第32話 決闘当日

 イザベラの婚約を賭けた決闘の日がついにやってきた。

 決闘は街の中にある小さな闘技場施設を貸し切って行われる。小さな闘技場施設とはいえ、客席もしっかりと備えられている。とはいえ、今回の剣闘士同士の決闘は、見世物として行うわけではないため、一般の観客を入れるようなことはない。中に入れるのは、決闘当事者たちを除けば、両家の関係者数人と立会人のみだった。

 なお、闘技場施設の貸し切りの費用は、決闘を申し込んだイザベラのランフォード家もちとなっている。


「そろそろ行きましょうか」


 誕生日パーティで着ていた豪奢な赤いドレスに身を包んだイザベラが声をかけ、闘技場控室の椅子から立ち上がる。

 学園の闘技会では、控室から出入りするのは剣闘士だけで、令嬢たちは勉強のためにも観客席に控えていてそこからお立ち台に向かったが、本来は今回のように剣闘士と共に控室から闘技場に向かうのが正式なやり方となる。


 イザベラに続いてシャザークも立ち上がる。

 シャザークの衣装は、黒いインナーに、意匠を凝らした青いチュニック。太いベルトと黒くて細いズボンにブラウンのブーツと、学園の闘技会の時と同じものだった。

 ランフォード家からは、新たな衣装を用意するとの申し出があったが、着なれた衣装のほうがよいとシャザークはそれを断っていた。もっとも、本当の理由は、この衣装をミュウが自分のために選んで用意してくれたということだったが、そのことは誰にも言うつもりはない。


 そのシャザークが三人目の人物に視線を向ける。


「どうした?」


 シャザークの視線の先にいるのはミュウだった。ミュウが身に着けているのは、青いドレスだったが、使いまわしているいつものドレスではない。それは、ランフォード家から提供された真新しいドレスだった。

 シャザーク同様、ミュウもドレスを辞退しようとしたが、ボルホード家の前に立つのに、さすがにいつもの着古したドレスではよろしくない。本来の剣闘士の主がそんな身なりではシャザークも恥ずかしく思うはずだとイザベラに迫られては、従うしかなかった。

 とはいえ、さすがに主役であるイザベラよりも目立つわけにはいかないので、ミュウのドレスは、派手さはないものの、シックで大人びた良質のものとなっている。

 しかしながら、そのミュウはまだ椅子に座ったままで動こうとはしない。


「私も一緒に行っていいのかな?」


 通常、剣闘士とともに入場するのは、その主たる令嬢一人。一人の剣闘士に、二人の令嬢が連れ立って歩くというのは、常識的にはあり得ないことだった。


「シャザークさんが仕える本来の令嬢は、ミュウさんではありませんか」


「それはそうなんだけど……」


 イザベラはそう言うが、一時的とはいえシャザークにイザベラの剣闘士となるように言ったのはミュウ自身だ。その自分が、図々しくイザベラとともに出ていくのには、やはり抵抗があった。


「シャザークさんもミュウさんが御一緒のほうがよろしいでしょう?」


「……そうだな、俺もミュウがそばにいてくれたほうがいいな」


「――――!?」


 聞きようによっては告白とも取れる言葉に、ミュウの顔が一気に赤くなる。

 そんなミュウに気付き、シャザークも慌て出す。


「ちょっと、お前! 変な勘違いしてないか!? 別に他意はないぞ! 俺はあくまでお前の剣闘士だからお前もいるべきだというだけでだな!」


「わ、わかってるって! 別に何も勘違いとかしてないから!」


 いつの間にかミュウも立ち上がっていた。


「お二人とも準備はよろしいようですね」


 微笑ましく二人を見ていたイザベラが、改めて二人に問いかける。

 二人は互いに顔を見合わせて、大きく一つ息を吐いた。


「ああ」

「そうね」


 二人の顔に緊張はない。

 万全の状態で戦いに挑むだけだった。


◆ ◆ ◆ ◆


 三人は控室を出て、通路を抜け、開けた場所に出る。その中央には円形の闘技場。

 シャザークを先頭に、イザベラ、ミュウと続いていく。

 円形闘技場の周囲に広がる一般用観客席には誰の姿もない。円形闘技場のすぐ横にある関係者用観客席にのみ、両家の関係者と立会人が座っている。

 ランフォード家の関係者は、イザベラの父と母とレイモンド。

 ボルホード家の関係者は40歳手前くらいの男が一人。その男が、イザベラとの婚約を望む、ランドクリップ・ボルホードその人だった。


(ん? あの男の人、どこかで見たことあるような……あっ!)


 ランドクリップの顔を見たミュウは思い出す。イザベラの誕生日パーティで、イザベラのことをじっと見ているとシャザークに教えられた男のことを。関係者用観客席にいたのは、まさにあの時の男だった。


(あの時からいやらしい目でイザベラを見てたんだ!)


 自分の息子の相手探しかと思えば、まさかいい年したおっさんが自分の結婚相手として見ていたと思うと、寒気が走る。


(あんな男にイザベラを渡せるもんか! シャザーク、頼んだからね!)


