第33話 大人ってもんなのよ!

 シャザーク対リチャードの戦いが始まった。

 レイモンドの訓練に付き合う中で、シャザークの剣の腕は確実に上がっていた。

 学園闘技会の時のようなデタラメな攻撃ではなく、レイモンドから教授された正式な剣術による洗練された突きや斬り払いがリチャードに向かうが、敵はそのことごとくを受け止め、あるいは受け流す。

 一方でシャザークの防御技術は、攻撃面以上に上達していた。以前は目の良さだけに頼り、みっともない動きで相手の剣をなんとか受けていたが、今のシャザークは剣術として体系化された、理にかなった守りを見せていた。

 しかし、そのシャザークをもってしても、苛烈なリチャードの攻撃を完全に防ぎきるのは困難だった。

 寡黙で冷静なリチャードが、獅子心ライオンハーテッドの二つ名で呼ばれるのは、まさにその凄まじい攻撃ゆえだった。また、彼は相手が誰であろうと油断なく、常に全力を尽くす。兎を狩るのにも全力で行うという獅子と同じその姿勢もまた、彼を獅子心ライオンハーテッドたらしめた。


 試合開始からしばらく後には、早くもシャザークは防戦一方だった。

 最初こそリチャードに攻撃を仕掛けていたが、数度の仕掛けでリチャードに攻撃の際のクセを見抜かれたのか、攻撃をしかけるようとすると、逆にそのスキを突いて攻められるようになっていた。

 下手に攻撃をしかけられなくなったシャザークは、情けなくもただ守りを固めるしかなかった。とはいえ、守ったからといってリチャードの攻撃を防ぎきれるものではない。幸運にも一本取られるほどの決定的な剣戟だけは受けていないものの、受け流しきれず身体をかすめた攻撃は数知れず。シャザークの身体には確実にダメージが蓄積されていた。


(……これはまずいな)


 間合いの外まで距離を取ったシャザークは、チラリと後ろの姫君たちに目を向ける。

 泣きそうな顔で心配げな目を向けているイザベラと、悲壮な顔ながら自分の剣闘士を信じた強い光を宿す目を向けているミュウ、その二人の瞳を見ては、シャザークもやすやすと負けてやるわけにはいかないという気になる。


(一か八かの賭けになるが、アレをやるしかないな)


 シャザークは木剣を左手で握り、その手を前に、右手を引いて、半身の姿勢になり、腰を落とす。

 それは、学園闘技会でレイモンドに見せた、関節技にもって行くための誘いの構えだった。


(同じ相手に2回は使えない技だが、初見ならそう簡単に対応できないはずだ! このリチャードという男に通じるかどうかはやってみないとわからないが、今の俺に勝つ手段があるとすれば、これしかない!)


 その構えを維持したまま、シャザークがリチャードとの距離を詰めていく。

 シャザークの狙いはリチャードの突きだ。体重を乗せたその突きを左手の剣でいなし、そのまま右手で攻撃してきた腕を掴むと同時に相手に飛びつき、関節を極めたまま闘技場に倒してしまう算段だった。


 ――だが、シャザークのその目論見はもろくも崩れ去ることになる。


「それがレイモンド卿を倒した関節技へ入るための構えか」


「――――!」


 静かだが響くリチャードの低い声が、シャザークの秘策がリチャードにとって意味のないものであることを告げた。


(こいつ、知っているのか!?)


 当然のことながら、リチャードの前でこの技を見せたことはない。シャザークがこの技を使ったのはただ一度、学園闘技会決勝のレイモンド戦のみ。

 しかしながら、その戦いはほかの令嬢達が見ていた。その時の審判も目撃している。

 ボルホード家の人間に、学園に通っている者はいないが、かの家の情報網をもってすれば、その闘技会での情報を知ることはそう難しいことではない。

 レイモンドは当初のリチャードの対戦相手であるり、シャザークはその代役の剣闘士。その二人の戦いの情報を、ボルホード家が入手していないわけがなかった。無論、その情報は、ボルホード家を通じてリチャードの耳にも入っている。


(関節技なんて奇襲攻撃は、こっちの仕掛けがバレていないからこそ通用するもの……それを知られていては、万に一つも成功する可能性はない!)


 シャザークは、構えを解いて、再び間合いを大きく離した。


(まずいな……打つ手がない。レイモンドとの訓練のおかげで、俺にも多少なりとも剣術というものがわかってきた。だが、だからこそ、わかる。今の俺と、このリチャードとの力の差が! ……このままでは勝てん!)


