第25話 パーティに向かう二人
「私の方の準備はこんなものかな」
今日はイザベラの誕生日当日。
自室で着替えを終えたミュウは、姿見で自分の姿を確認する。
いつもはストレートの黒髪は、まとめてシニヨンにしている。派手さはないが純朴な顔だちのミュウが、元の可愛らしさを残したまま、いくらか大人びて見える。
また、その身にまとっているのは、礼儀作法の授業で着なれた青を基調としたドレス。さすがに何度も着用しているため新品のような美しさは損なわれているが、パーティに着ていくのに不都合なほどではない。肩や胸元は比較的露出度が高めだが、一方でドレスの丈は長く、足もと近くまで伸びている。
この世界では、上半身の露出についてはミュウの元の世界ほどではないが、それなりに許容されている。だが、一方で、下半身に関する露出は、かなりタブー視されている。特に脚に関しての価値観の違いが大きい。
元世界では若い娘が、ミニスカートやショートパンツで生足をさらしている姿は特に珍しいものでもなかったが、それはこの世界ではあり得ないことだった。素足を見せていいのは、女性が心に決めた男性のみという価値観が根付いており、ドレスであろうと基本的に丈は長めで、膝上丈などありえない。さすがに歩くのが困難になるほどの長さではないが、足元を隠すためにドレスを着ていもソックスは必須だった。
今のミュウも、万が一の脚の露出を防ぐため、白のニーソックスを着用している。
「元々のミュウの知識があるからこの世界の価値観はわかっているけど、美夕としての記憶もあるから、脚に対しての認識にはなかなか慣れないのよね」
鏡の前でミュウはスカートをたくし上げ、ニーソックスの状況を確認する。
かなり上げても肌が見えるようなことはなく、問題はなさそうだった。
しかし、足について考えると、ミュウはふと新月の夜のことを思い出してしまう。
ついつい油断し、成長した生足をシャザークに思い切り見せてしまったあの夜のことを。
「前の世界ならあのくらい平気だったのに……この世界に思った以上に引っ張られてるのかな。今思い出してもドキドキするなんて……」
鏡に映るミュウの顔は、自分でも驚くほど真っ赤だった。
「ああぁ、もう! パーティ前になんでこんな気持ちになってるのよ! しっかりしろ私!」
ミュウは自分の心を叱咤し、イザベラのために用意したプレゼントの入ったバスケットを手に取る。
バスケットの中には、黒色の液体の入った4本のビンが入っている。
ミュウとシャザークが、この日のために用意したコーラが詰められたものだ。
前の世界ほどしっかり密閉する技術がこの世界にはないので、材料は事前に用意しておいたが、実際作ったのはパーティ当日だった。
最初に作った時と違い、焦げたチョコレートではなく、ちゃんとハチミツを焦がしたカルメラを使い、すり潰したパクチーもしっかりこして欠片が入らないようにしてある。そのおかげもあり、実際、前の時よりさらにミュウの知っているコーラに近い風味になっていた。
また、少しでも冷えている方がおいしいだろうと、作り終えた後は、先ほどまで冷たい水で冷やしていた。
「喜んでくれるといいんだけど。……そろそろ、シャザークの方も用意できてるかな」
ミュウは自室を出て、シャザークの部屋へと向かう。
部屋に近づくと、ちょうどそのタイミングでシャザークが扉を開いて、中からその姿を現した。
シャザークのタキシードは無事前日には仕上がっていたが、シャザークがそれを着た姿を、ミュウが見るのはこれが初めてだった。
「あっ……」
シャザークの姿を認めて、ミュウの足が止まる。
(ちょっと! どうして私の心臓はこんな大きな音してるの! さっき思い出したドキドキどころじゃないじゃない!)
黒いタキシードは、シャザークの白い肌を更に際立たせていた。この世界では悪魔憑きと言われるその白い肌や銀の髪だが、ミュウにとっては絵本の中から出てきた妖精の国の王子様かと見まがうほどだった。
「……なんだよ、呆けた顔で見つめて。悪かったな、似合ってなくて!」
ミュウの反応を勘違いしたシャザークが口を尖らす。
「ち、違うって! ただ……幻想的なほど……格好よすぎて……」
いまだ夢うつつのような心もちのミュウは、ついつい素直な心の内を言葉にしてしまう。
「な、なに変なこと言ってるんだよ……」
(ホントだよ! 何言ってるのよ、私! これじゃまるで、私がシャザークのこと好きだって言ってるようなものじゃない!)
