あの人たちの言う『やる気』ってものは」
彼女の嫌いだという光景、それは目の前で叫んでいる男たちによって行われていた。
「っしゃー! これからいろんな街行ってどんどん問題解決していくぞ! んでもって国民のために努力を惜しまず力を貸すぞ! お前たちも、力を貸してくれるな? 俺は非力だ、己の力だけでは果たせぬことがほとんどだろう。だが、お前たちの力があればきっとできる! 為せば成る! どうかこの私について来てほしい!」
スクラムを組んだ男たちは随分と長い間、このやりとりを繰り返している。
言いたいことが先ほどからずっとこの調子の一辺倒で、主に中心人物である美しい金髪の少年が決意表明のような気合を表現する文言を叫ぶ度に、切れ目でその他の男たちが「おお」など「やりましょう」などと相槌を打ち、大声で叫んでいる。「ご立派になられましたぞ」と泣きながら感動を覚えている者と、「助太刀させてもらいます」と鼻息荒い者と、三者三様の様子を見せているものの、興奮気味なせいもあり、最早なんだかよくわからない、無秩序な状況が繰り広げられていた。
「いつまで続くのかしら、この茶番は。時間は有限だというのに。私は今、どんな顔であの人たちをみているのでしょうね。あなた、私を見てもらえない?」
時計を見る限り、かれこれ三十分程は続くこの光景に少年も嫌気が差し始めている。だた、彼女はそれどころではないのだろう。整った顔立ちからは想像できないほどの、相手を見下すような視線で3人の行動を見ている。表情には現れないものの、不意に聞こえる舌打ちの音、そして溢れ出る苛立ちがオーラとなり時間の経過と比例して膨れ上がっていた。同様に少年の額にも随分と脂汗が流れ始める。
「えっと、うまく言葉にはできないのですが…でも、そろそろ出発はしたいですよね。泊まる場所も考えないといけないですし」
「あら、あなた意外とこっち側の人間なのね。よかったわ、一人くらいは理性のある人がいて。私、早くも代役を頼もうかと再考していたもの。これからよろしくね」
ようやく彼女の溜飲が下がった様子で、先ほどよりも少し目つきが和らいだ気がしたが、ふと少年は墓穴を掘ったのではないかと気づく。良くない事態へ舵が切られる前に早く、出発への方向にもっていかねば。少年は思案を巡らせるが、彼にはどうすることもできない理由があった。
それは、この状況を作る根幹の事件に、少年自身が大きく関係している渦中の人物であったからだ。元凶と言っても過言ではないのである。彼女は恐らく、まだそのことを知らない。故に口が裂けても口走ることは避けねばならなかった。単純に、あの視線がこちらに向けられるのは少年には耐えられない。
「はぁ…」
代わりに出たのは、ため息だった。
少年は空を見上げる。汗で額にひっついた髪のいくつかを、微風がさらい悪戯になびかせる。虚空を見つめざるを得ない。何故、このような事態になってしまったのだろう。これから少年は愛する両親の元を離れ、この者たちと旅をすることが決まっていた。父母に頼ろうにも、母は息子の晴れ舞台だと喜び、父は立派にお役目を果たして来なさいと力強く背中を押された始末。まさに孤立無縁の四面楚歌、ああ運命とはなんて非情なものだろう。そんな思いが言葉にならず、ため息となったのだった。そもそも、これは国王の勅令のため、何をしたところで後の祭りである。
「ミュール家の子息。いや、セルよ!」
スクラムの中から顔が飛び出る。ようやく決意表明も終わったかと思われたが、ずんずんとこちらに近づき、名前を呼ばれると共に力強く肩を掴まれる。どうしてこの人はこうも周りの様子に鈍いのだろう。以前はそうではなかったというのに。
「全ては君のおかげだ。君のお陰で俺は過ちに気づき、こうして自分を見つめ直せることができた。ありがとう、君がこの旅の始まりを作ってくれたのだ」
ああ、やめて…と少年は心の中で泣いた。
今、最も言ってもらいたくなかった言葉をこの男はずけずけと口にしたのである。ほら、見てごらんなさい。隣の彼女のことを。ほう、貴様が諸悪の根源かと言わんばかりに冷たい視線がこちらに向き、殺気立つのが分からないだろうか。しかし残念ながら、彼の熱い目は少年に向いていた。
恐らく、以前の彼であれば真っ先に彼女の視線に気づいていたことだろう。なにせ、異常なほどに悪意に敏感で、自身もまた悪意の塊の様な人だったのだから。
「お、王子。僕はそんな大それたことは…」
「いいや、君は私にとって光だ。君の眩い光が私の冷めきった氷を溶かしてくれたのだ!」
冷めきっているのは、隣の方の視線ですよ…と刺さる視線に耐えつつ、恨めしい思いで目の前の彼を見つめる。何を隠そう、光り輝く希望の瞳でいつになくやる気に溢れるこの金髪少年こそが、この国の第三王子、シャル・ル・オスラであった。
ただし、彼の性格は数日前と打って変わって豹変してしまっている。こうなってしまったのは、遡ること、丁度一週間前のことになる。
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