第29話 特訓
「――というわけで、レイモンドの訓練相手をしてもらえないかな?」
「わかった」
「えっ」
学園から戻ったミュウは、早速シャザークに事情を話した。シャザークにとっては何のメリットもない面倒なだけの頼みである。簡単に頷いてもらえるとは思っておらず、簡単な事情説明の後、どういう方向で説得を試みるかと考えていただけに、二つ返事で了承したシャザークに、ミュウは間の抜けた声を上げてしまった。
「自分から言い出しておいて、どうしてそんな驚いた顔をする?」
「いえ、なんて言うか……ちょっと意外だったから。闘技会やパーティでレイモンドと仲良くなってたのかな? いやぁ、シャザークに友達ができたのなら、私もなんか嬉しいよ」
「別に仲良くなってないし、友達でもねーよ」
なぜかシャザークは不貞腐れたような表情を浮かべてそっぽ向いてしまう。
「そうなの? じゃあ、どうして? あ、もしかしてイザベラのため? 30歳近くも年上の男との婚約とか、やっぱり我慢ならないよね!」
「……まぁ、それは多少あるけど」
「あっ、やっぱり! ロリコン許すまじだよね! 女の子の恋心はちゃんと守ってあげないとね!」
「……それより、お前の頼みだったら俺はなんだって聞いてやるつもりだ」
一人興奮して言葉を重ねていたミュウの耳には、シャザークのつぶやきは届いていなかった。
「ん? シャザーク、今何か言った?」
「なんでもねーよ!」
シャザークは拗ねたように席を立ってしまう。
「急にどうしたの?」
「なんでもないって!」
「とにかく、明日からさっそくお願いね」
「わかってるよ!」
「……変なシャザーク。ホントは気が進まなかったのかな?」
こうしてシャザークの協力がすんなり(?)と決まったのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日からさっそく、レイモンドとシャザークによる訓練が開始された。
学園の授業が終了後、ミュウとシャザークは二人そろって、ランフォード家の敷地内にある訓練場へと来ている。
「それにしても、敷地の中にこんな剣闘士用の訓練場があるなんて……さすがランフォード家ね」
「いえいえ、訓練場くらい普通の貴族なら所有していますわ。でなければ、剣闘士にまともに鍛錬してもらうことすらできないじゃなですか」
イザベラとともに、二人の訓練を見守るミュウは、この世界では自分の方が貴族としては異端であることを思い知る。
「……ごめん、シャザーク」
ミュウの頭の浮かぶのは、狭い庭で走り込みや素振りをしているシャザークの姿だった。
(……私の剣闘士になったばかりに……帰ったら何か甘いものとコーラでも作ってあげよう)
「それより、シャザークさんの件、ありがとうございます。大切な剣闘士なのに、私事につきあってもらって」
「気にしないで、シャザークもこんな婚約に腹を立ててるのか、すぐに快諾してくれたから」
「快諾ですか……。色々と事情を説明いただいたんですね」
「うーん、心に訴えかけるような説明を色々するつもりだったんだけど、その前の簡単に事情説明で引き受けてくれたんだよね」
「なるほど……」
イザベラがミュウの顔を横から覗き込む。
「……どうかしたの?」
「いえ、何を頼むかよりも、誰が頼むのかが重要だったのかな、と思いまして」
「なんのこと?」
ミュウは不思議そうな顔でイザベラの顔を見返す。
「いえ、お子様にはまだわからなくてよいことかと」
一人納得してイザベラが再び訓練中の二人の剣闘士の目を向ける。
「誰がお子様よ! 私の方がずっと年上――いえ、なんでないわ」
下手なことを言うと、自分の秘密まで話す必要が出てきそうなので、ミュウは言葉を止め、イザベラに倣って二人に視線を戻した。
訓練場の中央では、シャザークがレイモンドから正式な剣術を学んでいるところだった。