ミュウは慌てて自分の口を手で押さえるが、出てしまった言葉はもう取り消せない。なにか言い訳の言葉を続けようとしてミュウがシャザークに目を向けると、シャザークは褒められた恥ずかしさで照れた子供のような顔で目を逸らしていた。
その姿がなんだか可愛くなり、ミュウの緊張は一気に解けて、心に余裕もできる。
「そのくらい似合ってるってことだよ! 私が保証してあげるから自信持ちなさい」
「……そうかよ、ならいいけどな」
そうして、二人は一緒にパーティ会場たるイザベラの屋敷へと向かった。
◆ ◆ ◆ ◆
イザベラの屋敷が近くなると、馬車の姿が目についてくる。
普通の貴族ならば会場まで馬車が向かうのが常だった。せっかく着飾った姿を少しでも乱さないためにも、馬車を使うのは当然のことだった。
しかし、没落貧乏貴族のウインザーレイク家にそんな余裕があるはずもなく、二人は仲良く並んで徒歩で向かっていた。
「馬車の中から見られてる気がする。……俺のせいか」
「いえ、多分、こんな格好で歩いている私たちが珍しいだけだよ」
あたりはすでに暗くなり始めている。近くで見るのならともかく、走る馬車から遠目に見て、シャザークが悪魔憑きだとわかるとは考えづらい。それよりも、お付きも付けずに正装した二人が街中を歩いていることのほうが、目を引いているのだと考えるほうが自然だ。
もっとも、シャザークは護衛も兼ねているので、実際にはお付きが全くいないというわけではないのだが。
「歩くのは珍しいのか?」
「普通の貴族はあまり歩かないのよ。特にこんな日にこんな格好では……。うちが貴族のスタンダードだと思っちゃダメだからね。私が大きくなったら、馬車に乗れるくらいには立て直してみせるから……」
ミュウ自身は自分の境遇を惨めだとは思わないが、シャザークに対しては申し訳なく思ってしまう。
もしミュウが出会うよりも早くほかの貴族令嬢と出会っていれば、もっと裕福な生活をさせてあげられたかもしれないと考えてしまわないでもない。
もっとも、シャザークがほかの女の子と一緒に馬車に乗っていところを想像すると、申し訳なさとは違う胸の痛みをミュウは感じてしまうのだが。
「俺はお前とこうして歩いてるのも、嫌いじゃないけどな」
「――――!?」
別にシャザークが何か意図した言葉ではなかった。他意のない素直な言葉。それがわかるからこそ、ミュウは余計に照れてしまう。
「……ん? どうかしたか?」
ミュウの態度に変化があったことに気付いたのか、シャザークが隣を歩くミュウに目を向ける。
「な、なんでもないから! それより、イザベラの屋敷が見えてきたよ!」
「お、あれか! 思ってた以上にデカいな!」
かつて名門だっただけあって、ミュウの屋敷も消して狭いものではない。だが、イザベラの屋敷は、それと比べるのも失礼に感じるほどだった。
まずなにより敷地の広さが違う。敷地の入り口にある門に近づいてきたが、会場である屋敷はそのはるか向こう。これが自分の家だったら、毎朝、屋敷を出てから、敷地の外に出るまでで疲れてしまいそうだとミュウなら考えてしまうほどだ。
「恥ずかしいから、中に入ってもあんまりキョロキョロしちゃダメだからね」
「わ、わかってるって!」
門では、イザベラのランフォード家の使用人とおぼしき二人の男が、馬車から下りてくる招待客の受付をしていた。こういう場は、貴族のパーティに紛れ込む好機なので、よからぬことを考える不届き者がいないとも限らない。正式な招待者かどうかの確認は、当然のことだった。
しかし、それにしても、男たちがミュウとシャザークに向ける視線は、馬車から降りてくる貴族たちに向けるものとは明らかに違っていた。
(もしかして怪しまれてる? ううっ……確かに、徒歩でやってくる貴族なんて珍しいよね。すぐ近所とかならともかく。それに、シャザークの容姿は悪魔憑きのもの……それが貴族のパーティに招待されてるなんて普通は考えないよね……)
二人が近づくと、一人の使用人が二人の前に立ち、声をかけてくる。
「失礼ですが、招待状をお持ちですか?」
「あ、はい! もちろんです!」
いくら疑われようとも、ランフォード家の家紋で封をされた宛名付きの封筒と、当主の署名の入った招待状を見せれば済むことだった。
ミュウは持ってきたバスケットの中を探す――が、困ったことに見つからない。
「あれ? ここに入れたはずなんだけど……」
バスケットの中にあるのは4本のビンだけ。肝心の招待状が見当たらない。
「申し訳ありませんが、招待状をお持ちでないかたを、お通しするわけにはまいりません」
