第28話 婚約問題の行方

 ミュウの提案を受け、イザベラは親に剣闘士による決闘を直訴することとなった。いくらイザベラの婚約の問題とはいえ、家から家への婚約の申し入れだ。決定権は当主であるイザベラの父にある。いくらイザベラがその気になっても、父親のエドワードが首を縦に振らなければ意味がない。


(イザベラ、大丈夫だったかな……)


 翌日、ミュウはそのことが、気が気でならない。

 登校はいつもミュウよりイザベラの方が早い。

 学園に向かうミュウの足が自然と速くなる。だが、結果を早く知りたい気持ちと、もしダメだったらどうしようという不安な気持ちでソワソワしてしまう。


 学園についたミュウは、急いで教室に向かい、扉の前に立つ。


(もう来てるよね……)


 自分のことでもないのに、下手をすれば自分のこと以上に緊張しながら、ミュウは教室の扉に手をかける。

 イザベラの口から出てくる答えへの、期待と不安を胸に秘めながらミュウは扉を開いた。


 教室一番奥のイザベラの席まで行って答えを聞くまでもなかった。

 教室入り口から奥へ向けたミュウの視線と、奥の席に座るイザベラの視線とが合う。その瞳の輝きと、その顔に浮かぶ笑顔で十分だった。


(うまくいったんだね!)


 ミュウが親指を立てて見せると、イザベラも恥ずかしそうにしながら同様に親指を立てて応えた。

 ようやく朝からのドキドキを落ち着かせたミュウは、強張らせていた肩の力を緩めて、イザベラの隣の自席へと向かう。


「その様子だと大丈夫だったんだね!」


「はい! ミュウさんのおかげですわ!」


 さすがに面と向かって裏のない感謝の気持ちを向けられるとミュウも照れてしまう。


「私はたいしたことしてないって。イザベラが頑張ってお父さんを説得したからでしょ」


「ミュウさん……」


「でも、決闘に勝たないと意味ないからレイモンド卿には気合い入れてもらってよ」


「はい、レイモンドもやる気になってくれて、訓練もいつも以上に熱が入っています」


(ほほぅ! レイモンド卿もイザベラをロリコンおやじに取られるつもりはないってわけね! イザベラとレイモンド卿のカップリング、マジであるかもしれない!)


 レイモンドの話になった途端、乙女の顔へと変化したイザベラを見て、ミュウの恋愛センサーが反応し始める。


(ピンチが一転して、イザベラとレイモンドの仲を一気に深める好機になるかも! 友達としてはイザベラの恋も応援してあげないとね!)


 まだ剣闘士同士の決闘が終わってもいないのに、ミュウはもう婚約問題が片付いたかのように安心してしまっていたが、喜ぶのが時期尚早だったことをすぐに知ることになる。


◆ ◆ ◆ ◆


 二人のやり取りから三日後、イザベラとエスメラルダの勝負の日と、レイモンドの対戦相手が決まった。

 決闘の日は2週間後。そして、レイモンドの対戦相手となるエスメラルダの剣闘士の名はリチャード。獅子心ライオンハーテッドの二つ名で呼ばれ、公式な剣闘大会でも優勝経験もある凄腕の剣闘士だった。

 その事実を、朝の教室でイザベラから伝えられ、ミュウはあ然とする。


(そっか、子供同士の喧嘩じゃないんだ……。これは貴族の家と家の争い。名門貴族なら、大会優勝経験のある剣闘士を出し手くるのも当然じゃない! 私の考えが甘かった!)


