第31話 代役

 三人の視線を一斉に受けたシャザークはうろたえた表情を浮かべている。


「でも、シャザークさんがフリーの剣闘士ならともかく、シャザークさんはミュウさんの剣闘士ではないですか……」


「それは大丈夫だよ。自分の剣闘士になにかあった場合、ほかの令嬢の剣闘士に、その場限りの仮の剣闘士として戦ってもらうことを禁止するルールはどこにもないわ」


「……そうなんですか?」


 不安げにミュウに目を向けるイザベラとは対照的に、ミュウは自信満々だった。

 それもそのはず、先程のわずかな時間の中で、ミュウは転生後に身についていた、一度記憶したことを正確に思い出せる能力で、剣闘士について授業で学んだことや、教科書に乗っていたルールを、頭の中で隅から隅まで確認し直していたのだ。


「ええ。実際に、ブリフォン家の姉妹の実例があるわ。姉キャサリンの剣闘士が決闘当日の朝に急死し、妹の剣闘士を代役として、姉が決闘に臨んだって記録が参考資料の中に載っていたもの」


 ミュウの言っていることは事実であったが、実のところ、それは姉妹だからこそ成立した代役であった。普通ならば、自分の剣闘士を他人に貸す出すようなことはありえない。それは令嬢にとって、自分の最も大切にしている宝石を他人に貸して着飾らせるようなもの。騎士ならば、自分の愛剣を他人に貸すようなもの。誇り高き貴族にとって、それはタブーに近い、あり得ない行為だった。ブリフォン姉妹の場合、姉の決闘は家の名誉を賭けたものであったため、個人名誉より重んじるべき家の名誉を守ることを優先しての代役剣闘士だった。

 そのため、他人同士での剣闘士の貸し借りは、記録の上では一度も確認できない。とはいえ、ミュウの言う通り、ルールで禁止されていないのは確かであり、今回の場合、相手も代わりの剣闘士を立てることを認めているので、令嬢自身の名誉と誇りに関して以外は、何も問題はなかった。


「……よくそんなところまで覚えていますわね。……でも、ミュウさんはいいんですか? 一時的とはいえ、私がシャザークさんの剣闘士となっても」


 それは普通の貴族令嬢にとっては当然の問いだった。自分が参加しないパーティとはいえ、ほかの令嬢を輝かせるために、自分の宝石を貸し与える令嬢はいない。逆立場なら、レイモンドが一時的とはいえ、誰かの剣闘士になるなんてことは、イザベラにとって耐えられないことだった。


「…………」

(シャザークが私以外の誰かの剣闘士に……)


 自分で提案しておきながら、イザベラの言葉で冷静になったミュウは押し黙ってしまう。

 改めて、シャザークが自分の以外の誰かのために闘技場に立つ姿を想像し、胸がかきむしられるように苦しくなる。


「シャザークさんもです。ミュウさん以外の剣闘士として戦うことを受け入れられますの?」


 イザベラの視線がシャザークの方を向く。


「俺はミュウの言葉に従う」


 即答だった。

 あくまで剣闘士として、私情は抜きに主人の言に従う、そういうことかとイザベラは一瞬考えた。

 だが、レイモンドの瞳を見て、その考えをすぐに改める。主人と剣闘士、そんな言葉で言い表せる簡単なものではないことが、そのまっすぐな瞳から見て取れた。


(……ミュウさんが羨ましいですわ。もうそういう次元の話ではないのですね。仮にほかの誰かの剣闘士となっても自分の心は揺らがない、そこまでの信念と覚悟があるのですね)


 イザベラはシャザークからミュウへと視線を移す。


(あとはあなたです、ミュウさん。あなたにはシャザークさんと同じものがあるのですか?)


 ミュウは少しうつむいたまま、なおも葛藤を続けていた。


(一回イザベラの剣闘士として戦ってもらうだけなのに、シャザークを取られるって、なに子供みたいなこと思ってるんだよ、私! いい大人なんだから、ちゃんと大人らしく考えなくっちゃ! ……でも、今の私は10歳の子供でもあるんだし、子供らしい我がままな考えをしたって、責められるようなことないよね? あー、でも、そうしたらイザベラが……)


 ミュウはすがるようにシャザークに目を向ける。

 シャザークはただ静かにまっすぐミュウを見つめていた。いつもと同じ、どこまでも透き通るような青い瞳で。


(シャザークだ……)


 当たり前のことを、当たり前のようにミュウは実感する。


(シャザークなら大丈夫だ)


 何か根拠があったわけではない。明確に何かきっかけがあったわけでもない。ただ、その思いがすーっと自分の中に溶けていくのをミュウを感じた。


「シャザーク、お願いできる?」


 ミュウのその言葉にもう迷いはなかった。力強く自らの剣闘士に問う。


「ああ。お前の言葉に従うと言っただろ」


 シャザークの言葉も静かだが力強かった。


「ありがとう」


 ミュウは再びイザベラの方に顔を向ける。ミュウの顔はもう、すべてを吹っ切った清々しい顔だった。


「イザベラ、私もシャザークも構わないよ。あなたを助けるためなら全力を尽くす! あなたどうする?」


 この想いを受けて、それでもダメだったら、もう何の後悔もない。イザベラはただ素直にそう思った。

 彼女にも、迷いや躊躇いはない。


「よろしくお願いします。ミュウさん! シャザークさん!」


 イザベラは深々と頭を下げた。


「レイモンド卿もいい?」


「この腕は私の不甲斐なさ故。お二人の申し出を断る理由がありません。……イザベラお嬢様もよろしくお願いします。……ただ、シャザークさんのあの力を人前で見せるのは問題があります。悪魔憑きと言われる力が、ただの与太話ではなく、実際にある力だということが明らかになれば、一体どうなるか……。我々はシャザークさんの人となりを知ってますが、世間の人々はそうではありませんから……」


「わかってる。だから、シャザークにはあの力なしで普通に戦ってもらう。勝率は下がるかもしれないけど、そこは譲れないわ。イザベラもそこは納得してよね」


「もちろん、わかっていますわ」


 うなずくイザベラにも不満はなかった。むしろ最初からイザベラもそのつもりだった。

 シャザークの悪魔憑きの力が本物だと世間に知られれば、二人が今のままでいられないことはイザベラにもわかっていた。自分のために、そんなリスクのあることはさせられないし、してほしくもなかった。


「しかし、そうなると、もうあまり日がないとはいえ、シャザークさんには更に腕を上げてもらわければなりませんね。左腕しか使えないとはいえ、稽古をつけるのには問題ありませんからご安心ください」


 レイモンドは負傷しているにもかかわらず、シャザークとの訓練を続けるつもりのようだった。しかし、ミュウもイザベラもそれを止めるつもりはない。悪魔憑きの能力なしで獅子心ライオンハーテッドリチャードに勝利するためには、レイモンドの持ちうるすべてをシャザークに叩き込んでもらう必要があった。


「お手柔らかに頼む」


 やれやれとばかりにシャザークは肩をすくめてみせる。

 もっとも、お手柔らかにならないであろうことは、シャザーク自身重々承知していた。


◆ ◆ ◆ ◆


 ランフォード邸からの帰り道、夜の街をミュウとシャザークの二人だけが自分たちの屋敷に向かって歩いている。


「……なぁ、ミュウ」


「ん、どうしたの?」


「俺は自分の悪魔憑きの力を自分のためと、お前の身を守るため以外に使うつもりはない」


「な、なによ急に!」


 突然のシャザークの言葉に、ミュウは慌てながらも顔を赤くする。

 シャザークの言葉は、ミュウを守るためならば悪魔憑きと呼ばれる力でさえ使うということでもあった。姫を守る騎士のような言葉に、さすがに照れてしまう。

 とはいえ、それは今回のイザベラのための戦いでは、あの力を使わないという宣言でもあった。

 ぽわーっとなっていて頭で、ミュウもすぐにそのことを理解する。


「……わかってるって。だから、今回はあの力は使わないってさっき二人の前でも言ったじゃない」


「ああ、俺の意志では、この二つの場合以外には絶対に使わない。……ただし、どうしてもお前が願うのなら、俺はいつでもあの力を使う」


「な、なによそれ」


 シャザークの真意を測りかねて、ミュウは隣を歩くシャザークの顔を見上げるが、いつもと同じその横顔からは何も読み取れない。


「……別に。ただ、そのことを覚えておいてくれ」


 ミュウの方へは顔を向けず、前を向いたままシャザークは歩き続けている。


「……わかった」


 ミュウは視線を正面に戻した。

 なぜこのタイミングでシャザークがそんなことをわざわざ言ったのか、ミュウにはわからない。。

 だが、シャザークが真剣であり、その言葉に想いのこもった重さがあることははっかりとわかった。

 男性に、二人きりの状況でそんな真摯な言葉を向けられるのはミュウの経験にないことだった。

 夜とはいえ、見慣れたはずの街並みが、ミュウにはなぜだかいつもと違う景色に見えた。

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