第24話 プレゼントと間接キス
「というわけで、これから二人でイザベラのプレゼントを考えます」
家に戻った二人は、ミュウの部屋で向かい合う。
「急に言われても困るが、俺も付き合わないといけないのか?」
「当たり前じゃない! シャザークも招待されてるのよ!」
「た、確かに……」
「二人からのプレゼントってことにするから、一緒に考えてよね!」
「わかった……」
ミュウのペースにはまってしまったシャザークは渋々うなずく。
「まず前提として忘れてはいけなのは、プレゼントにお金はたいしてかけられないということ! それでいて、うちの名誉をできるだけ汚さず、イザベラに喜んでもらう必要があるの。ここまではいいよね?」
「ああ」
「というわけで、シャザーク、何かアイデアある?」
「は? いきなり俺に振るのかよ」
シャザークは腕を組んで考え込む。
(私なら男の人からのプレゼントならなんだって嬉しいし、まずはシャザークの意見を聞いてみようじゃないの。……まぁ、前の人生も含めて、これまで男の人からプレゼントらしいプレゼントなんて、もらったことないんだけど)
「……形の格好いいナイフとかはどうだ? 切れ味にこだわらなければ、探せば安いものでも心にぐっとするようなものがあるかもしれないぞ」
「却下」
即座に自分の意見を否定され、顔には出さないがシャザークは少し落ち込む。
(やっぱり女の子のプレゼントを、男に聞いたのが失敗だった……)
「いい、シャザーク。どんなに格好いい形をしていたり、聖剣とかいう二つ名がついていても、ナイフをもらって喜ぶ女の子なんていないのよ!」
「……そういうものなのか?」
「そういうものなのよ!」
(こうなったら、こういう時こそ、現代知識無双をするべきだよね。ナイフは論外だけど、身に着けるものは悪くないかも。たとえば宝石とか。養殖真珠とか人工ダイヤとかなら、あっと言わせられるはず……だけど、作り方がそもそもわからないよ! ……でも、宝石は無理でも、服ならどうよ。現代で流行してる最先端のデザインの服を私が用意すれば……だ、だめだ、この世界でそんな服を着たらイザベラが痴女扱いされちゃう……そもそも、私に自力で服を作る力があるわけもないし……)
「……なにか一人で熟考しながら落ち込んでいるように見えるが、大丈夫か?」
シャザークが心配げな目を向けるが、ミュウはその声も聞こえていないようだった。
(着るものがダメなら食べ物よ! 女の子なら甘いものには目がないもの! それは前の世界でもこの世界でも同じはず!)
ミュウはかっと目を見開く。
「うわっ、どうした!?」
「シャザーク、キッチンへ行くわよ!」
慌てるシャザークの手を取ると、ミュウはキッチンへと向かった。
◆ ◆ ◆ ◆
(さて、キッチンまで来たはいいけど、問題は甘いものといっても、何を用意するかよね。この世界では、ケーキやパンケーキくらいならあるけど、スイーツの種類が豊富じゃなのよね。前の世界で流行りのスイーツでも用意できれば、イザベラを驚かせられるんだろうけど、作り方なんてわからないし……。だいたい、私、お菓子作りが趣味なんていう可愛い女の子じゃなかったんだよね……。バレンタインに一度だけ手作りチョコを用意したことがあるけど、あれも市販のチョコレートを溶かして型にはめて固めただけだったし。だいたい、この世界には固形のチョコレートなんてなくて、チョコレートといえば飲み物だし……ん、だったら固形チョコレートを作れば、凄く珍しいプレゼントになるんじゃないの!?)
