第35話 二人の未来

 決闘の日の一件があって以降、ミュウは心穏やからぬ毎日を過ごしていた。

 シャザークには街に出ないようにしてもらい、屋敷に待機をしてもらっている。

 ミュウもシャザークも妙に意識してしまっているのか、二人とも屋敷内では口数も少なくなっている。特に、今後についての話は、どちらも話題にするのを避けていた。


 そうして、1週間が経過した頃、ついにミュウの元へランフォード家からの呼び出しがきた。

 ランフォード家とボルホード家の間で決められた、シャザークへの対応が決まったのだ。


 意を決してランフォード家の屋敷へと向かったミュウは、今ランフォード家の応接室の中。

 ミュウの隣にイザベラ、そしてテーブルを挟んで向かい側に、当主のエドワードが座っている。

 両当主による結論については、イザベラもまだ内容を伝えられておらず、ミュウとともにこの場で聞くことになっていた。


 ミュウはまるで自分の生死を告げる判決を前にした被告人のような面持ちで、エドワードの言葉を待っている。

 イザベラもまた、ミュウほどではないにしても、我がことのような神妙な顔で父の顔を見据える。

 そんな二人の視線を受けながら、エドワードが静かに口を開く。


「シャザーク君の件だが、結論から言うと――」


 エドワードがテーブルの上に、首輪を置いた。

 それはミュウにも見覚えのある首輪だった。


「シャザーク君には、この隷属の首輪をつけてもらう」


 ミュウが剣闘士奴隷商人の店で、シャザークと初めて会った時に彼がつけていた首輪。首輪を付けられた者は、付けた相手に危害を加えることができない制約を受ける上に、その者が念じれば首輪が締まって苦痛を受けるというあの隷属の首輪と同じものだった。

 世間の人たちが悪魔憑きに感じている恐怖を考えれば、シャザークが他者に危害を加えられないと見た目で判断できるよう、隷属の鎖の装着は、ある意味当然の処置だった。

 もっとも、シャザークのことを剣闘士とは見ていても、剣闘士奴隷だとは考えていなかったミュウにはその考えは抜け落ちていたのだが。


(そうだよね、ほかの人はシャザークのことをよく知らないから、その姿を見たら怖いって思っちゃうんだよね。隷属の首輪をつけるのは、避けられないか……。でも、これで終わりなわけがないよね。これをつけた上で、どうしようというの? 少なくとも国外追放ってことはないよね。それだったら、わざわざ首輪をつける必要もないんだから。エスメラルダさんは、一体何を望んできたの?)


 ミュウは身を固くして、じっとエドワードの次の言葉を待つ。


「…………」

「…………」


 しかし、ミュウもエドワードも、互いに言葉なく見つめ合う。


(なに? このタメはなんなの!? そんなに言いにくいことなの!?)


 ミュウの心臓のドキドキが強くなる。

 だが、エドワードの沈黙はなおも続く。

 我慢できなくなったのはミュウの方だった。


「……エドワード様、続きをお願いします。覚悟は――できています」


「……いや、それだけだが?」


「えっ?」


 ミュウは思わず間の抜けた顔で問い返す。


「シャザーク君にこの隷属の首輪を付けてもらうというのが、この街で彼に君の剣闘士を続けてもらう条件だ」


「……続けていいんですか? シャザークが私の剣闘士を……」


「ああ」


 エドワードの力強いうなずきを見て、ミュウはそれが嘘偽りでも、聞き間違いでもないことを実感する。

 考えうる中では最善――あるいはそれ以上の結果だった。

 シャザークが剣闘士を続けられる可能性についてはいくつか考えたが、ここまで縛りや制約がないパターンは考えていなかった。元々シャザークが剣闘士奴隷という身分であることを考えれば、隷属の首輪装着のみというのは、実質お咎めなしとも言える。


