第34話 勝利の後

(……勝った。……シャザークが勝ってくれた)


 獅子心ライオンハーテッドリチャードをくだし、勝利のパフォーマンスのためにお立ち台に向かって歩いてくるシャザークを見つめるミュウの胸に、熱いものが広がる。しかし、それとともに、悔しさもこみ上げてくる。


(……でも、この勝利を捧げられるのは私じゃないんだ。もしかしたら、これがシャザークの最後の勝利報告かもしれないのに……)


 ミュウはうつむき、視線を下に向ける。シャザークが自分でない誰かに勝利を捧げる姿は見たくなかった。

 ミュウの目に映るのは闘技場の硬い地面。

 そのことが、余計に今の自分立ち位置をミュウに教えてくるようで、胸に痛みを感じる。


 ふいにミュウに影が落ちる。

 目を横に向ければ、本来お立ち台の中央に立って剣闘士からの勝利報告を受けるべきイザベラが、お立ち台の端、つまりミュウのすぐ隣に立っていた。


「ミュウさん、顔を上げてください。しっかりと、あなたの剣闘士に応えてあげませんと」


 ミュウが顔を上げると、闘技場の端までたどりついたシャザークと正面から視線が合う。


(え? どうして私とシャザークの目が合うの?)


 本来なら二人の視線は重なるはずがなかった。いくら自分の隣までイザベラが来ているとは言え、イザベラとミュウでは立ち位置が違う。横位置も違うが、そもそも高さが違う。シャザークがお立ち台の姫を見ていれば、決してミュウと視線が交わることはない。


 シャザークはミュウの瞳を見つめたまま、片膝を着く。

 そして、ミュウに向かって、ゆっくりと剣を掲げる。


「この勝利を我が姫に捧げます」


 離れた関係者用観客席からはわからない。遠目に見る彼らには、その姿はお立ち台のイザベラへ向けられたものへと見えている。

 だが、実際には、シャザークの目はミュウを捉え、掲げた剣はミュウへと捧げられていた。


 ミュウは理解した。なぜイザベラがわざわざお立ち台の端まで移動してきたのかを。

 ほかの人からはイザベラへの勝利のポーズに見せながら、その実、本当の主であるミュウに、シャザークが勝利を捧げられるよう、敢えてこの位置に来てくれたのだ。

 そして、シャザークもまたその意図を汲み取り、ミュウへの忠誠を示してくれていた。


「……ありがとう、シャザーク。あなたは私の誇りだよ」


 それは近くにいるシャザークとイザベラにだけ聞こえる大きさの声だった。

 この場で剣闘士にねぎらいの言葉をかけるのは、お立ち台の姫の役目。さすがに堂々とのそのしきたりを汚すわけにはいかない。ミュウにできるのはそこまでだった。けれども、その声は確かにシャザークへと届いていた。

 満足げなシャザークの笑顔が、なによりの証拠だった。


「ありがとうございました」


 周囲に響いたのはイザベラの声。それが、あくまで見かけ上の、騎士へのねぎらいの言葉であることを、3人だけが知っている。離れた位置にいる者からは、ミュウのささやくような声ではなく、イザベラのその声が剣闘士へのねぎらいの言葉として聞こえていた。


 役目を果たし終えたシャザークが闘技場から飛び降り、ミュウの前に立つ。

 一時的なイザベラとの主従関係はこれで終わりを告げ、シャザークはミュウだけの剣闘士へと戻った。


「お前の願い通り、勝ったぞ」


「……うん。格好よかったよ」


 悪魔憑きの本当の姿をさらしてしまったことで、これからの二人の関係がどうなるかはわからない。しかし、今は、今だけは、それを考えるよりも、ミュウはただシャザークに感謝を伝えたかった。