この時代のチョコレートは、飲み物であり、そこに砂糖を加えて飲むのが一般的だった。チョコレートも砂糖もまだまだ貴重品であったが、庶民でも嗜むくらいには普及し、貧乏貴族のウインザーレイク家でもチョコレートくらいは常備している。
ミュウはそのチョコレートに砂糖を混ぜたものを鍋に入れ、火にかけた。
「おいおい、ミュウ! 一体何をしようって言うんだ?」
シャザークが慌ててミュウを止めようとするが、ミュウは落ち着いた様子でそのシャザークを宥める。
「まぁ、見てて。私の現代知識チートってのを見せてあげるから」
「現代知識チート? なに言ってるんだ? せっかくのチョコレートにそんなことをして!」
「液体チョコレートは冷やしても冷えたチョコレートドリンクになるだけ。だったら、こうやって水を蒸発させたらどうなると思う?」
「いや、どうなるってお前……」
自信満々のミュウに、シャザークは明らかに不安げな視線を向けた。
◆ ◆ ◆ ◆
しばらく後、焦げた臭いが充満するキッチンの中、鍋の中には焦げ付いたカカオや砂糖らしきものがこびりついていた。
「予想通りそうなったわけだが、ここからどうするんだ?」
「…………」
シャザークの言葉にミュウは押し黙る。
こうなることは、シャザークでも予想できていたようで、まだこの先に何かがあると考えているようだった。しかし、当然ながらミュウにこの次の段取りがあるわけがない。浅はかな考えによるただの失敗がそこにあるだけだった。
(よく考えたら当たり前だよね……。前に手作りチョコレートを作ったときは、単に冷やしただけだったんだから。液体チョコレートを簡単に固形化できるくらいなら、もうすでに誰かがやってるよね……。私の知ってる物語なら、現代知識で無双できるはずなのに……。エクセルやワードを使えたり、給与計算や複式簿記ができても、プレゼント一つ用意できないじゃないの! 水道か下水の配管でもやってやろうかしら……)
落ち込むミュウだったが、フランツがパンを作る時に使っているふくらし粉の入ったビンがふと目の端に入る。
(私は作ったことないけど、パンでも作ろうかな……。芸もない手作りパンだけど、イザベラならそれでも喜んでくれるかも……。そういえば、この世界では、ふくらし粉って、ベーキングパウダーはなくて、重曹だけなんだよね……。……ん、重曹か)
ミュウはふと以前に読んだ漫画で見た知識を思い出す。
「……試してみようかな」
ミュウはグラスに水を入れると、そこに重曹を入れて溶かし始める。
「鍋の方を放っておいて、次は何をするんだ?」
「まぁ、見てて」
ミュウは重曹が溶けた水に、レモンを絞って果汁を入れる。すると、グラスの中の水が急に泡立ち始めた。
「おいおい、なんだよ、それ!」
驚くシャザークをよそに、ミュウは一口その水を飲んでみる。
(――――! マジで炭酸じゃない! うっすらレモンの味のする炭酸水になってる!)
炭酸水素ナトリウムである重曹と、レモン果汁に含まれるクエン酸による化学反応で、炭酸ガスが発生したのだが、そんな小難しい理屈をミュウが理解していたわけではない。それでも、記憶に残る漫画知識で、この方法で炭酸水が作れるということだけは覚えていた。
「飲んで大丈夫なのか?」
「もちろんよ。シャザークも飲んでみて」
ミュウはシャザークの前に泡立つグラスを差し出す。
シャザークはいぶかりながらも、先にミュウが飲んで安全性を示していたこともあり、グラスを受け取って、こわごわ口をつける。
「うわっ、なんだこれ!? 舌に刺さるぞ!」
「あはっ、確かに私も最初はそんなこと思ったような気がするわ。でも、今まで体験したことない感覚じゃない?」
「まぁ、それはそうだが、別にうまいわけでもないし……」
一口だけで十分とでも言いたげに、シャザークはグラスをミュウに渡してくる。
ミュウは苦笑いしながらそのグラスを受け取り、グラスの縁に目を向ける。
グラスには二つ、唇の触れた薄く白い跡がついていた。グラスの対面の縁と縁に二つ。
(……あっぶなー! 下手したら間接キスされるところだったじゃない!)
縁に着いたシャザークの唇の形を見て、ミュウの鼓動が急に速くなる。
(今時中学生でもこんなことでドキドキしないのに! い、今はとにかく、このドリンクに集中しないと!)