「よかった……よかったね、ミュウ……」


 隣を見れば、ミュウより先にイザベラが涙ぐんでいた。ことの発端は、彼女の婚約問題なのだ。二人のことについて、相当な責任を感じていたことが、そのほっとした姿からうかがい知れる。


「ありがとう、イザベラ……」


 大人が子供を安心させるように、ミュウはイザベラを優しき抱き締め、耳元で囁く。

 そして、ミュウはもう一人、イザベラ以上に礼を述べねばならない相手を思い出すと、イザベラから手を離し、正面に向き直る。

 あのエスメラルダを相手にして、この条件で納得させるのがどれほど困難なことだったか。直接会話したのは闘技場での1回だけだが、相手の手強さはミュウも感じている。エドワードはその相手とやりあってくれたことになる。


「エドワード様、ありがとうございました。よくあのエスメラルダ様相手に……」


 ミュウは深く頭を下げた。

 しかし、ミュウは意外な言葉を聞くことになる。


「頭を上げてくれ、ミュウさん。今回、私は大したことをしていない」


「えっ?」


 思わぬ言葉に、ミュウは顔を上げ、疑問符の浮かぶ瞳でエドワードを見つめる。


「この条件はエスメラルダ様の方から出してきたものだ。私としては、ただその条件に乗るだけだった。私が考えていた落としどころよりも、遥かにこちらに利のある内容だったからね」


「あの人が自分から?」


 ミュウは耳を疑う。それではまるでエスメラルダがミュウ達に味方しているようだった。


「その上、立会人や審判らにも彼女の方から手を回して口止めをしてくれたようだ。無論、それで確実に話が広まらないという保証はないが、彼女からの指示ならそれを破る者はそうはいないだろう」


(どういうことなの? こっちにとって都合が良すぎて、逆に怖いよ! 弟の婚約を潰して、顔に泥を塗った相手に、一体何を考えてるの?)


 相手の意図が読めず、モヤモヤしたものがミュウの胸には残ってしまう。

 とはいえ、ひとまず最良の結果を得られたことには間違いはない。何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうが、それはいくら考えても仕方のないこと。ミュウは、今は素直に、この条件を受け入れて喜ぶことにした。


◆ ◆ ◆ ◆


 隷属の首輪を手に、屋敷に戻ったミュウは、シャザークや家族に今回の内容を伝えた。

 父も母も執事も、その報告に安堵した顔を浮かべ、喜んでくれた。

 シャザークは、表情を変えなかったものの、「俺はお前の剣闘士でいられるんだな」と小さく呟くのを、ミュウの耳は聞き逃さなかった。


 そして、その日の夜、ミュウはシャザークの部屋を訪れた。

 隷属の首輪をつけるのなら、この場所がいいとシャザークが望んだからだ。


「初めてお前に遭った日の夜、俺に嵌められていた首輪をお前が外してくれたのがここだった。また嵌められるのなら、ここがいいと思ってな」


 ミュウを部屋の中へと招き入れるなり、シャザークがわざわざこの場所を選んだ理由を告げる。


「シャザーク……」


 あの日、自分が外した隷属の首輪を、今再び嵌める。そのことの意味をミュウは改めてかんがえる。


(これはシャザークの自由を奪う首輪……。私、自分の手で、そんなものをシャザークに嵌めないといけないんだ……)


 エドワードから話を聞いたときには、シャザークとの今の関係をこれからも続けられる、そう思って喜んだミュウだったが、そうではないことを今更ながらに思い知る。

 隷属の首輪は、剣闘士奴隷とその主という、二人の立場の違いを明確にするもの。少なくとも、ミュウが首輪を外してから今日まで、二人の関係は、形の上ではともかく、心の中では奴隷と主人というものではなかった。もっと近しく、もっと密接で、もっと対等なものだった。

 だが、この首輪は、この世界における二人の身分の違いを、はっきりと刻み付けるものだった。


「どうした、ミュウ? さっさと嵌めてくれ」


「……うん」


 シャザークに急かされ、ミュウは首輪を持った手をシャザークの首へと伸ばす。

 主人が自ら剣闘士奴隷に首輪をつける、それは当たり前のことだが、逆に言えば、それは剣闘士奴隷に対して、自分こそがお前の主人であると認めさせる行為でもある。

 これまで感じてこなかった二人の立場の違い、身分の違いを、ミュウはひしと感じてしまう。


(手が震えちゃう……。でも、これは緊張じゃない……。私の体がいやがってるんだ、こんなものをシャザークに嵌めることを!)


