第39話 王宮でのピンチ
「えっと……私はイザベラ……イザベラ・ウインザーレイクです」
(ごめん、イザベラ。とっさに思い付いたから名前出しちゃった!)
家柄の詐称はさすがに罪に問われかねない。家名だけは正直にミュウの家のウインザーレイクを名乗ったが、名前だけは友達の名前をついつい借りてしまった。
「……ウインザーレイク……確かに娘がいたようには記憶しているけど……君みたいな年頃の娘がいたかなぁ……」
男はウインザーレイクの家にも聞き覚えがあるようで、首をかしげている。
(げげっ! この人、貧乏貴族のうちのことなんて頭に入ってるの? 人事部とかで使えば優秀そうかも……。王宮に人事部があるかどうかは知らないけど)
「ははは、なにしろうちはマイナー貴族ですから……。それより、仕事がありますので、そろそろ失礼してもよろしいでしょうか?」
これ以上関わるのはやばそうだと、ミュウはとっとと離れようとする。
名前を偽ってるのがバレるのもまずいが、姿が戻ってしまうのが一番まずい。成長した自分がいつ元に戻るのかもわかっていないミュウとして、この場に留まるのはリスクでしかなかった。
「あ、ちょっと待って」
しかし、なぜか相手はそうさせてくれそうにない。
「……なんでしょうか? 私、これでも忙しいのですが……」
ミュウは明らかに不服そうな顔を向けるが、男は気にしたふうには見えない。
「ここに来て間もないって言ったよね? よかったら、この王宮について感じた素直な感想を聞かせてくれないか?」
(そんなこと聞いてどうする気? 今後の改革に活かすとか? でも、そんなこと言われても、私、ここで働いてるわけじゃないし、そもそもここに来たのさえ今日が初めてだし、何も情報がないんだよね……。行ったのも、エスメラルダ様と会った部屋と、あとはトイレくらいだし……。ん? トイレか……)
「そうですね。やっぱり気になったのはトイレですね?」
「トイレ?」
王宮内での業務や人間関係など、そういった話が返ってくると思っていたのか、男はさも意外といった顔を浮かべた。
「王宮っていうくらいだから、トイレには期待してたんですよ! なのに、うちと同じようなトレイでがっかりですよ!」
「……トイレであっても、設備には最高級の材料を使っていると思うんだが?」
「材質の問題じゃないんですよ! 機能の問題です! ここでもトイレで出した排泄物は、集めて処分場まで誰かが運ぶんですよね? 不衛生この上ないです! 街の人達の中には、川にそのまま捨ててる人もいるっていうじゃないですか! このままじゃ、いつか不衛生が原因で疫病が流行ったりしちゃいますよ!」
食い気味でまくし立てるミュウに、男は少し気おされていたが、どこか感心した様子も見せている。
「……不衛生が原因で疫病……なるほど、その考えはなかったな。だが、排泄物の処理をほかにどうすればいいと考えている?」
「下水道ですよ、下水道!」
「下水道?」
「街のトレイ全部に繋がる道を作るんです。それで、水と一緒に排泄物を流して、一箇所に集めるんです。その上で、そこに沈殿槽を作ってろ過したり、微生物を使って水を浄化したりしてから、川に流すんですよ!」
前の世界での仕事絡みで、下水道についてはミュウには多少の知識があった。さすがに請け負っていた仕事は、各家庭内での水道や下水道の配管程度だが、浄化槽や下水道処理場についても、多少なりとは知識があった。
「微生物?」
(あ……微生物とか言ってもこの世界の人にはわかんないか……。私もそんなに詳しいわけじゃないけど……)
「とにかくですね、排泄物とか家から出る汚れた水を集めて、綺麗にする仕組みを作るんですよ!」
ミュウは細かい部分は勢いで誤魔化した。
「な、なるほど……。だが、水で流すと簡単に言うが、トイレのためにいちいち水を汲んでくるのは大変ではないか?」
「はい、そこです! まずは今の水道をもっと充実させます! 今は山からの湧き水を街まで引いてきて、貴族はそこからさらに屋敷まで水を引き、庶民は公共の水汲み場を利用していますよね? それをパイプで山からそれぞれの家まで全部繋げるんですよ。台所はもちろん、トイレにもパイプを伸ばせば、簡単に水を流せます。山の高さがあれば十分な圧力がかかるから、街の端の家まで届くだろうし、パイプの先に弁をつければ、普段は不必要な水を無駄に流さず、必要なときに必要なだけ使うこともできます。ついでに、その水を使った分だけ税金として徴収すれば、水道の整備費や管理費を賄うこともできます!」