口調は丁寧だが、言葉の端々にはトゲがあった。徒歩でやってきた着古したドレスの女の子と、新品のタキシードだが悪魔憑きの男。二人のことを何もしらない使用人が怪しむのも当然だった。パーティに紛れ込もうとする偽物を、とっとと追い返そうという雰囲気がただよってくる。
「確かに昨日の夜は、この中に入れたんだよ……あっ」
ミュウは思い出す。確かに昨夜は、ちゃんと招待状をバスケットの中に入れていたが、今日、冷やしたコーラをバスケットに入れようとしたとき、ビンについた水滴が招待状につくとまずいと思い、一旦、封筒ごと取り出して、机に置いていたのだ。
(しまった……。机に置いたままで、バスケットに戻してない……)
慌てて赤くなっていたミュウの顔が、一気に青ざめる。
「……家に置いてきちゃったけど……招待状をもらったのは本当なんです! イザベラに確認してもらえれば、嘘じゃないことがわかってもらえると思います!」
「みなさんそうおっしゃるんですよ」
ミュウは必死の訴えかけるが、使用人は取りつく島もない。もしも二人が馬車で来ていれば、ミュウのドレスがもっときらびやかなものだったら、あるいはせめて、シャザークが悪魔憑きの姿でなかったら、男の対応も違ったのかもしれないが、今の二人の条件はあまりにも悪かった。
「屋敷に置いてきたのか」
シャザークの声に、ミュウの肩がピクリと震える。申し訳なさで胸がうずく。
完全に自分のミスだということをミュウが誰よりわかっていた。シャザークに責められても仕方ないと理解もする。だが、それを想像すると胸のうずきが痛みへ変わってくる。
「ごめん、シャザーク! 私のせいだよ! 急いで取ってくるから待ってて!」
体力や速力を考えれば、シャザークが取りに戻ったほうが効率的だが、ミュウはとてもそんなことをシャザークにさせる気にはなれない。必死に走ってるほうがまだ胸の痛みを忘れられそうだと思えてくる。
だが、そんなミュウの頭に、ポンとシャザークの手が乗せてきた。
「せっかく色々準備したけど、まぁ、いいじゃないか」
「えっ?」
叱責されるのをミュウは覚悟していた。けれども、シャザークのその声は、ミュウがびっくりするくらい落ち着いていて、そして優しげだった。
「うちに帰って二人でイザベラの誕生日を祝ってやろうぜ。苦労して作ったコーラもあるしな。このコーラを二人占めできると考えたら、ラッキーかもしれないぜ」
屈託なく笑うシャザークの顔を見たミュウの瞳に、涙が浮かんでくる。
そんな言葉をかけてもらえるとは思っていなかった。
情けない自分を責める言葉をかけられることを覚悟していた。
それだけに、シャザークの言葉が心に沁みてくる。
そのおかげでか、イザベラには申し訳ないが、シャザークと二人のイザベラ誕生会も悪くないと思えてくる。それどころか、むしろ楽しみに感じてしまいそうにさえなってしまう。
「……ありがとう、シャザーク」
今から取りに帰ろうにもこの格好では走ることもできない。歩いて往復する時間を考えると、パーティへの参加は現実的ではなかった。
イザベラには明日事情を話して謝ろう。
そう考えて、二人が使用人に背を向け、帰路につこうとしたところで――
「シャザークさん!」
門の内側からかけられた男性の声に、二人は振り向く。
そこにいたのは、学園の闘技会でシャザークと戦った、イザベラの剣闘士のレイモンドだった。
今日のレイモンドはシャザーク同様正装をしており、その様はまさに貴公子といった風だった。
「レイモンド様、このお二人のことをご存知なのですか?」
使用人が慌てたようにレイモンドに声をかける。
「ミュウ様とシャザークさんです。お二人ともイザベラ様のお客様ですよ。せっかくいらっしゃったのに、お帰りになられるようでしたが、なにかあったのですか?」
「いえ、お二人とも招待状をお持ちでなかったので……」
イザベラの客と聞かされた使用人が、慌てて事情を説明する。
状況を考えれば使用人の行動は何も間違ったものではないため、ミュウ自身、使用人を責めるような気持ちはない。むしろ自分の迂闊さを責めたくなる。レイモンドもそれがわかっているのか、使用人を叱責するようなことはなかった。
「お二人は間違いなく招待を受けたイザベラ様の客人です。私が保証しますので、二人を通してください」
「はい! もちろんです!」
こうして、多少のトラブルはあったものの、二人はレイモンドのおかげで、パーティ会場であるイザベラの屋敷に入ることができたのだった。
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