 手を震わせるミュウとは対照的に、シャザークは静かに身を固めたままだった。


(シャザークは平気なの? もっといやがってよ……。いやがってくれたら、私……)


 だが、シャザークはピクリとも動かない。

 やがて、隷属の首輪がシャザークの首へとしっかりと嵌められた。

 ミュウの前の世界でなら、黒いその首輪はシャザークを飾るアクセサリーになっただろうが、今の彼にとっては剣闘士奴隷の証にほかならない。

 首輪を嵌められたシャザークよりも、むろしミュウのほうが苦しそうな顔をしている。


「これで俺は、お前の剣闘士を続けられるってわけだ。まぁ、これからもよろしくな」


 シャザークの様子は、ここ数日のどこかよそよそしい感じが嘘のように、以前と変わらない感じだった。

 そのことに、ミュウの方が戸惑ってしまう。


(シャザークは平気なの? そんな首輪をつけられて……)


 心に晴れぬものを抱えながら、ミュウはそれをシャザークに気付かれぬよう、表に出さず平静を装う。


「……うん。よろしくね、シャザーク」


 どこまでいつも通りを演じられたのかは自分でもわからないまま、ミュウはシャザークの部屋をあとにした。


◆ ◆ ◆ ◆


 その日、ミュウはベッドの中で眠れぬ夜を過ごす。


(私、毎日が楽しくて、今がこのまま続くって思ってたのかな……。人生でさえ、ちょっとのことで簡単に終わっちゃうって、前の世界でも経験してたのになぁ。……シャザークとの未来、もっとちゃんと考えなきゃいけないんだ)


 今のミュウは貴族令嬢。ミュウのウインザーレイク家に子供はミュウが一人。養子を迎えるという手もあるが、普通に考えれば跡を継ぐのはミュウということになる。

 ウインザーレイク家の再興を願うのならば、ミュウの婚姻相手は必然的に同じ貴族ということになる。もしも、剣闘士奴隷と結ばれたいと願うのであれば、貴族の身分を捨てなければならない。

 同じ剣闘士でも、レイモンドの場合は、貴族でありながらの剣闘士である。その立場は、剣闘士奴隷であるシャザークとは根本的に違う。そのため、レイモンドとイザベラが結婚するとなれば、そこには何の障害もない。

 実際、自分のために戦ってくれる剣闘士に恋をする貴族令嬢は少なくない。令嬢の剣闘士を努めた貴族と、その令嬢とが恋仲になり結ばれるということは、そう珍しいことでもなかった。

 だが、剣闘士奴隷となると、そうではない。身分の違う二人が婚姻を結ぶことはありえない。とはいえ、剣闘士奴隷に惹かれる貴族令嬢が出てくるのも事実。そういった場合、令嬢はほかの貴族と婚姻を結びつつ、自分の剣闘士奴隷と密やかなる愛を重ねるということが、半ば公然の秘密として行われていた。

 しかし、ミュウが望むのは決してそういった関係ではなかった。


(シャザークと不倫関係とか絶対になし! シャザークを間男なんかにしてたまるもんか! でも、この身分を捨ててもきっとシャザークに迷惑をかけるだけ……。それに、この家を継ぐ人もいなくなるし、お父さんやお母さんも悲しませる……)