 ミュウの熱い視線を受けながら、円形闘技場にまで達したシャザークがその舞台へと上がっていく。

 続いてイザベラが闘技場の横にあるお立ち台へと上がる。

 ここへ上がれるのは、剣闘士の主たる令嬢一人。仮にではあっても、今のシャザークの主はイザベラ。

 ミュウはここまで付いてくることはできても、そこへは上がれない。イザベラが立つお立ち台のすぐ横の地面で、シャザークの戦いを見守ることになる。いまさらながらミュウは、シャザークをほかの女の子に取られたような気がして、胸の奥がきゅっと痛みを感じていた。


 ミュウたちに遅れて、相手が入場ゲートから姿を現す。

 前を歩くのは、獅子心ライオンハーテッドの二つ名で呼ばれるリチャード・ライオネル。代々武勇で知られる貴族であるライオネル家の中でも、白眉と言われる男だった。

 年齢は35歳。肉体的には全盛期を過ぎ、最近では公式な闘技会に出ることは少なくなり、後進の育成に力を入れているようだが、全盛期の彼を知る者が見ても、その肉体はその当時の彼といまだ遜色なく見える。経験が蓄積されている分、若い頃の彼よりも今の彼のほうが強いと言う者さえいるほどだ。

 黒髪短髪で彫りの深い顔は、優男然としたシャザークとは対照的だが、整った顔だちであることに変わりはない。渋い男の深みのある格好良さがそこにはあった。

 薄めの黒いインナーに、金色の意匠を施した濃黒のチュニック、上着同様に金色の縦ラインが両サイドに入ったズボンと、闘技会でお馴染みの彼の衣装だった。


 そのリチャードの後ろを歩くのは、主たるエスメラルダ・ボルホード。女傑と呼ばれ、女の身でありながら、表だった交渉でも、裏の駆け引きでも、ほかの男の貴族たちを震えあがらせる傑物だ。

 年齢は45歳のはずだが、見た目はどう見ても30代前半にしか見えない。全身から、自分の美しさだけでなく能力に対する自信が溢れているようだった。

 自慢の長い黒髪はほつれ一つなく背中に流れ、歩くたびにふわっとなびいてる。紫のドレスは、生地も縫製も一流のものだったが、意外にも、必要以上の装飾はなく、身に着ける宝石の類も最小限のものしかなかった。それは、それはエスメラルダ自身がもっとも輝く宝石であり、それがある以上余計な装飾品などいらないという自信の現われであり、事実見た者はその自信の通りの感想を持ってしまう。


(この人がエスメラルダ……。芸能人どころじゃないオーラを感じる……)


 今後ウインザーレイク家を背負っていくことになるミュウにとって、当主として家をり立てるエスメラルダは、見習う点の多い人物だった。今回のことがなければ、素直に尊敬の念さえ抱く相手だっただろう。


(でも、今はあの人に勝たないといけない!)


 向こう側のお立ち台に上がるエスメラルダに、ミュウと鋭い視線を向ける。

 距離があるものの、エスメラルダはミュウの視線に気付いたようだった。力強い視線がミュウを見返してくる。睨み付けるような目ではない、普通にまっすぐ見つめてくるだけの目だった。にもかかわらず、睨まれる以上の圧力がその目にはあった。幼い子供なら泣きだすだろうし、男でもたまらず目を逸らしてしまうような怖さがそこにはあった。

 けれども、ミュウだってただの10歳の子供ではない。これは、男同士の戦いの前の、女同士の戦いでもあるのだ。こんなところで怖気づくわけにはいかなかった。

 ミュウは引くことなくエスメラルダの黒い瞳を見つめ続ける。

 ふと、エスメラルダの口が笑ったように見えた。

 それに気付いてミュウがエスメラルダの口に目を移すと、笑ったように見えたのは気のせいか、その口はまっすぐに閉じたままだった。ミュウが再びエスメラルダの瞳に視線を戻した時には、すでに彼女の目は別の方向を向いていた。二人の睨み合いはそれで終了だった。


 円形闘技場には一人の審判と二人の剣闘士。それぞれのお立ち台に剣闘士の主たる令嬢。それプラスおまけの令嬢一人。

 決闘の舞台はいよいよ整った。


 シャザークがお立ち台の上のイザベラの方に向いて片膝をつき、木剣を掲げる。

 戦いの前に、剣闘士が己の主たる令嬢に勝利を誓う行為だ。

 シャザークが自分以外の令嬢にそれをするのを見るのは、もちろんミュウにとって初めてのことだ。儀礼的なものだとわかっていても胸に痛みを感じてしまう。

 学園の闘技会では、シャザークにこの誓いのポーズをされるたびに恥ずかしがっていたのに、今のミュウは自分にされているのではないことが苦しくてたまらなくなる。


(シャザークは、私がお願いした通りイザベラのために戦ってくれるっていうのに、シャザークを取られたようなこんな気持ちになるなんて……私って最悪だ)


 自分を下から見上げるミュウのそんな気持ちを知ってか知らずか、シャザークは誓いを終えて振り返り、闘技場中央に向かって歩いていく。

 反対側からは、同様に誓いを終えたリチャードが向かってくる。

 二人の剣闘士は中央で向かい合う。


「有名な剣闘士らしいが、決闘前に対戦相手を襲わせるとは、恥ずかしくないのか?」


「なんのことだ?」


 皮肉と心理的揺さぶりのため、シャザークがリチャードに声をかけるが、リチャードの表情に変化はなく、声色からも演技の要素は感じられない。


「……少なくともあんたは何も知らないようだな」


「レイモンド卿のことは聞いている。彼とは一度戦ってみたかったのだが、残念だ」


 こうして対峙するだけでリチャードの無骨な人柄はシャザークにも伝わってくる。今の言葉も本心からのものだとわかる。自分たちで襲わせておいてこんなことを言えるような男でないことは、シャザークも理解した。

 とはいえ、代理とはいえ今の対戦相手の自分を目の前にしての、今の言葉には男としてシャザークは悔しさを感じてしまう。


「……レイモンドと戦えないことより、俺と戦わないといけなくなったことを後悔することになると思うぜ」


「そうなることを期待しておこう」


 二人の剣闘士は静かに視線を戦わせ、互いに木剣を構える。


「はじめっ!」


 審判が、イザベラの運命を賭けた試合の開始を告げた。

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