「味付けはこれからよ。確か、炭酸水に、パクチーとライムとハチミツを焦がしたカラメルを入れるんだったよね。……シャザーク、パクチーをすり潰して。できるだけ細かくね」
「どうして俺が……」
「シャザークも手伝う、手伝う! そうじゃないと、自分一人でプレゼント用意してもらうよ!」
「……はいはい、わかりましたよ、お嬢様」
シャザークは口では面倒がりながらも、体はテキパキと指示通りに手早く動き出す。
「ライムも確かあったよね。あとはハチミツを焦がして……」
ミュウの目に、先ほど焦がしたチョコレートの残骸が残る鍋が映る。
「……もしかして、これが利用できるんじゃない? 本番はともかく、試しにやってみるならこれで十分かも」
ミュウは焦げたカカオと砂糖の合わさったものを鍋から削り取り、それをすり潰して炭酸水の中に放り込む。
「おおっ! 色がすごくそれっぽい!」
透明だった炭酸水が、前の世界で目にした懐かしい飲み物の色へと変化していた。
「あとはこれにライムとパクチーを入れるだけね。シャザーク、早くしてね。炭酸が抜けちゃうから!」
「やってるだろ!」
真面目にパクチーをすり潰しているシャザークを横目に、ミュウもライムを用意し始める。
◆ ◆ ◆ ◆
そして、焦げたカカオと砂糖を入れた炭酸水に、すり潰したパクチーとライムを加えた泡立つ飲料が完成した。
「……ホントに出来た」
ミュウは懐かしい色をした飲料に鼻を近づける。
カカオの香りがうっすら混ざっているが、前の世界で嗅いだのと変わらぬ香りがミュウの鼻腔をくすぐる。
「この香り、間違いなくコーラだよ!」
「コーラ?」
シャザークは始めて耳にする単語に首をかしげるが、ミュウは感動で潤んだ瞳で、コーラ色した液体を湛えたグラスを見つめた後、ゆっくりと口元に近づけていく。
ミュウの薄い唇がグラスに触れ、傾いた器から、苦労して作り上げた飲料が口の中に流れ込んでくる。
その香りも、舌に感じる刺激も、口の中に広がる味も、すべてが懐かしかった。
完成度で言えば、商品化されたものとは比べるべくもないが、確かにそれはコーラだった。
一瞬で蘇ってきた嗅覚・触覚・味覚へのコーラの記憶に、思いがけず涙が浮かぶ。それは炭酸の刺激による涙でないことを、ミュウ自身が誰よりも理解していた。
「……懐かしい味。おいしい」
「俺にも飲ませてくれよ」
炭酸水を飲むときは躊躇いがちだったシャザークが、目を輝かせてせがんでくる。
「もちろんよ、どうぞ」
ミュウはシャザークにグラスを差し出し、その時に気付いてしまう。
今自分が飲んだグラスの場所に、二つの大きさの違う唇の跡が重なっていることに。
(ちょ、待って!? 私、気付かずにシャザークが口をつけたところに口をつけちゃった!? ……これって、間接キス!?)
ミュウは思わず自分の唇に手を当てて、自分でも知らない間にシャザークとの初間接キスを終えてしまったことに呆然とする。
無性に恥ずかしくなったミュウは、照れて顔を赤くしながら、伏し目がちにシャザークに目を向ける。
そして気付く。
自分がシャザークの口をつけたところから飲んだということは、その対面にあるミュウの唇の跡が今、シャザークの手間に位置していることに。
(あ、待って、シャザーク、そこには私の唇が……)
グラスの汚れ程度なら気にもしないシャザークは、ミュウの唇の跡に気付きもせず、平然とその場所に唇をつける。
(あああああっ! シャザークにも間接キスされちゃったぁぁぁ!)
思わず両手で顔を押さえるミュウ。
そんなミュウの様子に気付かないまま、シャザークは初めてのコーラを舌で味わう。
「やっぱり舌に刺さるな。でも、なんだろな、この味わい……妙な爽快感があって、悪くない。むしろ癖になりそうな風味かもしれん」
真剣にコーラについて語るシャザークを見て、一人心の中で騒いでしまっていたミュウは自分を戒め、心を落ち着かせる。
「……冷やすともっとおいしくなるよ」
前の世界のように冷蔵庫があるわけではない。温めること以上に冷やすことはこの世界で難しいことだったが、ビンに入れて川の水で冷やすくらいのことなら容易だった。
「なるほど、確かに冷やしたらもっとよさそうだな」
「これを何本かビンに詰めて密封して、プレゼントにしようと思うんだけど、どう思う?」
「いいなそれ! ……なぁ、コーラだっけ? この残ってるの全部飲んでもいいか?」
いつも大人目線で見てくるシャザークがこのときばかりは、おもちゃをねだる子供のような顔をミュウに向けてきた。
先ほどまで間接キスにどぎまぎしていたミュウだが、その顔を見て思わず吹き出しそうになり、変な緊張感は消え去った。
「全部飲んでいいよ。どうせならもう少し作ってみるから、二人で飲みましょ」
ミュウは中身と同じ大人びた笑顔をシャザークに向けた。
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