 10歳の夢見る少女なら、恋に恋してシャザークと駆け落ちなんてことを夢に描いてもよいかもしれないが、アラサー女子としてはもっと現実を見て考えなければならない。


(私が官僚になって国を動かすようになれば、家の再興には繋がる。その上で、この国のルールを変えて、身分関係なく婚姻できるようにする、あるいは奴隷という制度自体をなくせれば……)


 それはもっとも理想的な方法かもしれない。けれども、ある意味、その方法のほうが駆け落ちよりも夢物語かもしれなかった。王族ならともかく、一官僚にできるようなことではない。宰相クラスまでいけばともかく。それに、宰相までなれたとしても、その頃には一体何歳になっているのか。ミュウがどんなにうまく出世を果たしても、ミュウが宰相になる頃には、ミュウもシャザークも婚姻どうこう言っているような年齢ではなくなっていることだろう。


(ああ、もう! こんなの八方塞がりじゃない! まだシャザークと一緒に前の世界に戻る方法を探すほうが現実的かもしれないよ!)


 やけくそで、ありもしない方法を探すことにすがりたい気分になるが、ミュウは一つ、この世界での解決方法に思い当たる。


(……聖女か。もし聖女になれたら……)


 聖女とは、この国で女性が就ける最も地位の高い特別な職だった。

 ただし、聖女とはいえ、神から選ばれ、万能の力を持ったような存在ではない。伝承では初代の聖女はそういう存在だったとされているが、代々継承されてきた今の役職としての聖女は、特別な力のない普通の女性だ。祭事を司るのが主な仕事だが、ただのお飾りというわけではなく、国政にも意見することができる。王族に最も近い存在が聖女だった。

 ただ、それだけに簡単になれるわけではなく、知識豊富で礼儀正しく、容姿端麗な女性が、貴族の推薦を受けて聖女見習いになる。実際、聖女見習いの女性は現時点でこの国に何十人もいる。

 そして、その聖女見習いの中で、実績を上げ、優れたものだけが聖女候補となることができる。聖女候補になれるのはわずか数人。その聖女候補も、聖女が現役のうちは候補のままだ。聖女に万一のことがあった場合や、聖女が一定年齢に達した時、あるいは聖女自らがその職を辞した時に、聖女候補の中から一人、次の聖女として選ばれる。

 そして、この聖女にも、当然剣闘士が付くのだが、聖女の剣闘士は剣闘士とは呼ばれない。聖女の剣闘士は、「聖女の騎士」という特別な地位に就くことになる。聖女の騎士になれば、どのような出自であろうと上級貴族と同等の身分とみなされる。もちろん、聖女が聖女でなくなった後も、聖女の騎士という立場が消えることはない。一代限りではあるが、聖女の騎士は永遠に聖女の騎士のままなのだ。そのため、貴族令嬢との婚姻はもちろん、聖女との婚姻さえ、それを阻むものはなにもない。


(私が聖女になれば、シャザークは聖女の騎士になるんだ。悪魔憑きだって偏見の目で見られるようなこともなくなる。それに、私との結婚だって……)


 想像して恥ずかしくなったミュウは、毛布で顔を隠す。


「……目指してみますか、聖女ってやつを」


 毛布の中に、くぐもった決意の声が吐き出された。


◆ ◆ ◆ ◆


 翌日、首輪をつけたシャザークの態度は、以前と変わらなかった。首輪のことが気にならないかのような態度に、ミュウはほっとしたような、悔しいような、自分でもなんだはっきりしない気持ちになるが、できるだけそのことは気にしないようにした。

 今のミュウには一つの目標ができていた。それは聖女になるということ。

 それは雲をつかむようなことかもしれないが、雲のように形のないものではない。聖女という職があり、そこに至る手段も確かにあるのだ。

 聖女を目指すという思いが、ミュウを強くし、彼女もまた、以前と変わらぬ形でシャザークと接することができるようになっていた。


 そこから数日後、そんなミュウの元に一通の手紙が届いた。

 差出人は、エスメラルダ・ボルホード。

 王宮にて二人だけで話がしたいというものだった。

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