 敵との間合いを離したことで、闘技場の外にあるお立ち台の近くまで下がることになっていた。お立ち台のイザベルと、その下のミュウは、シャザークのすぐ後ろにいる。大きな声を出さなくとも、話ができる状況だった。

 シャザークは大きく息を吐くと、顔はリチャードに向けたまま、後ろのミュウに声をかける。


「ミュウ……すまないが、このままでは勝ち目がない」


「シャザーク……」


 決して素直とは言えないあのシャザークがそういうのだ。ミュウも今の自分たちに勝利の目がほとんどないことを認めるしかなかった。


「……今の俺に勝つ可能性があるとすれば二つだけだ。一つは、防御を捨てて、一か八かの全力の突きを仕掛ける手。防がれたら終わりの無謀な賭けだ。だが、それでもこの攻撃が通じる可能性は、1パーセントってところだ」


「1パーセント!? たった!?」


 それはもはや勝つ可能性として挙げるべきではないレベルの選択肢だった。逆にいえば、今の状況は、それほどまでにどうしようもないということでもある。


「そして、もう一つは、……あの力を使うことだ」


「――――!?」


 人数は少ないとはいえ、対戦相手に加え関係者観客席と審判の目がある。しかも、ボルホード家の関係者は言ってみれば敵側の人間。イザベラやレイモンドのように秘密の共有ができる相手ではない。とてもシャザークの悪魔憑きの本来の姿を見せていい状況ではなかった。


「いけませんわ! こんなところであの力を使うなんて、絶対にダメですわ!」


 ミュウが何か言うより先に声を上げたのはイザベラだった。望まぬ婚約がかかっているのは、ミュウではなくイザベラだ。そのイザベラ本人が、悪魔憑きの力の使用を止めた。


「イザベラ……」


 ミュウはイザベラに目を向ける。

 涙こそ浮かんではいないが、いまにも泣き出しそうな悲痛な顔だった。シャザークの敗北宣言に近い言葉を聞いて、誰よりもショックを受けていたのはイザベラだろう。本来なら、誰よりも、シャザークに悪魔憑きの力を使ってでも勝って欲しいと願うのはイザベラのはずだ。だが、その彼女がすべてに耐えて、シャザークのため、ミュウのために、シャザークの2つ目の選択肢を止めようとしていた。。


「……俺は、お前の判断に任せる。今の二つ、どちらのするのか、お前が決めろ、ミュウ!」


 ミュウは再びシャザークの背中に視線を向ける。

 シャザークの言葉は、責任をミュウに投げたものではない。彼の言葉には、ミュウへの確たる信頼の想いがこもっていた。ミュウがどんな選択をしようと、自分のすべてをそこに賭けて悔いはないという、もはや透き通るほどに真っすぐな想いがそこにはあった。


「だめですわ、ミュウさん! そんなことをすれば、シャザークさんは、ミュウさんの剣闘士でいられなくなるかもしれないのですよ!」


 イザベラの叫びでまたミュウの心は揺さぶられる。


(えっ? シャザークが私の剣闘士でいられなくなる?)


 は悪魔憑きの噂が噂でなく本当のものであったと世間に知られた時、一体どうなるか、実際のところミュウにはあまり深く考えられていなかった。

 シャザークを見る世間の目がさらに厳しくなる。そして、それを剣闘士として抱える自分も当然のその目に晒される。その程度のことは考えていたが、逆に言えばそこまでだった。知識としてこれまでの記憶を持っていても、実際にこの世界の人間としてひと月とちょっとしか経験をしていないミュウの思考では、それが限界だった。

 だが、ミュウとは違いもとからこの世界の人間であるイザベラは、ミュウ以上に悪魔憑きへの恐れを理解していた。シャザークの秘密が公になれば、シャザークの国外追放も十分にあり得る話だ。少なくとも、このまま今まで通りミュウの剣闘士でいられなくなるであろうことは想像にかたくなかった。


(いやだ……シャザークと離れるなんてイヤだ! 勝負に負けたって、イザベラは死ぬわけじゃない。婚約するだけでまだ結婚するわけでもない。少なくとも学園卒業までは結婚なんてことにはならないから、一緒にいられる。それにボルホード家ほど力のある貴族なら、家柄としては婚約相手としては申し分ない。……そうだよ、よく考えたら、私やシャザークがこんな必死になる必要なんて、なかったんだよ)


 ミュウは自分に言い聞かせるように、今一度イザベラの方へと顔を向けた。

 まだ11歳と幼い彼女は必死に耐えていた。泣きそうになるのをこらえ、自分の望まぬ運命を受け入れ、その上で友の幸せを願っていた。


(……何やってんだろ、私。こんな子供が泣くこともできずに頑張ってるのに)


