第27話 婚約
イザベラの誕生日パーティ以降、ミュウとイザベラの距離は以前よりも更に縮まった。
もともと学園では席が隣同士であり、話をする機会も多いため、きっかけさえあれば深い仲になるのは、ある意味当然のことだと言えた。
今や二人の間には、刺々しい雰囲気も固い空気感もない。
登校するなり、たわいもない話が笑顔で繰り広げられる。
しかし、誕生日パーティから1週間経過した頃、イザベラの様子がどこかおかしいことにミュウは気付く。
昨日まではいつも通り元気にしていたのに、今日のイザベラはミュウが隣の席についても気付かない様子で溜息をついている。
「はぁ……」
「ちょっとイザベラ、どうしたのよ」
「別に……」
「別にって、明らかに何かあった感じなんだけど?」
「いえ、そんなことは……」
それ以上何も言わず、イザベラは窓の外に遠い目を向ける。
(年頃の女の子だもんね。こういう日もあるよね。まぁ、明日にはけろっとしてるかもしれないし、今日はそっとしておこうかな)
イザベラの体調になにか問題があるわけではなさそうなこともあり、ミュウはひとまず様子をみることにした。
しかし、翌日も、翌々日もイザベラの様子は変わらない。それどころか、溜息の回数もぼーっとする回数も増え、さすがにミュウも放っておけなくなる。
授業終了後、ミュウは人のいない空き教室にイザベラを引っ張っていき、二人きりになる。
「で、イザベラ、何があったのよ」
「ミュウさんには関係ないことですし……」
関係ないと言われるとさすがにカチンとくるが、ミュウも中身の年齢では15歳も下の女の子相手にムキになるつもりはない。
「関係ないのなら、話してくれても何の影響もないってことだよね?」
ミュウは正面からまっすぐにイザベラの青い瞳を見つめる。
イザベラはその視線に耐えられなくなり、顔を背けようとしたが、ミュウが両手をイザベラの頭の両サイドにがしっと当て、イザベラが顔を動かせないようにしてしまう。
「イザベラ!」
顔を固定された状態で真剣な眼差しを向けられ、イザベラもついに観念する。
「……わかりましたわ」
イザベラが話してくれる気になったので、ミュウはイザベラの顔に添えていた手を離す。
「で、何を悩んでるの?」
「……婚約することになったのです」
ミュウの脳が一瞬、その言葉を受け入れるのを拒否しそうになる。コンニャクの聞き間違いじゃなかったかと考えもしたが、さすがに大人として現実逃避は恥ずかしいと、なんとか正気を保つ。
(まさか前の世界で20年以上生きてた私に全く縁がなかったのに、11歳になったばかりのイザベラが婚約だなんて……。く、悔しがっちゃダメ……前の世界とは文化が違うんだから! 貴族の中では。若いうちから相手を決めて婚約しておくのは、珍しいことじゃないんだし……)
自分のことではないのにバクバクする心臓を落ち着けようと、ミュウは大きく息を吸い込む。
(相手は……レイモンドかな? レイモンドはシャザークより年上だろうから、20歳くらい? 年の差はあるけど、イザベラはレイモンドに好意を持ってる感じだし、まぁ、あと5年もすれば、別におかしくもない感じになるかな……)
格の高い貴族の令嬢と、格の低い貴族の男とが婚姻することは、残念ながらなかなか歓迎されない。しかし、この世界ではそのような場合、男が令嬢の剣闘士として活躍して実績を積めば、一転して二人の婚姻は祝福されるものとなる。イザベラはまだ本格的な闘技場デビューはしていないが、今のうちに婚約だけしておいて、闘技場デビュー後、その剣闘士としてレイモンドが活躍した時点で婚約という流れならば、それほど珍しいことでもない。
「婚約か……ずいぶんと早いんだね。でも、おめでとう」
「……めでたいことならよかったのですけどね」
ミュウのお祝いの言葉に対して、イザベラの表情は曇りを見せる。
その反応にミュウは戸惑ってしまう。
(あれ? 嬉しくない感じ?)