 今回の提案をしてしまった責任を感じたミュウは、申し訳ない気持ちでイザベラに目を向けるが、彼女の顔には悲壮感のようなものは浮かんでいなかった。むしろ、ミュウのほうがそんな顔をしている。


「ごめん、イザベラ。私が変な提案したばっかりに……」


「何をおっしゃってるんですか。ミュウさんが提案してくれなかったら、そのまま婚約が決まっていたんですよ」


 それは単にミュウを気遣っての言葉ではなかった。イザベラの言葉には、確かな力がこもっていた。

 この状況で、どうしてそんなに自分を強く持っていられるのか、ミュウは不思議に思ってしまう。


「そんなとんでもない相手なのに、不安じゃないの?」


「相手はボルホード家なんですから、そのくらいの相手が出てくることは最初から想定内ですわ。それに、もしレイモンドで勝てないのなら……私にもう思い残すことはありません」


 イザベラはまっすぐな目をミュウに向ける。

 その瞳を見て、ミュウは理解する。とっくの昔に、イザベラが覚悟を決め、自分のすべてをレイモンドに賭ける決意をしていたことを。


(……私よりもイザベラの方がよっぽど大人じゃない。ホント、情けないね、私って)


「イザベラ、もし私に何かできることがあったら言って。お金も権力ちからもない私だけど、出来る限りのことはするから!」


 ミュウの言葉を受け、イザベラは何か言いたそうに口を開いたが、逡巡の後、その口を閉じる。

 そしてしばしの沈黙。

 不審に思ったミュウが、痺れを切らして何か言葉をかけようとしたところで、躊躇いを振り払ったイザベラが今度は迷いなく口を開く。


「では、一つお願いをしてよろしいでしょうか?」


「うん、何でも言って!」


「レイモンドの訓練相手として剣闘士を用意しているのですが、正直レイモンドと実力差がありすぎて、あまり有効な訓練になっていないようなんです。ですが、レイモンドと拮抗しうる腕の剣闘士を、訓練相手として用意するとなると、うちでも容易なことではありません」


「それはそうだよね……」


 レイモンドに匹敵する剣闘士自体は探せばいないこともない。だが、そういった腕の立つ剣闘士は、すでに誰かの剣闘士として契約してしまっている。契約済の剣闘士に、訓練相手として手伝ってもらおうと思えば、主である貴族令嬢の許可を得る必要があった。しかし、貴族令嬢にとって剣闘士は、宝石以上に自分のステータスを示す重要な存在である。それをほかの令嬢の剣闘士の、ただの訓練相手として貸し出すなど、貴族の常識としてはあり得ないことだった。


「ミュウさん。学園の闘技会でレイモンドに勝利したシャザークさんが相手ならば、レイモンドはより自分を高めることができます。こんなことを頼むのが失礼なのはわかっていますが……シャザークさんにレイモンドの訓練相手になってもらえませんか」


 イザベラは深々と頭を下げた。

 こんな頼みが、相手にとって失礼なことであり、自分の名誉を貶めることであることを、イザベラは重々承知している。だからこそ、貴族の令嬢同士ではまずあり得ない、こんな頭を下げるなんてことを躊躇いなく行い、自分の誠意を示していた。

 とはいえ、美夕としての記憶や経験がベースにあるミュウには、知識としては貴族の常識を持っていても、体感としてはイマイチピンとこない部分があった。今回のことも、友達同士の頼みならば、たいした話ではない。


「頭を上げて、イザベラ。出来る限りのことはするって言ったでしょ。帰ったらシャザークに頼んでみる。……でも、私、ほかの令嬢がするようには、シャザークに命令できないし、したくないの。だから、シャザークがどうしてもやりたくないって言ったときは……」


 ミュウは自分に出来ることならなんでもするつもりだった。だが、ほかの令嬢はともかく、ミュウにとってシャザークは所有物ではない。学園を卒業するまで剣闘士を続けてもらう約束をした、いわば協力者なのだ。その相手に、命令して強制させることはできない。今のシャザークならば、もしかすればミュウが命令すれば、言うことを聞いてくれるかもしれないが、その瞬間、今のミュウとシャザークの心地よい関係はきっと終わってしまう。そう感じるから、ミュウはシャザークに命令なんてしたくなかった。


「……それで十分です。お願いします」


 剣闘士の主失格とも言える自分の言葉を受け入れてくれたイザベラに、ミュウは心の中で感謝する。そして、命令はできずとも、シャザークに事情を話して精一杯のお願いをしようとは、固く誓った。

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