 ミュウはさっきまでの自分の中に浮かんでいた思いを、大きく吸い込んだ息とともに飲み込むと、不敵に口元を緩めた。


「涙こらえて必死に耐えてる子供を無視してなにが大人なもんか! そんな子がいたら、なにがなんでも助けてあげるのが、大人ってものなのよ! シャザーク! お願い、あの力を使ってリチャードに勝って!」


「ミュウさん!?」


 イザベラが驚きに見開いた目を向けてくるが、ミュウは安心してと言いたげな優しい大人の笑顔でそれに応える。


「了解した! 我が姫君!」


 初めてシャザークがミュウへと顔を向ける。

 二人の視線が合い、同時に深くうなずき合った。


 次の瞬間、シャザークの身体が変化する。

 青く澄んだ瞳があかく染まり、銀の髪がくれないへと変貌する。


 伝承の通りの悪魔憑きの姿に、審判や観客達が声もなく驚愕の顔を浮かべる。

 一方で、対戦相手のリチャードは一瞬目を細めたが、それだけだった。闘気はそのままに、油断なく構えている。


「今の俺は一味違うぜ!」


 秘めていた力を解放させたシャザークが剣を構え、距離を詰めていく。

 先程までの間合いの外、そこからシャザークが仕掛けた。身体能力が強化された今のシャザークの踏み込みは、さっきまでよりも速く遠い。それにより、今のシャザークの間合いは広がっているのだ。

 同じ相手の間合いが変化しているなどと普通は考えない。リチャードがそんな普通の相手なら、その一撃で勝負は決まっていたはずだった。

 だが、リチャードはその本来の間合い外からの攻撃を、からくも防いでいた。防御で何より重要なのは経験。これまでの数々の戦闘経験から、リチャードが頭で判断するより先に、体が相手の間合いの変化と攻撃に反応していた。

 ただし、それでも完全に防ぎきれたわけではない。受けきれなかった斬撃がリチャードの体をかすめる。この試合が始まってから初めて、シャザークの剣がリチャードの体に届いた。


「なんという動きだ……。先程までとは動きがまるで違う。全盛期の俺よりも……速い」


 リチャードは、驚きはしても畏れはしない。

 むろしどこか楽しそうな顔で、木剣を握る指に力を込める。


「久方ぶりに、心が躍る!」


 今度はリチャードの方から動いた。

 獅子のようなリチャードの攻撃が繰り出される――が、シャザークはそのことごとくを剣で受け止めた。先程までは受けきれずダメージを受けていたが、今のシャザークは速さでも力でも優り、リチャードの攻撃を完全に無力化させていた。

 逆に、シャザークが攻撃するたびに、一本取られないまでも、剣戟がリチャードの体をかすめ、ダメージを与えていく。二人の立場は完全に逆転していた。

 とはいえ、感覚神経においても身体能力においても完全に上回られたうえで、ここまで致命的な一撃を受けずに耐えているリチャードは相当なものだった。あのレイモンドでさえ、初見ではほとんど反応できずに一本取られたのに、リチャードはギリギリでも反応してみせている。


「……世界とは広いものだな」


「奇遇だな。俺も同じことを思っていた」


 悪魔憑きの力を解放すればもっと簡単に勝てると思っていただけに、シャザークも驚きを隠せない。


(見様見真似だが……やってみるか)


 シャザークは、幾度もレイモンドにひっかけられ、そのたびに手痛い一撃を受けてきたフェインを一つ入れる。

 シャザークはいつもそのフェイントに体がついつい反応してしまっていたが、リチャードはピクリともしない。しかし、視線は確実に剣に釣られた。今のシャザークには、それで十分だった。


 レイモンドにも褒められたシャザークの突き。膝を曲げ腰を落とし、バネを縮めるように深く深く力を溜め、裂帛の気合いと共に、それを一気に解放する。

 神速とも言うべき、矢よりも鋭い突きがリチャード迫る。

 経験からくる条件反射のような反応でリチャードが防御行動を取るが、シャザークの剣は20年にもわたるリチャードの経験が積み上げたものを上回った。

 確実な一撃が、リチャードの胸に突き刺さる。


「……見事だ」


 リチャードがどこか清々しい表情で膝をついた。


「レイモンドなら今の攻撃も防いでいたぜ」


 シャザークは観客席のレイモンドに目を向ける。

 レイモンドは瞬きもせずに二人の剣闘士を見つめていた。その心に何を思っているのか、その表情からは窺い知れない。


「勝負あり! 勝者、シャザーク・ロックウッド!」


 シャザークが一撃入れた後も呆けていた審判が、ようやく自分の職務を思い出したのか、試合の決着と勝者の名を告げた。

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