ミュウが思いつくその原因は、年齢差くらいだった。
「……年の差が気になるの?」
「もちろんそれもありますが、そもそも……あれ? ミュウさん、私の婚約相手をご存知ですの?」
「いや、知ってはいないけど、だいたい想像がつくというか……」
イザベラが自分の好意を他人に気付かれていないと思っているかもしれないと考え、レイモンドの名を出してしまわない程度のデリカシーはミュウにもあった。
「そうなんですか。意外と情報通なんですね。ランドクリップ様のことを知っておられるなんて」
「ランドクリップ? 誰よそれ?」
二人して見つめ合う。
「ですから、私が婚約することになったお相手がランドクリップ様なのですが……」
「レイモンド卿と婚約すんじゃないの?」
「なっ――ど、どうして私がレイモンドと、そんな、婚約なんて!」
赤面して乙女の顔で慌てるイザベラを見て、ミュウは自分の認識が間違っていなかったことを確認する。だが、そうなると問題はランドクリップという男のことだった。
「まぁ、レイモンド卿のことはともかく、そのランドクリップって誰なのよ」
「ランドクリップ様は――」
ランドクリップ・ボルホード。名門貴族ボルホード家の長男。ボルホード家は、現在、ランドクリップの姉であり、女傑と言われるエスメラルダ・ボルホードが女性ながらに当主を務めている、家柄、経済力ともにこの国でも有数の貴族である。ランドクリップは年齢38歳。最近妻と別れたばかりだったが、先日のイザベラの誕生日パーティで、イザベラを一目見て気に入ったようで、ボルホード家から婚約の申し入れがあった。
――というのが、イザベラの説明であった。
ミュウは、あ然とした顔で話を聞いていたが、やがてこみ上げてくる怒りのような感情で顔を赤くする。
「なによそれ……38歳の男が11歳の女の子に一目ぼれって……ロリコンじゃないの!」
「ロリコン……?」
初めて耳にした言葉に、イザベラが首をかしげる。
(ああ、ロリータコンプレックスって、小説に出てくるロリータって名前の女の子が由来だっけ? この世界で通じるはずないか)
「幼女趣味の変態男ってことよ!」
「変態男って……」
初めて聞くような下品な言葉を耳にし、イザベラは驚きながらもついつい復唱してしまう。
「そんなの断っちゃえばいいじゃないの! イザベラだってそんな気ないんでしょ?」
「それは……そうなのですが……」
「何か問題でもあるの?」
「今回のことは、ランドクリップ様の姉で当主でもあるエスメラルダ様からの正式な申し入れなんです。それを断るということは、ボルホード家の顔に泥を塗ることになってしまいます。我が家も経済力では負けていないのですが、名門と言われるボルホード家には伝統の面では太刀打ちできません。そのボルホード家に泥を塗ったとなると、ほかの貴族からの印象が悪くなり、社交の場において、私の家の立場が非情に苦しくなってしまいます。そのため、父も頭を悩ませていて……」
「それでイザベラが犠牲になるってわけ?」
イザベラのことだ、思い悩む父を見て、自分からこの縁談を受けると言ったのだろうと、ミュウにも想像できる。けれども、それがわかってもミュウは憤る気持ちを抑え切れない。
「犠牲って、そんなつもりは……。いずれどなたかと結婚するのですから、それが少々早くなっただけのことで……」
この世界での貴族の娘は、政略に利用されるだけの存在ではない。美夕としていた前の世界の中世に比べれば、遥かに女性の社会進出は進んでいる。ミュウが貴族令嬢のための女子学園で学んでいるのも、将来国の要職に就いて働くためだ。わざわざ女子専用の学園が作られている時点で、女性がないがしろにされず、国の重要な機関で働く候補者として捉えられているとも言える。
この世界では、自らの力を示しさえすれば、貴族の妻という立場で人生を終える必要はない。能力さえあれば、自分から相手を好きに選ぶこともできるし、独身のままで養子を迎えて家を継がせることもできる。現に、ボルホード家の現当主であるエスメラルダも、夫がいながら自らが当主を努めている。
しかし、今イザベラが婚約してしまえば、その未来の可能性を潰すことになる。恋愛の自由を奪われるだけでなく、未来までもすべて奪われるのは、ミュウには我慢ならなかった。
(うちは没落貴族だから、あんまりそういう貴族の争いみたいのに関わってきたことはないけど、さすがにそういう貴族社会のしがらみみたいなことくらいはわかってる! でも、こんなの納得はできない……好きな人に好きって言う前に相手を決められちゃうのも、自分のやりたいことにチャレンジもできないまま終わらされるのも、私は認めない! きっと、何か手が……)
元世界の知識だけでは足りない。この世界のミュウとして持っている知識も総動員として、ミュウは打開策を模索する。
そして、この世界ならではの特殊なルールに思い当たる。
「――あっ。今回ってランドクリップとかいう男からの婚約の申込みじゃなくて、エスメラルダっていう女当主からの申込なんだよね?」
「はい……。ランドクリップ様から直接申し込まれたのならば、個人と個人の話なので、家の名誉に関わるようなことはなかったのですが、こちらが断れないよう、当主から家としての正式な申し入れにされたのかと……」
「汚いわね、ホントに! でも、女同士の話でよかったよ。だって、女同士なら、お互いの剣闘士で決着をつければいいんだから!」
「……あ」
ミュウの言葉でイザベラも気付いたようだ。
この世界では、貴族令嬢同士のいざこざが起こった時の伝統的な決着方法がある。それは、互いの剣闘士を戦わせ、勝った方の剣闘士の令嬢が正義というものだ。
「イザベラの婚約をかけて剣闘士同士で決闘をするのよ! イザベラが勝てば、婚約話はなくなるし、ほかの貴族たちにも決闘に負けるような相手に嫁ぐ必要はないって空気が生まれるから、社交の場で立場が苦しくなるようなこともない。むしろ、婚約を申し込んだ小娘に負けたってことで、相手のほうが白い目でみられるはず。そうなったらもうイザベラにはちょっかいをかけてこられなくなるよ!」
「確かに……。でも、相手はボルホード家です。抱えている剣闘士だって相当な腕のはず……」
ミュウの言っている意味は理解したようだが、イザベラは顔を曇らせたままうつむいている。
けれども、ミュウは知っている。イザベラから不安を拭い去り、やる気にさせる魔法の言葉を。
「イザベラの剣闘士は誰? あなたのレイモンドがうちのシャザーク以外の誰かに負けると思ってるの?」
「負けるわけないです! 言っておきますけど、もう一度シャザークさんと戦ったら、勝つのは私のレイモンドなんですからね!」
顔を上げたイザベラの瞳には、いつもの活気がしっかりと戻っていた。
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