学園の闘技会において、シャザークは我流の剣術で戦った。それは初対戦における奇襲という点では有効だったが、総合的な戦闘力を考えれば、先人たちが試行錯誤を繰り返して一つの形としてまとめ上げた正式な剣術に及ぶべくもない。それに加え、今回はレイモンドの鍛錬が目的だ。対戦相手のリチャードも、流派は違えど正式な剣術を用いてくるため、我流の剣術相手では訓練相手としては十分ではなかった。そのため、訓練の第一段階てして、まずシャザークがレイモンドから剣術を学ぶところから始まっていた。
「……これってレイモンド卿の訓練になってるの?」
「さぁ。私も剣術には詳しくありませんので……。ですが、レイモンドのすることに間違いはありませんわ」
「はいはい、御馳走さまです」
「――? なにか御馳走しました?」
「いえいえ、お子様にはわかなくていいんだよ」
「…………?」
他人の恋心には敏感だが、自分の恋心には鈍感な二人は、黙って二人の訓練姿を見守ることにした。
◆ ◆ ◆ ◆
その後、ミュウが学園に行っている間も、シャザークは一人でランフォード家に通い、レイモンドとの訓練を続けた。
ミュウとイザベラも、学園が終われば、ランフォード家の訓練場に向かい、二人の訓練に付き合った。
シャザークはレイモンドから剣術の基本を学び、今やその構えもなかなか堂に入ったものになっている。
とはいえ、ずっと剣術を学んできたレイモンドと、付け焼刃のシャザークでは、その実力差はいかんともしがたいものがあった。学園の闘技会ではシャザークが勝利したものの、それは関節技という奇襲戦法がたまたまうまくハマっただけにすぎない。正攻法でまともに戦えば、10回やっても、10回すべてでレイモンドが勝利していたであろうことが、二人の剣闘士を見つめるミュウとイザベラにも、だんだんわかってきていた。
「……これって本当にレイモンド卿の役に立ってるの? なんかシャザークの訓練になってる気がするんだけど」
「……どうなんでしょうね」
二人が訓練を始めてすでに一週間が経過している。
レイモンドというお手本がいるおかげで、シャザークの剣術はずいぶん上達している。
だが、いまだに10回やって1回シャザークが勝てるかどうかというレベルだった。
格下相手の対戦形式の訓練が、どこまでレイモンドの上達に寄与しているのか、二人は今更ながらに疑問に思ってしまう。
しかし、当事者の一人であるシャザークは、見ている二人以上にそのことを痛感していた。
「……すまんな。俺の腕じゃ、あんたの訓練相手としては力不足で」
「いえいえ。普段の訓練相手とやるよりは、シャザークさんとやっているほうが余程有意義ですよ」
(……普段の相手よりは多少マシ程度ってことか。今度の対戦相手がどのくらいの実力者なのかわからんが、これで負けたら俺も責任を感じるぜ)
シャザークは不甲斐ない自分の手に握られた木刀を見つめる。
目だけはレイモンドの動きにもついていっていた。シャザークの目の良さは天性のものだった。けれども、いくら目がよくても、それに体がついてこられなければ意味がない。長年剣とともに生きてきたレイモンドと、剣闘士になって間もないシャザークでは、剣を扱う動きに、超えられない壁があった。
(このままじゃ、いくらレイモンドの腕が立つとはいえ勝てないかもしれない……。そうなったら、あいつも悲しむよな……)
シャザークはミュウに目を向ける。自分のことを頼りにし、信じてくれている顔を見ると、不思議と胸が温かい気持ちになる。あの顔を曇らせるようなことだけはしたくない、その想いがシャザークの中で強くなる。
「……ミュウ、今の俺じゃあレイモンドの訓練相手としては役立たずだ」
「ちょっと、シャザーク! 今更何を言いだすのよ!」
突然のシャザークのギブアップ宣言に、ミュウが慌てた声を上げる。
「今のこの『俺』ではな!」
「――――!!」
ミュウの表情が一変する。シャザークが何を言いたいのか、その言葉だけでミュウは理解した。
「……お前が願うのなら、俺はあの力を使っても構わんぞ」
シャザークは、あとはミュウの判断に託した。