「庶民の家にまでの水の整備に、それにともなう税収増か……なかなかおもしろい視点だな……」
今まで不満に思ってたことをぶちまけて興奮しているミュウは、相手の様子にも構わず、さらに続けてしまう。
「さらにですね! そうやって水道をトイレにまで伸ばしたら、便器にも繋げるんですよ! で、そこから水を出して、お尻を洗うんです!」
「尻を水で洗う? 何かのプレイか?」
「使ったことないからそういうこと言うんですよ! 一度経験したら綺麗になるまでお尻を拭くなんてことがバカみたいなことだって気が付きます!」
「まるで尻を水で洗ったことのあるような物言いだな?」
「あ……」
この世界に、トイレにまで汲んできた水を持ってきて、排便後の尻を洗ってる人間などいるはずがなかった。前世界での経験を語ってしまっている失言に、ミュウは慌てて口を押さえる。
「いえ、そんなことができればきっと清潔な生活がみんなおくれるようになるなと……、あははは、ただの小娘の戯言ですよ。お気になさらないでくださいね」
(メイドの管理係のこの人に、こんなこと言ってもしょうがないのに、思わず熱が入ってしまったよ……)
「……いや、なかなかおもしろい意見を聞かせてもらったよ」
男が目つきが変わったことにミュウは気付く。
(やばい。確実に怪しまれてるような気がする! ここはとっとと退散するに限る!)
「すみません、私、そろそろ行かないといけなくて……」
ミュウはまだ話したそうな男を無視して、足早に歩き出した。
「あ、ちょっと待って!」
だが、男はミュウの後を追ってくる。
(もう! しつこい! いくらイケメンでも、しつこい男は嫌われるよ!)
角を曲がったミュウは、全力で走り出した。
距離を開けて歩いてついてきていた男は、角を曲がったところで、遥か前方に走り逃げるかのようなミュウの姿を認め、慌てて走り出す。
(まだついてくるの!? まじでうざいんですけど!)
ミュウはさらにいくつか曲がり角を曲がって撒こうと試みるが、王宮の造りに無知なことが仇となった。逃げるつもりが、行き止まりにぶち当たってしまったのだ。
(もう! なんで行き止まりなのよ! どこか隠れる場所でも探さないと!)
その時、焦るミュウの身体に異変が起こる。
全身がムズムズするような感覚に襲われる。
(ちょっと待って! これって!?)
見る間にミュウの身体が縮んでいった。
(よりによってこのタイミングなの!?)
メイド服はすでにぶかぶかになっている。
今こんな姿をさっきの男に見られようものなら、明らかにミュウの身体が縮んだことを悟られてしまうだろう。
(やばいやばい! せめて着替えないと!)
ミュウは廊下だというのに、服を脱いで下着姿になると、袋に入れていたドレスを急いで着始める。
(ああっ! こんなときに限って手がひっかかる! もう、なにやってるよ、私!)
焦ってもたつきながらもミュウは着替えを終え、今度はメイド服を袋に押し込んだ。
そこへ、あの男が角を曲がり、息を切らせながら飛び込んできた。
「はぁはぁ、ここは行き止まりだ、やっと追いついた――あれ?」
メイド姿の女性をようやく追い詰めたと思った男が、そこに目的の女性ではなく、ドレス姿の幼女を認め、顔に疑問符を浮かべる。
「君、ここにメイド姿の女の子が来なかったのかい? 君と同じ黒髪だがもっと長くて、顔だちは美しく、身体も非常に女性的で魅力的な娘だったんだけど」
(美しくて魅力的って! そんなストレートに言われると恥ずかしいじゃない! でも、私と同一人物だとはバレてないみたいね、よかった……)
「えーと、誰も見てないですよ」
少し顔を赤らめながら、ミュウは知らないフリをする。
「そうか……おかしいな、行き止まりなのに……。途中でどこかの部屋に入ったんだろうか……」
男はさすがに目の前の女の子が、探している女性だとは思ってもいないようだった。
「では、そういうことなので……」
気づかれていないのをいいことに、ミュウはメイド服の入った袋が抱えたまま、何食わぬ顔で男の横を通り過ぎていく。
「……イザベラ・ウインザーレイクか。なかなか興味深い娘だったな」
通り過ぎ際に、男のつぶやきがミュウに耳に入ってくる。
(残念ながら、イザベラ・ウインザーレイクなる人物はいないので、もう二度と会うことはないと思いますよ)
心の中で舌を出しながら、ミュウは男から遠ざかっていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます