第36話 女傑エスメラルダ

 エスメラルダが手紙で指定した日までの間、ミュウは聖女見習いになるために必要なことを調べた。

 これまでは、聖女を目指すつもりなどなかったため、漠然とした知識しか持っていなかったのだ。


(聖女見習いになるために、まず必要なのは、最低限の知識や礼節。これはパールブルック女子学園を卒業すれば、その条件を満たせるんだけど、成績優秀者なら在学中でも条件を満たしていると認められる。自分で言うのもなんだけど、今の私の成績なら、聖女見習いとしては条件をクリアしてると言えるよね)


 自分の成績表を見て安心するミュウだが、聖女に必要なのは知識や礼節だけではない。見目麗しい容姿、品行方正な人格といったものも必要となる。いや、むしろ、そちらのほうが重要であるとさえ言えた。

 とはいえ、それらは数値として表せる類のものではない。

 そのため、聖女見習いになるためには、容姿や人格が優れた者であると認められた証明として、貴族からの推薦状が必要であった。それも、貴族の当主による推薦状が、三通以上求められる。

 貴族社会において名誉は何より重要なものだった。自分が推薦した女性が、聖女の座に就けば、それは推薦した貴族にとってこの上なく名誉なこととなる。しかし、逆に、何人もの女性を聖女見習いに推薦しておいて、誰も聖女候補にすらなれないということになれば、その貴族は見る目のない人間というレッテルを貼られることになる。

 一人の貴族につき何人までしか推薦状を書けないという決まりはないものの、貴族にとって聖女見習いの推薦は、自分の名誉を左右するものとなるため、そう簡単に書けるものではなかった。


(自分の家の推薦状もカウントされるから、お父様には推薦状を書いてもらえるよね。あとは、婚約の件で助けた恩があるから、イザベラのお父様に書いてれるよう頼めば、イヤとは言えないはず。そうすると、あと一通か……)


 ミュウは心当たりのありそうな貴族を思い浮かべるが――


(これは困ったぞ。まったく心当たりがない!)


 普通の貴族令嬢ならば、親同士の貴族の付き合いがあり、よその貴族とも顔見知りになっているのだが、ミュウのウインザーレイク家はずいぶん前に落ちぶれた貴族。そんな相手と付き合っても何のメリットもないため、この家に限って言えば、貴族同士の付き合いというのがほぼ皆無であった。そのため、ミュウには推薦状を頼めそうな知り合いの貴族が、ほかにまったくいなかった。


(早くも躓いてしまった……。貴族と仲良くなって、聖女見習いに相応しいと認めてもらう……なかなか道は険しそうだけど、やるしかないよね!)


 やる気を見せるミュウだが、彼女がこうして聖女見習いについて調べているのには、少しでも早く聖女になりたいという思いのほか、もう一つ理由があった。


(ああ……調べものに集中してる間はいいけど、それがないとついつい考えちゃうのよね。……エスメラルダ様と会わないといけないってことを)


 そのことを考えたくないあまりに、できるだけほかのことを考えるようにしていたが、エスメラルダに指定された日には、淡々と近づいていく。


 そして、ついにその当日が来てしまった。しくも、今日は新月の日。

 どこか不吉なものを感じながら、ミュウは指定された王宮へと一人向かった。


(でも、よりによって会う場所に王宮の中の部屋を指定してくるなんて……何を考えてるんだか。まぁ、ボルホード家の屋敷に来いと言われるよりはマシかもしれないけど。そんな敵地の中に来るような手紙をもらったら、見てないことにして破り捨ててたよ)


 ミュウが王宮へ行くのはこれが初めてだった。

 貴族といえども、用がなければそうそう王宮に赴くことはない。当主ならばまだしも、まだ社交界デビューもしていない、ミュウのような幼い令嬢ならばなおさらである。

 しかし、エスメラルダはわざわざその王宮に呼び出しをしてきた。それは、自分が王宮内に人と会うための部屋を借りるだけの力があるということを暗に示していた。


(ああ、頭痛くなってきた。今からでも会うのやめようかなぁ……)


 さすがについつい弱気になってしまう。


(こんなの10歳の普通の女の子なら屋敷で震えてるよ。これでも一応社会人やってた私だから、なんとか行く気になれてるけど)


 さすがに貴族同士で一度決めたことが早々覆されるとは思えないが、ミュウが行かなければ、シャザークの処分が取り消されるかもしれない。あるいは、そこまではしてこなくても、エスメラルダによるシャザークのことの口止めが解除されてしまう可能性は大いにありえる。

 それを考えれば、ミュウにはエスメラルダの誘いを断ることはできなかった。


 不安な思いを抱えつつ、ミュウは王宮へとたどり着く。

 王宮の入り口には衛兵がおり、中へ入ろうとする者をチェックしている。気軽にちょっと近くまで来たので、などというノリで入れてもらえるものではない。

 だが、今回のミュウは、エスメラルダからの手紙を見せると、簡単に通してもらえた。


(おそるべしエスメラルダ!といったところか……。あー、やだやだ)


 王宮内に入ったはいいが、初めての場所だ。ミュウには目的の部屋への行き先がわからなかった。ショッピングセンターのように案内図があるわけでもない。


(手紙には部屋の名前だけで地図も書いてなかったし、不親切だな、あの女! 金持ちなら案内人を入り口に置いておくとか、気を遣ってよね! 普通の10歳の女の子だったら、こんなとこに一人だったら泣くぞ!)


 とはいえ、ミュウはただの10歳の女の子ではない。前の世界では、仕事の関係で初めての会社に行くことも珍しくなかった。この程度のことに戸惑ってはいられない。

 ミュウは途中で見つけた人に片っ端から指定された場所の行き先を尋ね、それほど手間取ることもなく目的の部屋の前へとたどり着いた。


(それにしても王宮って迷路みたいになってるのかな? ここまで来るのに曲がったり上がったり、ずいぶんと変な道通ってきた気がするよ。まぁ、どっちに向かっていいのかわからなくなるたびに、人に聞いて教えてもらったから、迷うようなことはなかったけど。……それより、いよいよエスメラルダ様と会うのか。あー、マジで緊張する)


 覚悟を決めてミュウが扉をノックすると、すぐに、部屋の中に入るように応えるエスメラルダの声が聞こえてきた。

 

「失礼します」


 ミュウは顔を引き締め、背筋を伸ばし、部屋の中へと足を踏み入れた。


 部屋の中は、さすが王宮の中の一室というだけあり、ミュウが今まで見た部屋の中でも最も豪奢だった。その造りも、家具も、一級品であることが、素人のミュウにもわかるほどだ。

 その部屋の中で、エスメラルダは部屋の豪華さに負けない存在感で、これまた高級そうなチェアに優雅に座っていた。まとっている緑のドレスも、上品な高級さを醸し出している。


「いらっしゃい、ミュウさん。どうぞ、おかけになって」


「……はい」


 テーブルを挟んだ向かいの席を指し示され、ミュウは頷いて、そこに腰かける。


「ここまで来るのに迷わなかった?」


「いえ、人に聞きながら来ましたので……。それにしても、王宮って複雑な造りになっているんですね。何回も曲がったりして、迷路みたいでしたよ」


「そうでしょうね。ここは、増築や改築を重ねたせいで、王宮の中で入り口から最もたどり着きにくい部屋なんですから」


(カッチーン! 今の口ぶり、この人、わざとそんな部屋を指定したな!)


 睨み付けるつもりはなかったが、自然とエスメラルダに向けるミュウの視線が鋭くなった。

 普通の者ならその些細な変化には気付かなかっただろうが、エスメラルダはそれを見逃さない。


「そう怒らないでちょうだい」


「……別に怒ってはいません」


「王宮の中を指定場所にされて臆してしまうような子や、王宮に入ったはいいけど、王宮内にいる人に声も掛けられず、ここまでたどり着けないような子なら、話をする価値もないと思ってね」


「……それって、私を試したってことですか?」


 エスメラルダは微笑むだけで、否定しない。つまりは、そういうつもりだったようだ。


(……確かに、私が道を尋ねた人達って、私よりずっと大人で、しかも王宮務めができるような地位の高いばかりだったんだよね。私は社会人として、得意先の会社で似たような経験もしてるから気にしなかったけど、同い年の女の子たちには難しいことなのかもしれない……。でも、やっぱりこの人、性格悪いと思う!)


「そんなに睨まないでちょうだい」


 ミュウの視線がさらに鋭くなっていたが、エスメラルダは子供に睨まれても気にならないようで、笑い顔で立ち上がる。


「紅茶でも用意するわね」


 本当に二人きりで話をするつもりだったようで、部屋には執事や使用人の姿はない。

 エスメラルダは自ら部屋の端に行き、紅茶の用意を始めた。


(毒でも盛られなきゃいいけど……)


 所在なさげに待っているうちに、二人分の紅茶が用意され、テーブルの上に皿とともに置かれた。

 エスメラルダも再び自分の席に着く。


「どうぞ、お召し上がりになって」


「……いただきます」

(とはいえ、実は私、この世界の紅茶はちょっと苦手なのよね。なぜかこの世界では、紅茶は苦ければ苦いほどいいみたいな文化があって、タンニンの多い茶葉ばかりが流通しているみたいなんだよ。おまけに、砂糖や蜂蜜を入れる文化もないみたいで、用意されるのはいつもストレート。甘いもの好きの私としては、なかなか辛いものがあるんだよね)


 心では紅茶を歓迎していないが、出された紅茶を断るのも失礼と、ミュウは我慢してカップに口をつける。


「――――!?」

(にっがぁぁぁぃ! なにこれ!? 今まで飲んだ紅茶の中でも一番苦いんじゃないの!? タンニン多すぎ! 茶葉が悪いのか、淹れ方が下手なのか……)


「そんなに顔をしかめて。お子様には早かったかしら?」


 ミュウは口に含んだ瞬間、反射的に顔をしかめていたらしい。

 だが、それを指摘された恥ずかしよりも、子供扱いするエスメラルダの物言いに対するムカツキのほうがミュウの中では上回っていた。


(なんなの、この女、さっきから! もう、根性悪い! そっちがその気なら、こっちだって、子供の立場利用して、好きにやってやろうじゃないの!)


「……そうですね。私の『お子様』の口には合わないのかもしれません。ですが、せっかくエスメラルダ様に淹れていただいた紅茶ですので、残すのも失礼かと思います。『お子様』の口に合うよう、蜂蜜があれば、いただけませんか?」


「蜂蜜ならあるけど……」


 ミュウの注文を不思議がりながら、エスメラルダは自ら席を立ち、部屋の端から蜂蜜を手に戻ってきて、それをミュウに渡した。


「わざわざありがとうこざいます」


 受け取ったミュウは、エスメラルダが見つめる中、その蜂蜜を大量に紅茶の中にぶち込んだ。


「ちょっと、あなた!? 何を!?」


 エスメラルダの顔が驚きに歪む。

 自分が用意した紅茶に異物を放り込まれるなど、名誉を汚される行為と捉えてもおかしくなかったが、エスメラルダはそれを咎めることなく、ミュウの行動を見守った。

 そのミュウは、驚いた表情のエスメラルダに構わず、蜂蜜を入れた紅茶をかき混ぜると、カップを持ち上げ、再び口をつける。

 大量の蜂蜜を投入された紅茶はタンニンの渋みが和らぎ、むしろ蜂蜜のまろやかな甘味が支配していた。


「んんっ、甘くておいしい! さすがエスメラルダ様です、良い紅茶をご用意いただいて、ありがとうございます」

(さすがにやりすぎたか? ムカついたとはいえ、喧嘩売り過ぎたかも……)


 やってしまってから冷静になり、ミュウはエスメラルダの表情をうかがう。

 しかし、自ら淹れた紅茶に好き勝手されたにもかかわらず、エスメラルダの顔に怒った様子は見られない。ミュウが初めて見る、呆けたような表情を浮かべている。


「……本当に甘くておいしかったの?」


 あまり予想していなかったエスメラルダの言葉に、ミュウは反射的に頷く。


「はい……本当ですが……」


「そうなのね。……私も試してみようかしら」


「……え?」


 ミュウが間抜けな顔をしているうちに、エスメラルダはミュウ同様、自分の紅茶に蜂蜜を入れてかき混ぜる。

 そして、変わらぬ優雅さでカップを持ち上げると、初めての甘い紅茶を口にした。


「――――! 本当においしいじゃないの! 実は、私も紅茶って渋くておいしくないんじゃないかって思ってたのよ! いいじゃないの、これ!」


 トゲのない笑顔で女の子のようにはしゃぐエスメラルダの姿に、ミュウの目が点になる。

 そんなミュウの視線に気付いたのか、エスメラルダはコホンと一つ咳払いをして、空になったカップを皿に戻した。


「……なかなか良いことを教えてもらいました。感謝しますわ」


 その姿は、ミュウの知るエスメラルダに戻っていたが、先程とのギャップにミュウはこみ上げてくる笑いをこらえ。


(この人って、もしかしたら意外に可愛い人なのかもしれない……)


 ミュウの中から、先程までのムカツキはすっかり消え、遥かに年上の女性にそんな感慨を持つに至っていた。

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