 彼女はその深い想いのこもったとびきりの笑顔をシャザークに向ける。

 シャザークは少し顔を赤く、めずらしくどこか照れたようだった。


 しかし、そんなミュウ達のところに、近づく影が一つ。

 女傑エスメラルダ・ボルホード、その人だった。


「見事な戦いぶりでした」


 エスメラルダは負けてもなお堂々とした立ち居振る舞いだった。

 凛とした声に、ミュウ達3人は一斉に彼女へと顔を向ける。


「エスメラルダ様……」


 勝ったはずのイザベラのほうが、どこか怖気づいているようにさえ見えてしまう。


「シャザークが変な力を使ったから勝負は無効とか言うんじゃないですよね」


 一方でミュウは少し気おされながらも、強気を見せる。

 実のところ、シャザークの件以外にも、ミュウにはもう一つ懸念事項があった。

 それは、相手が悪魔憑きの力を理由に、試合を無効だと主張してくる可能性だ。

 無論、悪魔憑きの力を使ってはいけないというルールはどこにもない。悪魔憑きの力自体、噂レベルだったのだから、当然と言えば当然なのだが。

 しかし、ケチをつけようと思えば、その材料にするには十分だった。

 相手が力のある貴族なら、それを理由に無効を主張されると、抗するにはなかなかやっかいだとミュウには思えた。


「そんなこと言うはずないでしょ。この私が、リチャードの戦いに泥を塗るようなことをするとでも思っているのかしら?」


 エスメラルダの切れ長の目に見つめられ、ミュウの背筋がゾクリとする。

 睨まれているわけでもないし、血走ったような見ただけでヤバイとわかるような目でもない。けれども、外見だけなら美しいはずのその目に、ミュウは静かな迫力と怖さを感じた。まだ、ヤクザに睨まれたほうがマシだとさえ思ってしまう。


「いえ……失礼しました」


 強気を見せていたミュウが、半ば反射的に謝罪の言葉を口にしていた。

 とはいえ、エスメラルダに勝負の結果を台無しにする気がなさそうなことは、ミュウにとっては朗報だった。


「でも、そういうことなら、イザベラの婚約に関しては、白紙にするということでいいんですよね?」


「残念だけど、そういうことなるわね」


(やった! 言質取ったからね!)


 ミュウとイザベラは、パッと顔を明るくして顔を見合わせた。二人して、示し合わせたわけでもないのに、胸の前で両手で握り拳を作り、ガッツポーズで喜び合う。


「だけど――そちらの剣闘士、シャザークさんの、あの姿と力、それに関して見なかったことにするわけにはいかないわね」


「――――!」


 笑顔だった二人の表情が一瞬にして曇る。

 できるならそのことを忘れ、少しでも長く勝利の余韻に浸っていたい思っていたミュウの頭が、一気に現実へと引き戻された。


「……どうするつもりですか?」


「私一人で決めることではないわね。イザベラ嬢のお父上のエドワード様とお話させていただくわ。その結果については、エドワード様を通じて話があると思うから、それまでは大人しくしておくことね」


 そう言い残すと、エスメラルダは三人のもとから離れていった。


 シャザークの悪魔憑きの力については、この国の法に照らして考えれば、なにかの罪に該当する類のものではない。そのため、官憲が動くようなことでもない。とはいえ、皆が恐れるような力が実在したとなっては、黙って放置しておけるような問題でもなかった。

 そのあたりを考慮すると、今回の件の関係者でもある、この国で3本の指に入る有力貴族であるボルホード家と、家柄はボルホード家ほどではないが有数の経済力を持つ貴族であるランフォード家が、一つの方針を決めるというのは、理にかなっていると言えた。彼らの決定事項なら、他の貴族や庶民も納得せざるを得ない。

 そして、それはつまり、ボルホード家を相手に、ランフォード家がどれだけミュウとシャザークを守るために戦えるか、そこにすべてがかかっているということでもあった。


「お父様には、私からも強くお願いしておきます」


「……頼んだよ、イザベラ」


 ミュウとシャザークにできることはもう何もない。

 つまりはそういうことだった。


◆ ◆ ◆ ◆


 屋敷に戻ったミュウとシャザークは、父母と執事のジェームズにも、シャザークの秘密のことや、今回の決闘で起こったことをすべて話した。

 こうなっては、彼らももう当事者だ。ランフォード家やボルホード家から話が行く前に、自分たちから話しておくのがスジというものだった。


 ミュウが今まで自分の胸だけに秘めて、彼らにもシャザークの悪魔憑きの力について離さなかったのは、真実を知ることにより、自分の大切な人たちが、シャザークに対して忌避の目を向けるようになるのが怖かったからだ。父も母も執事も、そしてシャザークもミュウにとって大事な存在だ。そんな人たち同士が、もしかしたら、恐れ、恐れられという関係になるかもしれないと考えたら、ミュウには勇気が出せなかった。