ミュウにとって、イザベラとレイモンドの二人がどれほどの存在なのか。自分の秘密と天秤にかけてでも、助けたいと願う相手なのかどうか。もしそこまでの相手でないのなら、たとえレイモンドが負け、イザベラの婚約が決まっても、ミュウがそこまでひどく悲しむことはないだろう。それならばシャザークも自分の全力を尽くす必要もない。だが、自分の秘密がバレるリスクを冒してでも、ミュウがシャザークとイザベラの勝利を願うのならば、どんなリスクを冒してでも、自分はそれに応えるだけだ――それがシャザークの切なる想いだった。
長い沈黙の時間が流れた。
事情のわからないイザベラとレイモンドは、黙ったまま視線をミュウに向けている。
やがて、ミュウが乾いたその小さな口を開いた。
「レイモンド卿! これから起こることを自分だけの胸にしまい、誰にも話さないと誓えますか?」
10歳の少女とは思えない、圧と想いの重さが詰まった言葉だった。
ミュウの意図はわからないが、それが茶化していいようなものではないことだけは、レイモンドにもはっきりとわかった。
「何が起ころうと、決して誰にも話さないと、我が姫、イザベラ様に誓おう」
剣闘士にとって、それは神への誓い以上の最上級の誓いの言葉だった。
ミュウは、シャザークのその真剣な言葉と真摯な瞳にうなずく。
「イザベラ、この訓練場に鍵をかけて、あと、誰も近づかないように言い含めておいて」
「わ、わかりましたわ」
ミュウに気おされるようにうなずくと、イザベラはすぐに準備にかかった。
事情はわからないが、ただならぬ決意を感じ取り、レイモンドは、目の前の剣闘士と、一人の少女に視線を向ける。
その視線の先の二人は、静かに見つめ合い、無言のままうなずきあった。
◆ ◆ ◆ ◆
準備が整い、閉じられた空間にいるのは4人のみ。訓練が終わるまでこの場に近づく者もいない。
「シャザーク、お願い」
「わかった」
ミュウの声を受け、シャザークの姿が一変する。
青い瞳と銀の髪が、紅色へと一瞬にして変化していた。
雪のように白い肌に、血のように紅い目と髪、悪魔憑きと言われる姿がそこにはあった。
「――――!?」
シャザークの前に立つレイモンドは、声を出さないまでも、驚愕に目を見開く。
「ミュウさん、よろしいのですか!?」
シャザークのこの姿を知っているイザベラも、驚きは同様だったようだ。
シャザークのこの姿の意味も、ミュウがそれを隠したいと思っていることも、イザベラは十分に承知している。ミュウが遭難するような緊急事態ならともかく、レイモンドが戦うためのただの訓練で、その大切にしている秘密を明かしてまで協力してもらえるとは考えていなかった。
「私もシャザークも、イザベラに好きでもない人と婚約してもらいたくないからね」
「ミュウさん……」
涙が浮かびそうになるのをイザベラはぐっとこらえる。
(泣いてる場合じゃない! ミュウさんのこの想いに応えて……いつか、逆の立場になったときは、私が絶対にミュウさんを助けてみせますわ!)
心に固く決意したイザベラは、拳をぎゅっと握り締める。
一方、訓練場の中央で向かい合う二人は剣を構える。
「レイモンド、今の俺をさっきまでの俺とは思わない方がいいぞ」
「期待させてもらいますよ」
レイモンドの言葉が終わると同時に、シャザークの体が跳ねる。
剣闘士として鍛錬を積み重ねてきたレイモンドと、剣闘士として未熟なシャザークの間にあった超えられない壁――悪魔憑きの力を解放して強化されたシャザークの身体能力は、その壁をあっさりと超えた。
先ほどまで10本に1本取れるかどうかだったのに、レイモンドにまともに反応されることもなく、シャザークは易々と胴への一本を決めていた。
「だから言っただろ?」
してやったりのシャザークが、木刀で自分の肩をポンポンと軽く叩きながら、レイモンドに顔を向ける。
しかし、こうもあっさり一本取られたにもかかわらず、レイモンドの顔には悔しさの欠片もなかった。むしろ不敵とも思える笑みが浮かんでいる。
「ありがとうございます。これで私もようやく真剣に訓練ができそうです」
「……いつまでそんな顔をしていれるのか、楽しみだぜ」
二人は再び対戦の初期位置に立つ。
対リチャードに向けた本当の意味での訓練がようやく始まった。
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