 しかし、それはミュウの杞憂だった。

 すべてを知っても、彼らの対応は変わらなかった。

 それどころか、両家の間でどんな結論がくだされようとも、シャザークのことを全力で守ると皆が言ってくれた。

 それだけに、ミュウは今まで勇気を出せなかった自分が恥ずかしくなった。


 いつもより口数の少ない夕食を終えたミュウは、色々なことがあったため疲労を感じ、早々にベッドの中に潜り込む。

 とはいえ、体は疲れても、心にはまだ興奮が残っているのか、疲れているのになかなか眠りにつけない。

 そうなると、シャザークに対する処分――罪を犯したわけではないので、処分という表現は適切ではないが――について、ついつい考えてしまう。


(犯罪を犯したわけじゃないから、さすがに死刑ってことはないよね。……となると、一番重い処分は、国外追放か)


 悪魔憑きの力を皆が恐れるのなら、国内から追い出してしまうというのは合理的な判断でもあった。しかも、これはシャザークの身を守ることにも繋がる。

 危険だと思う存在が近くにいれば、それを強引に物理的な方法で排除しようとするような人間が現われる可能性は大いにある。そういう意味で、国外追放は、重い処分でありながらも、もっとも簡単で有効な対処方法でもあった。


(シャザークが国外追放になったら、私もついていこうかな……。だけど、10歳の私に何ができる? 転生前の私なら、シャザーク一人くらいなら色々と切り詰めれば、養うこともできたけど……。でも、今の私じゃ一緒に行くほうが足手まといかも。シャザークって一人でも生きていけそうなとこあるしなぁ……。もしかしたら、私のほうが、もうシャザークなしだと困る……かも)


 何か急に恥ずかしい思考に進みそうになってきたので、ミュウは今の思考を一旦振り払い、考えを戻す。


(ダメだ。そういうことを考えたいんじゃなかった。……えっと、ほかに考えられるのは、収容所送りとかかな。でも、これも犯罪者じゃないんだから、さすがにないよね。……とすると、隔離施設に閉じ込めておくってパターンかな)


 収容所では強制労働をいられるが、隔離施設ではその義務はない。施設内では比較的自由に過ごすこともできる。ただし、外界とは切り離されているので、施設の外には出られないし、ほかの人間と会うこともできない。


(でも、それだと人一人を養う費用が必要になるから、国外追放よりもコスト的によくないよね。……そうなると、隔離施設ではなく、うちの屋敷内で軟禁状態に置いておくほうがいいって考えるよね、きっと)


 それはミュウにとって悪くない処分に思えてくる。


(剣闘士をしてもらえなくなるのは残念だけど、家に戻れば常にシャザークがいることには変わりがないし。することがないのなら、剣闘士の代わりに、ジェームズのように執事の仕事をしてもらおうかな。街に買い物に行ってもらえないのは不便だけど、学校の帰りにでも私が買ってくればいいだけだし。……ふむ、なんか悪くない気がしてきた)


 シャザークの執事姿に一人で萌えを感じて顔がにやけそうになるミュウだったが、すぐに思い直す。


(でも、そんなカゴの中に閉じ込めたような生活……シャザークには似合わない。彼はもっと自由に羽ばたいていい人、いえ、羽ばたくべき人なんだ!)


 自分の都合だけを押し込めた妄想を、頭から振り払う。


「……私のせいだ。私がシャザークを剣闘士にしたから……」


 悔恨のつぶやきとともに、ミュウの枕が濡れていく。

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